7.悲劇のヒロインと、ガチャ代。
翌日、蒲田ギルドのロビー。
200万円分のプリペイドカードを『爆死』という名の虚無に変え、再び一文無しになった志倉拓真は、死んだ魚のような目で受付の列に並んでいた。
その時、ふと聞き覚えのある声が耳に届いた。
「あれ……?もしかして、拓真?」
声をかけてきたのは、探索者ギルドの事務服に身を包んだ、場違いなほど清楚で美しい女性だった。
結衣。
拓真のブラック企業時代の元カノだ。
当時、地獄のような労働環境の中で甘い言葉を囁かれ、拓真は彼女を一途に愛し、なけなしの給料のほとんどを彼女への貢ぎ物(ブランド品や高級ディナー)に消していた。
それなりにうまくやれていたと思う。残業があるときは結衣も一緒に手伝ってくれたし、ノルマが足りないときは一緒に客先に頭を下げに行ったこともある。
しかし、結衣は拓真をあっさりと裏切った。
当時同僚だった『煉』という男が、自分のミスを隠すために「拓真が会社の金を横領している」というありもしないデタラメな噂を流したのだ。結衣はそれを裏取りすら確認することもなく、「信じられない。最低」と拓真を一方的に振り、あっさりと煉に乗り換えたのである。
「結衣……」
「久しぶりだね。ふふっ、元気そうでよかった」
結衣は悪びれる様子もなく、ふんわりと微笑んだ。
自分を裏切り、どん底に突き落とした女の無神経さに、拓真の顔が強張る。
「……何の用だよ。俺は今、昨日の200万爆死のショックで落ち込んでいるんだ。放っておいてくれ」
「...200万?ふふっ...もう、相変わらず変な冗談ばっかり。でも、本当に元気そうで安心した。私にも言わずに会社辞めちゃうんだもん。そういえば……ねえ、社会人としてあんなこと(横領)するなんて、ちゃんと反省した?今はまっとうになれた?拓真は抜けてるところがあるからな~」
まるで出来の悪い弟を諭すような、上から目線の口調。今も付き合っているかの様な馴れ馴れしさ。
その言葉に、拓真の中でくすぶっていた過去の理不尽な怒りが再燃した。
「はあ!?だからあの時も言っただろ!俺は横領なんてしてない!全部、煉が自分のミスと不正を俺になすりつけたデタラメだ!!」
拓真が声を荒げると、結衣は「ひっ」と大袈裟に肩をすくめ、後ずさりした。
「おいおい。ギルドのロビーで、俺の女に大声出してんじゃねえよ。前科者の底辺野郎が」
背後から、わざとらしいほどハイブランドの防具で身を固めた男が現れ、結衣の肩を抱き寄せた。
元同僚であり、拓真をハメた張本人――煉だ。
彼は会社を辞めて探索者になり、今では蒲田ギルドで飛ぶ鳥を落とす勢いのAランク探索者となっていた。
「れ、煉……」
「大丈夫か結衣。……おい志倉。往生際が悪いぞ。お前が会社をクビになったのは自業自得だ。いやぁ、あの時は本当に助かったぜ。お前が全部被ってくれたおかげで俺は昇進できたし、おまけに結衣まで手に入ったんだからな」
煉は周囲に聞こえない程度の声で、ニヤニヤとゲスな笑みを浮かべた。
それに同調するように、結衣も本性を隠すことなく、見下したような薄笑いを浮かべる。
「そうよ拓真。煉はAランク探索者として大成功してるの。当時も、不正をする貴方と違ってすごく誠実に働いていたし……今の私にも、ちゃんと真摯に向き合ってくれてるのよ?だから私、ちゃんとした大人を選べて本当に正解だったなって」
勝ち誇ったような煉の嫌味な笑顔。
そして、煉の胸にすり寄りながら、悲痛な顔を作って再び被害者ぶり始める結衣。
(だめだ……煉が悪いとはいえ、バカ女すぎる……。当時は結婚も考えるくらい本気で好きだったんだけどなぁ……って、ん?)
過去へのわずかな感傷すら秒で消え去り、拓真の視線が『ある一点』に吸い寄せられてピタリと止まる。
「拓真……」
結衣は、拓真の血走った両目を見た。
その目は、ギラギラと異常な熱を帯び、自分たちの方を穴が空くほど見つめている。
(ああ……拓真、まだ私のことが忘れられないんだ。あんなに私に尽くしてくれたのに、私がいなくなって、こんな激安のスウェットを着るまで落ちぶれちゃって……お金も持ってなさそうだし)
結衣の脳内で、都合のいい悲劇のヒロインのスイッチが入った。
「拓真。気持ちは痛いほどわかるわ。でも……そんなすがるような瞳で見つめられても、私も困るの」
結衣は目を伏せ、冷酷に告げた。
「あなたとは、もう終わったのよ。私は煉と、Aランク探索者のパートナーとして新しい人生を歩んでる。だから……私への未練は、もう断ち切って」
静まり返るロビー。
かつて愛した女からの、残酷で身勝手なマウント。
普通なら、男のプライドをズタズタにされ、絶望の涙を流して立ち去る場面である。
だが。
「……あ?」
拓真は、結衣の顔など『1ミリ』も見ていなかった。
彼の血走った視線の先。それは、結衣を抱き寄せる煉の腰にぶら下がっていた、巨大で高純度な『Sランク魔石』に完全に固定されていたのだ。
(すげえ……!あんなデカい魔石、換金したらいくらになる!?ざっと見積もって500万は下らないぞ!あれ一つあれば、昨日ひよって引かなかった1回5万のガチャを100連出来ちまう……!!)
元カノへの未練?横領の濡れ衣?マウント?
そんなものは、ガチャの虹演出の前では塵ほどの価値もない。彼が「すがるような瞳」で見つめていたのは結衣ではなく、煉の腰の『100連ガチャ代(魔石)』だったのだ。
「おい、聞いてるのか志倉」
拓真のギラついた視線を「自分への嫉妬」だと勘違いした煉が、イラついたように拓真の胸ぐらを掴もうと手を伸ばした。
「――ちょっと待ってください。私の『専属ボディーガード』に何してるんですか?」
その時。
凛とした、しかしどこか甘さを含んだ少女の声がロビーに響き、拓真と煉の間に小柄な人影が割って入った。
「あ?なんだあんたは。俺たちの邪魔をするなよ、部外者がよ!」
煉が鬱陶しそうに手を払いのけようとした、その瞬間。
少女はフッと鼻で笑うと、目深に被っていた帽子と伊達メガネを外し、美しい亜麻色の髪をふわりと揺らした。
国内トップクラスの同接を誇る、超人気美少女ダンジョン配信者――星宮かりん。
その圧倒的なビジュアルと、スター特有の華やかなオーラに、ロビーにいた全ての探索者が息を呑み、水を打ったように静まり返る。
「ほ、星宮かりん……!?」
煉が驚愕に目を見開き、振り上げた手を下ろすことすら忘れて硬直した。そして、結衣の顔からは、悲劇のヒロインの余裕が一瞬で消え去っていた。
「なんで……星宮かりんさんが……?ボディガードって、拓真のことですか……?だって彼、会社をクビになったただの……」
自分が隣に侍らせているAランクの男など比べ物にならないほどの、圧倒的な知名度を誇る『格上』の女性。それがなぜ、自分が振った男の腕に、自らの胸を押し当てるように密着しているのか。
結衣の顔は、理解不能な状況に引きつっていた。
「ただの?さっきから聞いていれば、底辺だの前科者だの……冗談はやめてください。この人は、私の大切なパートナーなんですから」
かりんはわざとらしく結衣と煉をねめつけると、密着したまま、拓真の耳元でだけ聞こえるように極小の声で囁いた。
『ねえ、カバン男さん。あのイケメンの腰にある魔石、欲しいんでしょ?』
『……!』
『私がアイツを煽って決闘の流れにする。あんたが勝ったら、あの魔石を奪っていいわ。その代わり、この後の私との独占コラボ配信、絶対に出てもらうからね』
『……決闘?』
『そう、ダンジョン内でギルドが提供する決闘システム。血の気の多い冒険者同士のいざこざは大体これで解決するの』
(なるほど、この女が誰かは知らないが、ここは流れに身を任せた方が良い感じか?ガチャも流れが大事だしな!)
それを聞いた瞬間。
結衣の言葉にも無反応だった拓真の目に、バチィッ!と凄まじい生気が宿った。
「……乗った。契約成立だ、雇用主!」
元カノの勘違いマウントなど知ったことではない。
ただガチャを引きたいだけの男と、ただバズりたいだけの女による、打算100%の極悪非道な連携プレイ(魔石強奪作戦)が、今まさに幕を開けようとしていた。




