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その49




 じゃらりと、壁に繋がった鉄の鎖が音を立てる。

 

 あれから、私は床に座り込んで足首に嵌まった足枷をはずそうと試みたのだが、隙間には皮革が挟まれていて指一本入れる事すら出来なかった。それのお陰で足首が擦れて痛むという事は無かったが、自分が虜囚の立場である事を痛感してしまって、私はすっかり立ち上がる気力を失ってしまった。

 以来、座り込んだまま、じゃらじゃらと鎖をいじる音だけが、室内に響いている。


 

 一応、そんな風に萎えてしまう前には室内を調べてみもした。

 部屋の隅のカーテンをめくってみると続きがあって、奥に別室があるのを発見してテンションが上がる場面もあったのだ。

 その狭いスペースの床はタイル張りで排水口のような溝もあり、炊事場か、もしくは浴室かと、勢い込んで調べてみたものの、中央に鎮座する肝心の手押しポンプは太い針金でガチガチに固定されていて用をなさなかった。自由に水が飲めれば多少は気持ちも楽になったろうにと、これにはかなりガックリときた。

 そして、とぼとぼと文字通り足を引きずって元の部屋に戻ると、今度は机の下に毛布が丸めて置かれているのに気付いた。拾ってみると案外に綺麗そうで、私はばさりと床に広げて敷いてみた。すると、思った通り使用感の無い状態の良いもので、これで寝床ゲットだぜ!とテンションが浮上したのも束の間、端っこの方を見てみると錆びた色の飛沫が点在していて、ロケーション的にも血痕にしか見えなかった私は、結局、その毛布を元通りの場所へと丸めて置いた。


 そんな訳で、心が萎える程になって分かった事と言えば、この部屋には、最初に目に入った木製の机と、足の長さが違ってガタガタとうるさい椅子、使えそうな物はそれだけしか無いという事だった。

 あ、それと一応、窓もあった。ジャンプすればぎりぎり手が届いて、鉄格子の間からはかろうじて空が見えるだけという牢獄感マックスな代物ではあるが。



「ファーガソンのお爺ちゃんは、軟禁される程度で無体なことにはならないって言ってたけど・・・」


 結構、無体だよね、これ。

 程度問題なんだろうけど、どう見てもこれは軟禁というよりは監禁だし・・・。

 

 不揃いな石のブロックを敷き詰めただけの床がお尻に痛い。

 いい加減地べたに座っているのも辛くなってきた私は、ひとりごちながら、膝に手を付いて立ち上がった。

 部屋が狭いせいで、鎖の長さという意味では、こうして歩き回るのに差し障りはない。ただ、やたらと足枷自体が重いので、すり足のようになって歩いてしまうのは仕方がない事だった。きっと足の裏は真っ黒に汚れきっている事だろう。かえすがえすも、先ほどのポンプが使えなかったのが悔やまれる。

 思えば、イヴェルド山を登るのに丸一日、それ以前も馬車の旅が続いていた訳でお風呂にまともに入っていない。日本人としてはここらで湯船に浸かってさっぱりしたいところではあるが、考えるのもバカらしくなる状況だし仕方な・・・。


「しまった・・・っ」


 入浴も大事だが、それは我慢出来る。

 新作RPGが出る度に一週間程不眠不休でお風呂になんぞ入る時間など無い事に定評がある私である、そこは何とかなる。ちなみに隣に住んでいた良子ちゃんは、そんな状態の私を見てストレートに「汚物」と言った強者である。至急オブラードを取り寄せて欲しい。

 閑話休題。

 で、サッパリは我慢出来るとしても、スッキリは?遠回しに言うと、どこでお花を摘めば!?


「う・・・ぐ・・・」


 考えたからだろうか、何だか下腹部が痛くなってきた気がする。

 よく考えると、ここの山に入ってからお手洗いに行った記憶が無い。

 

 この見渡すにも狭い部屋を目線だけで眺めると、私の脳裏に一瞬、最悪の光景がよぎる。


「き、きっと、番兵さん的な人がいる・・・はず・・」


 私は心持ち内股になった歩みを部屋の扉の方へと進めると、扉を叩こうと半端な位置まで振り上げた手を見つめて動きを止めた。


 何て言えば、良いんだろう?


 扉を叩くのは良い。で、その後に外で反応があったとして、何と言えば?

 単純に「トイレじゃい!」と言えたならどんなに楽か。そういう人間であったなら私は今こんなところに居らず、今もイグラードの王宮で皆と円滑に会話を交わし、コミュレベルが上がりすぎてボス戦に手応えが無いとドヤ顔で不満を漏らしていた事だろう。

 

 いや、私が逃げさえしなければ。

 オルランドの反乱軍との戦いも、逃げずに頭を捻っていれば、魔法絡みのアイデアで何とかなっていたかもしれない。そうなれば、私は今も変わらず王宮のあの心地よい部屋で苦笑を浮かべつつも優雅に暮らせていた筈だ。間違っても飲み水や寝床の心配などすることなく。


「うぅ・・・」


 何だか余計に惨めな気分になった私は、凭れかかるようにして扉に手を付けた。

 ともかく、今は目前の危機を脱するのが先だ。私は複雑な思いをぶつけるようにして腕に力を込める。

 が、当然のごとく分厚い扉はビクともせず、私は反省のポーズのようになりながら顔を俯けた。

 すると、そんな私と目を合わせるように見上げるモノが居た。


「い、い、いにゃ!?」


 僅か2文字ですら噛むという偉業を成し遂げた私は、足元から見上げるようにしてこちらを窺う一匹の小さな犬の姿に、その場で飛び上がって驚いた。

 一体どこから入ってきたのだろう?と、私が訝しむような視線を向けても吠える事はなく、置物のようにお座りのポーズのままのその犬は真っ白な毛並みの小型犬で、垂れた耳に大きな目とやや横長で愛嬌のある顔立ちと、犬種で言うとマルチーズのように思えた。


「め、目が赤い・・・」


 そんなマルチーズらしき犬と見つめ合うような体勢になった私は、その目が真っ赤なルビーのような色をしている事に気付いた。充血しているとかいう色彩では無く、カーマインの絵の具をそのまま塗り込めたような深みのある感じで、見入られそうな雰囲気のある瞳である。

 真白い毛並みと赤い目に、アルビノ(先天性色素欠乏症)かあと、珍しさも手伝って、感心するようにその犬の全身を眺めていると、どうにも色彩以外にも違和感がある気がした。


「んん・・・?胴が長いのかな。いや、頭が小さすぎるのかな・・・?」


 あまり犬に詳しくない私の頭の中のマルチーズ像とは、どうも少し眼前の犬は違うようである。

 顔だけを見ればマルチーズなのだが、胴がダックスフンド並に長いし、頭が小さいので愛嬌と言うよりかは少しシャープな感じに映る。いや、それでも十分可愛いらしいんだけど。

 と、一通り確認し終えて、すっかり白犬の可愛さに参ってしまった私は、撫で撫でするべく手を伸ばした。


「ワンワン、ワンっ!」

「っわ・・・!」


 途端、まるでそれまでが一時停止の画像であったかのように、吠え出す白い犬。

 あまり犬と触れ合った経験の無い私は、驚いて尻餅を付いてしまう。

 

 噛まれたりはしなさそうだけど、さすがにこれだけ吠えられると怖いもので、座り込んだまま私がその様子に怯えていると、鳴き声に重なるようにしてガチャリと眼前の扉が開く音が聞こえた。

 白犬は、その様子を確認するように振り返るとピタリと吠えるのを止めて、開きつつあった扉の間からさっさと出ていってしまった。

 せめてひと撫ではしたかったなと、その隙間を名残惜しく見ていると、見る間に扉が開ききって、数時間前に見たばかりのマッチョ僧侶の一人がぬっと姿を現した。


「何か用か?」

「・・・・・・」


 いきなりの邂逅に私が答えを返すことが出来る筈も無く、尻餅を付いたままの体勢でスカートの裾を押さえて顔を俯かせていると、じっと見下ろすようだったマッチョ僧侶が再び口を開いた。


「・・・ああ、漏らしたのか」


 その納得しような頷きと共に繰り出された僧侶の言葉に、私は咄嗟に口を開いて反論した。


「ま、まだ・・・ですっ」


 ぎゃー!

 これだといずれ漏らすみたいじゃないか!何を言ってるんだ私は・・・。

 

 と、再び顔を俯けて頭を抱える私に、僧侶は「そうか」と短く答えると、最初取り付けた時と同じように素早く跪くと、私の横座りになっていた足を手に取り、瞬く間に足枷を外してしまった。

 そのあまりの早業に、自分の足を触られた事に対する反応すら出来ず、気付けば、再び僧侶は立ち上がって扉に手を掛けるところだった。足枷に鍵っぽい物を差したところだけは見えたけど、こんな図体であの敏捷さってスゴすぎる。RPG的に言うと、見た目戦士で本職僧侶、でも盗賊も出来ます的な。

 

「来い。排泄が必要なのだろう?」

「う、ぐ・・・」


 いや、そうなんですけどね。言い方ってものがあるでしょう?

 と、不満はありつつも気付けば肉体的に切迫した状況にあった私は、おとなしく僧侶の言葉に頷いて答えた。



 私の居た部屋から20メートル程だろうか、明るいと思っていた部屋周辺の明かりがぼんやりと浮かぶ孤島のように感じられる頃、真っ直ぐ通路を進んでいたマッチョ僧侶が、「ここだ」と言って歩みを止めた。

 示された先は、私には他に並ぶ扉との差が分からない部屋の前で、僧侶が扉を肘で押し開くようにしてこちらを見ている。そんな、おトイレにエスコートされるという何とも気まずい空気から逃れるべく、私にしては素早い動作で部屋の中へと体を滑り込ませた。

 そして、私は自らの失態に愕然とした。


「油断・・・して、た」


 本当に油断していた。

 こんなところで足下を掬われるようなミスを犯すなんて。

 

 というか、考えれば分かる単純なミスだった。

 イグラードの王宮ですら下水処理は試験的に導入されていたのだ。

 それがこんな山奥の、まして牢獄のような場所のトイレである。それが水洗式である筈が無い。


 私の視線の先では、地面に穿たれただけの丸い穴が、底の見えない漆黒の闇をただ覗かせている。

 いや、底が見えちゃったらヤバイんだけどね。

 そんな自分の思い付きに自嘲気味に笑いながら、覚悟を決めて、いわゆるポットン便所に腰を落ろそうとした刹那、私はまたしても重大なミスを犯している事に気付いた。

 

 

 私、裸足じゃん!!




 言葉にならない叫びをあげて、でもやるしかなかった私は、再び僧侶に部屋へと連れ帰られた時には精神的疲労が最高潮に達していた。

 また足をとられて枷をはめられた筈だがその記憶も虚ろで。

 

 色々なものが振り切れてしまった私は、もはや多少の汚れなど気になる訳も無く、机の下に戻してあった毛布に丸まると、床の固さを気にしたのも一瞬、深い眠りへと落ちていったのだった。

 

 



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