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その12




 中学3年最後の夏休み、高校受験に憂いのなかった私は、暇を思う存分持て余す予定だった。


 そんな私の周到な計画性に何か思うところがあったのか、普段はろくに会話もしない父親から、不意に、アルバイトでもしたらどうかと話し掛けられた。

 

 聞けば、父の知り合いの人が経営する町工場で急な欠員が出たらしく、年齢的には多少問題もあるが、お手伝い程度の軽いものなので、社会勉強とでも思ってやってみては、という事だった。

 

 反射的に断りの言葉が出かけるが、丁度、日本のゲーム業界と同じく、ソーシャルゲームの大きな波に飲まれつつあった私は、「これでもっとガチャ回せるな」と、あっさりと考えを翻し、アルバイトの件を了承したのだった。


 

 職場となる工場は、中小の町工場ばかりが集まった、いわゆる工業団地のような雰囲気の場所にあった。町中を、作業服やツナギの格好のまま闊歩する工員達の姿に若干引きながらも、私は、父から貰った雑な地図に導かれて、就労場所である父の知り合いの工場にたどり着いた。


 そうして緊張しながら迎えたアルバイトの初日から、私を指導してくれたのが、バイトリーダーの山崎さんという男性だった。


 業務内容は、事前に父の知人という人から聞いていた通り簡単なもので、プラスチック整形の機械から吐き出され、ベルトコンベアーに乗って迫ってくるそれら樹脂性の大群を、ひたすらダンボール箱に片す、というだけのものだった。

 ただ、工場が小さいせいか、そうやって作る製品の種類やラインの構成が、日によっては何度も変わる為、なかなか作業に慣れるという事は出来なかった。そして、そういう時に、私達アルバイトの人間に指示を与えるのが、バイトリーダーである山崎さんの役目だった。


 山崎さんは、いつも穏和な笑みを浮かべている20代半ばの男の人で、気さくな雰囲気や真面目な仕事ぶりから、私の同僚であるパートのおばちゃん達からも、非常に人気があった。

 そして、私自身も、新人という事で、山崎さんのお世話になる事が多く、その度に丁寧に指導してくれるその物腰に、好感を持っていた。


 2週間程が経ち、私が仕事にも慣れて、軽くゲームで夜更かししまくる程度には不安を感じなくなったある日、作業前のミーティングで山崎さんからある提案があった。

 提案の内容は、これから一ヶ月程を掛けて工場内の約半分、私がよく担当する辺りの機械配置やライン等を、全て見直してやり直す予定で、それに平行して、バイト員へのマニュアル作りを進めたい、ついては、誰か1、2名、協力してくれないだろうか、という物だった。

 アルバイトは面子の入れ替わりが多く、更に、これから工場内の配置が変わることも考えると、それらを踏まえた指導が必要になる山崎さんの負担が増す事は想像に難くなく、私は自然と、マニュアル作りに立候補していた。

 ちなみに、私がいたチームは、家事と子育てに追われる主婦の人が多く、立候補者は私一人だった。


 作業に慣れてきたとは言え、ほぼ新人バイトであるところの私からの意見に、当初、山崎さんは「え、そんな事まで説明した方が良い?」と驚きを見せる場面もあったが、そんな私のような新人が対象なのだからと、すぐに、真摯に意見を汲み上げてくれるようになった。

 そうすると、協力する側である私も頼られているような気がして気分が良く、昼食休憩や、中休憩の時間、時には遅くまで居残ったりしつつ、熱心に、マニュアル作りに取り組んでいった。

 また、生来からインドア派の私は、当然のようにPCの扱いやフォトレタッチソフト等の扱いが得意で、手描き風の挿し絵等を添えて、少しでもマニュアルが分かりやすいようにと熱心に工夫したりもした。

 

 そうやって、徐々に形になってきたマニュアルを見て、「少し、子供っぽくなっちゃいましたか?」と私が照れたように聞くと、山崎さんは「いや、良いんじゃないかな。新人の子にあまり構えられても困っちゃうからね」と笑顔で答えてくれた。

 そして、迎えたマニュアル制作期限の2日前、少し余裕を持っての完成に、山崎さんは、珍しくはしゃいだ様子で完成したマニュアルを掲げる私に、いつもの笑顔を向けてくれたのだった。


 

 二日後、終わりつつあった工場内の配置変えに際しての、全体朝礼の際。

 いくつかの事務連絡の後、山崎さんが正社員に登用された事が告げられた。立場はライン総括者という事で、工場を全体を仕切る工場長に次ぐもので、おばちゃん達の話によると大抜擢らしい。

 

 そして、続く社長さんによる話の中で、それは、たった一人で工員目線の優れたマニュアルを完成させた事が大きく評価されての事だと補足された。

 横に置かれていたインクの臭いも真新しいマニュアルを手に取ると、そこには私が寝ずに考えた工程を表したフレーズなどはあったが、あの日、山崎さんが良いんじゃない?と笑った私の挿し絵は、無機質な工業デザイン的な物に差し替えられていた。


 マニュアルを持ったまま、私は呆然とするが、工場は容赦無く動きだす。人事の反映も来月からという事で、私は昨日までと同じように山崎さんのチームで仕事をする事となった。

 そして、私を含めたパートの人たちをぐるりと見渡すと、山崎さんはいつもの穏和な笑顔を浮かべて、「今日もよろしくお願いします」と言った。



 その日、私がどうやって仕事を終えたのかは覚えていない。

 会社から帰った父に、その日のうちにアルバイトを止める事を告げると、残念そうな顔を浮かべた父の方を見ている事が出来ず、逃げるように自室に閉じ籠もった事だけは、よく覚えているけれど。

 

 残った夏休み、そんな感じに、引きこもり同然に過ごし切った私は、以後、お決まりのように、学校が始まっても外出する事は少なくなった。

 そうして、娯楽のほとんどをモニターの向こうだけに求めるようになった私は、いつの間にか、まともに人と接する事が出来なくなっていた。




 山崎さんがした事が許せないという気持ちは当然あった。

 しかし、手柄を独り占めしたいと思う気持ちは理解出来るし、社員にどうしてもなりたいという向上心も理解出来る。だから、あの後に、「ごめんね」とでも、済まなそうな表情の一つでもあれば、私は「まぁ、こんな事もあるな」と納得、あるいは理解できたのだ。

 しかし、何事もなかったかのように「今日もよろしく」と笑顔で言った山崎さんが、私にはどうしても理解できなかったのだ。

 私が悪いと思う事象と、彼の悪いと思う事象は、全く違うものなんじゃないか?

 私が親しく出来ていると思っていた彼との関係も、実は全く違うものだったんじゃないか?


 私の基準からは理解不能の人間。

 しかし、それは周囲至る所に溢れていて・・・。


 と、まあ、そんな、ささいで、くだらない事が、私のコミュ障の発端だったと、今ではよく自覚出来る。



「・・・ほんと、くだらないですね」


 ギクリと、驚くほど近い、その突然の声に、私は身をすくませて、一瞬で目を覚した。


 上半身を捻るように起こして、辺りの様子を伺う。

 

 ここは、王宮内の客室用に宛てられた、いわゆる貴賓室で、自分が場違いな事に一目で気付ける程に豪奢な装飾や丁度品が目に入った。

 そして、そんな中でも一際、自分とは無縁そうな、親の敵とばかりに複雑に織られたレースを纏う、「キングサイズ?はっ」と鼻で笑ってしまう程に大きい天蓋付きベッドの上に、私はいた。

 ついでに、ネストールさんも横に寝そべっていた。


「な、なに、難波金融ど・・・ちがっ」

 

 あまりの事態に、私が言葉をいつものように詰まらせていると、気だるげに横たわるネストールさんが、肘を枕に私を見上げた。


「何をも何も、あなたを心配したダイアーさんに頼まれましてね。彼女、まぁ、察してはいるようですが、公式には、あなたは言葉が不自由という事になっていますからね。それで私を差し向ける事にしたのでしょう」


 なるほど・・・って、違う!そうじゃなくて、あなたが、私と同じべ、べべ、ベッドにいる理由ががっ!


「それは、このところ、戦後処理やらで、睡眠不足が続いていまして、つい、ね。しかし、それにしても、4日も部屋に閉じこもっていた割には、案外と元気そうですね、アカネ様?」

「ぅ・・・」


 皮肉っぽく向けられたネストールさんの言葉に、私はこの数日を振り返った。

 

 イグラード王国首都であるファーンバラの王宮に到着し、ネストールさんが行った破壊工作であるところのイヴェルド山での火事で死者が出ている事を知り、ショックを受けた私は、気分が悪くなったと言う事で早々に客室であるここに案内してもらい、閉じこもったのだった。3日間程。


「私も、一応心配はしていたんですよ。察する限り、あなたは戦争とは無縁の世界から来たようだ。色々と心労も溜まっていたろうとね。しかし、実際のところ、アカネ様、どうなんですか?」

「な・・・に、が?」


 一瞬、ネストールさんの顔に不穏な気配がよぎると、私が疑問に瞬き返した一瞬で彼は起き上がり、隣で上半身を起こすのみだった私を、文字通り、またたく間に組敷いた。

 

 時に意地悪だったものの、表面上はいつも穏和であったネストールさんの表情に、全く異質な危険な笑顔が浮かぶ。

 強く捕まれた手首は、びくともしない。


「それと、ヤマザキって、誰です?」

「・・・パン・・・?」


 と、私の鼻頭に息がかかる程近づけられたネストールさんの口から、意外な名前が飛び出した。素っ頓狂な答えを返しながらも、私はその言葉から、ネストールさんが私の過去の思い出にふけっていた心を読んでいた事に思い当たる。


「ぐ・・・さ、さいてい・・・」

「最低?冗談じゃない、死人が出ていた事に思ったほどショックを受けなかった事を隠す為に、ふさぎ込んだ振りをしていたあなたに言われたくは、ない」

「ち、ちがっ・・・わた、私はっ!」


 何とか逃れようと必死に身を捩るが、ネストールさんの手は僅かにも力を緩める事も無く、ただ、私の身体をベッドの上に縫い止め続けた。

 もがき、否定しながらも、一方で、私は、ネストールさんが言った事が図星である事も理解していた。

 

 イヴェルド山で、間接的にとは言え、私の無責任な発案から、実は多くの死者が出ていたと聞いて、確かにショックは受けたが、それ程、その気持ちは長続きしなかったのだ。それよりは、やはり、ネストールさんが私を騙した事と、しれっと悪びれた態度すら見せず現れた事の方が、余程深く心を悩ませていた。

 しかし、多くの死者が出たのだから、私はもっと落ち込むべきだろう、と、いわば無理矢理、この部屋に閉じこもっていた事になる。


「私が見たところ、あなたの世界には戦争、あるいはそれに類する状況が周囲に無いのではないですか?つまりは、死者が出るという事自体に想像が及ぶ事が、そもそも、おかしいのですよ。不安で泣くというのなら大いに結構ですが、分からない事に、義務的に泣くというなら、そんな涙は必要ありません」


 眦から、こぼれ出すように頬を伝い始めていた涙が、ペロリと、何か暖かいものに掬いとられた。そして、それが何によってだったかは、睫毛が数えられる程に近付いていたネストールさんの目を見るに至って、考えずとも分かった。 視界を遮るように掛かった彼の長い髪が、こそばゆい。


「ひっ・・・」

「今後、こういう必要の無い涙は流さない事、良いですね?」

「・・・・・・」


 コクコクと、とにかく離れてくれ!とばかりに猛烈に頭を振る私を心底楽しそうに見て、少しばかり顔を引き戻したネストールさんは、再び私を見下ろすように見つめた。


「で、ヤマザキというのは誰です?」

「ぐ・・・」


 結局、そこに戻るのか・・・。

 私は、手を離してくれたら答えると強く念じ、応じるように身を離したネストールさんを見るや否や、入信するとこのように飛べますとばかりに、座り込んだままの姿勢で跳ねるようにベッドの隅に避難した。やたらと大きい枕を盾にしながら、さて、どうしたものかと脳内会議を繰り広げていると、ネストールさんから吹き出すような声が聞こえる。


「くく、いや、アカネ様、あなたは、本当に変わった人だ。陛下も仰ってましたが、あなたのような人を育むに至った、あなたの世界への興味は止まる事がありません」


 そして、ギシリと微かなスプリング音を立てて、完全にベッドから離れると、近くのイスに掛けてあった上着を取り、ネストールさんはこちらに背を向けた。


「では、失礼します。それと、言い遅れましたが、おはようございます。朝食の準備はした方が・・・」


 と、安心して気が抜けたせいか、私のお腹からも思い出したように、気の抜けた音が鳴った。


「・・・した方が良さそうですね。では、くっ、失礼します。くくく」

「・・・ぅあ・・・」


 何というタイミングで、私のお腹の阿呆!ド阿呆!とぺちぺち叩くが、一度自覚すると空腹による目眩までもが襲ってきてた。ともあれ、山崎さんにまつわるあれやこれやに関しては誤魔化せたようだ。

 ・・・こんな間抜けな私のことでも、ダイアーさんは心配しているのだろうか。


 今更ながらに考えを巡らせようとしていると、ガチャリと重厚な扉のノブに手を掛けたネストールさんが再度、こちらに振り返った。


「それと、私は、あなたに価値があると思ったから、こうやって接しているのです。あなた自身に、興味があるんです。ヤマザキというクズ男とは違いますので、そこだけは誤解なきよう。では、今度こそ、失礼を」


 ヤマザキの事、説明するまでも無かったんじゃーん! 

 

 ネストールさんは、それだけ言い残すと、今度こそは、振り返ることも無く部屋を後にした。

 ある意味、ネストールさんは、分かりやすいのかもしれない。陰険だが。


「・・・さて、まずは、ダイアーさんに謝らないとな」


 しばらく、枕を盾にしたポーズのまま、ネストールさんが出ていった扉を睨みつけた後、私は、備え付けてある水差しから行儀悪く、そのままゴクリと喉を潤した。

 

 気持ちの整理は未だ付かない。ネストールさんへのわだかまりも、まだ残っている。

 それでも、私が理解出来る限り、優しく、真摯に接してくれた人には、同様に接っし返すべきだろう。

 

 この数日、食事はいらないと伝えるだけの会話しか交えていなかった、ダイアーさんの気遣わし気な表情を思い出す。

 

 確か、この客室の隣はメイドや使用人が控える部屋があった筈だ。恐らくは、そこにいけば彼女に会う事が出来るだろう。

 とにかく、まずは彼女に会って謝ろう。それに、いい加減、言葉の事も、本当の事を説明した方が良い。多分、彼女は、分かっているだろうけども。


 そんな事を考えながら、私は夜着である薄手のナイトドレスにベッドに掛かっていたガウンを肩に掛け、そう離れた部屋では無いだろうし大丈夫だろうと、そのまま素足で部屋から出る事にした。

 

 ドアノブを掴もうと伸ばした手首に真っ赤な痣が出来ているのに気づいて、動きを止め掛けるが、いや、あれは事故だったと、思い出しそうになった場面に封をし、気を取り直して、無駄に重いドアを開けた。


 足を踏み出した通路には、部屋内と変わらず深い毛足の絨毯が敷かれていて、これなら裸足でも大丈夫だと、隣室に向かう。


 ヒンヤリとた空気は、まさしく早朝のもので、久しぶりのシャバの空気はうめーなあと、バカな事を考えて、やたらと横幅のある長い通路に対する畏怖を誤魔化していると、突然、背後から女性の声が掛かった。


「もし、あなた、こんな所で一体何をやっているんですの?」


 心根的にやましい事があった私は、しかしやはり常でも同じだったろう過敏な怯えを見せつつ、ゆっくりと後ろを振り返った。


「あなた・・・だったの。いえ、まだしも、と言ったところかしら」

「ぇ・・・は?」


 振り返った先にいたのは、輝く美貌は兄同様、しかし体型的には成熟し過ぎてしまっている、死語的表現によるところのぼんっぎゅぼん的魅力に溢れる御年11才の妹姫、キャンベル姫様、その人だった。

 

 突然の姫様の登場に驚く私の視線の先で、何やらぼそぼそと一人ごちるキャンベル姫。

 そして、小さく一つ頷くと、ぎろりと姫様に似つかわしくない眼差しを私に向けた。


「あなた、確かお兄さまが、客人として連れてきた方でしたわね。毎夜の兄からの食事の誘いを断っていたとか。お体の調子は大丈夫なんですの?」

「・・・え、いえ、だ・・・」

「と、そんな事はどうでも良いのですわ」

「・・・っ?」


 と、本当にそんな事はどうでも良かったとばかりに、キャンベル姫はずいと一歩、私に近付いた。


「単刀直入にお尋ねします。あなた、ネストール様と、一体どういう関係ですの?」

「へ・・・は?」


「ですから」と、さらに踏み込み、キャンベル姫はその豊満な胸部を揺らせながら、また一歩と私に近付いてくる。


「ネストール様との関係を聞いているのです。わたくし、先ほど、あなたの部屋からネストール様が出ていくのを見ましたのよ?」

「・・・ご、ごか・・いです」


 その段になって、私はようやく、私の人生に一度としてなかった類の誤解を姫様から受けている事に思い当たった。慌てて、その誤解を特くべく、私は、必死に両手を目の前でばたばたと振る。


「誤解?では、その手首の痣は何ですの?」

「っ!?」


 言われて、改めて気付く両手に残る真っ赤な痣。

 何をしていたとも言えないが、何かはしていただろうとも言える、それは証拠めいた痣な訳で。

 そして、反射的に背中へと両手を隠した、私の慌てた行動は、しかして、姫様のお気には召さなかったらしく。


「と、言う事で、時間も丁度良いですし、お話ついでに、朝食を一緒にいかが?ええ、体調にも大層余裕がおありになるようですもの。断る訳は無いですわね。ええ、ええ、そうでしょうとも、ねえ?」 


 ニッコリと、ちっちも笑ってはいない目で笑うと、キャンベル姫は後ろに回した私の手をあっさり捕まえて強く握った。

 そんなお姫様からの、込められた握力共々に強いお誘いを、私ごとき一般人が断れる訳も無く。


「・・・は、はい」


 と、出来るだけ引きつって見えないようにと、笑顔で返すのが精一杯だった。






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