『餓狼の牙、巨岩に弾かれる』
餓狼の牙、巨岩に弾かれる。
だが、その足がピタリと止まった。
視線が、釘付けになってしまったのだ。
竹箒を握る、その右手に。
(……なんだ、その手は)
節くれ立った指。分厚い掌。
それは、ただ掃除をするための手ではない。
持子は視線を上げた。
改めて見るその男は、異様なほどに大きく感じた。
年齢は50代半ばだろうか。身長は自分(175cm)よりも頭一つ高い、183から5センチといったところか。体重は100キロ近くはあるだろう。
だが、持子の肌が感じる「質量」は、そんな物理的な数値を超えていた。
(岩だ……。動かぬ巨岩が、そこに在る)
ドクリ。
丹田の奥底で、鎮めたはずの「何か」が疼いた。
それは、前世から持ち越した暴君の血か、それとも武人としての純粋な闘争本能か。
分からない。
理屈など、どうでもよかった。
(闘いたい)
(この岩を、わしの拳で砕いてみたい)
思考よりも先に、殺意が走った。
持子は無言のままその場を離れ、しかし宿には戻らなかった。
獲物が巣から出てくるのを待つ狩人のように、社務所の勝手口へと回り込み、気配を消して潜んだ。
朝の冷気が、熱く火照った持子の脳髄を冷やしていく。
雪と同化するように呼吸を殺す。
待つこと数分。
ギィ……。
重い木製の扉が開き、男が出てきた。
手には何も持っていない。
男は朝の光を浴びながら、不用心にも大口を開けて「ふぁあ……」と欠伸をした。
(今だ)
目が合った。
男は驚く様子もなく、ゆらりとこちらへ近づいてくる。
その足取りに、隙はない。だが、持子には関係なかった。
「――ッ!!」
持子は踏み込んだ。
地面を蹴る予備動作すら消した、縮地の歩法。
間合いを一瞬でゼロにする。
狙うは顔面正中線。
防御の上からでも脳を揺らし、意識を断ち切る最短・最速の突き。
合気武道の理を乗せた、渾身の一撃。
それは、女子高生が放てる領域を遥かに超えた、必殺の槍だった。
(貰った!)
拳が男の鼻先に届く――その刹那。
パァン!
乾いた破裂音が、早朝の境内に響いた。
「……なっ!?」
持子の視界が揺れた。
突き出した右腕が、強烈な力で内側へと弾き飛ばされていたのだ。
男の左拳が、ただ真っ直ぐ無造作な動きで、持子の全力の突きを軌道ごと逸らしていた。
そして。
「…………ッ」
持子は息を呑み、凍りついた。
目の前、鼻先数ミリの空間に、石のような縦拳がピタリと止まっていたからだ。
男の拳だ。
持子の突きを弾いた拳が、そのまま寸止めされていたのだ。
遅れて発生した風圧が、持子の前髪をふわりと揺らす。
もし、これが実戦であれば。
持子の顔面は粉砕され、首の骨ごともっていかれていただろう。
圧倒的な「死」の気配が、持子の全身を震わせた。




