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その52




 とは言っても、それは本当に些細な変化だった。

 私が部屋に繋がれている状況に変わりは無く、それまでの数日と同じように本を読んで大部分の時間を過ごし、美味しい食事に舌鼓を打ち、赴くままに惰眠を貪った。そんな中でリュカちゃんも同様に、私に対しては無言と非干渉を以て接し、本の世界に埋没する私を決して邪魔する事なく、己の仕事をただ淡々とこなした。

 では、それのどこに変化があったのかと言うと。

 この、私がイグラード王宮で望んだそのもののストレスの無い生活、人との関係が希薄な生活で、そうは言っても他人と触れ合いたい瞬間というものはある。矛盾しているようだが、丸1日、誰と話す事無く過ごせたとしても、翌日のある一瞬には、ふと読んだ本の感想なんかを聞いて欲しくなる時があるのだ。そうでなくとも、何か一言二言、他愛のない会話を誰かとしたくなるような、放って置けばすぐに忘れるようなとりとめのない欲求。

 その一瞬の緩みのような瞬間を正確に察知して、リュカちゃんが話しかけてくるようになったのだ。

 阿吽の呼吸という言葉があるが、リュカちゃんがまさにそれで、私が1日か2日、丸々机にかじりつくようにして過ごして、ふと誰かと話したいなと考えた時に限って、彼女は食器を片付ける手を休めて「アカネちゃん」と声をかけてくるのだ。 

 その空気の読み方というのが、まるで彼女の方も私と同じ様なサイクルで他人との接触を求めているような絶妙さで、ストレスの無いままに少しだけ人と関わりたいという私の欲求を見事に満たしてくれていた。

 


 そうやって、のっぺりとした平坦な監禁生活に満ち足りた気持ちさえ感じるようになりつつあったある日、私は、何度目かになるリュカちゃんとの語らいのひとときを過ごしていた。時刻は夕食のすぐ後だから20時前後だろうか、燭台には蝋燭が1本灯るだけだったが、満月に照らし出された室内は十分に明るく、ぼやりと輪郭を光らせて見せるリュカちゃんの立ち姿が実に幻想的だった。


「アカネちゃん、今日の本はどうだった?」

「よ、よかった、んだな」


 お、おにぎりが欲しいんだな、みたいな感じに答えてから、私は少し疑問に思っていた事を彼女に聞いてみる事にした。


「この、本って、リュカ・・・ちゃんが、選んでいる、の?」

「うん、そうだよ。ワタシが選ぶようにって、教主様が」

「キョウシュ、サマ?」

「うん、レーマ教団で一番偉い人だよ。その・・・多分、アカネちゃんがここへ来たのも、教主様のご命令だったと思う」


 少しばかりばつが悪そうに答えるリュカちゃん。

 キョウシュ・・・教主、様か。

 いくら自分の信仰する教団のトップからの命令とは言え、思うところがあるのだろう。リュカちゃんの黒目がちの大きな瞳が俯き気味に揺れる。

 私としてもその辺りは確認しておきたいところだったので、戸惑う彼女には悪いけど、もう少し突っ込んで尋ねてみることにした。


「教主様の、も、目的って、何?」

「目的って、アカネちゃんを連れてきた目的ってこと?それは、分からないわ。ワタシみたいな一般の信徒に、教主様の深いお考えは分からないもの。ただ・・・」

「ただ?」

「ただ、教主様はお優しい方よ。ここにお務めするようになって、不慣れだったワタシにハクジャの世話を任せてくれたのは教主様だったの。そのお仕事のお陰でワタシはここに馴染む事が出来たのよ。勿論、ハクジャ自身もとっても可愛らしいしね」


 そう言ってほころぶように笑うリュカちゃんに、私もハクジャの胴長でアンバランスな体型を思い出してぎこちなく笑い返した。

 

 リュカちゃんの言うとおり、レーマ教団のトップ、教主様とやらが善人であったとしても、拉致監禁まがいに連れてこられた身の私としては信じる事は出来ない。それに、彼女には悪いが、宗教の介在した人間関係程信じられないものも無いし。

 と、私の浮かべた笑顔が更に固くなりかけた時、いつものように上の窓から件の白犬が特撮ヒーローの如く跳躍を決めて、リュカちゃんの足下へと走り寄った。

 そして、迷うように彼女と私の顔を見上げると、「くぅん」と甘えるよう鳴いて2人の丁度中間辺りに腰を落ち着けた。


「ハクジャったらまた抜け出して。よっぽど、アカネちゃんが気に入ったのね」

「そ、そうなの?」


 不思議書道犬として私の部屋へ現れたあの日以来も、ハクジャは何度かここへ来ている。だが、リュカちゃんも一緒に居る事が多いせいか、あれから字を書いたりするような事は無く、こうして見る限りいたって普通の小型犬だ。

 でもって、こうやって私から一定の距離を保って寝そべってる姿を見る限り、とても気に入られているようには思えない。


「そうよ。だって、この子、もともと教主様以外には全然近づかないから、それを直すようにってワタシに預けられたんだもの。だから、そのハクジャがここまで近づいているのは、かなり気を許しているって証拠なのよ」

「そうなん、だ・・・」


 そうは言われても、少しでも私が近づく気配を見せると、同じだけ離れようとする白犬が気を許しているとはやはり思えないのだけれど。


「じゃあ、ちょっと実験してみる?」

「実、験・・・?」

「うん、実験。ここにハクジャの大好物のオヤツがあるから、これをアカネちゃんがあげるの。警戒心が強いハクジャが食べたら、相当アカネちゃんに懐いている証拠よ」

「なるほど・・・。ち、ちなみに、懐いてなかった、ら?」

「うん、大丈夫、止血用のハンカチもちゃんとあるから」

「・・・・・・」


 えっと、懐かれてなかったら噛まれるってことですね。分かります。


 冗談なのか本気なのか、朗らかに笑ってこちらを見つめるリュカちゃんに、何となく「だが断る」とも言い損ねた私は、手渡された草団子のようなオヤツを、ハクジャへと提供する任に着いた。

 畑さん、私に力を・・・と、野生の獣に対して無防備過ぎる立ち回りを見せる英雄の力を借りて、一歩ずつハクジャへと距離を詰める。

 猛獣めいた力は無いだろうが、しかし、字を書いたりといまいち得体の知れないハクジャである。その愛らしい容姿にもふもふしたい欲求は高まる一方だが、やっぱり恐ろしくもあって、私は相反する気持ちを争わせるようにじりじりと近付いて、手のひらに乗せた団子を差し出した。

 すると、興味無さげに前足に顎を乗せて伏せたポーズで動かなかったハクジャが、ぴくりと髭を振るわせて上体を起こした。続けて後ろ足も立たせると、睥睨するようにじろりと私の方へと目線を寄越す。


「・・・・・・っ」


 その何ともいえない雰囲気に息を呑むが、次の瞬間にはハクジャは確認するようにリュカの顔を仰ぎ見て、それからととっと私に駆け寄ると、手の先を舐めるようにしてぺろりと団子を口の中に収めた。


 ミッションコンプリート!と、私が大げさに天を仰いで拳を脇腹辺りで握りしめていると、リュカちゃんが「やったわね」と、これまた大げさに拳の上に手を置いて大きく頷いた。こんなところまで察してくれるのだなと、彼女のリーディングエアー能力の高さに感動していると、更なる提案がなされた。


「アカネちゃん、これなら撫でても大丈夫かも」

「・・・・・・」


 うーん、実は何度か撫でようとチャレンジした事はあるのだ。

 だが、その度にぐるると唸られてしまってうまくいった試しがない。思えば最初に会った時も触れようとしたら吠えられた訳だし、ハクジャはかなり触られる事が嫌いな犬らしい。となれば、今度こそ、リュカちゃんのハンカチのお世話になるかもしれない訳で・・・。

 と、迷いを見せる私に、リュカちゃんは私の手を持ったまま勇気づけるように口を開いた。


「アカネちゃん、もふもふしたら気持ち良いよ」

「う・・・」

「それに興味無い?」

「う、ん・・・?」

「ハクジャが男の子か、女の子かに」

「っ・・・!」


 月明かりに照らされて、翡翠のような輝きを怪しく目に光らせるリュカちゃんの言葉に、私は逆らう術を持たなかった。てっきり黒色だと思っていたが、光の具合で目の色が変わるのだなあと、しばらくリュカちゃんの瞳を見つめた私は、ゆっくりと夢遊病者のように両手を伸ばした。

 

 そんなただならぬ雰囲気に、危険を察したハクジャは吠えるまでもなく身を翻そうとするが、静かに近寄っていたリュカちゃんに背中から押さえられて身動きが取れない。


「ダメだよ、ハクジャ。これは罰なんだから」

「く、くぅん」

「ふふふ、甘えたってだあめ。今日も勝手に抜け出して、ほんと悪い子」


 冗談っぽく笑いながら言うリュカちゃんに、どうやらハクジャが脱走の常習犯らしい事が分かった私は、そういう事ならばと遠慮なく両の手をわきわきさせた。

 ばたばたと嫌がりながらも、やはり、尻尾の付け根辺りをかかれたり、耳の周りをわしゃわしゃされると気持ち良いのか、ハクジャは次第に抵抗の意志を失っていった。そして、終わったときには全身をすっかりと弛緩させていて、私は思う存分もふもふしたい欲求を満たす事に成功していた。ちなみに、男の子だった。

 

 

 満足気な私と目が合ってふふふと目を細めたリュカちゃんは、ぐったりと力無く伏せるハクジャを抱き抱えると、おもむろに「それじゃあ」と暇を告げた。


「・・・あ、忘れるところだった」


 足を踏み出しかけていた彼女は、何かを思い出したように天を仰ぐと、先ほどハクジャのオヤツを取り出した袋から、もう一つ別の袋を取り出した。


「これ、アカネちゃんに」


 そう言って差し出された袋を条件反射的に手に取ると、私は「自分に?」と己の顔を指さした。


「うん、もしかしたら小さいかもだけど、綺麗にはしてあるから。よかったら使って」


 袋の中には彼女や他の僧侶達が着ていた貫頭衣と揃いの帯、それに七分丈のズボンが入っていた。

 何となく嬉しくなって、私が自分の胸に服を当てていると、リュカちゃんが小さく言った。


「ほんとは、こんな事しちゃダメなんだけど、やっぱり服が一着だけって言うのは、ね」

「・・・・・・臭う?」

「・・・少し」


 困ったように答えるリュカちゃんの言葉に複雑な思いを感じながら、私は彼女の気遣いを礼を言って受け取った。


 その後、彼女が退室してから早速着替えてみたところ、肩幅や胸周り、それに帯の長さも丁度良くフィットして、着心地の良さに私は思わず誰も居ない部屋でくるりと回った。が、七分丈の筈のズボンの裾が足首に擦れるのを感じて、すぐさま浮かべていた笑みを引っ込めた。

 ちくしょう・・・。





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