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『美貌という罪、母という光――覇王、湯煙に誓う』(イラスト有り)

書き直し


二話分を詰めた

✴︎湯浴みの儀と、完璧なる『器』の証明


あやかしを跡形もなく喰らい尽くし、現代の闇に覇王の産声を上げた持子(董卓)。

その足取りは、先ほどまでの激しい死闘――否、一方的な蹂躙劇があったとは思えないほど、静かで、そして羽毛のように軽やかだった。

自室のドアを開け、中へ入る。

ガチャリ、と重厚な金属音が響き、オートロックの鍵が閉まる。


「……ふぅ」


玄関の三和土たたきに立ち、持子は小さく息を吐いた。

そこは、女子高生・恋問持子が一人で暮らす、シンプルながらも綺麗に整頓された1LDKのマンションの一室だった。

先ほどの血生臭い廊下とは完全に隔絶された、無防備で平和な『現代の城』。

その静寂と生活感のある空気に触れた瞬間、持子の内側で張り詰めていた魔王の覇気が、ふっとわずかに緩んだ。


(……不思議なものだ。これほど狭く、護衛の兵もいない箱のような部屋だというのに、妙に落ち着く)


靴を脱ぎ、洗面所へと向かう。

鏡の前に立ち、持子は自分の姿を映し出した。


「……」


口の周りにこびりついていた妖の黒い血肉は、魔力として体内に吸収されたためか、すでに欠片も残っていなかった。

だが、あの泥と錆びた鉄が混ざったような生々しい感触は、まだ舌の奥に微かにこびりついている。

持子は無言のまま制服のブラウスのボタンに手をかけ、一つ、また一つと外していった。

スカートのホックを外し、下着もすべて床に落とす。


「……湯浴みとするか」


浴室のドアを開け、シャワーの蛇口をひねる。

温かいお湯が、白く滑らかな肌を伝い落ちていく。

持子は、湯気に包まれた浴室の大きな鏡の前に、一糸まとわぬ姿で立った。


(……なんという、ことだ)


董卓の魂は、目の前に映る『自分自身』の姿に、文字通り息を呑んだ。

顔立ちは、かつて自分を破滅へと導いた傾国の美女・貂蟬ちょうせんに間違いなく生き写しだ。

切れ長の美しい瞳、スッと通った鼻筋、桜色の唇。どれをとっても非の打ち所がない。

だが、その『首から下』――肉体に関しては、あの貂蟬よりも遥かに洗練された、極上の女体であった。


(華奢な肩から、水滴が滑り落ちる……。この流れるような美しい鎖骨のライン。そして、一切の無駄な肉がない、細く引き締まったウエスト……)


持子は、濡れた自分の肌に、ゆっくりと両手を這わせた。

前世の、あの醜く膨れ上がった脂肪の塊、傷だらけで毛むくじゃらの巨体とは、対極にある存在。


(だが、ただ細いだけではないのだ。この……)


持子の手が、自らの豊かな胸元を包み込む。

細いウエストから一転して、胸元と腰回りは、豊満で蠱惑的こわくてきな弧を描いている。手のひらに伝わる、柔らかくも弾力のある圧倒的な質量。

身長も、現代の女子高生としてはかなり高く(175cm)、すらりとした長い脚がその完璧なプロポーションをさらに際立たせていた。


(……これが、わしの身体。これが、今のわしなのだ)


持子は、熱を帯びた吐息を漏らしながら、自分の身体の至る所を触り、確かめていった。

首筋、鎖骨、胸、腹、そして太もも。

触れるたびに、指先から脳髄へと、微弱な電流のような『快感』と『敏感な刺激』が伝わってくる。


「……あっ、ん……」


持子の口から、無意識のうちに、甘く艶めかしい声が漏れた。

確かめれば確かめるほど、自らが完全に『女』になったのだという絶対的な事実が、董卓の魂に叩き込まれていく。

男としての覇道を生きた記憶と、女としての敏感な肉体が、脳内で激しくスパークする。


(……熱い)


シャワーの温度以上の熱が、身体の奥底から湧き上がってくる。

肌はほんのりと桜色に上気し、心臓の鼓動が不規則に早鐘を打つ。

自らの完璧な肉体に触れるだけで、身体が昂ぶり、どうしようもないほどの熱情が腹の底に渦巻いていく。


「……はぁっ、はぁっ……! いかん、これ以上は……わしの理性が、この肉の熱に飲まれる……っ」


持子は慌てて冷水のシャワーを浴び、頭から冷水をかぶった。

ブルッと身体を震わせ、強引に昂ぶる熱を冷ます。

危うく、自分自身の肉体の美しさと感度に、己の魂が溺れてしまうところだった。


挿絵(By みてみん)


✴︎影の腕と、生存への盤上


ひとしきり身体を洗い、湯船に浸かって心を落ち着かせた後。

持子は、改めて自らの内側に意識を向けた。


(……やはり、気のせいではないな)


冷静になった彼女の目には、はっきりと見えていた。

湯気とは違う。自らの白い肌から、まるで陽炎のように、どす黒い『黒い霧』が絶え間なく滲み出ているのだ。

これが、先ほど妖を喰らって得た『魔力』。


「……少し、試してみるか」


持子は湯船の中で右手を軽く上げた。

そして、体内に渦巻く熱(魔力)の奔流を、その右手に集中させるイメージを描く。


シュルルルッ……!


滲み出ていた黒い霧が一箇所に収束し、持子の腕に絡みつくようにして、もう一つの『巨大な黒い腕』の形を成した。


「おお……」


それは、先ほどのマンションの廊下で、実体のない泥の妖を壁にはりつけにしたのと同じ腕だ。

持子は、その魔力の腕を動かし、洗い場に置かれているシャンプーの瓶へと伸ばした。

実体のないはずの黒い霧の手が、プラスチックの瓶をガシィッ! と的確に掴む。


(……驚いたな。実体のない妖という『霊的な存在』を掴めただけでなく、この現世の『物理的な物体』にも干渉できるというのか)


持子が意念を送ると、黒い手はシャンプーの瓶を軽々と持ち上げ、湯船の上まで運んできた。

手のひらには、瓶の重さや冷たさといった『触覚』すらも、微かにフィードバックされてくる。


「……異質だ。あまりにも異質すぎる力だ」


持子は魔力の腕を霧散させ、シャンプーの瓶を元の位置に戻した。


(わしは今日、あの妖を圧倒的な力で狩り、喰らった。捕食者として君臨した。だが……)


湯船に深く沈み込み、黄金の瞳を細める。

水面には、絶世の美女の真剣な表情が映っている。


(この力が、わし一人のものだという保証はどこにもない)


妖が存在するということは、その妖を祓う存在や、妖以上の力を持つ化け物が、この現代の闇に潜んでいる可能性が高いということだ。


(前世の長安でも、空を飛び、霞を食うなどと宣う『仙人せんにん』と名乗る得体の知れない者たちがいた。わしは武力と兵力こそが全てだと信じていたから、あんな者たちの真贋しんがんなど興味もなかったし、知ろうともしなかったが……)


もし、あのような人智を超えた存在が、この時代にも『裏側』で蠢いているのだとしたら。


(今日はたまたま、わしが狩る側に回れただけだ。おごれば、明日にはわしが『狩られる側』に回るかもしれん)


覇王としての冷静な分析。

乱世を生き抜いた董卓の生存本能が、警鐘を鳴らしていた。


「……決まりだな」


持子は、湯船からザバァッと立ち上がった。

滴る水滴が、完璧なプロポーションをより一層艶やかに彩る。


「この力は、今は隠すのが得策だ」


無闇に力を誇示すれば、どのような勢力から目をつけられるか分からない。

ましてや、今の自分は「女子高生モデル」という、ひどく目立つ、かつ無防備な立場にある。


「力を隠し、内側に溜め込む。そして、この世界のことわりと、裏側の情勢を把握する。……口調や態度は、今まで通りでいい。あの『ツンデレ』とやらを演じておけば、周囲はただの反抗期か、少し頭のおかしい小娘だとしか思わんだろう」


すべては、真の覇道に至るための『準備の期間』だ。



✴︎温もりの正体と、魔王の誓い


風呂から上がり、清潔なパジャマに着替えた持子は、ベッドにゴロンと横になった。

ふかふかのマットレス。清潔なシーツの匂い。


(……雪)


目を閉じると、自然とあの女性の顔が浮かんだ。

立花雪。

自分の面倒を見てくれる、少しお人好しで、世話焼きな事務所の社長。


(わしは……雪の夢である、『仕事とっぷもでる』とやらを助けてやろう)


それは、自分の身を隠すための隠れカモフラージュとしての合理的な判断でもある。

だが、それだけではない。

雪のことを思い出すたび、持子の胸の奥が、じんわりと暖かくなるのだ。

先ほど浴室で自分の身体を触った時に感じた、あの暴走するような『欲情』や『肉欲』とは、まったく違う種類の感情。


(これは……なんだ? かつてわしが貂蟬に抱いたような、独占欲や情欲ではない。もっと、こう……静かで、安心するような……)


持子は、胸に手を当てた。


(母、か?)


前世では幼い頃に失い、顔すらもまともに覚えていない『母』という存在。

あるいは、絶対的な安らぎを与えてくれる庇護者への慕情。

雪の温もりに触れると、心が安らぎ、同時に「この者を守らねばならない」という奇妙な使命感すら湧いてくるのだ。


「……分からん」


持子はベッドの中で寝返りを打ち、シーツに顔を埋めた。


「まだ、この世界で目覚めて、1日も経っていないのだからな……」


今はまだ、答えを出す必要はない。

自分が人間なのか、魔なのか。

雪への感情が何なのか。

それは、これからゆっくりと確かめていけばいい。


「……おやすみ、雪。明日も、わしを迎えに来いよ……」


ツンデレ魔王の不器用なつぶやきは、静寂の部屋に溶けて消えた。

妖を喰らい、力を得て、そして一人の女性への想いを胸に抱きながら。

魔王・董卓の、現代での初めての長い夜が、静かに更けていった――。



✴︎美貌という名の罪、母という名の光


――ドクン、ドクン。


暗く、深く、ひんやりとした泥のような闇の底。

わし(董卓)は、夢を観ていた。

いや、これは夢ではない。千年の時を超えてこの魂が吸い込まれた完璧な器――「恋問持子」という少女の、血の滲むような記憶の残滓ざんしだ。

暴虐の限りを尽くし、欲望のままに生きたわしの前世とは対極にある、あまりにも無力で、哀れな少女の記録。



【第一の記憶:呪われた妖花】


持子は、捨て子であった。

物心ついた時から、札幌の冷たい風が吹く孤児院の、薄暗い部屋の隅にいた。父母の顔も、その声も知らぬ。抱きしめられた時の温もりすら、彼女の辞書には存在しなかった。

ただ一つ、幼い彼女が嫌というほど理解させられた真理がある。


――自分の容姿が、他者とは決定的に、そして異端なまでに違うということだ。


美しかった。

あまりにも、美しすぎた。

わずか五歳にして、その顔立ちはすでに傾国の妖花のごときつやと魔性を孕んでいた。

それが、この狭い世界では最大の『罪』であった。


「なによ、あんたばっかり大人ぶって!」


ギリィッ!

同年代の女児たちの細い指先が、持子の白磁のような頬や腕の肉に容赦なく食い込む。

痛い。ひどく痛い。

美しいものに対する、理由のない苛立ちと嫉妬。翌日には、柔らかな肌にいくつもの痛々しい青痣あおあざが咲いた。

男児たちは違った。彼らは無自覚に、持子の魔性に惹かれた。

だが、その幼く未熟な劣情は、陰湿な暴力という歪な形をとって表れた。


バサッ!


「あはははっ! 泥まみれだ!」


すれ違いざまに髪を強く引かれ、泥団子をぶつけられる。

泣かせたい。自分を見て欲しい。力で屈服させたい。

そんな身勝手な欲望が、持子の小さな身体に雨あられと降り注いだ。

シスターたちは見て見ぬふりをした。誰も、この異質な美しさを持つ少女を守ろうとはしなかった。


(……消えてしまいたい)


冷たい布団の中で膝を抱えながら、五歳の少女はそう願った。

生きていても、仕方がないではないか。この美しさは、ここでは自分を傷つけるだけの『呪い』でしかないのだから。



【第二の記憶:黒い水と枯れ木】


ヒュウゥゥゥゥ……。


冬の札幌。肌を刺すような、鋭い吹雪。

創成川そうせいがわのほとりに、五歳の持子は立っていた。

鉛色の空から、白い灰のように雪が落ちてくる。

持子は、冷え切った鉄の欄干に身を預け、眼下を流れる水を見つめていた。

黒い水だ。

すべてを飲み込み、塗り潰してくれそうな、深い黒い水面みなもである。

寒い。手足の感覚は、とうの昔に凍りついて消え失せている。


(このまま飛び込めば、痛いのも、寒いのも、全部終わる……)


わかっている。わかっているのだが、足がすくむのだ。

死ぬのが怖いのではない。この黒い水が、底なしの胃袋を持つ恐ろしい化け物のように思えて、身体がすくんで動けないのだ。

一時間。いや、二時間だろうか。

持子は、雪をかぶった地蔵のように動かなかった。


――ギリッ。


挿絵(By みてみん)


奥歯を噛み締め、ようやく決心がついた。

行こう。この黒い流れの底へ。

欄干から身を乗り出し、重力に身を任せようとした、その時である。


「……待ちなさい」


背後から、声がした。

低く、枯れた、だが不思議に腹の底の臓腑を直接揺らすような、重い声であった。

持子がビクンと肩を揺らし、振り返る。

そこに立っていたのは、枯れ木のような老人だった。

肉の削げ落ちた身体に、粗末な和服を纏っている。だが、その深く刻まれた皺の奥にある双眸そうぼうは、ギラリと猛禽類のような鋭い光を放っていた。

老人の横には、持子と同じくらいの年の少年が立っていた。孫だろうか。

老人は、持子の虚ろな瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。


「ついておいで」


言葉は、それだけであった。

なぜ死のうとしていたのか、理由は聞かない。命を粗末にするなという安っぽい説教もしない。

ただ、静かに背を向けて歩き出したのだ。

持子は、まるで磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、フラフラとその小さくも巨大な後ろ姿を追った。


【第三の記憶:生への執着と獣の誓い】


着いたのは、今にも雪の重みで崩れ落ちそうな、古い木造の平屋だった。

ガタガタと、隙間風が遠慮なく鳴いている。

老人は持子を土間の長椅子に座らせると、やがて、もうもうと湯気を立てる盆を運んできた。

めしである。

大きな丼に、山のように盛られた白米。醤油で真っ黒に煮しめられた根菜。脂の乗った分厚い焼き魚。

五歳の子供の胃袋では、到底受け止めきれない量だ。大人の男でも音を上げる分量である。


「……」


持子は呆然とそれを見た。

湯気の向こうで、老人があぐらをかいて座っている。孫の少年もまた、無言で自分の分の山盛り飯をものすごい勢いで食らっている。

持子は箸を持ったまま、動けなかった。

入らない。恐怖と寒さで縮み上がった喉が、固形物を受け付けないのだ。

すると、老人が低く響く声で言った。


「強くなりたいのなら、食べなさい」


――ドクンッ。


その言葉が、持子の耳朶じだを、いや、魂を強く打った。

強くなりたいか?

いじめられず、泥を投げられず、誰の暴力にも脅かされぬほどに。自分を呪わずに済むほどに。


(……強くなりたい)


持子は無言で頷き、震える両手で飯を口に運んだ。

咀嚼そしゃくする。無理やり飲み込む。

休眠状態だった胃袋が、突然の重労働に悲鳴を上げる。

それでも、詰め込む。

ボロボロと、大粒の涙が溢れ出た。

吐き気と戦いながら、それでも持子は、目の前の『命』を己の小さな身体へと必死に押し込んだ。

どれほどの時間が経ったか。

気づけば、器は完全に空になっていた。

腹が内側から張り裂けそうだった。だが、同時に全身の血管を、ドクドクと熱い血が巡り始めるのがはっきりとわかった。

老人は、空になった器を見て、ぽつりと言った。


「強くないと、生きてはいけない」


それは、親のない五歳のわらべに突きつけるには、あまりにも無慈悲で残酷な真理であった。

だが。


(……そうだ。その通りだ)


持子は腹の底から納得した。

美しさも、涙も、この世界では何の役にも立たない。

ただ、己の足で地を踏みしめ、己の牙で糧を喰らう『強さ』だけが、この寒空の下で生き延びる唯一の術なのだ。

老人の目が、ぎろりと光った。

囲炉裏の火が、その瞳の奥で赤く揺れている。


「孫の稽古相手になれ」


老人は言った。


「そうすれば、お前は強くなる。……わしの体は、もう終わっておる。枯れ木だ。ずいまで乾いておる。これ以上、この子に稽古をつけてやることはできん」


老人は、かつて数多の命を奪ったかもしれない、自身の枯れ枝のような指をじっと見つめた。


「合気武道とは、一人では成せぬ。相手がいなければ、技は生まれぬ。気が通わぬ。術理が体に染み込まぬ。……だが、無理強いはせぬ。強くなるも、ならぬも、お前次第だ」


吐き捨てるように言い放つ。


機会チャンスは、今、与えた。あとは、お前が噛み砕くか、吐き出すかだ」


持子は、自身のてのひらを見た。

白く、か弱い、泥にまみれた手だ。今はまだ、自分すら守れない無力な手。


(強くなりたい……!)


限界まで膨れ上がった腹の底にある熱い塊が、咆哮を上げていた。

持子は顔を上げ、老人を真っ直ぐに見据えた。

そして、小さく、しかし力強く頷いた。


コクン。


それを見て、隣で飯を食い終えた少年が一歩、前に出た。


高倉たかくら りゅう


少年は言った。竜。天に昇る獣の名だ。

持子も、ひび割れた唇をゆっくりと開いた。


「……恋問、持子」


少年は、ぱちくりと瞬きをした。そして、ニッと太陽のように明るい白い歯を見せた。


「じゃあ、モッチだな!」


「え……」


「モッチだ。よろしくな、モッチ!」


勝手な愛称あだなであった。

だが、その笑顔には、同年代の子供たちが持子に向けていたような、嫉妬も、劣情も、悪意も、一点の曇りもなかった。

さきほどまでの重苦しい空気が、嘘のように晴れていた。

それは、持子が生まれて初めて向けられた、陽だまりのような絶対的な『肯定』の笑顔であった。



【第四の記憶:別離】


それから十一年が過ぎた。

持子の生活は、血を吐くような合気武道の稽古と、尋常ではない量の食事(カロリー摂取)の反復であった。

肉体を極限まで追い込み、相手の力を利用する円の理を身体に叩き込む日々。

女としての肉がつき、肢体からだはすらりと伸びやかに成長し、175cmの長身と豊満なプロポーション、そして妖艶なまでの美貌を完成させつつあった。

老人が、死んだのだ。

巨木が倒れるような音などしない。枯れ木が土に還るように、静かで、呆気ない最期であった。

葬儀は神道しんとうで執り行われた。

白木しらき玉串たまぐし

ヒチリキとしょうの哀切な音が、低く垂れ込めた北の空へ吸い込まれてゆく。


「……売ったよ」


すべての儀式が終わったあと、竜は言った。

老人が遺したあのボロボロの隠れ家も、土地も、すべて金に変えたという。


「アメリカへ行く」


竜の瞳は、野生の獣のように飢えていた。

老人の技、合気武道が、体格も膂力も勝る異国の獣たち相手に通じるのか。骨の髄まで、強さを求めていた。


「大丈夫なの?」


持子は言った。声には、隠しきれない震えがあった。


「まだ、私より小さいのに」


今の竜は、まだ発育の途中であり、持子よりも頭一つ分背が低い。異国の暴力に耐えられるのか。それは、姉が弟を案じるような、あるいは唯一の家族を失う恐怖を含んだ響きだった。

竜は、精悍な笑みを浮かべ、持子の肩をポンと叩いた。


「これからだ。俺は、これから伸びる。もしも次に会う時は、モッチよりもデカくなってるさ。……強くな」


それが、最後の言葉であった。

竜は行った。老人の霊璽れいじだけをリュックに詰め込んで。

一度も、振り返ることはなかった。

再び、持子は一人になった。

世界に自分を繋ぎ止めるくさびが、一本残らず引き抜かれた。

荒野だ。冷たい風が吹いている。

あの創成川のほとりで感じた、底知れぬ真っ黒な闇が、再び足元から這い上がってくるのがわかった。



【第五の記憶:恩義と、差し伸べられた光】


五十日祭ごじゅうにちさいと納骨の日。

雪が舞う墓前に佇む持子の前に、一人の女が現れた。

立花雪たちばな ゆき

喪服の似合う、どこか冷ややかで知的な美貌の女であった。


「高倉から、話は聞いているわ」


雪は、持子を強引に連れ出した。

すすきのにある「かどや」という老舗の鰻屋である。


「一番高いものを頼みなさい。好きなだけ食べていいわ」


持子は、言われるがままに鰻を貪り食った。

腹が減っていた。心も、体も、空っぽで、何かを詰め込まなければ消えてしまいそうだったからだ。

雪は、無言で頬張る持子を真剣な目で見つめていた。

やがて、彼女は静かに口を開いた。


「……高倉に、私は少しばかり恩義があってね。生前、彼から『自分に何かあれば、この子を頼みたい』と連絡を受けていたの。」


持子の手が、ピタッと止まった。

雪の鋭い視線に射抜かれ、(……終わった)と持子は箸を下ろした。呆れられて、捨てられる。私には、何もないのだから。

再び、あの冷たい闇に戻るのだ。


だが。


雪は目を瞑り、数秒の深い思考の末に――カッと目を開き、持子の顔を真っ直ぐに指差した。

その瞳には、野心と、底知れぬ覚悟が宿っていた。


「……モデルに、ならない?」


「へ……?」


唐突な言葉に、持子は間抜けな声を漏らした。


「あなたのその『圧倒的な美貌』……それは間違いなく、世界をひれ伏させる本物よ。それを活かすしかない。あなたは、世界に出るべきよ」


雪は、身を乗り出した。


「私が、あなたのために新しい事務所を作るわ。……二人だけで、世界を獲りに行くのよ」


人は裏切る。人は妬む。


その真理を、持子は幼い頃から嫌というほど叩き込まれてきた。


だが。


その時、持子の魂は、目の前の「立花雪」という女性に、どうしようもなく惹かれ、すがりついた。


(……母)


知らぬ概念だ。だが、もしこの世に母親というものが存在するのならば、このような強くて、厳しくて、そして深い温もりを持つ生き物なのではないか。

そして、雪は極めつけに、春の陽だまりのような、とびきりの笑顔を見せたのだ。


「これからのあなたの居場所は、私がすべて用意するわ。だからもう、一人で震える必要はないのよ」


「……っ!」


このひとを、信じよう。

持子は深く頷き、差し出された雪のその手を、両手でしっかりと握り返した。

風が、止んでいた。

凍りついていた持子の時間が、再び動き出した瞬間であった。



【第六の記憶:覇王の覚醒と、忠誠の誓い】


――そこで、記憶の奔流は途切れた。


「……あ、れ?」


ハッと気がつくと、わし(董卓)の頬には、生温かい涙が伝っていた。

自分のことでありながら、自分のことではない。

だが、今のわしの肉体と魂には、この『恋問持子』という少女が歩んできた人生が、確かに刻み込まれているのだ。

わしが合気武道の、その技を極めている理由。

自分を生かしてくれた、あの老いた合気武道の師匠。

忘れていた、竜という幼馴染であり、兄弟弟子であった少年の存在。


そして何より――。


(……雪。立花、雪か)


わしが、あの女を「推し」として崇拝し、意識してしまっている理由。

すべては、この器が彼女から与えられた『絶対的な肯定と救済』に起因していたのだ。


(……不思議な感覚だ。だが、決して嫌な気はしない)

わしは、己の胸にそっと手を当てた。


前世で裏切りと殺戮の果てに業火に焼かれたわしを、この少女の純粋な想いが、優しく包み込んでくれているような気がした。


――きゅるるるるっ。


「……む」


唐突に、腹の底で激しい自己主張が鳴り響いた。

途端に、ふつふつと力が湧いてくる。

腹の底で、規格外の魔力が唸りを上げている。

空腹だ。猛烈に、死ぬほど腹が減った。


「ふふ……はははっ!」


わしは一人、静かな部屋で口の端を吊り上げ、笑った。

なるほど、悪くない。

この肉体は、この魂は、雪という女のために全霊を懸けて戦うと誓ったのだな。

ならば、わしがその誓いを引き継ごうではないか。

あの時、わしに手を差し伸べた参謀(社長兼プロデューサー)のために。


さあ、こう。


雪が、待っている。


この、美しくも残酷な、現代の『芸能界』という名の盤上を。

覇王・董卓と、美しき器・恋問持子の、新たな天下布武の幕開けである。

改行改行改行改行

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