制服の檻で気が暴発したら、魔王が顧問に正座させられました
合気武道編 番外
『制服の檻、あるいは暴発する気』
闇が、あった。
午後六時。
九月の夕暮れは、まだ完全な夜には至っていない。
茜色と群青が混じり合う、逢魔が時の格技場。
稽古はとうに終わり、シャワーを浴び、制服に着替えた後である。
だが、誰も帰ろうとはしない。
匂う。
清潔な石鹸の残り香と、制服の繊維の匂い。
そして、その下に隠しきれない、若い獣たちの熱気とフェロモンが、古い畳のイ草の匂いと混じり合い、むせ返るような甘い湿気を帯びていた。
格技場の隅、iPadの青白い光が、制服姿の三人の顔を、亡者のように照らし出している。
『アァァァァァァッ……❤』
画面の向こう、女子格闘技の最高峰『VENUS ARK』のリング上で、ロシアの氷結女王エカテリーナが白目を剥いて崩れ落ちた。
KOではない。
AO(アセンション・アウト/昇天)である。
その股間に手を這わせ、とろけるような顔で見下ろしているのは、彼らの後輩、恋問持子であった。
「……見たか」
岩田剛毅が、重い口を開いた。
特注のブレザーが、筋肉の鎧によってはち切れんばかりに膨れ上がっている。
「ああ。見た」
森盛夫が、ネクタイを緩めながら乾いた唇を舐めた。
「打撃じゃない。関節でもない。あれは……」
「気の逆流。神経系への直接干渉ね」
千手美貴が、スカートの裾を無意識に握りしめながら、瞳を鋭く細めた。
「――ほう。興味があるのか」
不意に。
闇の底から、声がした。
「!!」
三人が、弾かれたように振り返る。
黄金の瞳。
すべてを見下す、魔王の威容。
恋問持子が、ブラウスのボタンを一つ外し、ニヤリと笑って立っていた。
「教えてやろうか。……とろけるような『理』を」
持子は、まず一番巨大な岩――岩田剛毅を指差した。
「岩田。貴様、実験台になれ」
「……俺か」
岩田は逃げなかった。
仁王立ちになり、その丸太のような首を差し出す。ワイシャツの襟元から、太い筋肉の隆起が覗いている。
持子は、岩田の前に立った。
ヌラリ。
白磁の手が、岩田の首筋に伸びた。
「あれは房中術とは、ただの愛撫ではない。気脈の逆流……神経系へのハッキングだ。……ここだ」
持子の指先が、岩田の耳の裏、胸鎖乳突筋の奥にある「快楽のツボ」を、ピンポイントで押し込んだ。
同時に、黒い魔力を、針のように鋭く流し込む。
ドクンッ!!
岩田の巨体が、跳ねた。
だが。
倒れない。
「ぐ、……ぬ、うぅぅぅぅッ!!」
岩田は、歯を食いしばっていた。
奥歯が砕けるほどの力で噛み締め、全身の筋肉を鋼鉄のように硬直させている。
耐えているのだ。
岩田剛毅は、幼少の頃より「異常」であった。
――本気を出すな、剛毅。
――お前が動けば、周りが壊れる。
親に、教師に、友に言われ続けた呪いの言葉。
彼は常に己の出力を殺し、檻の中に閉じ込めて生きてきた。
その「我慢」の歴史が、今、持子の魔性の指による快楽の波状攻撃さえも、堤防となって食い止めていた。
「ほぅ……。耐えるか、岩田。制服の下で、筋肉が泣いているぞ?」
持子の目が、驚きに見開かれる。
岩田の額から、脂汗が噴き出す。
快楽と苦痛の狭間で、岩田は鬼の形相で立ち続けていた。
「……チッ。つまらん」
持子は岩田から手を離した。
プハァッ!
岩田が、溺れかけた者のように大きく息を吸い込む。
持子は振り返り、青ざめた森と千手を見た。
「次は貴様らだ。森、千手。……互いの気を循環させてみよ」
持子は強引に二人の手を取った。
森の指を、千手のブラウスの隙間、鎖骨のくぼみへ。
千手の指を、森のズボンのベルトの上、丹田の直下へ。
「深く……繋げ」
強制執行。
バチリッ。
岩田のような「檻」を持たぬ二人は、一瞬で防波堤が決壊した。
「ひ、あ、あぐっ……!」
「み、き……だめだ、溶け、る……ッ」
ドサリ。
二人は、崩れ落ちた。
白目を剥き、涎を垂らし、ただ痙攣する肉の塊と化した。
「……起きろ、雑兵」
ドスッ。
持子の爪先が、ピクピクと跳ねる森のわき腹を容赦なく抉った。
「あ、ぐぅ……ッ!?」
カエルのような声を上げて、森が飛び起きる。千手もまた、スカートを乱したまま、虚ろな目で身を起こした。
「こ、恋問……勘弁してくれ……もう、立てない……」
「甘えるなッ!」
持子が、仁王立ちで喝破した。
夕闇の中で、その姿は残酷な女神のようであった。
「よく見ておけ。……これは『見取り稽古』だ」
持子は、黄金の瞳を細めた。
「合気武道は、三人一組が基本。二人が技を掛け合い、一人がそれを見る。見ることにより、理を盗み、学ぶ。……今からわしが、この巨岩を料理する様を、その網膜に焼き付けておけ」
理屈である。
だが、魔王の理屈は、この場においては絶対の法律であった。
「……岩田。来い」
持子は、壁際で荒い息をついている岩田を見据えた。
「……やるのか、恋問。ここで」
岩田の声が、緊張に震えていた。
持子は、岩田のネクタイを掴み、強引に引き寄せた。
顔と顔が、触れ合うほどの距離。
「貴様の気、先ほどは出し惜しみしたであろう? 分かっておるぞ」
持子の指先が、再び岩田の首筋を這う。
「次は貴様が攻め手だ。……その太い指で、わしの『ツボ』を突いてみよ」
持子は、自らのブラウスの襟を大きく寛げた。
露わになる、白くなめらかな首筋。
そこに浮き上がる、青い静脈。
「……いいのか、恋問。俺は……加減が……」
「構わん。壊してみせよ。わしは魔王だぞ?」
プツン。
岩田の中で、何かが切れた音がした。
(……いいのか?)
この女なら。
この、自分を魔王と大言を吐く魂を持つ器なら。
俺の全てを、この業のようなエネルギーを、叩きつけても壊れないのではないか?
歓喜。
岩田の脳裏に、幼子が初めて全力で泥遊びをした時のような、原初の喜びが爆発した。
ズブリ。
岩田の指が、持子の首筋に沈んだ瞬間である。
ゴオォォォォォォッ――!!
奔流。
いや、鉄砲水だ。
岩田の全身から、制服の繊維を突き破らんばかりの「気」が噴出した。
それは、持子の指先を逆流し、彼女の体内へと雪崩れ込んだ。
「……ッ!? ぬ、ぐ……あぁぁぁぁッ!?」
持子の膝が、ガクリと折れた。
想定外。
あまりの質量。
熱い。焼けるようだ。
岩田の指先からではない。岩田の全身全霊が、持子という空洞を埋め尽くそうと押し寄せてくる。
「い、岩田……まっ、待て……大き、すぎ……ッ!」
「嬉しい……ッ! 恋問、あんたは壊れないッ! 全力が出せるッ!」
岩田は止まらない。
恍惚の表情で、その太い腕で持子の華奢な腰を抱え込んだ。
ギリギリと、あばらが軋む。
制服と制服が擦れ合い、摩擦熱が生じる。
蜜が、溢れた。
持子の口から、そしてスカートの奥の秘められた場所から。
黄金の瞳が、とろりと潤み、白目を剥く。
森と千手は、その光景を呆然と見守っていた。これが観取り稽古か。いや、これは魂の交尾だ。
岩田という怪物が、長年の枷を外し、持子という受け皿に、生命そのものを注ぎ込んでいる。
「あ、あがッ……! くる、来るぞ……ッ! 岩田、もっと……全部、よこ……ッ!!」
持子の腰が、無様に跳ねた。
口が大きく開かれる。
喉の奥から、言葉にならぬ絶叫が、夕闇の校舎に響き渡ろうとした、その刹那。
「――そこまでだ」
ヒュッ。
音が、消えた。
熱が、一瞬にして凍りついた。
格技場の入り口。
いつからそこにいたのか。
闇よりも深い影を纏い、顧問・影安が立っていた。
気配がない。
存在感がない。
まるで、最初からそこの空間の一部であったかのように。
「あ……」
持子は、岩田の胸に顔を埋めたまま、硬直した。
岩田もまた、抱きしめた腕をどうしていいか分からず、彫像のように固まった。
スカートは捲れ上がり、ブラウスは汗で透け、二人の間には濃厚な情事の残り香が漂っている。
「……座りなさい」
説教は、長かった。
永遠かと思われるほど、長かった。
四人は正座させられた。
制服のまま、冷たい畳の上で。
影安は、静かな口調で、しかし決して言葉を途切れさせることなく語り続けた。
「合気武道とは、調和だ。君たちがやっていたのは何かね? あれは調和ではない。ただの欲望の衝突だ」
影安は眼鏡の位置を直した。
「百歩譲って、若さゆえの過ちとしよう。だが、場所をわきまえなさい。ここは神聖な道場だ。制服を着たまま、男女が組んず解れつ……破廉恥にも程がある」
十分。
三十分。
一時間。
外はすっかり夜の闇に包まれている。
「岩田。君は力が強い。だからこそ、心のブレーキが必要だと言ったはずだ。嬉々として暴走してどうする」
「……はい」
岩田が縮こまる。
「そして恋問さん。君は人を唆かし、あまつさえ『見取り稽古』などと屁理屈をつけて他人を巻き込んだ。その傲慢さが、技を濁らせるのだよ」
「……う、うぬぅ……」
持子は、真っ赤な顔で俯くしかなかった。
言い返せない。
快感に負けて白目を剥いていたところを、バッチリ見られていたのだから。
最後に、影安は冷徹に告げた。
「全員、一週間の部活禁止」
「なッ……!?」
持子が顔を上げる。
「そして、反省文の提出だ。原稿用紙五枚。テーマは『武道における性エネルギーの昇華と節度』。……明日までに私の机に出すように」
「ご、五枚だと……」
持子が絶望の声を上げる。
闇が、あった。
帰り道。
夜風が、火照った身体と、説教で冷え切った心に染みる。
持子は、よろめきながら歩いていた。
後ろを振り返る。
岩田が、バツが悪そうに、しかしどこか晴れ晴れとした顔で歩いている。
長年の便秘が解消したかのような、スッキリとした顔だ。
(……あやつ、わしの中に出し切って……満足しおって……)
持子の足取りはおぼつかない。
体内には、まだ岩田の熱い気がたっぷりと残っていた。
魔王・恋問持子。
彼女が、この「気」を消化し、真の合気に目覚めるには、もう少し(と原稿用紙五枚分の反省が)必要であった。
(合気武道編 番外・完)




