氷解の蹂躙 ―魔王モデル、格闘技のリングを極楽に変える―
代官山の魔王、パンケーキのために「武」を売る
✴︎一千万の防衛線
闇があった。
むせ返るような、濃密な沈黙。
代官山の一角にある弱小芸能プロダクション「スノー」の事務所では、今日も今日とて世界で一番不毛な攻防が繰り広げられていた。
「……断る」
恋問持子が、地を這うような低い声で断じた。
身長175cm。白磁の如き肌を持つ巨躯をヴィンテージのソファーに深く沈め、組んだ長い脚を入れ替える。その動きひとつで、室内の空気が「みしり」と軋み、物理的な圧力が生じた。
「持子さん、一千万よ! 一千万のファイトマネー! これは単なるバラエティ番組じゃない、あの伝説の**女子総合格闘技団体『VENUS ARK』**からの正式オファーなのよ!」
社長兼マネージャーの立花雪が、必死の形相で契約書を突き出した。
だが、雪が一歩踏み込もうとした瞬間――。
ゾワリ。
空間が歪む。持子の背後から漆黒のモヤが溢れ出し、実体化した無数の「魔力の手」が雪の前に立ちふさがった。
「……待て、雪。近すぎる! 一メートル以上、近寄るなと言っておろうが!」
見えない壁に押し戻され、雪は「またこれか!」と顔をしかめた。
持子は雪を「推し」として敬愛しすぎるあまり、至近距離に彼女がいると魔王としての威厳、および理性がメルトダウンを起こしてしまう。この「一メートル結界」は、彼女の尊厳を守る最後の防衛線なのだ。
✴︎因縁の回想、格闘王が宙を舞う日
「そもそも、何ゆえモデルのわしに格闘技のオファーなど来るのだ」
不機嫌そうに鼻を鳴らす持子に、雪は一枚の写真を差し出した。それは先日、激辛グルメ特番の収録現場で撮られたものだった。
「覚えてる? あの時、ゲストにいた格闘王・剛田さんよ。あなた、彼を投げ飛ばしたじゃない」
あれは特番の控え室でのことだった。
「鋼の不沈艦」の異名を取り、ベンチプレス200kgを軽々上げる巨漢の剛田が、持子の只者ではないオーラに当てられ、冗談交じりに絡んできたのだ。
『姉ちゃん、いいガタイしてんな。俺のジムでプロレスやらねぇか?』
そう言って剛田が、丸太のような腕で持子の肩を掴もうとした瞬間だった。
当時、持子の頭の中は**「収録が押しているせいで、雪と約束した期間限定の苺パンケーキに間に合わないかもしれない」**という苛立ちで支配されていた。
そのため、無意識だった。
『……触るな、下郎。パンケーキが逃げるだろうが』
持子は溜息をつきながら、剛田の差し出された手首に指先をそっと添え、軽く「くるり」と円を描くようにステップを踏んだ。たったそれだけ。力など一切込めていない。
だが、合気武道の究極の理合は、剛田の巨体を紙切れのように宙に舞わせた。
「え?」と呟く間もなく、剛田は天井の蛍光灯を間近で見た後、背中から畳に激突した。全身の筋肉が完全に無力化され、女の細い指一本で床に縫い留められた剛田は、冷や汗を流しながらうわ言のように呟いた。
『……これだ。力ではない、この理合こそが本物の武……!』
「あの後、剛田さんが『あんな化け物は見たことがない。彼女こそVENUS ARKに必要な劇薬だ』って、団体に猛プッシュしたのよ」
「……ぬ。あの筋肉ダルマ、余計なことを。わしは静かにパンケーキを愛でる魔王でありたいというのに。あれは単なる八つ当たりだ!」
「いい? あなたの食費でうちの資本金は底をついたの! ルッコラ、生ハム、フォンダンショコラ……。このままだと、明日の五つ星ホテルの『最高級金箔パンケーキ』さえ危ういのよ!」
「……な、なんだと? ……金箔……ぱんけーきだと?」
魔王の眉間が「ぴくり」と跳ねた。
かつて三国志の時代で暴虐の限りを尽くした彼女の魂は、現代の「甘味」という名の毒に、とても弱かった。
「……ぬ。……ぬううっ。よかろう、雪。わしは食わねば、天下を統べることもかなわぬからな。その一千万、我が覇道のために収穫して進ぜよう!」
✴︎激闘、『VENUS ARK』特設コロシアム
お台場、特設リング。
女子格闘技の最高峰『VENUS ARK』のメインイベント。数万人の観客が吐き出す熱気が、巨大な渦となって会場を支配している。
『さあ、今宵のメインイベントだァァァ! 青コーナーより入場、ロシアの「氷結の暗殺者」! 現王者、エカテリーナ・アンドレエヴナ・イワノワだァァァ!』
「Приятно познакомиться(お目にかかれて光栄ね)……お姫様」
エカテリーナが、氷のような冷徹な笑みを浮かべてリングインする。
対する赤コーナー、持子がマントを翻し、悠然と花道を歩く。その背後には、きっかり一メートル離れた位置で胃薬を抱えた雪がセコンドとして控えていた。
カーンッ!
ゴングの音が鳴り響く。
エカテリーナの鋭いジャブが空気を切り裂くが、持子は合気の体捌きで最小限の動きで回避する。だが、王者は間髪入れずに踏み込み、重いローキックを放つ。
「ドカッ!」
「……フン、雑兵め。なまら、良い動きだわ」
持子の瞳が黄金色に輝いた。刹那、美しい円の軌跡を描き、持子の白い脚がエカテリーナの脇腹へと突き刺さった。
「ドォォォォンッ!」
重低音が響き渡り、会場がどよめく。だが、エカテリーナは激痛に耐え、そのまま持子の蹴り足を抱え込んでロックした。
「Попалась!(捕まえた!)」
ドサッ! 視界が反転し、持子はキャンバスへと押し倒された。
マウントポジション。二人の汗に濡れた肌が密着する。
「んんっ、な、なにする、離れろッ!」
エカテリーナの膝が持子の太腿の内側を割るように食い込み、豊かな胸が重みで押し潰され、歪む。
「あ……んっ、苦しい……なまら、苦しいんでないかい……ッ❤」
持子の口から、苦痛と快楽が混ざり合った、地上波放送事故寸前の艶めかしい喘ぎが漏れ出した。
✴︎暴君の秘技、そして魔力の収穫
エカテリーナのパウンドが降り注ぐ中、持子は不敵に微笑んだ。防御の隙間を縫い、持子の手がエカテリーナの「秘孔」へと滑り込んだ。
指先に全霊の「気」を込め、神経の奥底へと送り込む。
これぞ、気の流れを逆流させ、感覚感度を数千倍へと引き上げる究極の秘技。かつて前世において、かの暴君・董卓が君臨した時代――董卓が**「酒池肉林」の宴で大勢の美女たちと夜な夜な戯れていた際に身につけたという、恐るべき『房中術』の真髄**であった。
「Что……なに……これ……っ!?」
エカテリーナの拳が止まる。脳を熱く煮えたぎる黒い蜜でかき混ぜられるような未知の奔流。
その瞬間、観客席から発散される「興奮」のエネルギーが、光の粒となって持子へと吸い込まれていった。これぞ、魔王の特権たる魔力の収穫。
「……良い声だ、エカテリーナよ。わしが、溶かしてやろう」
「Ах……Аааааах!!!(あ、ああああああああッ❤)」
エカテリーナが弓なりにしなり、絶頂を超えた「生命の爆発」と共に白目を剥いて崩れ落ちた。
KOではない。AO(アセンション・アウト/昇天)である。
「ん、んんんっ……あへぇぇぇっ!❤」
同時に、吸収した膨大な魔力のリバウンドが持子を襲う。
持子は白目を剥きかけ、立ったままガクガクと震え、恍惚とした表情で**「軽く昇天」**しかけた。
✴︎放送事故の勝利者インタビュー
ゴングが乱打される中、リング上は異様な空気に包まれていた。
白目を剥いてピクピクと痙攣する前王者と、恍惚の表情で震えている新王者。
恐る恐るマイクを握った実況アナウンサーが、リングに上がり持子に声をかけた。
『あ、圧倒的な……まさに未知の技術による勝利です! 新王者、恋問持子選手! 今のお気持ちは!?』
持子は虚ろな黄金の瞳をゆっくりとアナウンサーに向け、マイクを奪い取った。数万の観客、そして全国ネットのカメラが彼女の言葉を待っている。
「……早く、帰りたい」
『えっ?』
「わしは一刻も早く、雪と共にパンケーキを食したいのだ。だが……」
持子は、キャンバスに倒れ伏すエカテリーナを艶然と見下ろした。
「エカテリーナよ。貴様の鳴き声は、なまら悪くなかったぞ。我が覇道に仕える気があるなら、いつでもまた、わしが溶かしてやろう……フフッ」
『っ!? ちょ、カメラさん! 恋問選手、それ以上は放送コードが……!』
「持子ォォォ! もう喋るなァァァ!!」
リングサイドから飛び込んできた雪が、持子の口を両手で塞ぎ、全力でカメラから引き剥がした。会場は歓声とも悲鳴ともつかない異様な熱狂の渦に飲み込まれていた。
✴︎至福のハグと、完全なる昇天
帰り道。代官山の夜を走るタクシーの車内で、持子はチャンピオンベルトをぞんざいに放り出し、悠然と脚を組んでいた。
「雪よ。勘違いするな。あのような騒がしい仕事は、これで最後だ。わしの品位に関わるからな」
「はいはい。あなたが地上波で大惨事を起こしかけたおかげで、事務所の電話が鳴り止まないわよ。でも……これで明日のパンケーキは安泰ね。ほら、お店に着いたわ」
予約していた高級ラウンジで最高級金箔パンケーキを完食した持子は、生涯最大の多幸感に包まれていた。
「雪よ……今日の勝利は、貴様の支えあってのものだ。さあ、褒美だ。わしの胸に飛び込んでくるがよい!」
「もう、しょうがないわね……お疲れ様、持子さん」
雪が優しく微笑み、一メートル結界を越え、持子の体をぎゅっと、慈しむように抱きしめた。
「あ……」
石鹸の香り。雪の体温。そして何より「推し」の腕の中。
激闘で得た魔力、極上の糖分、そして雪からの愛情供給――すべてが同時に臨界点を超えた。
「あ……ああ……尊い……っ。雪が……ハグを……わしを……❤」
持子は黄金の瞳を完全にひっくり返し、これ以上ないほど幸せそうな、蕩けきった顔で**「完全昇天」**した。口元からは白く輝く魂のエクトプラズムが「ふわり」と抜け出していく。
「ちょっと!? 持子!? 幸せすぎて魂抜けてるじゃない! しっかりしなさいよォォォ!!」
白目を剥いて崩れ落ちる巨体を支えながら、雪の悲鳴が代官山の夜空に響き渡る。
令和の天下統一は、今、日本の茶の間の「正気」を完全に道連れにして、更なる狂乱へと加速していくのだった。
改行




