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『鎮守の森の鎮魂――魔王、罪を抱いて夜明けへ』

第二十四章:鎮守の森と、最後の神術【鎮魂】


一月二十一日。地獄のような軟禁修行も、ついに七日目を迎えていた。

氷川神社の奥深く。人の立ち入りを拒むかのように木々が鬱蒼と生い茂る、現実と異界の境界線――『鎮守の森』。

真冬の深夜、凍てつくような冷気の中、わしたち三人は純白の道着と白袴に身を包み、冷たい土の上に正座していた。

中央に立つのは、緋色の袴を揺らす巫女、風間楓。

昨日、己自身を斬り殺すという【刀】の試練を経て、わしたちの魂にこびり付いていた魔王の腐臭は断ち切られた。だが、それはあくまで『黄泉からの支配』を断ったに過ぎない。


「これより、最後の神術【鎮魂ちんこん】の儀を行う」


楓の静かで、しかしどこか悲壮感を帯びた声が森に響いた。


「お前たちがこれまで喰らい、あるいは過去世において蹂躙し、奪ってきた数多の命。その怨嗟を鎮め、負の魔力をただの力ではなく『背負うべき命の重さ』へと変える。……これは戦いではない。慈悲と覚悟の最終儀式だ」


わしの中身は、三国志の時代に洛陽を焼き払い、無数の血を啜った暴君・董卓である。

そして鮎と美羽は、わしに従属して以来、夜の街で数多のあやかしや呪いを喰らい、その魔力を簒奪さんだつしてきた。

わしたちが『圧倒的な光』を纏うためには、その光の裏に沈む、途方もない数の犠牲者たちの声に、真っ向から耳を傾けなければならないのだ。


「……始めるぞ」


楓が神楽鈴を天高く掲げ、低く、深く、鎮魂の祝詞のりとを奏上し始めた。

その瞬間。

――ギシッ。

世界が、軋む音を立てた。



✲阿鼻叫喚の地獄と、絶対的理解者スノーの幻影


「なっ……!?」


わしの視界で、森の色彩が完全に『反転』した。

黒い夜空が白くひび割れ、木々の緑が赤黒い血の色に染まる。

そして、大地の底から、鼓膜を破り、脳髄を直接掻き回すような数万の怒号と絶叫が噴き出してきたのだ。

『呪ってやる……!』


『熱い、熱い熱い熱い熱いッ!! なぜだ、なぜ俺たちを殺した!!』


「ぐ、あぁぁぁっ……!!」


わしは頭を抱え、冷たい土の上に這いつくばった。

夜界で屠ってきた妖やバケモノたちの怨念など、どうということはない。奴らは元より闇に属する存在であり、喰らい尽くすことに一切の罪悪感など湧きはしない。

刃を交えて死んでいった兵士や、権力闘争の末に毒を飲ませた政敵の怨嗟も、まだ耐えられる。「戦いの果ての死」だからだ。

だが、今わしの全身にへばりついてきているのは、そんな生易しいものではなかった。

かつて魔王・董卓として洛陽に火を放ち、蹂躙し、無差別に殺戮した『無辜むこの民』の怨嗟。


『おかあさん……おかあさん、どこ……っ、あついよぉ……っ!』


『返せ! 娘を返せェェェッ! この悪魔めェェッ!!』


焼け焦げた真っ黒な小さな手が、わしの純白の道着を掴む。

皮膚が爛れ、眼球が溶け落ちた女が、わしの足首にすがりつき、呪詛を吐き出しながら這い上がってくる。

逃げ惑う老人たちが背中から炎に包まれ、炭と化していく光景が、フラッシュバックのように脳内を焼き尽くす。

ジュゥゥゥッ……!! という皮膚が焦げる擬音と、死臭、焦げた肉の匂いが肺を満たし、わしの魂を物理的に削り取っていく。


「あぁ……ああああぁぁっ……!」


これが、わしの背負っていた業。これが、人を殺すということの重さ。これが、魔王の本当の罪……!


「あ、ああぁぁ……嫌だ、持子様、熱い、体が焼けるぅぅっ!」


隣で、鮎が絶叫を上げた。

わしの魂から溢れ出したドス黒い罪の業火が、共犯者である彼女たちにも容赦なく飛び火したのだ。これまで調律者として己を保とうとしていた鮎だったが、数万の怨念と火焔の奔流を前に、自我の境界線が崩壊しかけていた。白目が剥き出しになり、黒く焦げた亡者たちの腕に全身を引きずり込まれようとしている。


「いやぁぁぁっ! 離して、離しなさいよォォッ!!」


泥棒猫である美羽も、全身を焼かれるような幻痛に身を捩りながら絶叫した。


「私から……私がやっとポッケに入れたモノ(持子様の影)を、奪わないで……ッ! こんな名もなき亡霊なんかに……!」


美羽は必死にわしの腕にすがりつこうとするが、新参者である彼女の魂は、魔王の過去の業のあまりの重さと痛みに耐えきれず、白目を剥いて意識が混濁し始めていた。

わしも、鮎も、美羽も。

数万の無辜の民の怨嗟という、底なしのドス黒い泥と業火の海に、完全に引きずり込まれようとしていた。

呼吸ができない。自我が、熱と痛みに溶けていく。


(……ここまでか。わしは、己の罪に喰われて消えるのか……)


暗闇に沈みかけた、絶体絶命のその時だった。


『――持子さん。鮎さん。美羽さん』


真っ暗な視界の奥底。

怨念の炎すらも届かない、魂の最深部に、一筋の清冽な『光』が差し込んだ。


(……え?)


目を見開いたわしの前に現れたのは、ここにいるはずのない人物。

眼鏡の奥の優しい瞳。凛としたスーツ姿。そして、どんな異常事態でも決して揺るがない、絶対的な包容力を纏った女性。

わしたちのプロデューサーであり、親友であり、母のような絶対的理解者――立花雪の幻影だった。


『あなたたち、こんなところで何をしているの?』


雪の幻影は、怨念の泥にまみれるわしたちを前にしても、一切表情を変えることなく、いつものように呆れたように、けれど果てしなく温かい声で微笑みかけた。


『帰っていらっしゃい。私はあなたたちの全てを肯定するって決めたのよ。……スノーの社長として、私の自慢のタレントたちが、こんな泥の中で立ち止まることは許さないわ』


その声は、物理的な音ではない。

わしたちの無事を強く、強く祈り、信じて待っている『雪の心』そのものが、時空を超えてわしたちの魂に干渉してきたのだ。


「……雪……」


わしの胸の奥で、消えかけていた炎が再び熱を帯びた。

そうだ。わしには、帰る場所がある。わしの業を「そのままでいい」と丸ごと抱きしめ、共に天下を獲ると誓ってくれた、絶対的な『光』が待っているのだ。


「あ、雪さん……」


「社長……」


混濁していた鮎と美羽の瞳にも、雪の幻影の光が届き、かすかに理性の色が戻る。

雪の絶対的肯定の光が、わしたちを縛る亡者たちの泥を、ほんの少しだけ押し除けた。



✲魔王の涙と、真の浄化


「逃げるな、持子ッ!!」


雪の光に導かれ、顔を上げたわしの耳に、現実世界からの楓の鋭い叱咤が飛び込んできた。


「刀はもうない! 斬り捨てるな! その怨嗟の重みこそが、お前が理不尽に奪った『命』そのものだ! 真正面から受け止めろ!!」


(……そうだ)


わしは、幻影の雪に向かって一度だけ力強く頷くと、己にすがりつく亡者たちへと視線を戻した。

暴君として生きた過去。己の欲望のために、どれだけの命を無慈悲に焼いたか。

その罪の重さから目を背け、強さだけで塗り潰してきたこの圧倒的な暴力の歴史。

だが、もう剣を振るって彼らを切り捨てることはできない。いや、してはいけないのだ。わしが彼らを切り捨てれば、わしを待つ雪の想いまで裏切ることになる。

わしは、押し寄せる数万の亡霊たちに向かって、両手を大きく広げた。

丸腰の心。全ての防御を捨て、彼らの怒り、悲しみ、絶望、そして焼かれるような痛みを、己の魂の奥底へと真っ向から迎え入れる。


「熱かったな……。痛かったな……」


ジュゥゥゥッ……!


亡者たちの手がわしの肌を焼き、霊的な激痛が全身の神経をズタズタに引き裂く。だが、わしはそれに抗わず、むしろ彼らの焼け焦げた小さな体や、爛れた腕を、強く抱きしめるように力を込めた。


「……なまらすまぬな」


わしの頬を、とめどない熱い涙が幾筋も伝い落ちた。


「お前たちの無念、お前たちの痛み……この恋問持子が、一生かけて背負ってやるべさ」


――ドンッ!!


わしが涙と共にその怨嗟のすべてを『受け入れた』瞬間。

世界を覆い尽くし、わしたちを焼き尽くそうとしていたどす黒い闇と炎が、ピタリと動きを止めた。


「ひふみよいむなやここのたり……布瑠部、由良由良止、布瑠部……!」


楓の奏上する癒やしの言霊が、鎮守の森に響き渡る。

次の瞬間、わし、鮎、美羽の体内から噴き出していた黒い泥と炎の呪縛が、眩いほどの『白く輝く光の粒』へと変質した。

すがりついていた焼け焦げた子供や老人たちの顔から苦痛が消え、静かに光へと溶けていく。

怨念は浄化され、雪のようにキラキラと輝きながら、冬の夜空へと静かに吸い込まれていった。

反転していた森の色彩が元に戻り、刺すような冷気の中に、清浄で優しい風が吹き抜けた。



✲ツンデレの幕引きと、隠された人形ひとかた


「……終わったぞ」


神楽鈴を下ろした楓が、静かに息を吐いた。

わしたち三人は、泥と煤にまみれた純白の道着のまま、肩で息をしながら顔を見合わせた。

体内にあった鉛のような重さも、焼け付くような幻痛も跡形もなく消え去り、瞳の奥まで澄み渡るような、圧倒的な解放感に包まれていた。憑き物が落ちるとは、まさにこのことだ。

過去の罪は消えない。だが、それを背負って生きるだけの『器』が、今のわしたちにはあった。

楓は、わしたちの顔を一人ずつ確認すると、修行中にはただの一度も見せなかった、……花が咲くような柔らかな笑顔を浮かべた。


「よく、耐え抜いたな」


「か、楓さぁぁぁんっ!!」


「うわぁぁぁん! 本当に死ぬかと思ったわよぉぉ!」


その笑顔を見た瞬間、緊張の糸が切れた鮎と美羽が、弾かれたように楓に飛びつき、その首に縋り付いて号泣した。


「なっ、こら、やめろ! 馴れ馴れしい! 私はお前たちとは、別に馴れ合うつもりは……こら、神聖な巫女装束に鼻水をなするなッ!」


顔を真っ赤にして二人を引き剥がそうとする楓。だが、その手は決して二人を強く突き飛ばすことはなく、不器用に彼女たちの背中をポンポンと叩いていた。

わしたちが安堵の涙を流し、互いの無事を喜び合っているその死角で。楓は、三人に決して悟られないよう、密かに土の上へと手を伸ばしていた。

そこにあったのは、真っ黒に炭化し、端がボロボロに崩れ落ちた三枚の和紙――陰陽師が呪いや厄の身代わりとして用いる呪術道具、『人形ひとかた』。


(まさか、本当に『あれ』を使うことになるとはな……)


楓は誰にも聞こえないほどの小さな息を吐き、掌の上の炭と化した和紙を見つめた。数万の怨嗟の業火を肩代わりしたその残骸は、普通の術者が作れば燃え尽きるどころか呪い殺されてもおかしくない代物だ。

それは儀式に入る前、もし三人が耐えきれず壊れそうになったらこれを使ってほしいと、ある人物から密かに託されていたものだった。ただし、まだ知らせる時ではないから本人たちには絶対に内緒で、という条件付きで。

ただの人間には作れるはずもない、この規格外の身代わり札を事もなげに渡してきたその人物の顔を思い浮かべながら、楓は手品のような手つきで焦げた人形を回収し、そっと懐の奥深くへと隠した。

それは、持子たちの境界線をギリギリで守り抜いた、誰にも知られてはならない「裏の保険」だった。

そんな事とは露知らず、(……カカカ。なまら可愛いツンデレ巫女だべさ)と心の中で笑いながら、わしは涙の跡を乱暴に拭って立ち上がった。そして、夜明け前の空を晴れやかな気持ちで見上げた。



✲祈りの帰還と、新しき覇道の夜明け


鎮守の森を抜け、氷川神社の長い石段を下りていく。

視界が開けた一番下にある鳥居の前には、見慣れた黒の高級車が停まっていた。

車のそばに立ち、手で白い息を温めながらわしたちを待っていたのは――幻影ではない、現実の立花雪だった。

彼女はきっと、わしたちが修行に入ってから七日間、ずっとこの麓で、待ち続けてくれていたのだろう。


「雪……!」


わしたちが石段を駆け下りると、雪はゆっくりと振り返った。


「雪ッ……! 貴様に、助けられた!」


わしは雪の前に立つなり、たまらずそう叫んだ。


「ああ、雪社長がいなかったら、私たち今頃怨霊に喰われてましたぅぅ!」


「最後の最後で、社長の声が聞こえたんです……ッ!」


鮎と美羽も、泥だらけの道着のままボロボロと泣きながら雪の言葉に同意する。


「えっ……?」


わしたちの必死の言葉に、雪はきょとんと目を丸くした。


「助けたって……私、何もしてないわよ? あなたたちが心配で、ずっとここで車の中で待ってただけだけど……?」


雪には、わしたちがどれほどの地獄(魔力や怨霊の海)をくぐり抜けてきたか、視えてはいないはずだ。彼女にとっての現実は、ただ「タレントたちが山にこもって修行をしている」という事実だけ。己の祈りが時空を超えて幻影となり、わしたちの魂の深淵に届いたことなど、知る由もないのだから。

だが。


「……まあ、よく分からないけど」


雪は、泥だらけで涙を流すわしたち三人の頭を、順番に優しく撫でた。

その時、遅れて石段を下りてきた楓が、静かにわしたちの後ろに立った。

雪はわしたちの頭を撫でる手を止めず、ふと視線を上げ、楓と一瞬だけ目を合わせた。

楓は何も言わず、ただわずかに顎を引き、小さく一度だけ瞬きをする。

それを見た雪の瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、ただの一般人にはあるまじき底知れぬ安堵と……鋭く冷たい光が宿ったように見えたが、それはすぐにいつもの温かな微笑みにかき消された。


「無事に終わったのね。……よかったわ。おかえりなさい、みんな」


「あ……」


その瞬間。

わしの胸の奥から、言葉にならない熱いものが込み上げてきた。鮎も美羽も、雪のその無防備で日常的な、どこまでも深い愛情に触れ、声を出して泣き崩れた。

そうだ。この人は、オカルトや魔力なんて知らなくてもいい。

ただ「よかった」と微笑んでくれる、その無垢で絶対的な肯定こそが、魔王や獣たちの魂をこの現世に繋ぎ止める、最強の魔法なのだから。


(……やはり、この女の隣こそが、わしの居場所だ)


わしは涙を拭い、雪の温もりに深く癒やされながら、ゆっくりと立ち上がった。

* 魂の底から業を昇華させ、罪の重さを背負う真の器を手に入れたわし。

* 調律者として魔人の力を手なずけ、強靭な錨となった鮎。

* 怨念の炎を耐え抜き、わしたちを現世に繋ぎ止めた美羽。

* 命を削ってわしたちを導き、人としての境界線を守り抜いてくれた楓。

* そして、何を知らずともわしたちを丸ごと肯定し、愛してくれる絶対の親友(軍師)、雪。

ここに、規格外の怪物たち――五人の絆が、完全に一つとなったのだ。


「カカカカッ! 当然だべさ!」


わしは、明け方の冷たい風に豪奢なコートを翻し、不敵に笑い放った。


「古い魔王は死んだ! わしたちの本当の覇道は、ここから始まるのだ!!」


冬の夜空が白み始め、東の空から新しい太陽が昇り来る。

圧倒的な光と、それを支える強靭な影たち。

五人の少女たちは共に肩を並べ、誰も見たことのない『新しき覇道』へと、力強い一歩を踏み出したのであった。


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