その16
「・・・ふざけているのですか?アカネ?」
「ぐ、う・・・」
これで精一杯やってるんです。そうは見えないでしょうけども!と、心の中で抗弁しながら、私はダンス練習室の板張りの床の上で、一心にスキップを踏んでいた。いや、スキップを踏もうとしていた。
「・・・舞踏会と言っても、外交の面が大きいですから、それほど難しい曲目は無いのです。3拍子のワルツさえ多少踏めれば、後は堂々としているだけで、それだけで形にはなるものなのですわ。それを、あなたは・・・」
「や・・・で、でも」
仕方ないじゃない、だってダンス経験なんてないのだもの、と少しばかり恨みがましい視線を送ると、すぐさまキャンベル姫様から猛々しい視線が返ってきた。私は、「いえ、睨んでなどおりませんでした。横の壁を観察していただけなのです」とばかりに、神速で視線を反らした。
「・・・いえ、わたくしの見通しが甘かったのですわ。しかし、スキップすら出来ないとは。アカネ、あなた、今までに競技や運動のご経験は?」
練習着という事で、かなりシンプルなワンピースに私共々着替えていたたキャンベル姫様は、いつも以上に目立つ細い腰に手を当てると、妙に疲れた様子で私に問いかけた。
何だか、いつの間にか、私、呼び捨てにされちゃってるなあと思いながら、私はそれは親しみを覚えられたせいで、決して見下された訳ではないと結論付けると、私は思う通りにならない足の動きを止めて考えた。
私は筋金入りの運動音痴である。
さらっと流したが、スキップすらまともに出来ない様に、「こいつ、本気でやべえ!」という感は大いに伝わっている事だろう。しかし、そんな幼稚園児にすら出来る事が出来ない有様の私でも、義務教育における運動の時間であるところの体育は経験してきた訳である。そう、見学という授業形態によって!
果たしてそれは、運動やスポーツの経験と言えるのかどうか。そもそも見学という、あたかも前向きなイメージの単語によってサボリすら内包してしまう、その言葉のあやふやさに、私は警鐘を鳴らせたい。私が高校卒業した後辺りで。
「・・・何となく分かりましたわ。ともかく、今はリズムに慣れる事に専念しましょう。ステップなどは、この際どうでも良いのです。さあ、アカネ」
「え、あ・・・はい?」
深淵な命題の思索に耽りかけていた私は、すっと出されたキャンベル姫様の手を、反射的に取ってしまう。
そして、ぽそりと、腰に手を回されて、姫様に密着するように身体を捕らえられた。
「背筋をもっとぴんとして、アカネ。・・・そう、これが、基本の体勢ですわ。後はわたくしに合わせて適当に付いてくるのです。足は幾らでも踏んでよろしいですわ。その為のトゥシューズですから」
「ぁ、は・・・はい」
「では、いきますわよ。いち、に、さん、いち、に・・・」
「わ、わわ・・・」
なかば、私を振り回すようにステップを踏み始めるキャンベル姫様。
女性としてはかなりの長身である姫様は、力もそれなりに強く、私はその力に誘導されるように、辿々しくもステップに付いていく。
と、僅か数歩目で、姫様の足を踏んでしまう私。
「ご、ごめん、なさ・・・」
「良いのです、アカネ。足元は気にせず、今はこのテンポだけに集中して。そして、目線はわたくしの方へ固定するのですわ」
「は、はははい」
震える声で返事しながら、私は姫様の方を向こうとするが、どうしても顔が上げられない。
他人である姫様と密着状態というだけで、動悸がどうにかなりそうな程の緊張状態で、頼りないながらもステップらしきものが踏めている事がすでに奇跡に等しい。
そんな私に「仕方無いですわね」と小さく息を吐くと、姫様は、再び男役に徹するべく、いち、に、さん、と拍子を取り始めた。
そんな中、密着する事でより直接的に感じる事になった肉感的な姫様の身体つきや、王子然とリードされている事に、同性であるという事も忘れて陶酔しそうになっていると、何度目かに姫様の足を踏んだ拍子で、規則正しく続いていたキャンベル姫様の声が止んだ。
不意に夢から現実に戻ったような感覚に、思わず私が赤面していると、姫様から声がかかった。
「どうやら、最初の練習はここまでのようですわ。アカネも息があがっているようでし、ちょうど良い時間ですわね」
気付けば、息が荒くなっていた私に、姫様が身体を離しつつ、目線で指した方に顔を向けると、そこには練習室の扉前に佇むピアースさんの姿があった。
「姫様、ならびにアカネ様、ジェナス陛下に成り代わり、夕餉のお迎えにあがりました」
それから、私は久しぶりの運動でかいた汗を湯殿で流し落とすと、ダイアーさんに世話を焼かれて格好を整え、陛下が今宵の夕食の場に選んだ部屋へと、ピアースさんに案内された。
「今宵は、陛下より、私室での落ち着いた食事をと申しつかっております。慣れぬアカネ様にも楽しんで頂こうと、見知った方しか居られませんから、どうか、緊張なされないでくださいね」
道すがら、ある意味デフォルトに足下だけを見ながら歩いていた私に、緊張の色を見てとったのか、ピアースさんが声をかけた。
「心配なくてよ、ピアース。アカネは、これで普通なのですわ。わたくしも、今日気付いたのですけど、一度だって私の方をまともに見ないのですからね」
「まあ。アカネ様はとても奥ゆかしい方なのでございますね」
「ぅ・・・」
「奥ゆかしい・・・ねえ。ダンスの方も、リズム感など以前に、そこが問題なのかもしれませんわね。人の目に慣れる、というような特訓も必要かもですわね、アカネ?」
「ぇ?あ、あはは」
まずい事になりそうだと苦笑いを返す私。
こちらの世界に、対人恐怖症や、コミュニケーション障害に近い概念が無いせいか、言葉こそあやふやだが、キャンベル姫様は、どうやらあの短い時間で、私の本質みたいなものを見抜いていたようで。ニヤリと人悪く向けられた彼女の笑顔に、私はゾクリと背筋が冷たくなった。
まあ、それを言えば、ネストールさんなどには、そのものズバリ、過去のトラウマごと見抜かれている訳で、今更なのではあるが、それは、それ。自分が矮小で、恥ずかしい、どうしようもないモノだと、改めて指摘されているようで、下腹がずぐんと重くなった。
「・・・さあ、着きましたよ、アカネ様。では、姫様、アカネ様、ごゆるりと、お楽しみくださいませ」
「ご苦労様、ピアース。さ、行くわよ、アカネ」
「・・・・・・」
ダンス練習での癖が抜けきらないのか、私の手を取ると、キャンベル姫様は開けられた扉の先に、王子様かくやと、私を誘ったのだった。
指示された席に座って控えめに辺りを見渡すと、王様の私室らしき室内は、こう言っては何だが、非常に質素だった。ホテル的に言うと、私の居た貴賓室からはワンランク落ちるというか。しかし、日々使う部屋であれば、王様と言えど、こういうものなのかもしれないなと思っていると、まだ姿が見えなかったジェナス王様が扉を開けてやって来た。続いて、ネストールさんとミルナーの姿も見える。
「すまんな、招待しておいて遅れてしまうとは。政務が長引いてしまってな、許せよ、アカネ、キャンベル」
「いえ、元はと言えばこちらからの突然のお願い。どうか、お気になさらないで、兄様」
「助かる。では、早速、腹ごしらえと行こうか。ピアース」
頭を下げる事で返礼とすると、扉の脇に控えていたピアースさんが、外に控えていた侍女さん達を従えて、食事の準備を進めていく。
それに先んじて席に着いたネストールさんとミルナーから、目線だけの挨拶らしきものが私に届いた。会釈でも返した方が良いのかと、横に座る姫様を見やると、ネストールさんの方を向いたまま目がハートの形になっていたので、私は彼女を参考にする事を放棄した。
夕食の形式は、料理ごとにフォークやらナイフやらが何本もある複雑怪奇な、まるでフラグ管理こそを楽しんでくれと勘違いも甚だしいテキストタイプアドベンチャーゲームの如くに本末転倒的な難解なモノではなく、フォークとナイフ各一本の、いわゆる普通の洋食形式だった。
しかし、それでも王様や姫様のテーブルマナーは流石で、フォークを口元に運ぶ姿までもが品がよく、私が逡巡していると、丁度向かいに座ったミルナーがフォーク一本で次々と前菜を平らげて行ってるのを見るにつけ、非常に気楽になって、私は食事に手を付けた。
「ぉ、おいしい・・・」
「ふふふ、そうか、口に合って良かった。身体の調子もよくなったと聞いている、アカネよ、存分に食事を楽しんでくれ」
「は・・・はぃ」
思わず漏れでた自分の言葉に、王様からの返事があって顔を赤らめていると、王の傍らに座るネストールさんからも「くくく」といった声が聞こえてきた。小食な筈の私に何故か定着しそうにある食いしん坊キャラに、私はしばらく顔を上げる事が出来なかった。
夕餉の時は、和気藹々と、時には王様からのジョークなども飛び出し、楽しく過ぎていった。
そして、デザートの頃、一見メロンなのに味はオレンジという、不思議果物をスプーンでほじくっていると、それまでより少しかしこまったような、王様の声が私に掛かった。
「アカネよ。こうやってお前と面と向かって話をするのは、久方ぶり。その間、どうしてもお前に聞きたかった事があるのだ」
「・・・?」
何やら深刻そうな、その雰囲気に、私は手にしていたスプーンを静かに置いた。
「即、答えが欲しいという訳ではないのだが、アカネ、お前は、ここで何がしたい?」
あまりに漠然としたその問いに唖然としながらも、私は以前、キャンベル姫様からも同じように問われていた事を思い出していた。わずかに目線を横にそらせば、姫様も興味深そうに私を見ている。
「今は客人という立場でお前を、そうだな、保護している、という形になっている。しかしだな、客人という立場で出来る事は限られている。例えば、お前が将来、何がしかの職に就労したいと考えても、立場的にはそれを認める事は出来ん。何故なら、お前はイグラードの民ではなく客であるからだ。だが、当然、お前がずっと客でありたいと望むなら、その衣食住はこの俺自らがすべてを保証しよう」
「・・・・・・」
客、つまり、今現在のちょっと引きこもりな素敵ライフの事になるのだろうか、私自身としては、正直なところ不満は無い。それに元々が何かをしたいという意欲が希薄な自分なので、王様のこの問いに返す答えを、私は一つしか持ってない訳なのだが。
「アカネよ、お前が慣れぬ地で心細く思っているのはよく分かるつもりだ。であれば、元の世界に戻る方策を探して欲しいと願うなら、可能な限りの労力を王命の下に割く事もまた可能なのだ。何を望むのか、俺はそれをお前の口から聞いておきたいのだ」
元の世界に戻る?
私は王様に言われて初めて、普通は当たり前に思いつくべきだったその考えに、しばし呆然とした。
帰りたいか?と聞かれれば、間違いなくNOだ。あの日本の、あの高校生活には未練など無い。怠惰が許され、戦争などの恐怖はあるものの、客人として大切に扱われていると実感出来るこの世界は、何事においても存在理由が実感できなかったあの世界に比べれば遙かに住み良かった。
だが、帰るべきではないか?と聞かれれば、迷うのだ。
日本人的な常識的判断、加えてあのイヴェルド山でネストールさんに利用された形ではあるが、私の無責任な思い付きが人死にを出してしまった事を私は忘れていない。それらを考えるなら、私は・・・。
「陛下、それは遠回しに言葉が過ぎてはいませんか?」
考え込む私の耳に、怜悧で冷静な、ネストールさんの声が突然割り込んだ。
「ネストール、それは・・・」
「陛下、それでは、とても、真摯な態度とは思えません。あはよくば、という考えが見えてしまってますよ」
「おい、ネストール、てめぇ・・・」
「ミルナー、よい。ネストールの言う事は確か、かもしれぬ。アカネよ」
「は、は・・・ぃ?」
改めて呼ばれた自分の声に、私は背筋を伸ばした。
「俺はな、お前のこういう言葉を期待しておったのだ。『この国の民として生きたい』というような事をな。そして、晴れて、国の人間としてお前を招きたいと思っておったのだ」
国民として招きたい、という事?それは、とても普通の事に思えるけれど、王様は何故そんな思い詰めたような表情を浮かべているのだろう?
かすかに首を傾げていると、ネストールさんの、いつもの穏和そうな顔がこちらを向いた。その長髪に彩られた表情は、何故かいつも以上に白く、血の気無く感じられた。
「アカネ様、つまり、陛下はこう仰っているのです。『あなたを軍部に引き入れたい』とね」
「ぐ・・・ん?」
「そうです。あなたは幸か不幸か、ハルテア大草原において謀の才を示してしまった。偶然?マグレ?真実はどうでも良いのです。しかし、奇しくも、あなたはこのイグラード王国で姿無きまま、その名だけが上がりつつある」
ネストールさんの穏やかなその口調に、私は拳を握りしめて振るわせる。
この男は、また私を利用しようと言うのか?才能云々はともかくとして、「あの絶望的だったオルランドとの戦を引分けさせた」という事実のみを利用しようとしている?
この男は、余程ひどい。
あの夏のアルバイトで、私を手ひどく利用した、私の理解の及ばない人間。あの山崎よりも、もっと理解出来る形で、この男はひどい。
「・・・ひ、ひど・・・い」
「ひどい、ですか?国益の為にと、寝ずにあらん限りの方策を練る私が?安穏と日々を送るだけだった逃げるだけのあなたより?」
「ぅ・・・く・・・」
「おい、ネストール、言い過ぎだろ」
「だから、本題を避けろと?可能かもしれない策を捨てろと、あなたはディホナ砦の兵達に同じ事が言えるのですか?」
「・・・っ、そうは言ってねえ!だが、アカネの気持ちをちっとは考えろって俺は言ってんだよっ」
「気持ち?そんなもので国が救えるなら、幾らでも私は・・・」
「っから、そういう事じゃねえっつってんだろ!分かんねえ奴だな、くそっ、お前ちょっと表出ろ。その曲がりくさった根性叩きなおしてやらあっ」
「ふん、上等です。私が何日寝てないと思ってるんですか?貯まりたまったストレスを全てあなたにぶつけてあげましょう」
と、急に諍い始めた2人に私がおののいていると、静かに、しかし通る声で「静まれ」という王様の声が一触即発のその雰囲気を瞬く間にかき消した。
「席に戻れ、2人とも。元々は俺の言葉が足りなかったのが悪い。すまんな、アカネよ」
王からの、言葉だけではるが、その謝罪の姿に、ネストールさんとミルナーは落ち着きを取り戻し、バツが悪そうに席に戻った。隣のキャンベル姫様もさすがに肝が冷えたらしく、ほっとした表情を浮かべている。
「まずは現状から説明すべきだったのだ。その上でアカネが今後どうするか、どうしたいかを改めて聞きたい」
どうだ?という具合に顎をしゃくる王様にネストールさんとミルナーが頷きを返し、私も遅れてコクリと答える。
「西のドツイエ共和国との軍事国境線直下に、彼国の軍勢1万2千が集結中との報告が、今から丁度4日前にもたらされた。そして、恐らくは一月後に予定されているオルランドとの和平条約締結式の直前に、我がイグラードに攻め入ってくるだろうというのが、軍部が出した予想だ」
「・・・は?」
いちまん・・・にせん・・・!?




