その31
だが、翌日以降も、私が筋肉痛に悩まされるような事にはならなかった。
宮殿敷地内の背の高い建物の群の中、隠れるようにひっそりと設えられた姫様専用の温室で、私達は再び朝食を一緒にとるようにはなったのだが、直接和平会議に参加していなくともキャンベル姫様はホスト側の王族、つまりは公務に忙しい訳で、幸いにも、もとい、残念な事にキャンベル姫様主催のダンスレッスンは延期となっていたのだ。
そんな現状ににんまりと、暇な時間こそを愛する駄目人間の私は、地上では踏めないスキップをベッドの上で横になって踏みながら、セレブめいた午睡を楽しまんとしていたのだが、ここ数日、その目論見は阻止されていた。
「アカネおねーちゃーん!戦擬盤げっとだぜ!?」
じと目を向けた先には、オルランド大公子息、カイト殿下が、私が戯れに教えた台詞を口にしつつ、開け放たれた扉の前に立っている。その扉の先にいるダイアーさんに「何故開けた!この獅子身中の虫め!」と視線を送ると、「坊やだからさ!オルランド大公の」という目配せが帰ってきた、気がした。
実は、先日の図書館での騒ぎの後、オルランド大公は「後日改めて」との言葉通り、自ら私の部屋を訪れて、簡単にではあるが騒動での礼とカイトとコンゴトモヨロシク・・・的な事を伝えに来たのだ。
そんな経緯もあって、私は、カイト殿下の訪問を突っぱねられる訳もなく、当然ダイアーさんも逆らえず、かくして連日、ダンスレッスンの代わりに私はカイト殿下の世話を見ているのだった。
「・・・カイト殿下、私、ひどく眠いんです。だから、お昼寝しましょう?」
「やだっ、ぼく、眠くないもん」
こやつ・・・。
と、私が殿下の歪みのない子供っぷりに顔を引きつらせていると、隣室で吹き出すように笑うダイアーさんの姿が扉の間から見えた。
このままではいつものようにカイトに主導権を握られて、ズルズルと疲れ果てるまで遊び相手をさせられる事になる。そうはさせじと、私は栄光の昼寝権取得の為、子供相手故に回る口上で、状況の打開を試みんとする。
「ねえ、カイト殿下、私は戦擬盤は強い相手とやりたいんです。だから、殿下が強くなってから、また日を改めてやりましょう?」
「やだっ、ぼく、アカネとやりたいもん」
こやつ・・・。
歪みねえ、子供は本当に歪みねえ・・・。
というか、そもそも、殿下的には図書館での私との初遭遇時に戦擬盤でかなり悲惨な目にあっていると思うのだが、何故こうも慕ってくれているのか。不思議で仕方ない。
という訳で、そのような事をカイト殿下に尋ねてみたのだが、返ってきた答えが「だって、アカネおねーちゃんのこと、好きだもん」であった。
その歪みの無い答えに、当然私はベッドの縁に腰掛けたまま固まってしまったし、それを見ていた隣室のダイアーさんは笑いを堪えるのに相当な労力を要した。
そんなこんなで結局、私はこの数日の常通り、カイト殿下と戦擬盤を打つ事となった。
歴然とした実力差から勝負は一方的で、しかし私は、子供相手とは言え、気付かれぬよう手が抜ける程には上手く無い。
そんな展開に、数ゲームで「飽きたっ」と殿下がぶぅ垂れるのも、いつも通りの事であり、「私、本が読みたくなってきたなあ。殿下は?」という私の誘いに殿下が乗ってくるのもまた、この数日の常だった。
少し行儀悪く、ベッドを背にして、直接床に座り込んで本を読むのを、殿下はことのほか喜んだ。さぞ行儀作法にうるさかろうと思われる、やんごとなき身分のカイト殿下である。こういった些細な事がイタズラめいて楽しいのだろう。
変な話ではあるが、私も子供の頃は割ときつく躾られた方で、常にカッチリとした服装でいた為、小学校の組体操で裸足で運動場を駆け回って良いと言われた時には、その解放感を途方もなく楽しく感じたものだった。
と言う訳で、殿下の高そうな靴を靴下共々脱がしてやり、私もパンプスを脱いで裸足になると、案の定、カイト殿下は無邪気な笑い声をあげた。
それから、1時間程、私は絨毯の敷かれた床に殿下と隣合って、殿下の私物である活劇物の絵入り本を読んで聞かせた。それは、カイト殿下が読むにも支障の無いような簡単な本だったが、彼曰く、読み手によって楽しみ方に変化があって面白いのだそうだ。
そして物語も終盤、めくったページには、ヤマタノオロチのような、山と並ぶ程に巨大な白蛇を相手に剣を手にした若者が立ち向かう姿が描かれている。その絵は色褪せてかなり掠れてしまっていて、その読み古した様子から、殿下はどうやらこの場面がかなりお気に入りのようだった。
そんな場面を私が下手なりに情感を込めて読み上げていると、興奮も最高潮に達した様子のカイト殿下が、私のお腹と手の本の間に乗りかかってきた。
「っ・・・!」
そして、もぞもぞと私に背を向けて太股の上に腰を落ち着かせると、殿下は「つづきつづき!」と私を急かした。
そんな子供故の気安い接触に内心では大いに狼狽えながらも、私は、それと気取られぬよう更に本を読む声に力を込めた。
人との接触を恐れる私。
それは精神的にも、肉体的にもであり、子供特有の高い体温とひだまりの匂いに癒されるのを感じはしつつも、根底のところでは触れ合いを拒否する私は、言葉だけがうわずり、なかなか先程までの調子を取り戻せないでいた。
そして、これが犬か猫だったなら良いのにと、殿下に失礼な事を考えながら、新たなページをめくった途端、カイト殿下は何の拍子もなく、急に振り返って私を見上げた。
声もなく、その間近からの凝視に私が驚いていると、殿下ははっきりとした口調で言った。
「アカネおねーちゃんって、おっぱいないね」
「・・・・・・は?」
すると、ぽふんぽふんと、私の上でカイト殿下は体勢を整えるように身じろぎし、そしてうーんと、首を傾げながら続けた。
「なんか、こう、違うかんじがするなあ」
おもむろに腕を組んで首を傾げる殿下。
「・・・・・・参考までに、違うって何がです?」
「んとね、僕のごえい騎士のフラールも本をたまに読んでくれるんだけどね、その時はもっと本が見やすいんだ。きっとおっぱいが大きいからだと思うんだけど」
「・・・・・・」
それは、つまり、首を支えるクッション的何かの有無の差?
一瞬、本を持つ手に無意識に力が込められるが、私はすぐさま「いや、子供の言った事だろう?それに私は16才で未来がある。え?その未来予想図的な母はどうだったかって?それは、まあ、その、最近の補正下着って凄いっていうか・・・」と冷静さを取り戻した。
そして、純粋に発見を喜ぶように、無垢な笑顔を浮かべて、カイト殿下は私に言った。
「やっぱり、本を読む人によって、いろいろと変わるんだねっ」
読み手によって楽しみ方が違うって、そういう事!?そういう事なの!?何か違うくない!?
と、取り戻した冷静さを即座に投げ捨てそうになったが、私は、純真な目で見上げてくるカイト殿下に本音をぶつける訳にもいかず、静かにコクリとだけ頷いた。
「そう、ですね。じゃあ、私なりに頑張って続きも読みますね」
そして、私は静かに笑んでそう告げると、新たにめくったページに目を移した。カイト殿下も楽し気に本の方へぱっと振り返る。
その後、私は本の内容を無視し、覚えている限りの「番町皿屋敷」を頑張って諳じた。
翌日、カイト殿下が私の部屋を訪ねてくる事は無かった。




