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第三章:光の処刑場(カタコンベ) (イラスト有り)

第三章:光の処刑場カタコンベ


パリの地下深くに広がる、全長数百キロにも及ぶ巨大な地下迷宮。

かつて六百万人もの遺骨が納められたという世界最大の地下墓所カタコンベは、ひんやりとした湿気と、数百年分の重い沈黙に包まれていた。

本来ならば観光客が決して足を踏み入れることのできない最深部の非公開エリア。そこに、煌々とした撮影用の照明が焚かれていた。

リュクス・アンペリアルが極秘裏に手配したとされる「アヴァンギャルドな美と死の対比」をテーマにしたメインビジュアル撮影。そのセットの中心に、恋問持子は立っていた。


「……おい雪。いくら『リュクスの極秘撮影』とはいえ、この衣装はいささか攻めすぎではないか?」


持子は、薄暗い地下墓所の冷気にわずかに肩をすくめながら、自身の纏う衣装を見下ろした。

イタリアの巨匠が「究極の美」をテーマに、持子のためだけに仕立て上げたというそのドレスは、布地という概念を極限まで削ぎ落とした、あまりにも前衛的な代物だった。

極限までくびれたウエストや、重力に逆らう豊かな胸元の頂を辛うじて覆うのは、ほんの数枚の最高級シルクの切れ端のみ。それらを、色とりどりの極彩色の宝石が散りばめられた極細のチェーンで繋ぎ合わせているだけという、一歩間違えればただの裸体よりも扇情的な「歩く芸術品」である。

神が設計図を引いたとしか思えない持子の黄金比ゴールデンバランスのプロポーションが惜しげもなく剥き出しにされ、動くたびに極彩色の宝石が白磁の肌の上で妖しく煌めいた。


「文句を言わない。リュクスの女帝、エレーヌ・リジュ直々のご指名の衣装よ。あんたのその日本人離れしたプロポーションと美貌なら、下品にならずに完璧な芸術として着こなせるという、向こうの絶対的な信頼の証なんだから」


雪はタブレットから目を離さず、眼鏡の奥で冷静な光を光らせながら淡々と返す。

その横では、ピンク髪の鮎が両手で顔を覆いながら、指の隙間から眼球を血走らせて持子を凝視していた。


「あぁぁっ……! 素晴らしいです、持子様! その素肌に宝石の鎖を這わせただけのような……いえ、神々しいまでの芸術的なお姿! 薄暗い骸骨の壁を背景に、極彩色の光と白磁のお肌が浮かび上がって、まるで冥界に君臨する美の女神……ッ! 雪さん、私、鼻血が止まりません! この最高の被写体を前にして、カメラに収められないのが口惜しいですぅぅッ!」


「鮎さん、鼻にティッシュ詰めなさい。これから本番よ」


その時、撮影スタッフの腕章をつけた大柄なフランス人男性が、雪と鮎の前に立ち塞がった。


「マドモアゼル。ここから先の最深部エリアは、機材とモデルのみの入場となります。マネージャーとアシスタントのお二人は、あちらのモニタールームで待機をお願いします」


「……ええ、分かったわ。持子、気を抜かずに最高の絵を撮ってきなさい。終わったら、温かいカフェオレを奢ってあげるから」


「ふん、魔王たるこのわしに死角などないわ。待っておれ」


雪と鮎がモニタールームへと案内され、完全に分断されたのを見届けると、持子は一人、骸骨が壁一面に埋め込まれた不気味な最深部へと足を踏み入れた。


コツン、コツンと。


持子のハイヒールが石畳を叩く音だけが、地下墓所に反響する。

指定された撮影ポイントには、カメラマンも、照明スタッフもいなかった。

ただ、冷たい死の匂いだけが充満している。


「――待ちわびたぞ、極東の魔女」


突如、骸骨の壁の奥から、低く冷ややかな声が響いた。

暗闇の中から姿を現したのは、純白の法衣と軍服を掛け合わせたような異質な装束を纏う、長身の女だった。

身長一八〇センチ。細身でありながら鋼のように鍛え抜かれた筋肉質の肉体。月明かりを溶かしたような銀髪を厳格に結い上げ、氷のように冷酷な灰色の瞳が、持子を真っ直ぐに射抜いている。

ヨーロッパの裏社会で恐れられる最強の異端審問官、『聖女』ベアトリス・ド・ロシュフォールである。

彼女の後ろからは、撮影スタッフに変装していた武装集団が、無言でアサルトライフルを構えて姿を現した。


挿絵(By みてみん)


「ほう……? 撮影のスタッフにしてはいささか物騒な玩具を持っておるな。リュクスのアヴァンギャルドとは、随分と命がけの芸術らしい」


防具とは到底呼べぬ豪奢な装いのまま、持子は黄金の瞳を細め、余裕の笑みを浮かべた。


「減らず口を叩くのも今のうちだ、悪魔の雛め。貴様のその異常なまでの『闇』の臭い……この神聖なるヨーロッパの地を汚す前に、この異端狩りの聖女ベアトリスが、主の御名において完全に浄化してやろう」


ベアトリスが冷酷に右手を振り下ろした瞬間、武装集団の銃口が一斉に火を吹いた。


ダダダダダダッ!!

狭い地下空間に、鼓膜を劈くような銃声が轟く。数十発の凶弾が、無防備な持子の肉体へと殺到した。

しかし――。


「……なまら、退屈な歓迎だ」


持子は一切の焦りを見せず、フッと息を吐いた。

彼女の足元から、常人には見えない漆黒のモヤ――『闇の魔力』が爆発的に膨れ上がり、物理的な結界となって弾丸を空中で静止させた。


「な、何ッ!?」


驚愕する武装集団。だが、彼らはただの素人ではない。即座にアサルトライフルを投げ捨てると、腰に帯びた直刀を一斉に引き抜いた。


「聖剣抜刀!!」


「異端の魔女に死を!」


怒号と共に、四方八方から屈強な男たちが白刃を煌めかせて斬りかかってくる。


「ふふっ、良いぞ! 余興にはちょうどいいべさ!」


持子は肌を飾る極彩色の宝石を揺らし、楽しげな笑い声を上げた。

迫り来る刃の群れに対し、持子は滑るような『体捌き』で、まるで円舞を踊るかのように刃の間をすり抜けていく。

先頭の男の突きを半身になって躱し、その腕をふわりと優しく捕らえると、円の動きで相手の力を導き、首根っこを刈るように投げる――『入身投げ』。


「ぐあッ!?」


間髪入れずに背後から振り下ろされる刃には、くるりと独楽のように体を転換させて死角に回り込み、手首を極めて投げ飛ばす――『四方投げ』。


「があぁぁッ!」


幼少期に高倉師匠から叩き込まれた古流武術、『合気武道』。

持子の白く細い腕が触れるたび、メキィッ! という嫌な音と共に、巨漢たちがまるでおもちゃのように宙を舞い、石壁へと次々に叩きつけられていく。

圧倒的な暴力の連鎖。しかし、それを為す持子の顔には、無邪気で楽しげな笑みが浮かんでいた。


「ちっ……。所詮は只の人間か。下がっていろ、ゴミ共が」


自らの部下が瞬殺されても、ベアトリスの灰色の瞳には一切の動揺がなかった。彼女は傲慢に一歩前へと歩み出ると、右手を虚空に掲げた。


「貴様がどれほど濃密な闇の魔力を持っていようと、この私には通じない。神の奇跡を知れ」


カッ!!

ベアトリスの掌から、眩いほどの純白の光が溢れ出した。それは瞬く間に収束し、圧倒的な高熱と魔力を放つ一本の「光の槍」となって彼女の手に握られた。


「消し飛べ、汚らわしい闇よ!!」


ベアトリスが光の槍を横凪ぎに振るう。

その一撃は、周囲の分厚い石灰岩の壁と無数の骸骨を、まるで豆腐のように音もなく真っ二つに切り裂きながら、持子へと迫った。

だが、持子はその圧倒的な光の刃を前にしても、微動だにしなかった。


「……薄っぺらいな」


持子の黄金の瞳が、絶対的な王の威厳を持って見開かれる。


「貴様のその光は、ただ狂信に身を委ね、自分に酔っているだけの、薄っぺらい光だ。そんなもので、この魔王の闇を灼き尽くせると思ったか?」


持子が右手をスッと前に出すと、彼女の周囲に渦巻いていた漆黒の闇の魔力が、極彩色の光を帯びて一点に収束し始めた。

その荒れ狂う漆黒の闇の中心には、決して揺らぐことのない、神々しいまでに『白く輝く光の芯』が通っていた。正月の氷川神社で、巫女・風間楓との命がけの『合舞』の果てに獲得した、真なる光と闇の融合の極致である。


ドゴォォォォンッ!!


ベアトリスの「光の刃」と、持子の「光の芯を通した極彩色の闇」が正面から激突する。

地下墓所全体が激しく揺れ、舞い上がった粉塵の中で――ベアトリスの光の槍は、持子の深い闇に飲み込まれ、呆気なくパリンとガラスのように粉砕された。


「ば、馬鹿な……私の、神の奇跡が……ッ!?」


驚愕に目を見開くベアトリス。

だが、その硬直は致命的だった。


「隙ありだべさ」


粉塵を切り裂き、ベアトリスの絶対的な死角から、持子が音もなく滑り込んできた。

咄嗟に迎撃しようと、ベアトリスが左腕を鋭く振るう。だが、持子はその左手首の内側へ、まるで吸い込まれるように自らの両手を這わせた。

高倉師匠直伝の合気武道――『内小手』。


「ガ、ァァッ……!?」


手首の関節と筋を極限の角度で極められ、ベアトリスの口から悲鳴が漏れた。

鋼のように鍛え抜かれた一八〇センチの肉体を支える神経が、手首からの激痛によって完全にショートする。たまらず膝がカクンと抜け、ベアトリスの長身が石畳へと沈み込んだ。

ガクン、と崩れ落ちたベアトリスの顔が、持子の胸元の高さまで下がる。

その瞬間――二人の視線が、至近距離で完全に交錯した。


「……ぁ……」


ベアトリスの灰色の瞳に、持子の「黄金の瞳」が真っ直ぐに突き刺さる。

そこに映っていたのは、薄暗い地下墓所にあってなお、自発光しているかのように神々しい絶世の美貌。僅かな絹と宝石の連なりから惜しげもなく晒された、生めかしい白磁の肌の耀き。

それは、ベアトリスがこれまで生涯をかけて狩ってきた、どの吸血鬼よりも、どの悪魔よりも恐ろしく――そして、狂おしいほどに美しかった。


(な、なんだ……この、圧倒的な、存在は……)


絶対的な王としての『恐怖』。

人智を超えた力への『畏怖』。

そして、前世の貂蝉から引き継いだ、魂を狂わせる『美しさ』。

それらが渾然一体となった覇気を真正面から浴び、ベアトリスの思考は完全に停止した。強固な岩山ロシュフォールと呼ばれた彼女の薄っぺらい狂信が、魔王の美の暴力の前にガラガラと音を立てて崩れ去っていく。

完全に固まり、息すら忘れたベアトリスに対し、持子はゆっくりと右手を伸ばした。


「……こんなに美しい顔を、血で汚すのは野暮というものだ」


持子の白く冷たい右手が、膝をついたベアトリスの頬を、まるで愛しい臣下を慈しむかのように優しく包み込んだ。

恐怖と、相反する甘美な恍惚に、ベアトリスの体がビクンと震える。

だが、持子の眼差しは冷徹な魔王のそれだった。


「ひれ伏せ。偽りの聖女よ」


頬に添えた右手を、天高く突き上げる(天)。

そして、内小手に極めた左手首を、地の底へと引きずり下ろす(地)。

天と地、二つの相反するベクトルを同時に、かつ完璧なタイミングで相手の重心に叩き込む、合気武道の技。


――『天地投げ』。


「あ、ぁぁッ……!!」


ベアトリスの一八〇センチの長身が、独楽のように宙を舞った。

抵抗する術すら与えられず、彼女の体は地下墓所の冷たい石畳へと、受け身を取る暇もなく背中から激しく叩きつけられた。

ドンッ!! という重い音が響き、肺からすべての空気が吐き出される。

致命傷ではない。持子は、最初から彼女を殺す気など微塵もなかったのだ。ただ、その心と肉体に「絶対的な格の違い」を分からせただけ。

仰向けに倒れ、天井の暗闇を見つめながら荒い息を繰り返すベアトリス。彼女の灰色の瞳には、もはや異端審問官としての傲慢な光はなく、ただ圧倒的な敗北感と、魔王への畏怖だけが焼き付いていた。


「……真の光と闇の格の違い、しかと骨の髄まで味わったか?」


極彩色に煌めく宝石の鎖と、夜の闇を纏いながら。

持子は、地に伏した銀髪の美女を冷たく見下ろす。


(……それにしても。あの巫女、風間楓の方が百倍怖いわ。いや、千倍だな。こいつなど、まったく比べものにならんべさ)


極寒の滝行や真剣を用いた死闘など、文字通り命がけの過酷な修行を強いてきた最強の後輩の顔を思い出し、持子は冷徹な王の表情の裏で、密かに苦笑いを浮かべていた。

花の都の地下深く、冷たい光の処刑場で。

狂信の聖女は、極黒の魔王の前に、完全なる敗北を喫したのだった。



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