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『夜明けに結ばれた女帝たち』

『夜明けに結ばれた女帝たち』


カタコンベの撮影セットから少し離れた場所に設営された、リュクス・アンペリアル専用のVIPテント。

薄暗い地下墓所とは思えないほど豪奢なアンティーク家具が並べられ、最高級のダージリンティーの香りが漂うその空間で、立花雪とエレーヌ・リジュは向かい合ってソファに腰を下ろしていた。

数十分前までバチバチと火花を散らすような敏腕経営者としての顔を見せていた二人だったが、契約の細部についての擦り合わせが終わると、テントの中には心地よい静寂と、温かい紅茶の湯気が立ち上った。


「立花社長……いえ、雪さん。確認していただいた通り、リュクスは持子様と複数年のグローバル・アンバサダー契約を結びます」


リジュは、サファイアの瞳に真剣な光を宿して口を開いた。


「パリのシャンゼリゼ通り、ニューヨークのタイムズスクエアへの巨大広告展開はもちろん、来季のパリ・コレクションでは彼女のために特別なランウェイを用意します。彼女をただのモデルとして消費するつもりはありません。ファッション界に君臨する『絶対的な美の帝王』として、リュクスが持つすべての資本とメディア、そして私の個人的な裏社会のネットワークをも駆使して、彼女の覇道を全面的にバックアップすることをお約束します」


タブレットに表示された、目眩がするような巨額の契約金と破格の待遇。

雪は眼鏡の奥で冷静にそれを見つめ、静かに頷いた。


「ええ、素晴らしい条件だわ。持子の圧倒的なカリスマ性と、リュクスの世界的なブランド力。これが結びつけば、間違いなく世界中のエンターテインメントとファッションの歴史が変わる。……最高のビジネスパートナーに出会えて、スノーの社長としても鼻が高いわ」


雪がフッと口角を上げて微笑むと、リジュは少しだけ躊躇うように伏し目がちになり、膝の上で美しい手をギュッと握りしめた。


「……雪さん。契約書にサインをいただく前に、一つだけ、あなたに謝罪し、白状しなければならないことがあります」


「白状?」


リジュは顔を上げ、かつての冷徹な女帝の顔ではなく、一人の等身大の女性としての、どこまでも真摯な瞳で雪を見つめた。


「実は私……最初、阿寒湖のモニター越しに持子様の姿を見た時、あなたのことを『ただ運の良い女』だと侮っていました。極東の辺境で、たまたま世界最高の原石を見つけ、その威光にタダ乗りしているだけの、底の浅いエージェントだろうと」


雪は何も言わず、静かに紅茶のカップをソーサーに置いた。怒るでもなく、ただ先を促すようにリジュの言葉に耳を傾けている。


「でも……持子様に惹かれ、彼女のこれまでの生い立ちを調べていくうちに、私のその傲慢な考えは根底から覆されました。……北海道の孤児院、学力底辺の高校。誰からも見向きされず、孤独な暗闇の中で燻っていたあの『魔王』の魂を見つけ出したのは、他でもないあなただった」


リジュの声に、熱がこもる。


「あなたは彼女をただの金ヅルとして搾取するのではなく、愛情を持って教育し、時には厳しく叱り、躾け、共に生活し……彼女に『帰るべき家』を与えた。持子様があれほどまでに美しく、気高く、そして優しさを併せ持つ真の王として覚醒できたのは……あなたが無償の献身で彼女を磨き上げ、その器を創り上げたからです」


千年の時を超えて魔王の魂に仕える、狂信的な『臣下』としての顔。

そして、世界的な大企業のトップとしての顔。

その両方を持つリジュは、深く、深く、雪に向かって頭を下げた。


「雪さん。私は、あなたを心から尊敬します。我が王を見出し、育て上げ、その隣に立つにふさわしい、最も偉大で、最も強き女性として。……最初からあなたを侮っていた私の愚かさを、どうかお許しください」


VIPテントの中に、静かな時間が流れる。

雪は、頭を下げる黄金の髪の女帝をしばらく見つめていたが、やがて「はぁ……」と、呆れたような、けれどどこか嬉しそうなため息をこぼした。


「……顔を上げて、エレーヌ」


雪が初めてファーストネームで呼んだことに驚き、リジュが顔を上げる。

そこには、冷徹な社長の仮面を完全に脱ぎ捨てた、海のように深く温かい「母」のような笑みを浮かべる雪の姿があった。


「買い被りすぎよ。私なんて、ただあの手のかかる我が儘娘を放っておけなかっただけの、お節介なマネージャーよ。……ものすごく大食いだし、勝手に借金は作るし、目を離すとすぐに暴君になろうとするし。本当に、毎日胃薬が手放せないんだから」


「雪さん……」


「でもね」


雪はタブレットの画面に映る持子の写真――先ほどの撮影で、神々しいまでの美しさを放っていた彼女の姿を、愛おしそうに指でなぞった。


「あの子は、私の誇りよ。私の、大切な家族。……あの子が望む覇道なら、私がどこまでも道を切り拓いて、一番の特等席で見届けてやりたいの」


雪のその言葉には、一切の嘘も打算もない、持子への絶対的な愛が詰まっていた。

リジュは、その美しくも力強い雪の横顔を見て、胸の奥が温かくなるのを感じた。


「……私も、最初にあんたのことを見た時は『血も涙もない冷酷な女帝』だと思って警戒してたわ。でも、あんたは随分と素直で、不器用で、真っ直ぐな女性なのね」

雪がふふっと笑いながら言うと、リジュは少しだけ顔を赤くして照れ笑いを浮かべた。


「ええ。私はリュクスの全権をもって、あくまで有能なスポンサーとして、そして『同志』として、持子様とあなたをお支えしますわ」


「それは頼もしいわね。あの子の胃袋と暴走を支えるには、私一人の財力と胃袋じゃ到底足りないから、あんたみたいな『同志』がいると本当に助かるわ」


雪が右手を差し出すと、リジュもまた、晴れやかな笑顔でその手をしっかりと握り返した。


「ふふっ。私たち、とても良いお友達になれそうですね、雪」


「ええ、よろしくね、エレーヌ。これからは、持子の保護者同盟として仲良くやりましょう」


二人の優秀で美しい女性たちは、顔を見合わせてクスリと笑い合った。

パリの地下深くで、極黒の魔王とその忠犬が、吸血鬼の女王を相手にコミカルでエロティックな調教タイムを繰り広げているなどとは露知らず。

美味しいダージリンティーと共に、王を支える女たちの温かな友情は確固たるものとして結ばれたのだった。


「さて、保護者同盟が結成されたところで、早速なんだけど……」


雪はタブレットを操作し、新たなファイルを開いてリジュの前に提示した。


「もう一つ、大きな仕掛けの相談をさせてちょうだい。リュクスの『夏向けの新作コレクション』、そのメインビジュアル撮影についてよ」


「夏向けの新作、ですか?」


「ええ。場所はここから離れた南フランスの海岸、コート・ダジュール。そこに持子を起用して撮影を行いたいの」


雪が事前に作成していた精緻なサマープランのプレゼンを始めると、リジュはサファイアの瞳を輝かせた。


「日程はどうお考えですか?」


「今日が3月28日だから、明日29日は持子たちに1日休暇を与えて、その間に南仏へ移動させる。撮影自体は30日からスタートして、早ければ4月2日か3日には撮り終える計算よ。もちろん天候のリスクもあるから、最悪は6日までかかってもいいように組んであるわ。もし3日で終われば、残りの3日間は持子たちへのご褒美バカンスね」


「なるほど」


「ただ、リミットは絶対。4月8日が高校の始業式だから、6日の夜には現地の飛行機に乗せて、4月7日の夕暮れには成田に降り立たせなきゃならないの。これ以上、あの子の出席日数を危険に晒すわけにはいかないからね」


雪の計算し尽くされたスケジュールとダイナミックな構想を聞き終えると、リジュはふっと蠱惑的な笑みを浮かべた。


「……面白いですね。実はリュクス側でも、現在進行形で夏向けのプロモーション企画を練っていたところでした」


リジュは立ち上がり、雪に向かって優雅に手を差し出した。


「雪。ここから先は、より具体的なすり合わせが必要になります。私の会社の会議室へ移動して、徹底的に打ち合わせをしましょう」


「ええ、望むところよ」


二人はVIPテントを後にし、パリ市内にあるリュクス・アンペリアルの本社へと向かった。

洗練された最上階の広大な会議室。

そこからは、互いの才能と情熱が火花を散らす、極めて高度で知的なゲームの始まりだった。

雪の提示したエンターテインメントの視点によるプランに、リジュがリュクスの持つブランドの歴史と洗練されたリソースを掛け合わせて提案を返す。さらに雪がそれに磨きをかける。

アイデアが完璧なパズルのように組み合わさっていく快感。両者の合意形成は恐ろしくスムーズで、即座に実行に移せるレベルの緻密なスケジュールとクリエイティブが、夜を徹して組み上げられていった。

やがて、会議室の大きな窓からパリの街並みに柔らかな朝日の光が差し込み始めた頃。

29日の朝を迎え、全てのすり合わせを終えた二人は、心地よい疲労感と共に顔を上げた。


「完璧ですわ……。とても充実した、楽しい時間でした、雪」


リジュが晴れやかな笑顔で立ち上がり、雪の元へと歩み寄る。

そして、不意にその華奢でしなやかな腕を伸ばし、雪を真っ直ぐに抱きしめた。


「……エレーヌ?」


「貴方となら……ただの『友』ではなく、『親友』になれるわ」


耳元で囁かれたその声は、女帝としての威厳ではなく、一人の等身大の女性としての無防備で温かな震えを帯びていた。

雪とリジュ。エンターテインメントの頂点と、ファッション界の頂点。

二人とも類稀なる知性を持ち、人の僅かな視線や言葉の端々から、その裏にある打算や欲望を容易く読み取ってしまう才能を持っていた。

それゆえに、損得勘定抜きで心から「友」と呼べる存在など、これまでの人生で数えるほどしかいなかったのだ。ましてや「親友」など、孤独な王座に座る彼女たちにとっては幻想に近い響きでしかなかった。

しかし、このわずか数時間の間に、二人は互いの魂の形を深く理解し合った。

持子への無償の愛という共通の核を持ち、知略を尽くして高め合うことのできる、唯一無二の対等な存在。

雪は、少しだけ驚いたように目を見開いた後――ふっと、氷が溶けるような優しい微笑みを浮かべた。

そして、リジュの背中にそっと腕を回し、力強く、温かくハグを返す。


「ええ……最高の親友になりましょう、エレーヌ」


言葉以上に、重なり合った体温が互いの孤独を癒し、確かな絆を証明していた。

長い夜を越えて見つけた、生涯の友。

朝日を浴びながら抱き合う二人の姿は、まるで一枚の名画のように美しく、神々しいまでの光に包まれていた。

やがて体を離し、名残惜しそうに、けれど清々しい笑顔を向け合う二人。


「それじゃあ、私はすぐに会社に残って、南仏の撮影チームや移動の手配を進めますね」


「ええ、お願い。……私はこれからホテルに向かうわ。私たちが話し合いを始めた時点で撮影自体はもう終わっていたから、持子と鮎の二人は水入らずでパリの街を遊んで、今はホテルでぐっすり眠っている頃だろうしね」


徹夜明けの伸びをしながら、雪は苦笑交じりに言った。


「あの子たちに『南仏での追加のお仕事』の説得をしてこないと。最高級のバカンスと美味しいご飯をダシにして、なんとか丸め込んでみせるわ」


こうして、美しき女帝たちの知的で優雅な徹夜のミーティングは幕を閉じた。

持子の次なる覇道――コート・ダジュールへの華麗なるチケットは、今、親友となった二人の手によって切られた。

リジュは喜びに満ちた足取りで社内の各部署へ指示を飛ばし始め、雪は足早に、愛すべき我が儘娘たちが待つ(はずの)ホテルへと向かったのだった。


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