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その44

 

 実際には2分も経っていなかったかもしれないが、おかしな空気に耐えきれなくなった私は、とりあえず膝上のカイト殿下の両脇に手を入れて、よいしょと床に下ろす。その際、「ちょ、ちょっとアカネおねーちゃん、今おとことおとこのっ・・・」と殿下からの抗議の声があがったが、ぽんぽんとふわふわヘアーの頭を撫でてやると、たちまちにへらと相好を崩した。


「随分と殿下に懐かれているようですね、アカネ様?」


 すると、その様子を見ていたネストールさんから私に声が掛かった。

 

 いけない、この人が居たんだった!

 殿下を可愛がっている場合じゃないと、私は、平静に尋ねられる彼の声から咎めるような響きを感じて、慌てて腰を上げて居住まいを正した。

 そして、立ち上がってからやけにスースーする背中の事を思い出して、私は決してそれは見られないようにと後ずさりする。

 ガタリと、引いた足が椅子に当たって音を立て、笑顔だったカイト殿下が再び、はっと思い出したように険しい表情を浮かべた。


「おい、アカネをいじめるたって言っただろっ」

「・・・カイト殿下、お言葉ながら、アカネ様をいじめてなどおりませんよ。彼女は今宵のダンスパートナーなのです。ですから、それを害するなどという事はありません」

「え、でもっ・・・」


 と、再び殿下が私の顔を仰ぎ見て、確認するように頷くと、私の前に庇うように立った。

 どうやら、今の私の顔は、5才の子に危機感を募らせるほどに不安そうに見えるらしい。


「やっぱり、お前はこっちに来るなっ」

「・・・・・・」


 そして、普段快活な殿下に似つかわしくない険のある台詞を吐くと、それを受けたネストールさんとの間に、またさっきのような不穏な空気が漂い始める。が、今度はその空気が充満するような事は無く、すぐにネストールさんの方から口を開いた。


「そう言えば、殿下、アカネ様の事呼び捨てなんですね?」

「・・・う、それは」

「確か、オルランドでは騎士の叙勲を受けると、ある事をすることが許されるそうですが、何が出来るようになるのでしたっけ、殿下?」

「うっ・・・」

「そして偶然小耳に挟んだのですが、最近殿下は剣術の修練に余念が無いとか。やはり、殿下も騎士を目指されるのですか?」

「・・・・・・」


 続けざまに投げかけるネストールさんの質問に、慌てるようでいたカイト殿下は最後には無言になってしまい、妙に赤くなった顔で私に振り返ると、無念そうに言った。


「ごめん、アカネおねーちゃん。イグラードのぐんしを相手にするには、じきそーしょーだったみたい」

「・・・・・・え?」


 そう言い置くと、カイト殿下はネストールさんの横を通って、来たとき同様に猛然と走り去ってしまった。

 

 それを言うなら時期尚早でしょと、私は、開かれたままの扉の先を見つめた。

 勝手に私を呼び捨てにした事くらい気にしなくて良いのにと、やがて角を曲がって見えなくなった殿下の後ろ姿に思っていると、扉を閉めるべくノブに手を延ばしていたネストールさんと視線が噛み合った。


「ぅ・・・・・・」


 殿下に成り代わって軍師殿を相手取る事になった私だったが、彼にドレス姿を見られただけで既に白旗状態である。そんな蛇に睨まれた蛙状態の私に、後ろ手で扉を閉めながらネストールさんは穏やかな笑みを浮かべて言った。


「そんなに構えないでください、何もしやしませんよ。今日は踊るために来たんですからね」


 すると、扉の前に立った彼は、ぴんと、自身の首を飾るように覆っている大振りの襟を指で弾いた。

 その仕草に、私は初めて眼前のネストールさんがいつもの軍服では無く、テールコートに身を包んでいる事に気が付いた。恐慌状態一歩手前な私には彼の格好にまで気をまわす余裕が無く、これが無関係に眺められる立場だったら、数段は上がった美男ぶりに眼福と手を合わせていたかもしれない。


「オルランドに合わせて、という事のようですが、私はこう着飾るのは苦手で。アカネ様は・・・聞くまでもないですね」


 羞恥に頬を染めて俯いた私を見て、彼はくくくと、意地悪く笑う。

 そして笑いが収まると、ネストールさんはつかつかと歩み寄り、私の腕を取って抱き寄せた。

 俯いたまま、どうやって背中を見せずにこの場を乗り切るかと、そればかりを考えていた私は咄嗟に反応する事が出来ず、あっさりと彼の胸の中に収まる。


「え?あ・・・?」


 いきなり、ネストールさんのシャツの白一色に視界を埋められた私は、自分がどういう状態にいるのか分からなくて戸惑いの声をあげた。


「本当は我慢しようと思っていたんです。こういう事をしてしまっては、緊張に弱いあなたの事ですからダンスにも支障が出るだろうと。でも・・・」


 脳天から響くような低い彼の声を身近に感じて、私はようやく彼の腕に捕らわれている事に理解が及ぶ。優しく肩に置かれた彼の手は熱っぽく、背中に回された方の手は灼熱のように感じられた。


「綺麗ですよ、アカネ様。いや、こういう時は殿下のように呼び捨ての方が良いですかね、アカネ?」

「・・・・・・」

「恥ずかしい、ですか?実は私もこういう事をするのは恥ずかしいんですよ。何せ、自分から進んでするのは初めてですからね」


 と、全然恥ずかしくもなさそうな声が頭上から振ってくる。

 しかし、今の私にはそんな言葉に受け答えする余裕は無く、マグマのようにどくどくと脈打って感じる背中の手の感触が気になって仕方が無い。思えば、ダンスと言う事はこういう体勢をずっと取ると言うことで、私は改めて、今夜自分の置かれた状況に絶望した。


「踊ると言っても、私はオルランドの嫌われ者ですからね。隅で儀礼上1曲、軽く踊るだけですよ。そんなに身構える必要はありません」

「え・・・ほ、ほん、本郷たけ・・・ちがっ、ほんと?」


 そして、持たらされたかすかな希望に、私は風にまわる牧歌的なベルトを夢想しながら、それなら何とかなるかもと、ネストールさんの顔を勢いよく見上げた。


「ええ、本当ですよ。ほとんど注目を集める事も無いでしょうから、何なら、両足とも私の足に乗せて寄り添っているだけでも良い。その長いスカートなら出来なくもないでしょう?」


 冗談めかして返される彼の言葉と表情に、釣られるようにして頬が緩みかけるが、すぐに恥ずかしくなって私は顔を逸らせようとした。

 しかし、すぐに横から頬を撫でるように押さえられて、粟立つような感触を覚えた私は、びくりとその動きを止めた。


「それにしても、そのドレスも良いものですね。オルランド風のものは機能性が無くただ華美なだけで、良いとは思えなかったのですが・・・」

「・・・?」


 びくびくと震えながらも、背中と頬を抑えられて逃げられない私は、思わせぶりに止められたネストールさんの言葉に興味を引かれて、じっと続きの言葉を待った。


「知っていますか、アカネ様。そのドレス、首の後ろのリボンを解くだけですぐに脱げてしまうんです。実に機能的ですよね」

「@*&#*"#'・・・!!」


 言葉にならない悲鳴をあげて、私はネストールさんの胸をどんと突き飛ばした。

 たたらを踏む彼からすぐさま距離を取ると、背の高い椅子の背もたれを盾に、ずざざと部屋の隅へと避難する。


「くっくっく、冗談ですって。言ったでしょう?これからダンスをしようっていう相手に何もしませんと」

「・・・・・・」


 何も信じられなくなった私は部屋の角に立てこもり、椅子の背もたれを力一杯握りしめ、即席の塹壕に隠れるようにして敵の様子を窺った。

 それを見て呆れたように笑った敵は、燕の尻尾を振って私に背を向けると、控え室の扉の方へと歩いていく。

 そして、肩越しに私を返り見ると、いつも通りの穏やかな声で言った。


「さて、実はそろそろ時間なので呼びに来たんですよ。少しは緊張も解れましたか?」

「・・・・・・っ」


 問われてみて、未だに恥ずかしいものの、かっかと巡る体の熱は羞恥からというよりは、敵に対する怒りからのもので、私は、萎縮するのみだった自分の身体が彼の言葉通りに少し解れている事に気が付いた。

 

 その様子を見てとったネストールさんは「それは重畳」と笑って、再び、「何もしませんから」と私に向けて手を差し出してきた。

 疑いの眼でその指先を見つめるだけの私だったが、最後には根負けするようにおずおずとその手を取った。




 レセプションの会場となる離宮中央広間は、元々が夜会用に設えられた空間という事で非常に絢爛な造りだった。

 見上げる程に高い天井には、流れ落ちる滝を凍らせてそのまま持ってきたかのようなシャンデリアが幾つも下げられており、それを輝かせる周囲の光の量、ランプを含めた燭台の数も半端なく多い。壁には金色に縁取られた壮麗な彫刻が広がって、間近の燭台からの光をこれでもかとばかりに反射させている。

 その輝きは板張りの床ですら例外でなく、私は、そのきらきらしい空間に、朝日に怯える吸血鬼の如く出しかけた手を引っ込めて、広間の脇にある目立たないスペースへと避難した。


 幾らか緊張が解れていた私だったが、この広間と周囲で会式を待つ着飾った人達の人いきれに遅れを感じ、ぶり返してきた震えにじっと身を固くして耐えていた。

 流石に広い空間であるので混雑しているという印象は薄いが、それでも、ちらちらと幾人かからの窺うような視線が向けられる度、私は自分がどこかおかしいのだろうかと気が気でない。


「大丈夫ですよ、あの人たちが見ているのは私ですから。あなたが気にする事はない」


 そうは言うがな、大佐!

 と、私は逆恨み気味に横にいるネストールを仰ぎ見るが、優しげに向けられた視線に慌てて顔の向きを戻した。

 ある意味、この人の視線が一番緊張する。何という四面楚歌。と、会式の時間を万感の思いで待っていると、会場に繋がる通路を無邪気な声と共に見知った人物が歩いてきた。


「アカネおねーちゃん!」

「おお、これはアカネ殿、今宵は一段と美しいな。それに軍師ネストール、親善試合では大儀であったな」


 恐れ入りますと、慇懃に礼を返すネストールさんを横目に、私は通りかかったカイト殿下とオルランド大公に視線を向けた。

 殿下はまるでネストールさんのミニチュア版という具合に白い燕尾服で着飾っており実に愛らしい。一方、大公の方は上半身に掛けられた白いトーガはそのままに、ボタンが全面に2列並んだ細身のコートに身を包んでいる。

 ぶしつけに見つめてしまった私は、ふと向けられた大公の鋭い視線に、慌てて会釈めいたものを返す。


「ね、パパ、言ったとおり、アカネおねーちゃん、綺麗でしょ?」

「ふむ、そうだな。エキゾチックな美貌に磨きが掛かっておるな」


 失礼じゃなかったかなと戦々恐々としていた私は、殿下の言葉にまなじりを下げる大公を見てほっと息を吐いた。


「しかしな、カイトよ。彼女を娶ろうというのは、パパ、許さんぞ。だって、寂しいんだもの」

「パ、パパっ、しーっ!ダメだってば、言っちゃ!」

「おや、まだ言ってなかったのか?騎士に許される古式の婚儀は人気だからと、あんなに剣の練習に身を入れていたではないか」

「もうっ!ご、ごめんねアカネおねーちゃん、また後でね」


 そして、私がぼんやりとカイト殿下と大公の様子を見ていると、突然慌てだした殿下に手を引かれて、2人は他の人達が集まる方へと行ってしまった。

 その後ろ姿に、何かあったのかな?と首を傾げていると、隣に居たネストールさんからクスクスと笑い声があがった。


「アカネ様、今の聞いてなかったんですか?」

「・・・・・・」


 笑いながら尋ねられたその言葉に、私は、だってオルランド大公に何か失礼があったかもと心配だったんだものと、心の中で弁解する。というか、そもそも貴族が交わす正しい礼ひとつとっても知らない私である、不安になって会話を聞き逃してしまったとしても仕方がないじゃないか。


「くく、それは、殿下も浮かばれませんね。いや、むしろ聞こえていなくて良かったのでしょうか」


 と、私の不注意さを笑うネストールさんに何だか無性に悔しくなった私は、今更ながらに2人の様子に気を配ろうと彼らの姿を探した。

 幸い、殿下と大公は他の人達と歓談中ではあるが、ここからは距離が近い。耳をそばだてれば、それとなく会話を拾う事も可能だろう。


 集まっているのは大公達を含めて5人くらいだろうか、いずれもがオルランドの人達のようで、私にはよく分からない政治の話をしているようだ。そばに立つカイト殿下も詰まらなそうに、でも一応聞いてますというポーズを取っている。その気持ち、よく分かるぞと同情を寄せていると、大公の傍らに近衛らしき帯剣した人が足早にやってきて、何やら耳元でぼそぼそと伝えた。

 さすがに内容までは聞こえなかったものの、伝えられた言葉に、「・・・ぎりぎり、間に合ったという事か」と、ぼそりと大公が1人ごちるのだけは聞こえた。


 はて、ゲームの限定特典付き分の予約にでも間に合ったのかな?と、私が頭を捻って更に大公の様子を窺っていると、ネストールさんから「それこそ、本当に失礼ですよ」と諫められた。

 そして、それと同時に、つーっと、むき出しの背中を縦に指でなぞられた。


 ぎゃっと叫びそうになる口を自分で押さえつつ、私は非難の眼をネストールさんに向けようとするが、背中から眼前へと戻された彼の指がついとさす方向を、思わず追ってしまう。


「ジェネス陛下が参られました。いよいよ始まりますよ」 






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