『巴里地下迷宮篇――真王の顕現』
真なる美の顕現と、地下迷宮の悪魔狩り
パリの地下深くに広がる巨大な地下墓所。
冷たい死の匂いが立ち込めるその場所は、昨夜の血生臭い処刑場から一転して、世界最高峰のクリエイターたちが集結した「美の創造空間」へと変貌を遂げていた。
「Magnifique(素晴らしい)! 最高だよマドモアゼル・コイトイ! その冷酷な視線、もっとレンズに向けて!」
フランスを代表する巨匠カメラマンの激しいシャッター音と絶叫が、骸骨の壁に反響する。
無数の本格的な照明機材が焚かれたセットの中心で、恋問持子は完璧な君主として君臨していた。
衣装は、昨夜と同じものである。
布地という概念を極限まで削ぎ落とし、極限までくびれたウエストと豊かな胸元の頂を辛うじて覆う数枚のシルクと、極彩色の宝石の鎖だけで構成された、イタリアの巨匠による前衛的なドレス。
神が自ら設計図を引いたとしか思えない日本人離れした黄金比の肉体が、薄暗い骸骨の壁と強烈な照明のコントラストの中で、文字通り自発光しているかのように神々しく耀いていた。
「……あぁぁっ、素晴らしいです持子様! 今日の持子様は、昨夜の百倍、いや一万倍輝いておられますぅぅ! 私の網膜が、持子様の美の暴力で焼き切れてしまいそうです!」
モニター裏では、ピンク髪の鮎が両手で顔を覆いながら、指の隙間から眼球を血走らせて悶絶していた。
昨夜は格式を重んじてカメラを控えていた彼女だが、今日の「本物」の撮影現場では、オフショット撮影の名目で持ち込んだ超高級一眼レフを首から提げ、いつでも連写できる態勢で忠犬としての熱狂的な視線を注いでいる。
その横で、雪は腕を組み、眼鏡の奥で冷静かつ満足げな光を光らせていた。
そして、少し離れた特等席。
リュクス・アンペリアルの若き女帝エレーヌ・リジュは、愛する恋人テオドール・ブランと肩を並べ、モニターに映し出される持子の圧倒的なパフォーマンスを見つめていた。
「すごい迫力だね、エレーヌ。彼女の美しさは、ただ綺麗なだけじゃない。魂の底から湧き上がるような、絶対的な引力がある。本当に、君のブランドのミューズにふさわしいよ」
テオドールが感嘆の溜息を漏らすと、リジュは優しく微笑み、青いサファイアの瞳を細めた。
「ええ。ふふっ……冗談のようだけど、彼女は私の『王』よ。これから、リュクスを通して世界的な王になってもらうの」
「ははっ、王だって? 彼女なら、女王の間違いだろう?」
テオドールがクスリと笑ってツッコミを入れるが、リジュは首を静かに横に振った。
「いいえ。彼女は女王ではなく、真なる『王』なの」
リジュの言葉の奥にある、千年の時を超えた忠誠と狂信の重みをテオドールが知る由もない。だが、愛する恋人が見つけた絶対的なミューズに対し、彼もまた心からの拍手を送っていた。
撮影は、何一つのトラブルもなく、完璧な進行で夕方前には終了した。
魔王としての絶対的な覇気と、カメラの前で己を最大限に魅せる天性の才能を持つ持子に対し、気難しいことで有名なフランス人スタッフたちも、最後には総立ちでブラボーの歓声を上げていた。
***
「今日は来てくれてありがとう、テオ。私は立花社長とこの後の打ち合わせがあるから、先に戻っていてちょうだい」
「分かった。素晴らしい撮影を見せてくれてありがとう。また後でね、エレーヌ」
撮影後の控室として設営されたテント。テオドールを見送ったリジュは、ゆっくりと踵を返し、ソファで優雅に休息を取っていた持子のもとへと歩み寄った。
「Mon Roi... Je vous présente à nouveau mes plus plates excuses et ma gratitude la plus profonde.(我が王……改めて、深いお詫びと心からの感謝を申し上げます)」
雪と鮎が静かに見守る中、世界的コングロマリットの女帝は、持子の前で深々と、かつ極めて美しい所作で頭を下げ、フランス語で忠誠を紡ぎ出した。
しかし、英語はおろか横文字全般を「難解な呪術」として激しく拒絶する持子にとって、その美しい響きもただの呪文に過ぎない。
「むぅ……やはり、横文字はさっぱり分からんな。雪に通訳させるのも無粋というもの。リジュよ、面を上げよ」
持子がソファから静かに立ち上がると、リジュは弾かれたように顔を上げた。
持子はゆっくりとリジュの前に歩み寄ると、その冷たく白い指先で、リジュの美しい顎をそっとすくい上げた。
息を呑むリジュ。
漆黒の闇を纏う極東の絶世の美女と、純白の光を纏う黄金の髪のヨーロッパの女帝。
二人の完璧な美貌が、薄暗い地下の空気の中で、交差する。
「え……っ」
持子は、自身の額を、リジュの滑らかな額へとピタリと押し当てた。
至近距離で交錯する、黄金の瞳とサファイアの瞳。
その瞬間、持子の額から常人には見えない漆黒の「闇の魔力」がリジュの脳髄へと流れ込み、言語の壁を飛び越えた『心のパス(念話)』が形成された。
『――これでよし。言語などという不便なものを介さずとも、魂で語れば済む話だ。さあ、申してみよ』
持子の威厳に満ちた声が、直接リジュの脳内に響き渡る。
リジュは、王と額を合わせ、魂が直接繋がった究極の悦びに全身を震わせ、その心のパスを通して狂熱的な思念を叩きつけた。
『ああ……っ、我が王! 改めての御礼が遅れてしまいました。私の非礼と大罪をお許しいただき、さらには――』
『よい。謝罪はもう受けた。それ以上は不要だ』
持子はリジュの重すぎる懺悔をあっさりと遮ると、フッと悪戯っぽい、からかうような笑みを浮かべた。
『それよりもリジュよ。お前、昨日よりもさらに美しくなっておるぞ? さてはあの後、あの男にたっぷりと愛されたのだな?』
『なっ……!? わ、我が王!?』
千年の時を超えた絶対的な君主からの、あまりにも直球でセクシャルなからかい。
リジュは脳髄まで沸騰したように顔を真っ赤に染め、サファイアの瞳を激しく揺らした。
『ふははは! 良いではないか。忠臣が女としての幸せを満喫し、美しさに磨きをかけておるのだ。王としてこれほど喜ばしいことはない』
『あぅ……っ。す、すべては……持子様のお陰でございます……っ』
リジュは恥じらいに頬を染めながらも、至上の幸福と感謝を込めて念話を返した。
『ふむ……ならば、忠誠の証としてひとつ褒美をくれてやろう』
持子は心の中で微笑むと、かつて『巫女』楓が己の魂に施した『合舞』のステップを、リジュの精神世界の中でひそかに踏み始めた。
もちろん、持子は神聖な力を持つ聖女ではないため、楓が起こしたような『光の芯』が立つわけではない。しかし、絶対的な王の魂が寄り添うように舞うことで、リジュの心の最深部に、温かく美しい『光の粒』がキラキラと生まれ、彼女の魂を優しく照らしていった。
『これは……っ!? あたたかい……持子様、私の魂の中に、光が……っ!』
驚きと歓喜に震えるリジュの魂に対し、持子は舞を終えると、静かに、そして深く語りかけた。
『リジュよ。お前、わずか二十五歳でいまの地位に就くために、これまで数え切れないほどの者たちを蹴落とし、退けてきたのだろう。昨夜のように、その手を血に染め、人を殺めることもあったはずだ』
『……はい。私の歩んできた道は、死体と絶望で舗装された血塗られた道です』
『だろうな。だが……いまのお前がこうして正気を保ち、人の心を持ったまま振る舞えているのは、あのテオという男がいるからだ』
持子の言葉に、リジュの脳裏に愛するテオドールの優しい笑顔が浮かぶ。
『あの男は、実に澄んだ光を纏っておる。極めて珍しい男だ。お前が抱える深い闇を、あの男の光が日々削り取ってくれておるのだろう。あの男がそばにいるからこそ、お前は完全な闇に堕ちず、血に飢えた怪物にならずに済んでいるのだ』
『テオが……私の、光……』
『そうだ。ゆえに、絶対に逃すなよ。何があっても大切にしろ』
『……っ! はい……っ! ありがとうございます、我が王……っ!』
温かい光の粒と、王からの慈愛に満ちた言葉に包まれ、リジュの魂は歓喜に打ち震えた。
持子がゆっくりと額を離すと、リジュのサファイアの瞳からは一筋の美しい涙がこぼれ落ちていた。彼女は満たされた笑みを浮かべ、改めて臣下としての完璧な礼をとった。
その美しい光景を前に、雪は静かに拍手を打った。
「さて、リジュ代表。君臣の契りを交わしたところで、現実的なビジネスの話よ。これからリュクスとスノーの新たな独占契約と、持子の世界展開について、みっちり打ち合わせさせてもらうわよ」
「ええ、立花社長。リュクスの全権をもって、持子様にとって最高の条件をご提示させていただきますわ」
二人の優秀な経営者が、火花を散らすような、それでいて極めて生産的な笑顔を交わし、別室のテントへと向かっていった。
「というわけで、少し待機だ。……鮎、着替えるから手伝え」
「はいっ! 喜んで持子様のお召し物を剥ぎ取らせていただきますぅぅ!」
ほぼ全裸のドレスを脱ぎ捨て、持子が袖を通したのは、冷え込む地下墓所での行動を想定した、動きやすくも暖かいファッションだった。
上質な黒のラムレザーに滑らかなフェイクファーをあしらったライダースジャケット。その下には、ボディラインにぴったりとフィットする深いボルドー色のリブニット。スラリとした長い脚を黒のスキニーデニムで包み、足元には動きやすいハイブランドのコンバットブーツを合わせている。
先ほどの神秘的な女神のような装いから一転、スタイリッシュで攻撃的な「極上の美少女ハンター」のような出で立ちだ。
「ん。やはり服というものは、布の面積が多い方が温かくて落ち着くな」
持子はジャケットの襟を正し、コンバットブーツの踵を軽く石畳に打ち鳴らした。
「あぁっ! そのハードでクールな装いも、とてもお似合いです持子様! 私、どんな持子様でも一生推し続けますぅ!」
鮎が一眼レフを抱えて恍惚と拝んでいると、持子は不敵な笑みを浮かべ、薄暗いカタコンベの奥深くへと視線を向けた。
「おい鮎。少し時間が空いたことだし、わしの『悪魔狩り』に付き合え。……さっきから、この地下の奥底で、わしの『大物センサー』がビンビンと反応しておってな」
持子が楽しげに笑うと、彼女の周囲に漆黒の闇の魔力が陽炎のように立ち上った。
「悪魔狩り、ですか!?」
「ああ。昨夜の薄っぺらい聖女が狩り残した、本物の化け物どもがうごめいておる気配がするのだ。腹ごなしにはちょうど良い」
その言葉を聞いた瞬間、鮎の顔から恐怖は完全に消え去り、ピンク髪を振り乱して歓喜の声を上げた。
「行きます! もちろんお供いたします! あっ、でも……その、悪魔を狩る持子様の神々しいお姿を、このカメラで写真に撮っても良いですか……?」
鮎が上目遣いでおずおずと尋ねると、持子は呆れたようにため息をついた後、クスリと優しく微笑んだ。
「……壊すなよ、その高い玩具」
そう言って、持子はスッと右手を差し出し、鮎の白く細い手を取った。
「あ、あばばばば……っ! も、持子様が私の手を……! ひぃんっ、私、今日が命日でも悔いはありませんんんっ!!」
「やかましい。行くぞ、忠犬」
顔から火を出して昇天しかけている鮎の手をしっかりと握り、持子は極黒の魔力と圧倒的な美貌を纏いながら、光の届かない完全なる暗闇の奥底へと歩みを進めた。
王の覇道は、表の世界のファッション業界をも席巻し、裏社会の闇をも楽しげに喰らい尽していく。
間もなく、パリの地下迷宮の最深部から、本物の悪魔たちの絶望に満ちた悲鳴が響き渡るだろう。
花の都の地下深く、極黒の魔王とピンク髪の忠犬による、賑やかで血生臭い悪魔狩りの幕が、今静かに切って落とされた。
ここでフランス編は終わる予定で、この後の話がここまで大きくなるとは思ってなかったんだ。
信じられないけど、キャラクター達が暴走した。ホントに




