表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

69/168

『北海道妖異行――魔王の撒き餌』

『北海道妖異行、あるいは魔王の撒きハンティング


✴︎魔王のトラップと、予期せぬ大物


「雪よ」


「どうしたの、持子さん」


「腹が、減った」


「……さっき、阿寒湖の氷上でワカサギの天ぷらを百匹ばかり平らげたばかりじゃない。持子さんの胃袋、どうなってるのよ」


「ふん、あれは前菜アペリティフだ」


白い息が、夜の闇に溶けていく。

ここは、北海道。

阿寒湖での極寒の撮影をたった二日で終わらせ、思わぬ八日間の空白やすみを手に入れた二人は、レンタカーを駆り、北の雪原を走っていた。

目指すは、オホーツク海に面する網走。

車窓の外は、月明かりに照らされた白銀の世界だ。


「この北の大地は、どうにも腹がくのだ」


持子は、助手席で長い脚を組み替えながら、ぼやりと窓の外を見つめていた。


(……この土地は古い。自然が豊かゆえに、人ならざるもの――あやかしの類いが、まだ数多く息づいている気配がする)


持子の黄金の瞳が、暗闇の奥を射抜くように細められた。

彼女の丹田たんでんには、前世である魔王・董卓の暴虐な魂と、膨大な質量の魔力が圧縮されている。

普段は合気武道のことわりでそれを堅く封じている持子だが、ふと、悪戯な――そして極めて食欲に忠実な考えが浮かんだ。


(少し、釣ってみるか)


持子は、運転に集中する雪に気づかれぬよう、丹田の封印をほんの数ミリだけ緩めた。


ズズ……ッ。

持子の身体から、不可視の「黒い霧(魔力)」が、極上の甘い匂いを伴って、吹雪の車外へと漏れ出していく。

それは、飢えた妖たちにとって、抗うことのできない極上の「撒き餌」である。


(さあ、来い。わしの魔力に誘われて、手頃で美味そうなジビエが釣れれば、小腹の足しに……)


そう企んだ、直後であった。


ズゴォォォォンッ!!


「きゃああっ!?」


突如、車体が何かに激突したかのように大きく揺れ、立花雪が悲鳴を上げた。


ギィィィィンッ!

雪が咄嗟に急ブレーキを踏む。

タイヤが凍結した路面で滑り、車体が大きく横に流れる。


「雪ッ!」


持子は素早く左手を伸ばし、雪の身体を座席に押し付けて守った。車は、雪の壁に軽く車体を擦りながら、ギリギリで停止した。


「……はぁ、はぁ。ごめん、持子さん。怪我はない!?」


「わしは無傷だ。だが……」


雪は真っ青な顔で、ヘッドライトの先を凝視した。


「な、なに今の!? 突風!? それとも見えない雪の塊にでもぶつかったの!?」


雪の目には、猛烈な勢いで渦巻く地吹雪しか見えていない。

だが、異常なのだ。

エンジンを切っていないのに、車体がギシギシと悲鳴を上げている。まるで、目に見えない巨大な「圧力」が、車を押し潰そうとしているかのように。


プキッ。

フロントガラスに、蜘蛛の巣状のヒビが入った。


「雪、貴様は車内で待機していろ」


持子は、ガチャリとシートベルトを外した。


「見えないのなら、それで良い。……ちょっと、野良犬を追い払ってくる」


(……早っ!? 釣れるのが早すぎるぞ!?)


持子は内心で冷や汗をかきつつ、フロントガラスの先を睨んだ。


(しかも……デカい! わかさぎ釣りでマグロが掛かったようなものではないか!)



✴︎見えない巨熊ウェンカムイ


雪には見えない。だが、持子の黄金の瞳にはハッキリとえていた。

ヘッドライトの光を遮るように立ち塞がる、巨大な影。

**ひぐま**である。

だが、ただの獣ではない。立ち上がったその背丈は、優に四メートルを超えている。

全身の毛は針金のように逆立ち、そこからドス黒い怨念の霧が噴き出している。

かつて人を喰らい、人の味を覚え、カムイの座から転がり落ちた悪しき神――ウェンカムイ。

それが、肉体を失い、怨霊となってなお、この地を彷徨っていたのだ。


『……グルルゥゥゥゥ……』


獣の怨念が、持子から漏れ出た極上の「魔力」に惹きつけられ、よだれを垂らしている。

撒き餌に食いついた、最悪にして最強の獲物。


「待って、持子! 外に出る気!?」


雪が、持子の腕を掴む。見えない恐怖に、雪の指先が微かに震えていた。


「当然であろう。わしが仕掛けた罠に掛かったのだ、責任を持って『処理』せねばならん」


「罠!? 何言ってんのよ、外は猛吹雪よ!」


「案ずるな、雪」


持子は、ニヤリと笑った。

その笑みは、絶世の美女の顔に張り付いた、獰猛な獣のそれであった。


「……相手がデカければデカいほど、食い出があるというものだ」


ガチャリ、と車のドアが開く。

マイナス二十度の冷気が、車内に流れ込む。

持子は「動きにくい」とばかりに分厚いコートを脱ぎ捨てた。

薄手のセーターとジーンズという、およそ極寒の地には似合わぬ軽装。

だが、その身体から立ち昇る「覇気」が、周囲の雪を瞬時に溶かし、白い蒸気を上げている。


『……ガアァァァァァッ!!』


ウェンカムイが、咆哮した。


「来い」


持子は、クイッと指を曲げて手招きをした。



✴︎魔王のジビエ・ハンティング


ドゴォッ!

見えない何かが、雪の乗る車の横を猛スピードで通り過ぎた。

突風で車体が激しく揺さぶられ、雪は思わず頭を抱える。

外では、雪の想像を絶する光景が繰り広げられていた。

物理法則を無視した速度で肉薄する巨大な羆の霊体。

丸太のような腕が、持子の華奢な身体を粉砕せんと振り下ろされる。


「……遅いな」


持子は、避けない。

ただ、右手をすっと前に出した。

柔らかな、白魚のような指先。

それが、ウェンカムイの巨大な剛腕に、ふわりと触れる。

合気武道。

力と力のぶつかり合いではない。

相手の力を読み、流し、そして、自らの意のままに導く術。


「ヌンッ!」


持子が腰を落とし、円を描くように手首を返した。

たった、それだけ。

だが。


『――ギギ、ギャアアアアッ!?』


四メートルを超える悪神の巨体が、空中で不自然に捻じ曲がった。

自らの突進の勢いと質量が、持子の指先を支点にして、己の霊体を破壊する力へと反転したのだ。


ドォォォォンッ!!

雪原に、巨大なクレーターができる。

車内の雪には、持子が「何もない空間」に向かって手をかざし、その直後に雪原が爆発したようにしか見えない。


「も、持子さん……! 一体何と戦っているの!?」


持子は雪の叫びには応えず、倒れ伏すウェンカムイの首根っこ(にあたる部分)を、左手でガシリと掴み上げた。


『ガ、ガアァァァ……!』


あやかしが、恐怖する。

喰うつもりで近づいた相手が、自分よりも遥かにおぞましい「捕食者」であることに気付いたのだ。


「さて」


持子は、至近距離でウェンカムイの巨大な顔を覗き込んだ。

持子の瞳が、黄金色から、ドス黒い闇の色へと変わっていく。

彼女の背後から、陽炎のように漆黒のモヤが立ち昇った。

魔王の魔力。それは、あらゆる精気を吸い尽くす、底なしの暗黒。


「熊の肉は臭みがあると聞くが……霊体ならば、関係あるまい」


持子は、大きく口を開けた。

そして。

ガブリ。

ウェンカムイの顔面を、霊体ごと、その鋭い歯で噛みちぎったのである。



✴︎カロリーゼロの恐怖


『――ッ!?!?』


声にならない悲鳴。

持子の口の中で、巨大な羆の霊体が、グチャリ、と音を立てて砕ける。


「……ほう」


持子が、モグモグと咀嚼そしゃくする。


「冷たい。……だが、悪くない。野性味溢れる、濃密な魔力だ」


ゴクリ。

飲み込んだ。

持子の丹田に強烈な気が流れ込み、それが瞬時に超高密度の魔力へと変換され、熱を帯びる。


「ゆ、雪よ!」


持子が、車の中で呆然としている雪に向かって叫んだ。


「こやつ、なかなかに美味だぞ! ジビエの霊体も、オツなものよ! わさび醤油があれば最高だがな!」


「……バカなこと言ってないで、早く車に戻りなさい!」


雪には、持子が吹雪の中で「見えない何か」を空中で噛みちぎり、パクパクと咀嚼している猟奇的な姿しか見えない。頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。


「うむ。では、遠慮なく!」


持子は、残ったウェンカムイの胴体を両手で掴むと、まるでフランスパンでも千切るかのように引き裂いた。

ブチィィィッ!

黒い霧が、四散する。

持子はそれを逃さず、空気を吸い込むように大きく息を吸った。


ズォォォォォォォッ!!

四散したウェンカムイの残骸オドが、渦を巻いて、持子の口内へと吸い込まれていく。

一滴残らず。骨の髄、いや、魂の欠片まで。


「ぷはァーッ!!」


持子は口を拭い、大きく息を吐き出した。

周囲の雪原を支配していた異様なプレッシャーは、嘘のように消え去っていた。

ただ、冷たい風が吹き抜けるばかりである。


「……ごちそうさまであった」


持子は、満足げに腹をさすりながら車に戻ってきた。

「どうだ雪。わしの食事風景、見えなくとも、その勇姿は伝わったであろう?」


「……あんたって子は。目に見えないモノまで食料にするのね」


雪は呆れ果ててため息をついた。


「なに、カロリーは全て魔力に変換される。これでわしの美貌は、さらに磨かれたというものよ」


持子はルームミラーで自分の顔を覗き込み、ニヤリと笑った。

確かに、その白磁の肌は先ほどよりもさらに艶めきを増しているように見える。


「……太るわよ」


雪が、冷たく言い放つ。


「なっ!?」


「ただでさえ、阿寒で食べ過ぎたのに。……その見えない何か、カロリーはゼロかもしれないけれど、呪い(コレステロール)はたっぷり詰まってそうだからね」


「ぬぅぅ……」


持子は、慌てて自分のウエストを触り、確認した。


「……大丈夫だ。まだ、五十八キロ(絶対王政)は保たれておる」


「ふふ。なら、出発しましょうか」


雪が、エンジンをかける。


「うむ。出してくれ」 


「ええ」


ヒビの入ったフロントガラスの向こう、車は再び、北の闇の中へと滑り出した。


「……しかし雪よ」


「なに?」


「まだ、腹の虫が鳴いておるのだ。……次はもう少し、小ぶりの獲物がいいな」


「……あんた、まさかわざと呼び寄せてないわよね?」

「ギクッ」


「……持子さん?」


「こ、この先には、網走があるな! 網走といえば、カニだ! そして、クリオネだ! ……クリオネの妖などおらぬか? 踊り食いにしてみたいのだが!」


「……誤魔化さないで。そして悪食が過ぎるわよ、持子」


北の大地。


そこは、美味なる食材と、あやかしに満ちた、魔王にとっての巨大な冷蔵庫パラダイスであった。

二人の北海道妖異行は、まだ始まったばかりである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ