『魔王は十七歳に転生する――常夜に目覚めた黄金の瞳』(イラスト有り)
書き直し〜
✴︎鉄の馬車との別れ、そして常夜への帰還
夜の帳が完全に下りた、都内の閑静な住宅街。
黒いミニバンが、瀟洒な造りの低層マンションの前で静かに停車した。
「はい、到着。お疲れ様、持子さん」
運転席の立花雪が、エンジンを切らずに振り返る。
後部座席にふんぞり返っていた恋問持子(中身は董卓)は、名残惜しさを微塵も顔に出さないよう、ことさら尊大な態度で腕を組んだ。
「ふん。まあまあの乗り心地であった。この『鉄の馬車』の操縦、大儀であったぞ、雪」
「鉄の馬車って……まあいいわ。今日は本当にいっぱい食べたわね。ゆっくりお風呂に入って、疲れをとるのよ?」
雪の言葉には、ただの事務所社長としての管理を超えた、家族に向けるような温かい響きがあった。
その声が耳を打つたび、持子の胸の奥底で、トクン、トクンと甘い鼓動が跳ねる。
絶世の美貌を誇る貂蟬に生き写しのその顔が、ふいっと窓の外へ向けられた。
(……ええい、いちいち世話を焼く女だ! わしは覇王だぞ。子供扱いしおって……!)
董卓の魂は、雪から与えられる『無償の温もり』に激しく警戒を鳴らしている。だが、持子の肉体そのものが雪の言葉に喜び、細胞レベルで反応してしまうのだ。
「……言われなくとも分かっておるわ! 貴様こそ、さっさと帰って寝ろ! わしの『参謀』が寝不足で倒れでもしたら、このわしが……っ、わ、わしが、新しい参謀を探す手間が増えて面倒だからな!」
バンッ! と、少し乱暴にスライドドアを開け、持子は夜の冷気の中へ飛び出した。
ドアが閉まる寸前、持子は黄金の瞳をわずかに揺らし、振り返らずに言い放つ。
「……今日は、その。悪くない……『即位の儀』であった。大儀!」
ピシャリ。
ドアを閉めた直後、持子は自分の顔が耳まで熱くなっているのを自覚し、両手で頬をバシバシと叩いた。
(何を言っておるのだ、わしは! なぜこの女の前だと、こうも口調が乱れる!)
ウィーン、と窓が下り、雪が顔を出す。
「ふふっ。明日も夕方に迎えに来るからね! おやすみ、持子さん!」
「さっさと行けぇっ!!」
持子が真っ赤な顔で怒鳴ると、ミニバンは静かに走り去っていった。
赤いテールランプが夜の闇に吸い込まれ、完全に見えなくなるまで、持子はその場から一歩も動かなかった。
彼女の完璧なプロポーションを包む制服のスカートが、夜風にふわりと揺れる。
「……行ってしまったか」
ぽつり、とこぼれた声には、先ほどまでの威厳は嘘のように鳴りを潜め、微かな寂寥感が混じっていた。
持子は踵を返し、マンションのエントランスへと向かう。
オートロックの操作盤の前に立つと、持子の腕は『董卓の意志』とは無関係に、極めて自然な動作で暗証番号を打ち込んだ。
(……ふむ。わしの魂はこの見知らぬ世界で目覚めたばかりだというのに、この娘の肉体が『帰るべき城(部屋)』への道筋を完全に記憶しておるのだな)
自動ドアが開き、静まり返った廊下を進む。
エレベーターに乗り、三階へ。降りて右に曲がり、一番奥の角部屋。
持子は愛用のバッグから鍵を取り出し、迷うことなく自室のドアを開けようとした。
――その時である。
『……ギチ……ギチギチギチッ……』
持子の背後。
薄暗い廊下の蛍光灯が、ジジッ……と不快な音を立てて明滅した。
それと同時に、周囲の空気が一変する。
先ほどまでの心地よい夜風とは違う、肺の奥底にへばりつくような、ネットリとした『死臭』と『泥』の混ざったような悪臭。
「……む?」
持子は、鍵穴に鍵を差し込んだまま、ゆっくりと振り返った。
そこに、『それ』はいた。
廊下の数メートル先。
闇がそこだけ異様に濃く固まったかのような、黒い人間形の『妖』。
輪郭はドロドロと崩れかけの泥のようで、目と口に当たる部分だけが、ぽっかりと底なしの穴のように開いている。
(なんだ、アレは……?)
董卓は黄金の瞳を細めた。
前世である後漢の時代、数多の戦場を駆け抜け、屍の山を築いてきた彼でさえ、あのような異形の化け物は見たことがない。
当然、現代の女子高生である「恋問持子」の記憶を探っても、あんな存在と遭遇した過去はない。
だが――。
(……不思議だ。初めて見るはずなのに、奴の存在が『見える』ことが、ごく自然なことのように思える)
持子の心には、驚きこそあれど、『恐怖』は一切存在しなかった。
まるで、道端に転がっている石ころや、羽虫を見つけた時のような、ひどく冷めた感情。
『……ア、ァァ……クウ……ク、ウ……』
妖と、持子の黄金の瞳が交差する。
目が合った瞬間、妖の顔にある黒い穴――口の形が、三日月のように吊り上がった。
それは明確な『歓喜』であり、無防備な獲物を見つけた捕食者の『不敵な笑み』だった。
ズリッ……ズリッ……。
妖は、持子が怯えて動けないのだと勘違いしたのだろう。
涎のように黒い瘴気を垂れ流しながら、ジリジリと、なめるように間合いを詰めてくる。
(……ほう?)
董卓は、鼻で笑った。
(このわしを、この魔王・董卓を『食い物』として見ておるのか、この下等な泥人形は)
✴︎捕食者の錯誤、そして無明の合気武道
『グルルルゥゥゥアアアッ!!!』
妖が吠えた。
その黒い巨体が、爆発的な跳躍力で床を蹴る。
常人の目には捉えきれないほどの速度。一瞬にして持子の眼前に迫った妖は、その不定形な両腕を鋭い爪へと変え、持子の華奢な両肩をガシィッ! と強烈な力で握りしめた。
「……っ!」
制服の生地がミシミシと悲鳴を上げる。
常人ならば、肩の骨が砕け散っていてもおかしくないほどの膂力。
だが、持子の顔色には一点の曇りもない。
『ク、ウウウゥゥゥッ!!』
妖は大きく、耳元まで裂けるように口を開いた。
その奥には、ノコギリのように並んだ禍々しい牙。
狙うは、持子の白く細い、無防備な首筋。
貂蟬の甘い香りが漂うその頸動脈を噛みちぎり、温かい血肉を貪り喰らおうと、妖は全体重を乗せて牙を突き立ててきた。
――その刹那。
「……身の程を知れ、羽虫が」
合気武道を体得している持子の肉体と、戦を知る董卓の魂が完全に同調し、無意識の最適解を弾き出した。
持子は、肩を掴まれた状態から一切逃げようとせず、逆に妖の懐へと半歩踏み込んだ。
そして、妖の巨大な顎の下へ、自らの右掌を滑り込ませた。
――合気武道、応用技『車倒し(くるまだおし)』。
それは、腕力で相手をねじ伏せる技ではない。
相手が「喰らいつこうと前のめりになった重心」と「肩を掴んで固定した力」、そのすべての『ベクトル』を完全に掌握し、利用する円運動の極意。
「ふんっ!!」
ドゴォォォォンッ!!!
凄まじい衝撃音が、深夜のマンションの廊下に響き渡った。
持子は、妖の顎を下から天へ向かって鋭く『かち上げ』、妖の頭部を支点にして、その巨体を空中で一回転させた。
そして、妖の全体重と、持子の放った遠心力による破壊力を一点に集約し、コンクリートの床へと脳天から真っ逆さまに叩きつけたのだ。
『ギ、ギィィィィィィッ!?!?』
バキィィィィッ!! と、妖の頭の半分が、トマトが潰れるように無惨に砕け散った。
黒い泥のような体液が、放射状にぶちまけられる。
肩を掴んでいた妖の片腕は肘からへし折れ、だらりと垂れ下がっていた。
完璧なプロポーションを持つ女子高生の、あまりにも美しく、そして残酷なほどに洗練された一撃。
『ガ……ァ……? ギ、ギィィ……ッ!?』
床に叩きつけられ、頭部を半分失った妖は、ただただ混乱と『絶望的な恐怖』に支配されていた。
なぜ、か弱い人間の雌が、自分の攻撃をいなした?
なぜ、自分の頭が砕けている?
(……ち、がう……コイツ、人間ジャ、ナイ……!)
妖は己の致命的な間抜けさを呪った。
目の前に立つこの少女は、『捕食される側』などでは決してない。
圧倒的な、次元の違う『捕食者』なのだ。
逃げなければ。喰われる。
生存本能が警鐘を鳴らし、妖は這いつくばったまま、泥のような体液を引きずって必死に後退し、逃げようとした。
だが、遅すぎた。
「……逃がすと思うか?」
持子の背中から、どす黒い、禍々しい『魔力の靄』が間欠泉のように噴き出した。
それは実体を伴う無数の『黒い手』へと形を変え、大蛇のように廊下を這い進む。
ガシィッ!!
『ギャアアアアッ!?』
何本もの黒い魔力の手が、逃げようとする妖の手足、胴体、そして首に絡みつき、背後の壁へと強引に引きずり、磔にして固定した。
✴︎覇王の餐宴、魔の胎動
「ひゅーっ、ひゅーっ……」
壁に縫い付けられた妖は、砕けた口から悲鳴とも呼べない空気の漏れる音を出しながら、激しく身もだえしていた。
その姿を、持子はゆっくりと、まるで極上の獲物を品定めするような足取りで近づいていく。
「……貴様、運が悪かったな」
持子は妖の眼前で立ち止まり、その黄金の瞳を三日月のように歪ませた。
そして、右手をスッと伸ばし、怯えて震える妖の『砕けた頭』を、鷲掴みにした。
「さっきの店で食った『でざぁと』とやらは、いささか甘すぎた。……口直しには、貴様のような泥臭い命がちょうど良い」
『……ッ!? ァ……、ァァァァ……!!』
妖は声にならない悲鳴を上げた。
持子は、絶世の美貌を誇るその小さな口を、人体の限界を超えて大きく、ガパァッ! と開いた。
唇の端が裂けんばかりに広がり、白い歯がギラリと暗闇に光る。
「――いただきます、だ」
ブチブチブチィィッ!!!
持子は、妖の顔面に直接かぶりつき、その黒い泥のような肉を、骨ごと強引に食い千切った。
『――――――ッ!!!?!?』
妖の絶叫が、空間の次元を超えて木霊する。
持子は口の周りを黒い体液で汚しながら、無表情でそれを咀嚼した。
グチャッ……ゴリッ……メチャァッ……。
「……む」
味は、先ほど食べた「伊太利亜の肉」や「てぃらみす」とは比べるべくもない。
泥と、錆びた鉄と、腐肉を混ぜ合わせたような、お世辞にも美味いとは言えない代物だ。
だが――悪くない。
ゴクンッ。
持子がその異形の肉を嚥下した瞬間。
持子の丹田(下腹部)の奥底で、爆発的な『熱』が生まれた。
(……おおっ!? なんだ、この力は!)
董卓の魂が、歓喜に打ち震えた。
妖の肉を胃の腑に落とし込んだ瞬間、それが純粋な『魔力』へと変換され、持子の全身の血管、細胞の隅々にまで怒涛のごとく駆け巡り始めたのだ。
「……喰う。もっと、喰うぞ……!」
ドバァッ! ブチブチィッ!!
持子は完全に理性を外した獣のように、壁に固定された妖の身体に何度もかぶりついた。
首を食い千切り、肩を砕き、胸の肉を抉り取る。
『ギ、ギィィ……タスケ……タスケテ……』
「黙れ。貴様は我が血肉となるのだ。覇王の糧となることを光栄に思え!」
貪り喰らうたびに、持子の身体から立ち上る黒い魔力が、どんどんと濃度を増し、巨大化していく。
妖の身体は、持子の口と、背中から伸びる魔力の手に引き千切られ、瞬く間にその質量を減らしていった。
数分後。
「……ふぅっ」
持子が最後に残った妖の心臓らしき核(魔石)を丸呑みにして嚥下した時、廊下にはもう、妖の欠片すら残っていなかった。
壁や床に飛び散っていた黒い体液すらも、持子の発する魔力に吸い寄せられるように、彼女の体内へと吸収されて消え去った。
ただ、口の周りを妖しく濡らし、恍惚とした表情を浮かべる絶世の美女が一人、そこに立っているだけだった。
(……素晴らしい。なんて素晴らしいのだ……!)
持子――いや、董卓は、両手を開いて自らの身体を見下ろした。
腹の底から尽きることなく湧き上がってくる、圧倒的な力(魔力)。
それは、前世の長安でどれほどの権力や富を手に入れても決して得られなかった、神の如き万能感だった。
ふと、控え室で己が口にした言葉が脳裏に蘇る。
『わしは、魔王だ』
(……あの時は、ただの強がり、勢いで口走った言葉に過ぎなかったが……)
董卓は、自らの血に濡れた手を見つめた。
(これは、誠かもしれんな。わしは、そしてこの娘の肉体は……人でありながら、同時に『魔』でもあるのだ)
圧倒的な捕食者。
常識を外れた存在。
妖を喰らい、それを力に変えることができる、文字通りの『魔の王』。
「……くっ」
持子の唇から、自然と笑みがこぼれた。
最初は静かな、くぐもった笑いだった。だが、身体中に満ち満ちる強大な魔力の奔流に耐えきれず、その笑いは次第に大きく、狂気を孕んでいく。
「くくく……ははははは! はーっはっはっはっは!!!」
深夜のマンションの廊下に、魔王の歓喜の高笑いが響き渡る。
しかし、その声は強力な結界(魔力)によって遮断され、住人の誰一人の耳にも届くことはない。
「良いぞ! なまら最高ではないか! この世界には、美食だけではない! わしを真の『覇王』へと押し上げる、極上の『力』が転がっておるのだな!」
絶世の美貌と、完璧なプロポーション。
ツンデレな少女の不器用な乙女心。
そして、妖を嬉々として捕食する魔王の残酷さと圧倒的な力。
すべてを内包した「恋問持子」という特異点は、今ここに、真の覚醒の産声を上げたのであった。
彼女の眼前に広がる現代日本は、もはや退屈な日常ではない。
覇王・董卓が喰らい尽くし、支配するための、新たな『盤上』であった。
改行改行改行




