『恐怖でなく愛されたい魔王の学園覇道録』(イラスト有り)
書き直し〜
✴︎魔王、楽園に舞い降りる
「……ふむ。悪くない、どころか最高ではないか」
私立聖ミカエル学園、芸能科棟。
校門をくぐった瞬間、恋問持子の鼻腔をくすぐったのは、硝煙の臭いでも血の香りでもない。それは、甘いシャンプーと高級な香水の混ざり合った、芳醇な**「女子高生の香り」**であった。
「おお、おおお! これは何だ! 長安の時とは大違いではないか!」
持子の黄金色の瞳が、欲望に忠実な覇者のそれに輝く。
この学園の芸能科は、テレビや雑誌で活躍する若きタレントたちが集う特別な学び舎だ。校内はまさに美の祭典。右を見れば国民的アイドル級の美少女が、左を見れば次世代のスター候補が、瑞々しい肢体を制服に包んで闊歩している。
「きゃあああっ! 持子さま、今日もすっごく綺麗!」
「髪の毛とぅるとぅる……っ! あの、触ってもいいですかぁっ!?」
「わ、私にも持子ちゃんの匂い嗅がせてーっ!」
廊下を歩けば、たちまち色とりどりの花が咲き乱れるように、可憐な女子生徒たちが群がってくる。
「うむ、苦しゅうない! 許可するぞ、わしの美貌を存分に愛でるがよい!」
傲岸不遜に胸を張りながら、わしの内なる魂は歓喜の舞を踊っていた。
(なまら、幸せだべさ……っ!)
柔らかい手がわしの黒髪を梳き、いい匂いのする美少女たちがわしを持ち上げ、讃えてくれる。この一点の曇りもない純粋な好意。心の底から湧き上がるような、本物の熱狂。
かつて、前世のわし――魔王・董卓に向けられていた称賛とは、天地ほどの差があった。
長安や洛陽の宮廷で、民衆や百官はわしを讃えた。だが、彼らの顔は恐怖で引き攣り、額からは冷や汗が滝のように流れていた。後宮の女たちもそうだ。嫌がれば殺されると知っているからこそ、必死に作り笑いを浮かべ、すり寄ってきたのだ。
(あぁ……わしは、気づいていたのだ)
暴君として振る舞いながらも、自分に向けられるのが『恐怖』と『憎悪』だけであることなど、とうの昔に気づいていた。だが、気づかないふりをして、己の覇道を進むしかなかった。
数少ない心を許せる李儒をはじめとする忠臣たち、そして――貂蝉。
彼女だけは、わしを嫌がらなかった。愛し、愛された。わしは世界中から嫌われていたからこそ、他人が放つ『嫌悪の空気』には、誰よりも敏感なのだ。
だからこそわかる。今、わしを囲むこの美少女たちからは、恐怖も打算も、微塵も感じられない!
「持子さま、お肌すべすべぇ……」
「ふふふ、もっと撫でるがよいぞ。わしは寛大だからな!」
デレデレと頬を緩ませ、わしは女子高生という名の天使たちとのスキンシップを心の底から堪能していた。
「あ、あの……持子さん、おはよう……!」
不意に、野太い声が甘ったるい空気を切り裂いた。
見れば、ひとりの男子生徒が、頬を赤らめながらこちらを見つめている。その目には、明らかに『女』としてわしを欲情の対象として見る、オス特有のエロい好意が浮かんでいた。
ゾワァァァァッ……!!
「ヒィッ……!? ち、近づくなァーーッ!!」
わしは弾かれたように後退りし、無意識のうちにすさまじい殺気と威嚇を放っていた。
「ひぃっ!?」
魔王の覇気をまともに浴びた男子生徒は、腰を抜かさんばかりに怯え、脱兎のごとく逃げ去っていった。
(はぁ、はぁ……あぶ、なまら危なかった……)
冷や汗を拭う。無理もない。わしの器は絶世の美女だが、中身はゴリゴリの漢、董卓なのだ! 男から向けられる粘着質な欲情の視線など、生理的な嫌悪と恐怖が先立つに決まっている!
「もう、男子ってばデリカシーないんだから!」
「持子さま、大丈夫ですか? 私たちが教室までお守りして連れて行きますね!」
「う、うむ……! 頼む……えへへ……」
わしは再びデレデレにとろけた顔になり、ナイトのように両脇を固めてくれる美少女たちに連れられて、フワフワとした足取りで教室へと向かった。
――やがて、ホームルームの時間。
教室の扉が開き、担任の影安先生が淡々とした足取りで教壇に立った。どんな問題児の集まりにも動じない、事務的で冷静な教師だ。
「久しぶりですね、恋問さん」
影安先生は、出席簿から目を上げ、抑揚のない声で言った。
「ちゃんと登校してね」
その『普通の生徒』に向けられるような何気ない言葉に、心の底から嬉しくなった。
わしは立ち上がり、黄金色の瞳を輝かせて、とびきり満面の笑みで返事をした。
「はいっ!!」
それは、授業が始まる前の……魔王にとって、ひとときの、最高に幸せな時間であった。
✴︎魔王、未知の呪術(数学)とミミズ文字(英語)に散る
「……なまら、頭が痛いだべさ……」
私立聖ミカエル学園の芸能科、高校二年生の教室。
窓から差し込むうららかな陽光とは裏腹に、わし――恋問持子の脳内には、重く立ち込める暗雲が渦巻いていた。
前世において、圧倒的な暴力で天下を蹂躙した魔王・董卓の魂を持つこのわしが、まさか現代の「学業」という見えない敵にこれほどまで追い詰められるとは。
己の知力を冷静に分析してみる。
国語は、まだいい。漢字の読み書き程度なら、なんとかなる。
古文も、昔の言葉の響きにはどこか馴染みがあり、フィーリングで何となく理解できる。
だが……問題はそれ以外だ。
算数と呼ばれる「足し算・引き算・掛け算・割り算」までは理解できた。しかし、それが「数学」へと進化した瞬間、未知の世界へと変貌を遂げたのだ。サイン、コサイン、エックスにワイ……。なぜ数字のなかにアルファベットが混ざるのか! あんなものは、いかなる軍略よりも難解な呪術である。
断固として拒絶する!
その他大半の授業も、軒並みボロボロであった。
そして現在、わしは最も恐れていた時間の真っ只中にいた。
英語の授業である。
「では次、恋問。この段落を和訳してみてくれ」
「…………ッ!」
教師の無慈悲な指名に、わしの華奢な肩がビクッと跳ねる。
恐る恐る教科書に視線を落とすが、そこに並んでいるのは、ただのウネウネとしたミミズ文字にしか見えない。
(読めぬ……! なにが書かれているのか、サッパリわからんだべさ……!)
闇の魔力で他者の精気を吸収することはできても、教科書の知識を吸収することはできない。わしの脳髄が、許容量を超えてバチバチとスパークを起こし始めた。
絶世の美女・貂蝉に生き写しの容貌を持つわしが、冷や汗を流し、血の気の引いた唇を震わせて立ち尽くす。
答えられない。どうにもならない。
覇王としてのプライドが、音を立てて崩れていく。悔しい……!
「ぷっ、あはははっ!」
静まり返った教室に、無遠慮な嘲笑が響き渡った。
声の主は、クラスメイトのヤンチャな男子生徒、吉田だ。
「なんだよ持子、そんな簡単なのも読めねーの? 観賞用の人形に知性なんてねーか!」
ピキッ、と。
わしの中で、何かが断裂する音がした。
前世で天下に号令したこのわしを、単なる「顔だけの女」扱いだと? 殺意が、どす黒いマグマのように腹の底から湧き上がってくる。
だが、わしが怒りに任せて魔力を解放するよりも早く、教室の空気が変わった。
「は? 吉田、あんた何様なの?」
「持子さまを馬鹿にするなんて最低!」
「顔がいいだけで十分でしょ! 持子ちゃん、あんな奴の言うこと気にしないで!」
クラスの大半を占める女子生徒たちが、一斉に吉田を鋭く睨みつけたのだ。
彼女たちの同情的で熱烈な擁護に、吉田は「うっ……」と怯み、そそくさと視線を逸らした。
(……ふん。雑兵の戯言など、痛くも痒くもないわ)
強がりを心の中で呟きながらも、わしはそっと息を吐き出した。
みんなの優しさは、なまら胸に沁みる。だが、圧倒的な覇王であるはずの自分が、学業という壁の前ではただの無力な乙女になってしまう事実は変わらない。
わしは静かに席に座り、こぶしを白くなるほど強く握りしめた。
(覚えておれ、吉田……そして英語め。いつか必ず、この屈辱を晴らしてやる……!)




