水曜どうでしょう見たいだけなのに、なぜわしは氷点下二十度にいるのだ
地獄への旅立ちと、魔王のワガママ ~推しとの密室は死に値する~
そして、運命の12月31日。大晦日の早朝。
感動的な別れから数日後。芸能事務所「スノー」の前には、この世の終わりを見たような顔で、ドアノブにしがみつく巨大な生ゴミ――もとい、恋問持子の姿があった。
「いやだぁぁぁ! 行きたくないぃぃぃ! わしの年末年始返せぇぇぇ!」
持子は絶叫した。その目は死んだ魚のように濁りきっている。
「暖房をアホみたいに効かせた部屋で! 半袖短パンで蜜入りリンゴをかじりながら! 『水曜どうでしょう』を一気見するんだ! 大泉洋がボヤくのを見てゲラゲラ笑うのが、わしの正しい年越しなのだぁぁぁ!」
「はいはい、うるさいわよ。諦めて乗りなさい。エレーヌ様がお待ちよ」
「離せ雪! 貴様は鬼か! いや、雪女か!?」
社長の立花雪は、能面のような無表情で持子の指を一本ずつドアノブから引き剥がし、無慈悲にロケバスへと蹴り込んだ。ドガッ。
「ご主人様ぁぁぁ! お気をつけてぇぇぇ! 私の魂は! 私の魂は常に貴女のそばにありますぅぅぅ!!」
バスが走り出すと、後方から絶叫が聞こえた。
見れば、受験生の必須アイテム『赤本』を片手に握りしめた本多鮎が、涙と鼻水を垂れ流しながら、ゾンビのような形相でバスを追いかけてくる。
「鮎……! さらばだ、我が忠犬よ……! わしがいない間、事務所の仕事と留守と……あと受験勉強を頑張るだぞ……!」
窓ガラスにへばりつく持子と、遠ざかる鮎。
それはまるで今生の別れのようだったが、実際はただの出張である。
***
羽田から空路で釧路へ。さらに車に揺られること1時間。
車窓の景色は、文明社会から、白と静寂が支配する「極寒の監獄」へと変わっていた。
「着いたわよ、持子」
雪が車を止めたのは、凍結した阿寒湖のほとりに聳え立つ、巨大なリゾートホテル――**『ニュー阿寒ホテル』**のエントランスだった。
「おお……! ここか! ここが約束の地か!」
バスを降りた瞬間、さっきまでの死んだ目が嘘のように、持子の黄金の瞳がカッ!と輝いた。
マイナス15度の冷気など物ともせず、彼女はホテルの屋上を見上げて高笑いした。
「ふっふっふ……! わしはここに来たかったのだ! このホテルの屋上にある**『天空ガーデンスパ』**! 阿寒湖と一体化できるインフィニティ・プールにな!」
そう。今回の宿は、持子の理不尽かつ強引な駄々こねにより、出発直前に急遽変更されたのだ。
雪は深いため息をつき、頭を抱えた。こめかみに青筋がピキピキと浮かんでいる。
「はぁ……。信じられないわ。エレーヌ様はね、あんたのために一泊数十万の超高級ヴィラを用意してくださってたのよ? 専用シェフ付きの、暖炉のあるスイートを」
「ふん、軟弱な!」
持子は鼻で笑い飛ばした。
「それを『屋上にプールがないなら泊まらん! 断固拒否する!』って蹴るなんて……。あんた、バカなの? 脳みそ凍ってるの?」
「黙れ雪! 王たる者、風呂は広くなければならんのだ! それに、ここはただのプールではない!」
持子はビシッと屋上を指差した。
「水着着用で男女混浴……いや、天空と湖と一体になれる**聖域**なのだぞ! マント(バスローブ)を羽織り、湯気の中で仁王立ちしてこそ、魔王の威厳が保たれるというもの! 高級な家具より、絶景の湯だ!」
「……そうね。あんたがそこまで言うなら、いいわよ」
雪は諦めたように肩をすくめると、冷ややかな笑顔でフロントへ向かった。
数分後。チェックインを済ませて戻ってきた雪の手には、なぜかルームキーが1本だけ握られていた。
「さ、行くわよ」
「うむ! ……ん? 待て雪よ。わしの鍵は?」
持子が不思議そうに掌を差し出す。
雪は鍵をチャリと鳴らし、聖母のようにニッコリと、そして死神のように残酷に微笑んだ。
「これ一本よ」
「……は?」
「だから、相部屋よ」
「…………へ?」
持子の思考回路がショートした。
相部屋? 誰と? 雪と? わしと?
……推し(雪)と!?
雪は、石像のように凍りつく持子の耳元に唇を寄せ、甘く囁いた。
「忘れたの? あんたが昨日の今日で『ホテルを変えろ!』って駄々こねたんでしょう? 今は年末年始の超繁忙期。奇跡的に一部屋だけ空いてたツインルームを抑えるのが限界だったのよ」
「なっ……!?」
「ヴィラなら部屋はいくつもあったのにねぇ。でも、ここのプールがいいんでしょう? スイートもシングルも満室。……自業自得ね♡」
「き、ききき、聞いてないぞおおおおお!!」
持子の絶叫が、阿寒の原生林にこだました。
社長(推し)と、二人きりの相部屋。
逃げ場なしの密室。
風呂上がり、寝起き、あんな姿やこんな姿が、全部丸見え!?
(し、死ぬ! 緊張で心臓が爆発して死ぬ! 推しのプライベート空間を共有するなど、オタクとしてあるまじき重罪……いや、ご褒美……いや、やっぱり無理ぃぃぃ!)
マイナス20度の極寒よりも恐ろしい、緊張と心拍数上昇(と社会的死)の10日間が確定した瞬間だった。
「さ、荷物運びなさい。……夜は長いわよ、持子?」
「ひ、ひぃぃぃ……! お手柔らかに頼むぅぅ……!」
エレーヌ・リジュという新たな支配者の影。
極寒のフロストフラワー待ち。
そして、最愛の推しとの地獄の(ような天国の)密室生活。
恋問持子の本当の地獄(冬休み)は、まだ始まったばかりである。




