第四章:玉座の孤独と、臣下の帰還
第四章:玉座の孤独と、臣下の帰還
パリの地下深くで繰り広げられた、極黒の魔王と純白の異端審問官による圧倒的な蹂躙劇。
その一部始終を、リュクス・アンペリアルの最上階に設けられた極秘の監視ルームからモニター越しに見つめていたエレーヌ・リジュは、遂に自身の魂から湧き上がる抗いがたい歓喜の前に、完全に屈服していた。
「あ、あぁ……。あぁぁぁ……ッ!!」
リジュの青い瞳は、もはや恐怖ではなく、狂気じみた恍惚の涙で溢れていた。
モニターの中で、最強と謳われた聖女ベアトリスが、布地という概念を極限まで削ぎ落とした極彩色の衣装を纏う持子の前に、無様に地に伏している。あの絶対的な覇気、大理石すら切り裂く光を容易く飲み込む深淵の闇、そして何よりも、神々しいまでの美しさ。
ドクンッ、ドクンッ、と。
リジュの下腹部が焼け焦げるように疼き、魂の底の底で、かつての冷徹な軍師「李儒」が歓喜の産声を上げていた。
(やはり、私の見込んだ王は、千年の時を超えても最強の魔王であらせられた! ああ、なんという美しさ、なんという暴力! あの方の足元に平伏し、その靴を舐め回し、すべてを捧げ尽くしたい……ッ!)
「エレーヌ!? どうしたんだ、そんなに汗をかいて……それに、今の映像は一体……!?」
深夜の異変に気づき、心配して駆けつけてきた恋人のテオドールが、震えるリジュの肩を抱きしめようとした。
しかし、次の瞬間。
「……Ne me touche pas(触らないで)」
リジュは、あれほど愛していたはずの純白の恋人の腕を、氷のように冷たい声と共に冷酷に振り払った。
「エ、エレーヌ……?」
「ごめんなさい、テオ。あなたはとても優しくて、素敵な人だったわ。でも……私にはもう、あなたとの温るい日常なんて必要ないの」
振り返ったリジュの青い瞳には、もはやテオドールに対する愛情の欠片も残っていなかった。そこにあるのは、絶対的な君主へと向かう狂熱の炎だけ。
「私は、私の王の元へ行かなければならないの。Adieu」
呆然と立ち尽くすテオドールをその場に残し、リジュは深夜のパリの街へと、狂ったように車を走らせた。
***
冷たい死の匂いが立ち込めるパリの地下墓所の最深部。
粉砕された骸骨の壁と、地に伏して呻く武装集団、そして気を失った最強の聖女ベアトリス。
その血と瓦礫が散乱する中心で、恋問持子は静かに佇んでいた。
極彩色の宝石が白磁の肌の上で妖しく煌めき、闇の魔力の残滓が彼女の足元で微かに揺らいでいる。
「――持子様ァァァァァァッ!!」
不意に、静寂を引き裂くような絶叫が地下墓所に木霊した。
見れば、息を切らし、純白の高級なオートクチュールドレスを泥や瓦礫で汚すことも厭わず、リジュが転がるようにして駆け込んでくる。
彼女は気絶している自らの暗殺部隊やベアトリスを一瞥だにせず、真っ直ぐに持子の足元へと滑り込んだ。
そして、大理石の冷たい床に額を擦り付けるほどの勢いで、深く、深く平伏し、持子の素足にすがりついた。
「Oh, mon Roi...! Quelle beauté, quelle puissance écrasante...! Mon âme a toujours pleuré pour vous...!!」
狂熱的な瞳で見上げながら、リジュはフランス語で泣き叫ぶように愛と忠誠を紡ぎ出した。
しかし、英語はおろか横文字全般を「難解な呪術」として激しく拒絶する持子にとって、目の前ですがりつく絶世の美女が何をごちゃごちゃと叫んでいるのか、さっぱり理解できなかった。
「……むぅ。雪がおらんから、相変わらず何をごちゃごちゃと言っておるのかさっぱり分からん」
持子はため息をつくと、足元にすがりつくリジュの顔を両手でそっと持ち上げた。
そして、ゆっくりと身を屈め――自らの額を、リジュの額へとピタリとくっつけた。
「え……っ」
至近距離で交錯する、黄金とサファイアの瞳。
持子の額から、常人には見えない漆黒の「闇の魔力」がリジュの脳髄へと直接流れ込み、言語の壁を飛び越えた『心のパス(念話)』が形成される。
『――これでよし。言語などという面倒なものを介さずとも、魂で語れば済む話だべさ。さあ、申してみよ』
持子の威厳に満ちた声が、直接リジュの脳内に響き渡る。
リジュは、王と魂が直接繋がった究極の悦びに全身を震わせ、その心のパスを通して狂熱的な思念を叩きつけた。
『ああ……っ、我が王! 愚かな私は、己の女としての平穏な日常を守るため、あなた様に刃を向けようとしました。ですが、その矮小な光すらも飲み込むあなた様のお姿を見て、ようやく真理を悟りました! 男など、とうに捨てて参りました。私の富も、権力も、そしてこの肉体も心も……私のすべては、あなた様のものです!!』
世界的コングロマリットの若き女帝が、完全に狂信の奴隷と化して忠誠を誓っている。
その重すぎる思念を受け止めながら、持子は黄金の瞳を冷徹に細めた。
かつての暴君であったなら、迷わずその忠誠を受け入れ、己の欲望のままに彼女を貪り尽くしていただろう。だが、今の持子は違う。
『……勘違いするな』
持子の低く、威厳に満ちた声が、心のパスを通してリジュの魂を震わせた。
『お前は、かつて我がために毒杯すら厭わなかった有能な「臣下」であって、愛人ではない』
『え……?』
歓喜に打ち震えていたリジュの心が、戸惑いに固まる。
『わしは、お前のその能力と知略、そしてかつての忠義を高く評価しておる。だが、お前が今生で見つけた純白の幸せまでをも奪い取り、壊してしまうような安い王になった覚えはない』
持子は、額をくっつけたまま、絶対的な王の顔で言い放った。
『その男の元へ帰り、女としての幸せを全うしろ。お前の心と権力は臣下としてわしが預かるが、女としての生はあの男にくれてやれ。……それが、余の命令だ』
リジュは息を呑んだ。
魔王としての絶対的な支配の裏にある、不器用だが深すぎる優しさと、王としての圧倒的な器の大きさ。
その事実を魂で直接突きつけられ、リジュの青い瞳から、今度こそ本物の感謝と忠誠の涙がとめどなく溢れ出した。
『あぁ……っ、ああぁぁ……! なんという……なんという慈悲深さ……! ははっ! 謹んで、王命をお受けいたします……ッ!!』
リジュは持子の素足に再び額を擦り付け、慟哭するように泣き崩れた。
――その一方で。
完璧な冷徹な王を演じきり、額を離した持子の内心では、全く別の感情が荒れ狂っていた。
(うわぁぁぁぁぁぁッ!! し、しまったぁぁぁッ!! あの超絶美女のリジュが『すべてを捧げる』と言ってきたのに、王としてのカッコつけで思わず突き放してしまったではないか!! ああああっ、もったいない! わしもあの豊満な胸に飛び込んで、一緒にキャッキャウフフと抱き合いたかったのにぃぃ!!)
食欲と色欲に忠実な十七歳の少女としての本音が、脳内で激しく身悶えしている。
だが、一度見栄を切ってしまった以上、今さら「やっぱりちょっと揉ませて」などと言えるはずがない。持子は内心で血涙を流しながらも、表面上は威風堂々たる魔王の顔を必死に保ち続けていた。
「――持子!!」
「持子様ぁぁぁッ!! ご無事ですか!?」
そこへ、騒ぎを察知した雪と鮎が、モニタールームから血相を変えて飛び込んできた。
床に転がる武装集団と銀髪の女、そして持子に平伏するリジュの姿を見て、二人は瞬時に事態を悟った。
「Élène Ligeux. Qu'est-ce que cela signifie ?(エレーヌ・リジュ代表。これは、どういうことかしら?)」
雪の眼鏡の奥の瞳が、絶対零度の怒りに凍りつく。彼女は流暢で、かつ氷のように冷たいフランス語でリジュを問い詰めた。
「Vous avez isolé Mochiko sous prétexte d'un tournage secret, et vous lui avez envoyé des assassins. C'est ça, la méthode de votre conglomérat mondial ?(リュクスの極秘撮影と称して持子を分断し、武装集団と殺し屋を差し向けた。これが、世界的コングロマリットのやること?)」
雪は容赦なく言葉の刃を突きつける。
「En tant que présidente de Snow et productrice de Mochiko, je ne peux pas laisser passer ça. Préparez-vous à une annulation de contrat et à un procès international.(スノーの社長として、そして持子のプロデューサーとして、到底看過できる事態じゃないわね。契約破棄はもちろん、国際法廷に引きずり出す準備をさせてもらうわ)」
冷静沈着な雪が、静かだが確実にブチ切れていた。
リジュは青ざめながらも、罪人としてただ黙って首を垂れている。
そして、雪の後ろでは、ピンク髪の鮎が般若のような形相でギリィッと歯を鳴らし、日本語で吠えた。
「よくも……よくも私の、私たちの尊い持子様にこんな薄汚い殺し屋を差し向けましたね……! 万が一、持子様の白磁のお肌に傷一つでもついていたら、リュクスの本社ビルごと爆破して、その綺麗な金髪をむしり取ってやるところでしたよ!!」
元トップモデルのインテリ早大生らしからぬ、ガチの殺意を放つ鮎。
激怒する二人の前に、持子はスッと右手を挙げて制止した。
「よい、雪。鮎も牙を収めよ」
「持子……。でも、一歩間違えればあんたの命が……」
「わしが許すと言っておるのだ」
持子は雪の言葉を遮り、床に平伏したままのリジュを見下ろした。
「こやつは、確かに一度はわしに刃を向けたが、今は己の愚かさを魂から悔い、再びわしの元へと帰還した。かつての余の、有能な臣下だ。それに、こやつがスノーの、ひいてはわしの強力なスポンサーとして動くとなれば、これほど心強い駒はあるまい?」
持子は黄金の瞳を細め、悪戯っぽく笑った。
雪は持子の言葉と、持子の足元で泥にまみれながらも絶対的な忠誠を誓うリジュの姿を交互に見比べると、やれやれと深いため息をついた。
「……Très bien. Si Mochiko pardonne, je ferme les yeux pour cette fois.(……はぁ。持子が許すと言うなら、今回だけは水に流すわ)」
雪はリジュに対し、フランス語で最後通牒を突きつけた。
「Mais en échange, les conditions de notre futur contrat seront entièrement révisées en notre faveur. Préparez-vous.(その代わり、今後のリュクスとの契約条件は、スノー側に極めて有利な形に全面改訂させてもらうからね。覚悟しておきなさい)」
「Oui... merci infiniment.(はい……。本当に、ありがとうございます)」
リジュは涙ながらにフランス語で答え、雪に対しても深く頭を下げた。
「あ、ありがとうございます、雪さん! 流石は持子様、圧倒的な寛大さです! これでまた新しい『下僕』が増えましたね!」
鮎もコロッと態度を変え、再び恍惚とした表情で持子を見つめ直した。
かくして、花の都パリの地下深くで繰り広げられた狂気の夜は幕を閉じた。
最強の異端審問官をねじ伏せ、世界的コングロマリットの女帝を再び狂信的な「新しい仲間(臣下)」として迎え入れた持子。
彼女の背負う闇の覇道は、ヨーロッパの裏社会をも巻き込み、さらに強大に、そしてさらに華やかに加速していくのだった。




