魔王に魂を売った二匹は、今夜も妖を喰らう
東京夜界の魔王様は、二匹の眷属を愛で尽くす
✴︎狂乱の狩り
ザアアアアアッ……!!
むせ返るような安っぽい香水と、雨に濡れたアスファルトの臭気が立ち込める、東京の路地裏。
ネオンの光すら届かない淀んだ闇の中、欲望という名の内臓をぶちまけたようなこの街の底に、二人の少女が立っていた。
本多鮎。そして、花園美羽。
彼女たちの真の姿は、絶対的な『魔』――魔王・恋問持子に狂信的に心酔する、二匹の美しい獣であった。
「いいかしら、泥棒猫」
漆黒の闇の中、ヒールを鳴らして鮎が目を細めた。
「この東京の夜に這いずり回る『蟲』や妖。この腐った泥水を濾過し、極上の『魔力』に変えて持子様に捧げるのが、私たち『下僕』の役目よ。……足手まといになったら、貴女の分まで私が喰うわよ」
「生意気言わないでくださいですぅ、駄犬先輩」
黒ずくめの小悪魔風の服を着た美羽が、鼻で笑って応える。世間では「国民の妹」として清純派アイドルを演じてきた彼女だが、その本性は計算高く腹黒い。
「鮎先輩こそ、そんな脳筋みたいな力任せの狩りばかりしてたら、持子さんに『野蛮な犬だ』って嫌われちゃいますよぉ? スマートに美味しいところだけをいただくのが、愛される秘訣ですぅ」
「キーッ! 私が身体を張って毒を濾過しているからこそでしょうが!」
鮎が柳眉を吊り上げる。
「だいたい、貴女のその媚び売るような態度は何!? 持子様の合い鍵を持ってるくらいで調子に乗って……ッ!」
「事実、愛されてるからですぅー! 毎晩、持子さんの足元で首輪をつけてもらう夢を見てる変態トナカイとは違うんですぅー!」
ギャーギャーと路地裏でいがみ合う二人。だが、鮎はふと表情を引き締め、低い声で告げた。
「……おふざけはここまでよ、美羽。今日がお前にとって初めての『狩り』になる。よく聞きなさい」
「むっ……何ですかぁ、急に先輩ぶって」
「私たちは持子様から与えられたこの『闇の力』を、決して表の世界でひけらかしてはいけない。完璧に気配を消し、静かに妖を殺して、魔石だけを奪い取るの。……闇があれば、必ずそれを暴こうとする『光』がある。絶対に気をつけなさい」
鮎の真剣な眼差しに、美羽も渋々といった様子で頷く。
「捕食者でありなさい。決して、捕食される側に回っては駄目よ」
鮎が視線を向けた先、路地裏のゴミ捨て場に一人の酔っ払いが倒れていた。だが、その背中には、どす黒いヘドロのような小型の妖が寄生し、男の生気を啜っている。
「まずはああいう、人に寄生した下級の妖からよ。見てなさい」
スッ……。
鮎の気配が、文字通り『消失』した。水たまりを踏む音さえ立てず、滑るように酔っ払いの背後へ回る。
シュガッ!
常人には見えない漆黒のモヤが刃となり、寄生していた妖の急所を無音で切断した。男を傷つけることなく、空中にポロリとこぼれ落ちた濁った魔石を、鮎は見事な手際で回収する。
「……こんな風にやるのよ。次は貴女の番」
「ふふん、あんなの簡単ですぅ。私の神業の指先にかかれば、スリ取るのと同じですよぉ」
美羽が自信満々に、別の路地で壁にもたれかかるチンピラへと近づく。その背中にも、ヒルのような妖が張り付いていた。
美羽は背後に忍び寄り、愛用のアンティーク調の鍵を突き立てようとする。だが――。
「……!?」
殺気を隠しきれなかった美羽の気配に気づき、ヒルの妖が突如として肥大化。鋭い牙を剥き出しにして美羽の顔面へと襲いかかった。
「きゃあっ!?」
美羽が尻餅をついた瞬間。
ズバァァァッ!!
横から飛び出した鮎の『闇の腕』が、ヒルの妖を握りつぶした。
「馬鹿ッ! 殺気をダダ漏れにしてどうするの! 気配を消せと言ったでしょうが!」
「う、うるさいですぅ! ちょっと足が滑っただけですぅ!」
美羽は悔しそうに唇を噛み、再び立ち上がる。
その後、何度か人に寄生する妖を見つけては美羽が挑み、危ういところを鮎がフォローする展開が続いた。美羽は生来の器用さと泥棒猫としての天性の勘を活かし、徐々に殺気の消し方、急所の捉え方を身体に叩き込んでいく。
そして五匹目。美羽は完全に気配を絶ち、見事に妖の核だけを正確に抉り出し、一人で魔石を捕食することに成功した。
「……ふぅ。やればできるじゃない、泥棒猫」
「当然ですぅ。私は持子様の特別なコレクションですからねぇ」
何度かの狩りを経て、二人が落ち着きを取り戻し、路地裏のコンクリート壁に背を預けたその時だった。
ギチギチギチギチギチギチッ!!!!
「……ッ!?」
深夜の路地裏に、何百という絶望と殺意が融合した体長十メートル超の巨大な百足の大妖が姿を現した。
「出よ。……『闇の腕』ッ!」
鮎が巨大な漆黒の腕を複数生え出させ、大妖の突進を正面から受け止める。
「今よッ! 泥棒猫ッ!」
「にゃはっ♡」
鮎が作った一瞬の死角。空を舞った美羽が、装甲の隙間にある魔力の『核』に、愛用のアンティーク調の鍵を深々と突き刺した。
「……『開錠』ッ!!」
ズバァァァッ!!
中枢にある極上のエネルギーの塊を物理的に引っこ抜き、崩壊を始めた巨体を鮎の闇の腕が粉砕、残滓を全て吸い込んだ(ドレイン)。
「ハァ、ハァ……美羽。これを持子様に見せたら……」
鮎が熱を帯びた瞳で、手に入れたソフトボールほどの魔力結晶を見つめる。
「はいですぅ……。きっとご主人様、すごい笑顔で……私たちを、ベッドに押し倒して……」
美羽もまた、頬を朱に染めて荒い息を吐いた。
二人の脳内に、全く同じビジョンが浮かぶ。
玉座で魔力を喰らった持子が、『でかしたぞ、我が可愛い獣たちよ』と、あの大きく少し乱暴な手で頭を撫でてくれる姿。想像しただけで、丹田から脳髄へ突き抜ける圧倒的な快楽。二人はその場にへたり込み、ガクガクと震えながら恍惚の表情を浮かべていた。
――だが。
その甘美な悦楽は、地獄の底から響くような轟音によって唐突に引き裂かれた。
ズドドドドドドォォォォンッ!!!
「……ッ!?」
「な、何ですぅ!?」
アスファルトが爆発するように吹き飛び、噴火のような瘴気が路地裏を埋め尽くす。
百足の死骸から溢れた残滓を喰らい、さらに強大な呪いを圧縮して顕現したそれは――巨大な金棒を持った、『鬼』の妖だった。
体長は5メートルほどだが、百足とは比べ物にならないほどの圧倒的な質量の暴力。
「嘘でしょ……!? この純度、さっきの百足の比じゃないわ……ッ!」
強気な鮎でさえ、その規格外の瘴気に顔を青ざめさせた。
「ひ、ひぃぃッ! 私の鍵が……ガタガタ震えてるですぅ!」
美羽が己の武器を抱きしめ、悲鳴を上げる。
『ギィルルルルルッ!!』
鬼が咆哮と共に、丸太のような金棒を振り下ろす。直前まで二人がいた地面が、クレーターのように陥没した。
「先輩、アレはヤバいですぅ! 逃げないと潰されますぅ!」
美羽が涙目で撤退を提案し訴えかけるが、鮎はそれを一蹴した。
「逃げる!? ふざけないで! あんな特上の魔力の塊を持子様に捧げないで帰れるわけないでしょうが!!」
鮎の瞳に、狂気的な愛の炎が宿る。
「行くわよ美羽! 私が止める、貴女が刺す! それ以外に勝機はないわ!」
鮎は地を蹴った。無数の黒い腕がアスファルトを突き破って出現し、鬼の巨体に絡みつく。だが――。
『ガアァァァッ!!』
ブチブチブチッ!! いとも容易く、鬼の膂力が闇の腕を引きちぎり、鮎の身体を掴み上げた。
「が、あぁぁッ!?」
「鮎先輩ッ!!」
「来るなッ……泥棒猫ッ!!」
ギリギリと骨が軋む音。鮎の視界が霞む。
(持子様……持子様……ッ! 私は、貴女の犬……! 貴女のために、この命も、魂も、全部……ッ!!)
「おおおおおおおぉぉぉぉぉぉッ!!!」
鮎の白磁の肌の下で、黒い血管が不気味に浮かび上がる。
魔王から与えられた力を、己の命を燃料にして暴走させる。
「太く……! もっと、もっと太くッ!! 『絶対捕縛・闇の腕』ェェェッ!!!」
ズォォォォォォォッ!!
千切られた細い腕が一本に融合し、大樹の幹のような極太の巨大な闇の腕へと変貌する。それは鬼の胴体を背後からガシィィッと抱きすくめ、強引に拘束した。
『ギュ、ガアアアァァァッ!?』
鬼が暴れる。鮎の全身の骨が悲鳴を上げる。
「今よッ!! やれェ、美羽ァァァッ!!」
血反吐を吐きながら、鮎が絶叫した。
「……ッ!!」
その覚悟の声に、美羽の内で何かが『弾けた』。
いつも器用に立ち回るための「魔の鍵」を、彼女は無造作に放り捨てる。
(持子さんに褒められるのは……持子さんに愛されるのは……私だッ!!)
「にゃあぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
美羽の瞳孔が、猫のように縦に細くひび割れる。
両手の指先から、純粋な魔力で形成された長大な『光の爪』が伸びた。それは純粋な、剥き出しの殺意。
美羽が壁を蹴り、弾丸のように跳躍する。
「死ね! 死ね! 持子さんのために死ねですぅぅぅッ!!」
ズドォォォォォンッ!!
美羽の光の爪が、鬼の胸板を粉砕し、深々と突き刺さった。鬼の体内に潜り込み、確かな核の感触を捉える。
「まだまだぁッ!!」
美羽は鬼の身体に取り付いたまま、狂ったように両腕を振るい始めた。
ズバッ! ドシュッ! ザクザクザクザクザクッ!!!
「刺して! 刺して! 刺して!! 抉り出しますぅ!!」
返り血のようにドス黒い瘴気を浴びながら、美羽が叫ぶ。
「これは私のお手柄! ご主人様に一番に撫でられるのは私ですぅぅぅッ!!」
最後の一撃。美羽は両手の爪を最大まで伸ばし、鬼の心臓に当たる『核』へと一気に突き立てた。
「『魔猫の狂爪』ッ!!!」
ドッッッッッパァァァァァァン!!!!!
鬼の巨体が内側から弾け飛び、凄まじい瘴気の嵐が路地裏を吹き荒れた。
やがて、それが収まった後。路地裏の地面に大の字で倒れ伏す二人の間には、赤黒く脈打つ特大の魔力結晶が転がっていた。
「……ふふっ。見たか、駄犬先輩。最後の一撃は……私、ですぅ」
「……はっ。私が押さえ込んでなきゃ、ミンチにされてたくせに。泥棒猫の分際で、無茶しやがって」
ボロボロの身体を這わせ、二人はその極上の結晶に手を伸ばす。
「さあ、帰るわよ……! 私が先に、この結晶を渡して頭を撫でてもらうんだから!」
死闘の直後だというのに、鮎が言い放つと、美羽もすかさず噛みついた。
「ずるいですぅ! トドメを刺したのは私ですから、私がお膝の上に乗るんですぅ!」
醜いマウント合戦を繰り広げながらも、彼女たちの魂はすでに、美しき魔王・恋問持子の足元にしっかりと繋がれている。
二匹の獣は、ご主人様への極上の貢ぎ物を抱きしめ、夜明け前の東京を誇らしく駆け抜けてゆくのであった。




