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『氷川神社の夜は更けて。魔王様、美しすぎる天敵と出会う』

✴︎氷川の神域、そして神事の幕開け


澄み切った神楽鈴の音が、開戦の合図のように境内に鳴り響いた後。

一行は宮司である風間助平の案内に従い、厳かな祈祷の準備へと移った。


「さて、まずは受付だわ。持子さん、鮎さん、美羽さん、粗相のないようにね」


雪が手際よく社務所の窓口へと向かう。彼女は慣れた手つきで祈祷の申し込み用紙に『株式会社スノー』と流麗な文字を走らせた。祈願の項目には、欲張ることなく「商売繁盛」「必勝祈願」、そして「年賀祈祷」の三つに丸を付ける。


「宮司さん。本日はよろしくお願いします。ほんの気持ちですが、お納めください」


「おお、雪さん。すまんな」


雪が差し出したのは、分厚い祝儀袋に包まれた玉串料――きっちり三十万円――と、木箱に入った最高級の奉献酒である。

そのあまりにスマートな大人の対応に、後ろで控えていた美羽が「ひぇっ、三十万……私の借金の一割……」と小さく呟き、鮎が「雪社長の財力と手回し、さすがですぅ!」と尻尾を振った。


(ふん。わしの軍師プロデューサーなのだ。これしきの兵站へいたん管理、当然だ)


持子は雪の頼もしい背中を見つめ、誇らしげに鼻を鳴らした。

一行は社殿へ向かう前、手水舎てみずやへと立ち寄った。

真冬の夕暮れ。龍の口から注がれる水は、肌を刺すような氷水である。

「ひやぁぁっ! 冷たいですぅ!」と鮎が涙目になり、「ううっ、指先が凍りそう……」と美羽が肩をすくめる中、持子は一切の表情を変えることなく、優雅な所作で両手と口を清めた。魔王たる者、この程度の冷気で怯むわけにはいかない。

やがて一行は、靴を脱いで静まり返った社殿の奥へと通された。

空気の密度が、外とは完全に違う。神の座す空間特有の、肺が押し潰されそうになるほどの重圧。


『――ドンッ!!』


突如、腹の底を物理的に殴りつけるような、巨大な報鼓ほうこの音が鳴り響いた。

祈祷の開始を告げる太鼓の音だ。


(……良い音だ。戦場いくさばの陣太鼓を思い出すわ)


持子の内にある董卓の血が、静かに、しかし確実に沸騰を始める。

続いて、修祓しゅばつの儀。

白の狩衣装束に身を包んだ風間宮司が、大きな榊の枝に紙垂しでをつけた大幣おおぬさをバサッ、バサッと振るう。

その瞬間、目に見えない強烈な『浄化の風』が一行を襲った。


「う、あ……っ」


夜の街で妖を喰らい、穢れを溜め込んでいる鮎が、魂を削られるような感覚に陥り、思わずうめき声を漏らす。

隣では美羽もまた、胸を掻き毟るように着物の帯を握りしめていた。大幣が振られるたび、彼女の心に巣食う「泥棒猫」としての嘘や罪が白日の下に晒され、焼き払われるような痛覚に襲われていたのだ。

だが、持子は違った。


(……これしきの風で、わしの覇気が吹き飛ぶものか!)


持子は丹田に力を込め、自身の内にある漆黒の魔力を岩のように固め、浄化の嵐を真っ向から受け止めてみせた。

やがて、宮司による祝詞奏上のりとそうじょうが始まる。

低く、深く、社殿の床を這うような力強い声。ただの祈りではない。神を呼び降ろすための、鍛え抜かれた言霊ことだま。持子は黙って目を閉じ、その武芸者のごとき腹式呼吸の練度を肌で感じ取っていた。



✴︎神懸かりの巫女舞、そして極致の暴力


祝詞が終わり、社殿に静寂が戻った直後。

雅楽の幽玄な調べが、ふわりと空間に漂い始めた。

祭壇の前に、あの少女――風間楓が進み出る。

右手に神楽鈴、左手に扇を手にした彼女が、ゆっくりと舞い始めた。


「…………っ!」


その瞬間。持子、雪、鮎、美羽の四人は、完全に言葉を失った。

それは、ただの美しい伝統芸能などでは断じてなかった。

滑るような足運び。完璧にコントロールされた重心。指先から足の爪先に至るまで、一切の無駄な筋肉の収縮タメが存在しない。


(……剣術のことわりだ!)


武術を極めんとする持子の眼には、はっきりと見えていた。

楓が扇を翻す動作は、敵の首を刎ねる斬撃の軌道。

神楽鈴を鳴らしながらのステップは、四方からの攻撃を完全に無力化する体捌き(たいさばき)。

祈りの舞という皮を被った、究極の『殺人術(武術)』の極致。

それが、あまりにも純粋に、一切の感情を排して洗練されているがゆえに、神々しいまでの美しさを放っているのだ。


「……なんて、凄まじい……」


雪が、眼鏡の奥の瞳を見開き、魅入られたように呟く。


「ひ、ひぃぃ……持子様ぁ、あの舞、見ているだけで首が飛んだような気がしますぅ……」


鮎がガチガチと歯の根を鳴らして震え、美羽もまた「私なんて、あの指先一つで殺される……」と息を呑んでいる。


(……見事だ。これこそが、雪の言っていた『暴力的なまでの美』。わしの支配する美とは対極の、全てを無に還す美……!)


持子は、全身の産毛が逆立つほどの歓喜と武者震いを感じていた。


挿絵(By みてみん)


✴︎三者三様の玉串奉奠たまぐしほうてん


圧倒的な巫女舞が終わり、儀式はいよいよ大詰め、神前に玉串を捧げる玉串奉奠へと移った。

まずは、社長である雪が進み出る。

彼女は洗練された大人の所作で玉串を祭壇に置き、深く二礼二拍手一礼をした。


(どうか、スノーという会社が盤石でありますように。そして……持子さんたちが、これからも自分らしく生きていけますように)


それは、仲間たちの未来を願う、聖母のように穏やかで真っ直ぐな祈りだった。

次に、鮎が進み出た。

彼女は玉串を受け取ると、ブルブルと震える手で祭壇に置き、パンパンッ! とやけに大きな柏手を打った。


(神様! 私はミジンコですが、どうか早稲田に合格させてください! そして、我らが持子様が世界を制覇しますように! 私は一生、持子様の一番の犬でありますようにぃぃ!)


直球で、必死で、欲にまみれた忠犬の祈りである。

続いて、美羽。

彼女は音を立てずに祭壇へ進み、玉串を置くと、深く頭を下げた。


(神様。私は嘘つきの泥棒猫です。だから、祈りません。ただ……持子様のあの黒い影を、私だけの盗品コレクションにさせてください。駄犬(鮎)なんかに、私の居場所は譲りません……!)


神前であるにも関わらず、その瞳はドロリとした執着に濡れていた。

そして最後。恋問持子の番が来た。

持子はゆっくりと進み出ると、玉串を受け取り、祭壇へと歩み寄る。

だが、彼女は深く頭を下げることはしなかった。

一七五センチの長身を真っ直ぐに伸ばし、祭壇の奥底――見えない神の座――を、真っ向から見据えた。


(出雲の荒ぶる神よ。わしは魔王・董卓。貴様に縋るつもりも、助けを乞うつもりもない)


持子は柏手を打ち、その胸の内で不敵に宣言した。


(わしは、雪と共に天下を獲る。貴様はただ、わしの歩む血塗られた覇道を、特等席で見守っているが良いッ!)


それは祈りではない。神に対する傲慢極まりない「宣戦布告」であり、己の決意の刻印であった。



✴︎放課後の対峙、火花散る境内


厳粛な神事が全て終了し、一行は社殿の外へと出た。

すっかり日は落ち、境内は冷ややかな冬の夜気に包まれていた。


「持子さん、鮎さん、美羽さん。私は宮司さんと少し仕事の話し合いがあるから、外で待っていてちょうだい。大人しくしているのよ」


雪はそう言い残し、助平と共に社務所の奥へと消えていった。

境内に残されたのは、持子、鮎、美羽の三人。


「ふうっ……死ぬかと思いましたぁ。神様の気当てで、寿命が百年縮みましたよぉ」


鮎が安堵の溜息をつきながら、持子の腕にすがりつこうとする。


「ちょっと駄犬、馴れ馴れしいわよ。持子様、お疲れ様でした。私のハンカチ、使ってください」


美羽がすかさず割り込み、忠犬と泥棒猫の小競り合いが始まろうとした、その時。


「――お前が、恋問持子だな」


背後から、一切の気配も足音もなく、鈴の転がるような冷たい声が響いた。

三人が振り返ると、そこには先ほど舞を終えたばかりの巫女――風間楓が立っていた。

緋色の袴姿のまま、彼女の氷のような瞳が、真っ直ぐに持子を射抜いている。


「ひゃっ!?」


「っ……!」


鮎と美羽が、本能的な恐怖から一瞬で持子の背後へと跳び退いた。

持子は、二匹の下僕を背に庇うように立ち塞がり、不敵な笑みを浮かべた。


「いかにも。わしがスノーの看板、恋問持子だ。……先ほどの舞、見事であったぞ。ただの巫女には過ぎた『殺人術』だ」


持子の言葉に、楓の表情はピクリとも動かない。

だが、その瞳の奥には、明らかに神に仕える者としてではなく、一人の「武芸者」としての、強烈な好奇心と闘志が揺らめいていた。


「……お前の内には、巨大な『穢れ(ばけもの)』が巣食っている。だが、それと同等の、底知れぬ武の気配も感じる。……不思議な存在だな」


楓が一歩、距離を詰める。

その瞬間、両者の間に目に見えない覇気と浄化の力が激突し、バチッ! と火花が散るような錯覚が境内に走った。

「カカカ……! 穢れと呼ぶか。ならば、その身で確かめてみるか? わしの内にあるモノが、貴様の神楽鈴で祓える程度のモノかどうかをな」

持子が身構え、楓が静かに扇に手をかけた。

極寒の氷川神社、夜の境内で。

魔王と浄化の巫女の、予測不能な「放課後の対峙」が、今まさに始まろうとしていた。


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