『武人の穢れと、夜明けの神域』
武人の穢れと、早朝の神域
修学旅行三日目。
午前5時。
カーテンの隙間から、薄青い夜明けの光が差し込んでいる。
**恋問持子**は、ふいに目を覚ました。
二度寝を貪ろうかとも思ったが、身体の奥底で燻る「何か」がそれを許さなかった。
(……目が冴えてしまったな)
同室の3人は、まだ夢の中だ。
レオは布団を蹴飛ばし、美羽は丸まって寝息を立て、沙夜は微動だにせず綺麗に眠っている。
平和な光景だ。
だが、今の持子には、その平和さが少しだけ眩しく、そして居心地が悪かった。
持子は音を立てないように布団を抜け出し、制服ではなく、持参していた動きやすいジャージに着替えた。
パーカーのフードを目深に被り、静かに部屋を出る。
宿の玄関を一歩出ると、キーンと張り詰めた冷気が頬を叩いた。
まだ人通りのない小樽の街。
昨日までの観光客の喧騒が嘘のように、静寂が支配している。
「……ふぅーっ」
吐き出す息が、真っ白な霧となって消えていく。
持子は、あてどなく、しかし確信めいた足取りで歩き出した。
目指す場所は、宿からは少し離れた高台にある**「住吉神社」**だ。
雪を踏みしめる音が、規則正しく響く。
そのリズムが、持子の脳裏に古い記憶を呼び起こした。
かつて、まだ持子が札幌に住んでいた頃のことだ。
合気武道の師匠である老人と、その孫であり兄弟弟子の竜――高倉竜と共に、この小樽を訪れたことがあった。
『持子、竜。今日は稽古ではない。清めに行くぞ』
師匠はそう言って、二人を住吉神社へと連れてきた。
長い参道の坂道を登りながら、師は淡々と、しかし重みのある声で語った。
『人はな、生きているだけで知らず知らずのうちに「穢れ」を身につけてしまう』
老人の言葉は、幼い持子には難しかったが、今なら痛いほど分かる。
『特に、武を嗜む者はそうだ』
師は持子の目を見据えて言った。
『お前たちが今学んでいるのは「術」だ。どこを殴れば人が壊れるか。どう捻れば骨が砕けるか。いかにして、効率よく殺すか……。その破壊の理を、身体に刻み込んでいる』
殺人術。
護身と言えば聞こえはいいが、その本質は他者を制圧し、破壊する技術だ。
持子の指先は、人の急所を知っている。
持子の腕は、人の関節を外す角度を知っている。
『術は、未だ「道」には至っておらん。道にならぬ術は、ただの凶器だ。凶器は使わずとも、持っているだけで魂が錆びる。その錆こそが、穢れじゃ』
師匠は厳しくも優しい目で、幼い二人の頭を撫でた。
『だから、神の前に立ちなさい。願い事をするためではない。自分自身と向き合うためだ。ここの神社は良い。お清めには、うってつけじゃ』
(……師匠。わしは今、ひどく穢れている気がするぞ)
持子は、前世の記憶――暴君・董卓としての血塗られた業と、現世で手に入れた平穏な日常とのギャップに、時折押しつぶされそうになる。
住吉神社の鳥居が見えてきた。
鎮守の森は、朝霧に包まれて厳かな空気を漂わせている。
長い石段を見上げ、持子は深く息を吸い込んだ。
(行こう。……神の御前で、ただの「恋問持子」に戻るために)
冷たく澄んだ空気を肺いっぱいに満たし、持子は一歩一歩、己の内の魔王を削ぎ落とすように、神域への階段を登り始めた。




