その11(野営地編、終)
馬車での旅は、非常に順調で、思ったよりも快適なものだった。
元々が王族用という事で、座席スペース等がかなり広めに作られており、又、簡単な調理設備まで内蔵しているとあって、私が野営地で仮の住まいとしていたテントと比べると、まさに快適の一言に尽きる馬車だった。
そんな、男性でも6人は横に並んで座れるだろう広々とした座席に、私とダイアーさんと王様付きの女官の人、対面に同じく女官の人とミルナーというメンバーで腰掛けていた。
初対面である王様付き女官の2人とは、馬車の旅が始まって2日目である今日になってもあまり馴染む事が出来ないでいた。ダイアーさんの同僚という事で、私をよく気遣ってくれ、とても良い人達だというのは分かるのだが、こればかりは、人見知りを極めた私である以上、仕方の無い事だった。
それに、今は、ネストールさんの事で、どうにも気持ちの整理が付かない状態でもあったし。
そんな訳で、今も、下品にならない程度の声で、きゃらきゃらと会話に花を咲かせるダイアーさん達女官3人からチラチラと届く「一緒にお話しようよ」の視線にも、私はいつも以上に無視の態度を返すしか無く、快適である馬車の旅をまったく楽しめないでいた。
丈夫そうな厚いガラスの窓に頭を預けながら、私はぼんやりと、流れていく景色に目をやった。
草原一色だった景色は徐々に変化を見せ、今は、砂地がところどこに目立ち、少しばかり荒野めいた印象を抱かせる景観が目に飛び込んできている。
と、思ったら、いきなり好々翁めいた老人の顔が飛び込んできた。
「っヅ・・・ダ?」
思わず、私は某、利用されて捨てられる使い勝手の良い女的末路を辿った悲劇の機械人形の名を口に出すと、慌てて、横に座るダイアーさんや正面の女官さんに「不思議なお翁さん」がいた事をアピールした。
「あら、どうされました、アカネ様?あぁ、喉が乾いたんですね、ちょっとダイアー、お願いして良い?」
「はいはい、ちょっと待ってね。マリーナ、茶器をお願い」
「はーい。って、茶器セットはそっちでしょ、ピアース」
「あ、ごめんごめん。あ、ありがとね、ダイアー」
というやり取りがあって、私の座席の簡易テーブル上には、ほわほわと香り立つ紅茶が注がれたカップが音立てる事なく置かれた。
お茶を入れるのはダイアーさんが一番上手いらしく、他の2人、マリーナさんとピアースさんは、ついでにとばかりに、ダイアーさんを宥めすかして、ちゃっかり紅茶タイムをしゃれこむつもりのようだった。
ちなみに、その2人、マリーナさんはブラウンの巻き毛が可愛らしい感じで、ピアースさんは髪をアップにした理知的なイメージの、ダイアーさんとは違うタイプの美人さん達だった。
やれやれ、美人は姦しくしてても可愛いものだなと、思わず枯れた気分でほっこりしかけて、私は「いや、そうじゃなくて」と思い出した。
「お、おじ、おじゃるま・・・ちがっ」
そうだ、お爺さんがいたんだよ!と、私は再度、ダイアーさんの袖を引っ張り、異常事態をアピールした。
「ふふふ、そんなに急かさないでくださいましね。分かっておりますとも、アカネ様の好物はちゃんと用意しておりますよ」
と、紅茶と並べて用意されたのは、小振りな皿の上に置かれたアップルパイもどきだった。
口の中に、不意打ちで鮮烈な印象を私に残したマロン風味が蘇る。
しかし、まぁ、リンゴ味ではないとしても、甘味である事に違いはなく、そう言えばおやつ時な時間帯と言えなくとも・・・。
「って、もぐもぐ、ちがっ・・・もぐ」
思わずパイを頬張ってしまってから、私は再々度、手振りを交えつつ、必死に謎のおじーさんがいた事をアピールした。
「まぁ、かわいらしい」と女官さん3人の目を楽しませつつも、斜め対面で私と同じように、退屈気に窓の外を眺めていたミルナーには、その意図は伝わったようだった。
すぐさま、強い調子で御者席に面する前の壁を叩き、開いた小口の窓に向かって「馬車を止めろ」と、御者に向かって短く命令をくだす。
即座に停車した馬車から1人で降りたミルナーの姿を追うと、騎馬兵が1騎、彼と何やら言葉を交わしているのが、窓ガラス越しに見えた。
そして、兜から覗くその騎馬兵の顔は、先ほど私が見た人の良さそうなお爺さんのものだった。
視線を少し引けば、そのお爺さんの姿は正しく、イグラード国の騎馬兵のもので、恐らくは、先行する騎馬兵本隊と王様が乗る馬車、そしてこの私が乗る馬車間を繋ぐ伝令兵の人なのだろう。
私は先ほどからの自分の慌てぶりを思い出し、ずずずと俯いたまま紅茶をすすった。
「どうやら、陛下の馬車が脱輪したらしくて、かなり早いが修理を兼ねて野営に移るらしい。俺は一応、様子を見てくっから、まぁ、なにも無いだろうが、お前らは馬車から出ずにじっとしてろよ。特にそこの慌て者のアカネサタニ」
「ぶっ」
「じゃ、頼んだからな」
馬車に戻るなり、慌て者に正しく注意を残すと、ミルナーは馬車から一頭の馬を外し、鞍を乗せる事もなく颯爽と馬上の人となると、伝令らしき騎馬兵のお爺さんと轡を並べ、走り去っていった。
そんなミルナーの馬が立てる蹄の音が聞こえなくなる頃、私は、何だか妙に疲れたような気がしてクッションの効いた座席に深々と身を沈めた。
そして、おもむろに横を向くと、好々翁めいたお爺さんの顔が目に入った。
「か・・・かわっく!?」
思わず、私はいまいち洗濯物の乾燥には場所的に使い辛い某乾燥機的システムの名前を口からこぼすと、ふるえる手で、いつの間にか真横に、しかも妙に近い位置に座っているお爺さんを押し退けた・・・かったが、やはり怖くて出来なかった。
「落ち着かれてください、アカネ様、あやしいお方ではございませんので。どうか、将軍、その、アカネ様を、あまり驚かせるような事は・・・」
諫めるようなダイアーさんの声の方に視線を向けると、彼女はミルナーが先程まで座っていた席に移動していた。
一体いつの間に入れ替わったのか。というか、このお爺さん、さっきミルナーと連れだって走り去った筈では?
「いや、すまなんだな。思いの他、小僧めを撒くのに手間取っての、つい」
と、朗らかに笑いながら、砂塵に汚れた兜を横に置くと、お爺さんは、くつろいだ様子でピアースとマリーナの給仕を受け、紅茶に舌鼓を打った。
それにしても、小僧、多分ミルナーの事だろうが、彼を撒くのに手間取ったらしいが、彼が視界から消えて数分しか経っていない気がするのだが。というか、将軍?
「ふぅ、やはり良い茶葉を使っておるのう、落ち着くわい。でじゃ、儂の事はファーガソンと気軽に呼んで欲しい。紫将軍などという大げさな肩書きのせいで、特に妙齢のご婦人方からは敬遠されがちでな。儂、孤独死寸前なんじゃ。じゃから、助けると思って、の?」
「あ、あの・・・て・・・」
言いながら、隅ギリギリまで下がっていた私に、迫るようにじりじりと距離を詰めるファーガソン将軍。いつの間にやら取られた手をニギニギされてもいた。
「しょ・う・ぐ・ん、アカネ様が怯えておいでです。お控えを」
そんなファーガソン将軍の肩をギリギリと後ろから引き戻そうとするダイアーさん。いいぞ、ダイアーさん、もっとやれ!
「そうか・・・。すまんの、儂、ご婦人との触れ合いは久しぶりでの。噂にのぼりつつある異邦の人、アカネ殿に、興味津々じゃったのだが。この際、ダイアー女氏でも・・・」
「私でも、何でございましょうか?」
「・・・んむ、茶を、もう一杯貰おうかな」
「・・・畏まりまして」
そうやって、何とか、馬車内は一応の落ち着きを取り戻した。
私は改めて、隙あらばくっついて来ようとする隣のファーガソンさんの様子を、視界の隅に掠らせるように伺った。
歳の頃は、60くらいだろうか?しかし、洒落っ気のある口調や仕草から、50歳程度にも感じられる。かくしゃくとした軍人らしい動作や仕草、真白い口髭などから威厳めいたものも感じるのだが、まとっている騎馬兵の鎧は一般兵のものであったりと、とにかくアンバランスな、つかみ所のない印象のお爺さんだった。
「で、アカネ殿、あんた、多少は落ち着かれたかね?」
「は・・・?」
そんな私に、視線を合わせないまま、問われたファーガソン将軍からの質問に、口元に運びかけていたティーカップを持つ私の手が止まった。
「一軍を救った異邦の機知の担い手。そんな話で儂等高官の間では持ちきりでの。箝口令が引かれてはおるが、恐らくは、お前さんが望む望まないに限らず、周囲は騒がしくなろう。その事を、我らが陛下はいたく心配しておってな」
「・・・・・・」
「儂がこうやって来たのは、まあ、多分に野次馬根性的なもんなんじゃが、あ、黒髪が特に好きでの、それですれんだーぼでぃじゃと、尚の更・・・って、痛い、ダイアー殿、そっちに肘は曲がらんのじゃぞ!?」
軽く関節をダイアーさんに極められながら、ファーガソン将軍は一拍置いて、真面目な表情を浮かべなおして続けた。
「つまりじゃな、儂は一言礼が言いたかったのじゃ。儂等がふがいないばかりに窮地に陥った一軍、2千有余の将兵の命を救ってくれて、ありがとうとな」
「そ、それは・・・」
私がやった事ではない。あれは、あれは、私を騙してネストールさんが勝手に・・・。
「そして、陛下の心痛の種であるアカネ殿の心持ちの曇りが、陛下のお心共々、少しでも晴れればと思うたのじゃが、だめかの?」
陛下が、一国の王様が私なんかを気にしているとは思えないけれど、でも、シンプルな、自分の祖父くらいの相手からの感謝の気持ちは単純に嬉しかった。
「ま、なんじゃ、色々気に食わん事もあるじゃろ。しがらみを捨てたいとなったら、いつでも儂を頼る事じゃ。かび臭い家名じゃが、女子一人、幾らでも食わせてやれるからの。ふぉっふぉっふぉ」
「・・・・・・」
ニコニコと笑う、ファーガソン将軍の深い皺が形作る表情を見ていると、不思議と、何故自分が落ち込んでいたのだろうという気持ちになってきた。
あまりにあっけらかんとしたお爺さんに毒気が抜かれたような。
事実だけを見れば、2600という数の人間が、敵味方共に死者を出す事無く救われたのだ。
そして、その2600人には、私を今も優しく見つめてくれているダイアーさん達女官の人達も含まれている。
この際、多少の引っかかりは横に置いて、私は、もっと命が救われた事そのものを実感すべきではないだろうか。
「あ、ありがと・・・です」
ぼそりと、それでも、何とか、私はファーガソン将軍の胸辺りを見て、言葉を返した。
「うんむ。では、儂の用は以上じゃ。馳走になったな、ダイアー」
「いえ」
そう言うと、ファーガソン将軍はスポッと置いてあった兜をかぶると、馬車の扉を開けた。
「そうそう、うちに来いというのは本気じゃからの?どう仕様も無くなったら儂んとこに来るが良い。身分やら名やら、何でも用意してやるでな」
「まぁっ、将軍っ!」
そして、ぷりぷり怒るダイアーさんに追い立てられるようにして、ファーガソン将軍は、どこからともなく現れた馬に飛び乗り去っていった。
「まったく、信じられないお人ですわ」「まぁまぁ、ダイアー。逆にあの方がああいう時は安心して良い訳だし」「うんうん、それにあのお茶目さが、素敵だよね」「え?マリーナ、あなた・・・?」「え?」などという姦しいやり取りに、気付けば、くすりと笑える程度には、私の気持ちは浮上していた。
ややあって、開け離れた馬車の扉をダイアーさんが閉めようと手を延ばした時、まるでファーガソン将軍と入れ違うようにして、ミルナーが戻ってきた。
そして、将軍の来訪を説明し終わると、ピアースさんから渡された紅茶を一気に飲み干し、忌々しげにミルナーが呟いた。
「あの、ジジイ・・・。結局、アカネに唾付けにきただけじゃねぇか・・・」
怒り心頭といった具合に、乱暴に座席に付くと、ミルナーは私の方を睨みつけるように問いかけた。
「なあ、アカネサタニ。あのジジイ、困った事があったらうちに来いとか頼れとか、そんな調子の良い事言ってたんじゃねーか?」
「う、うん・・・」
「ありゃーな、あのジジイの常套手段なんだよ。あれで、何人の行儀見習いやらメイドが、かっ誘われたか」
「さ、さら、サライ?」
思わず、私は、響き的には合っているが、意味的には違う言葉を口から漏らす。
「あのな、アカネサタニ、それから、おめーらも。あのジジイが屋敷で囲ってる妾の数、何人だと思う?」
ダイアーさん達も、さすがに何だか格式が高いらしい、ファーガソン将軍の私生活までは知らないらしく、3人揃って小さく首を横に振った。
「なんと、23人だ。つー訳で、アカネサタニ、24人目になりたくなかったら、せいぜいあのジジイには気をつけるこったな」
こくこくと、私は、この時ばかりは素直にミルナーの言葉に頷くしかなかった。
ちなみに、ミルナーが様子を見に行った陛下の馬車には、故障以外の異常はなく、先行する馬車に追いつくと、早々に野営の準備が始まったのだった。
そうして、何となく気持ちが上向きになった私は、辿々しくであるが、ピアースさんとマリーナさんとも短い会話を交えるようになり、そして、彼女達共々、馬車での旅にも少し慣れてきたかなと思った頃には、イグラード王国首都、ファーンバラに到着した。
軍本体からは先行しての帰還という事もあり、大々的な凱旋パレード的なものは無く、割合と静かに、石造りの町中を、馬車は王宮に向かって進んでいった。
そして、堅牢な城門をくぐると、王族専用らしい通用門に馬車が横づけられ、私はミルナーにエスコートを受けつつ馬車の外へ、恐々と足を踏みだした。
ミルナーに取られたままの手をどうしたもんかと、盛大に照れながら、きょろりと視線を巡らせると、先に到着していた王様やジェラードさん達が、城の関係者らしき一団の歓迎を受けていた。皆、口々に無事の帰還を祝い、抱擁を交わす姿が見てとてる
「お怪我が無くて何よりでしたわ!調印式がオルランドの罠だと知らせが来た時には、生きた心地がしませんでしたもの」
中でも、その甲高い声の持ち主である、色鮮やかなアフタヌーンドレスに身を包んだ女性と王様の感動の対面の図が、一際注目を浴びていた。
「ああ、キャンベル、お前にも心配を掛けたようだな。見ての通り、俺はこの通り無事だ。どうか、安心して欲しい」
その女性は、かなり背が高く、長身であるダイアーさんと同じか、より高いように思えた。それに加えて、禁欲的な立て襟タイプのドレスながら、その胸元を押し上げるボリュームは凄まじいもので、しかしそれでいてウェストは目に見えて細いという、多分に肉感的な魅力に溢れた美女だった。
そして、そんな長身わがままボディな女性に「胸元で窒息しろ」とばかりの抱擁を受ける、11才という年齢にふさわしい身の丈のお子様王様は、何というか、言葉を濁さざるを得ない印象で。
とりあえず、私は、そんな王様の惨状から目を反らすべく、傍らのダイアーさんに、あの女性の事を聞く事にした。恐らくは、年上の許嫁とか、歳の離れた姉とか、そんなところか。
「あ、あれ、誰?」
「ん?ああ、あの陛下と一緒におられる方ですね。あの方は、キャンベル姫様ですよ、アカネ様。ジェナス陛下の双子の妹姫様でございます」
「ふーん・・・え?」
妹?あの、王様の顔面が完全に埋没する程のボリュームと、その位置関係を生み出す長身の持ち主が、いもう、と?
私は、あの王様が年齢の事を気にするようになった源泉にたどり着いた気がしたが、敢えて無視して、何となく、その2人のやり取りに耳をそばだてた。
「本当に、本当にご無事で良かったです。でも、偵察に赴かれた兵の人達や、イヴェルドに駐留していた敵兵には多くの死傷者が出たと聞きましたわ。山火事という事でしたけれど、その方々の事を思うと胸が痛んでなりません」
「え・・・?」
「キャンベル、その話は、な」
「・・・ちょ、ちょ・・・っと」
「あら、あなたは?」
私は、思わず王様とその妹姫の側に、走るように近寄って声を掛けた。
突然の闖入者に、一瞬場が騒然となりかけるが、すぐに追いかけてきたミルナーの取りなしで事なきを得る。
「新しい女官の方かしら?お兄さま?」
「いや、彼女は良い、俺の客人だ」
「し・・・し、しょうしゃ・・・って?」
王様が、振り返り、私をとどめようとするが、しかし、彼の手は、それ以上私に伸びる事はなく、妙な雰囲気を感じてはいるだろうが、特に危険は無いと判断したらしいキャンベル姫は、落ち着いた様子で私に向き直った。
「死傷者・・・の事について知りたいの?私も伝え聞いたお話ですから、正確とは言えませんが・・・」
「・・・お、おし、えて」
兄である王様からの制止も無く、キャンベル姫は一瞬迷うような素振りを見せたものの、結局は言葉を続けた。
「我がイグラードの偵察兵が100名あまりと、イヴェルド山麓に駐留していたオルランド側の補給部隊が火に飲まれて200名以上が死傷したと、将軍達からは聞き及んでますわ」
「そん・・・な・・・」
私は確かに、その時、自分の足元で何かが崩れるのを感じた。




