特別編 浴衣
夕月はスマホを眺めて頭を捻っていた。
『だれでも出来る! 簡単な角帯の結び方』
目の前にはカカシのように腕を広げた翔吾の背中。
夕月が選んだ、濃紺に細いよろけ縞。帯は翔吾の肌色と(こっそり)夕月の帯に合わせて選んだ深緋色。
「夕月ー、もう手下ろしていい?」
「まだ駄目ー。」
「そろそろ疲れたんだけど……。」
腰に手を回して、腰紐の上から帯を巻く。一度結んで、折り込んだ垂れを被せて…。
「できた……!」
結べたはずの貝の口はくたっと下を向いた。
「なんでー!?」
「俺別に脱げなきゃなんでもいいけど。」
「よくない! ……もう一回」
最初は残した手が長過ぎた。次は結ぶ時にまとめた垂れを溢してしまった。
結び方自体は簡単な筈なのに、何度やり直してもカッコよく決まらない。
苛々してきた夕月の様子に気づいた翔吾は、腕を下ろして向き直った。
夕月の頭を撫でようとして、綺麗にまとまった髪を見て手を引っ込める。
「夕月、もう時間ないし、俺普通の格好で行く。頑張ってくれてありがとな。」
「えー、でも……。」
花火を見に行きたい、と言ったのは夕月だった。
じゃあ浴衣が見たい、と軽く言ったのは翔吾だった。
まさか自分も着せられることになると思わなかった翔吾とは、そもそも最初から熱量が違っていた。
翔吾は夕月が言い返す前にさっさと腰紐を解いて浴衣を肩から落としてしまった。
「あっ! もう……、浴衣デートしたかった。」
「夕月が綺麗なだけで、俺は満足。」
そう、夕月は気合いが入っていた。
薄水色の浴衣に、臙脂の帯。ちょっと清楚めなお出かけ用のメイク。結い上げた髪に可愛らしい簪が揺れている。
「俺も自分で練習しとくから、2人で着るのはまた来年にしよ。」
「……来年は、ちゃんと結べるようになる。」
「おう、頼んだ。」
いつもと変わらないズボンとシャツを身につけた翔吾が、笑って夕月の手を取った。
夜空に光の花が咲く。一拍遅れて、ドォン、と鳩尾が震えるような重低音。
「わぁ……!」
上を向いた夕月の顔が一瞬だけ明るく照らされる。
赤、緑、青、花火に合わせて夕月の顔に様々な色の影が浮かぶのを見つめていた。
「あっ、すみません……!」
後ろを通った通行人にぶつかられた夕月が声を上げた。後頭部を引っ掛けられたのか簪に手をやって気にしている。
「大丈夫か?」
「うん。」
喧騒に紛れないように夕月の耳元まで顔を寄せると、前方の観客の背中に隠れて、視界の半分程度しか空が覗いていない事に気づいた。
「……お前、早く言えよ。これじゃ全然見えないだろ。」
「え?でも大体いつもこんな感じだよ?」
翔吾は辺りを見回して、人混みに埋もれてきょとんとしている夕月の手を引く。
少しだけ人が減った場所に辿り着いて、一瞬沈み込んだ。
「え? きゃあっ!」
膝裏に腕を回して一気に抱え上げると、夕月が悲鳴をあげて翔吾の首にしがみついた。
「高い……!」
「これならよく見えんだろ?」
ちょうど良いタイミングで、花火が上がった。
視界一面に広がった光に、夕月が目を丸くした。
「すご……! スターマイン……!」
次々と上がる花火に喜んで、首に回された夕月の腕に力が籠る。
頬と頬が僅かに触れていた。
最後の光の粒が見えなくなって、夕月を地面に下ろすと、夕月が草履の足元を気にしながら唇を尖らせた。
「……翔吾いつもあんな広い空見てるの、ずるい。」
「いつでも抱き上げてやるよ。俺の目線と同じとこまで。」
部屋に帰って簪を外そうとすると、なぁ、と翔吾が声をかけてきた。
「浴衣、もう脱いじまうのかよ。」
「だって、花火終わったし……。」
「俺まだゆっくり見てねーんだけど。」
「えぇ? でも、ちょっと着崩れちゃってるよ。」
手を洗った翔吾がゆっくり近づいてくる。
そういえば、出かける前は時間ぎりぎりまで翔吾の浴衣と格闘し、花火大会は暗がりと人混みでちゃんと披露出来なかったかもしれない。
一応おはしょりを引っ張ったり、帯を持ち上げたりして整えてみる。
「俺さぁ、さっき持ち上げた時思ったんだけど。浴衣ってあちこち無防備すぎじゃね。」
「何言ってんの?」
「襟から背中見えそうだし。」
翔吾がすっと後ろに回って肩に手が置かれる。
「それは……、翔吾の背が高いからでしょ。」
「あとさ、ココ。」
肩から大きな手が滑り降りたのは、夕月の脇の下。身八つ口に指先がかかる。
「ここなんで開いてんの?」
「よ、よく知らないけど、浴衣ってみんなこうでしょ?」
「俺のは開いてなかったみたいだけど。……手、入っちゃうじゃん。」
じわっと指先が滑り込んで、夕月は思わず身を捩った。
簪が翔吾の胸に当たってチャラ、と音を立てる。
「それも、良くない。揺れたり音がするのって、捕まえたくなる。」
「そんな事……言われても……、」
「俺、浴衣の子初めて。夕月、教えてくれよ。」
負けた。
無数の女の子を相手にしてきた彼の経験値は、夕月に密かなコンプレックスを抱かせていた。
その翔吾にこんな事を囁かれて、意地を張っていられる訳がなかった。
夕月は僅かに体の力を抜いて、広い胸に背中を預ける。
「ん……っ、」
翔吾の指が柔らかな膨らみに沈んだ。
「ブラもいつもより布っぽい。浮くんじゃねぇ?」
「……パッド入ってる、から、大丈夫」
へー、と自分で聞いたくせに興味があるのかないのかわからない返事が返ってくる。
「こっちは? どうなってんの?」
胸に触れる手と反対の手が太腿に伸びて、あわせの隙間から滑り込む。
「あ、もう一枚穿いてんだ。ん? これも捲れんじゃん。」
「そ、れは裾除け……っ、もう、大体わかったでしょ……っ!?」
「おう。わかった。」
落ちてきた返事だけは素直だった。
「やっぱエロすぎ。もうどこにも着てかないで。」
「わかってない……!」
「わかったって、こうすんだろ。」
色事には敏い手が易々と裾を割り、素肌が触れる。
立ってんのと座ってすんのどっちが良い?と低い声が笑った。




