『神よりも、君を信じる ――地下聖拳決戦』
✴︎ 『神よりも、君を信じる ――地下聖拳決戦』
帝都・東京の地下三十メートル。
霞涼介の血を吐くような絶叫が木霊し、本多鮎たちが暗闇の奥へと駆け出していったその直後。
天草・クリストファー・流星の視界は、眩いばかりの純白と銀の光によって完全に塞がれていた。
「――主の教えに背き、魔に魅入られた哀れな迷える子羊よ」
重々しく、そして深い悲哀を帯びた声が、赤黒い瘴気の漂う地下道に響き渡る。
流星の前に整然と立ち並ぶのは、十五名の重装甲騎士。純白の法衣の上に、霊的干渉を完全に遮断する銀の祝福装甲を纏い、身の丈ほどもある聖槍を構えた彼らは、『聖三条騎士団』が誇る異端審問官の精鋭部隊であった。
そして、その先頭に立ち、悲痛な眼差しで流星を見据えているのは、初老の屈強な男。
流星に神聖魔術と近接格闘術『聖拳術』のすべてを叩き込み、彼を実の息子のように愛してくれた恩師――アレクサンデル司祭だった。
「流星。お前は我が騎士団の誇りであり、間違いなく次代の『聖騎士長』を担う光となるはずだった。それほどの神の恩寵を受けながら……なぜだ。なぜ、あのような極黒の魔王の如き少女に魂を売り渡した?」
アレクサンデルは、手に持つ巨大な戦槌を床に突き立て、血を吐くような声で教え子を詰問した。
「神を捨て、教義を捨て、国家のテロリストにまで堕ちて……お前は一体、何を信じるというのだ!」
司祭の怒りに呼応するように、十五人の異端審問官たちが構える聖槍から、罪人を焼き尽くす『裁きの炎』がメラメラと立ち上り、周囲の空気をジリジリと焦がしていく。
だが。
流星の澄み切った碧眼に、微塵の迷いも、後悔もなかった。
彼は静かに息を吸い込むと、幼い頃から肌身離さず身につけ、毎夜祈りを捧げてきた首元の『銀の十字架』に手をかけた。
「……司祭様。俺は、神を捨てたわけじゃありません」
ブチィッ! という無作法な音と共に。
流星は、自らの信仰の象徴である十字架を引きちぎり、あろうことか、足元を流れる泥と魔物の血に塗れた汚水の中へと、無造作に投げ捨てたのだ。
「なっ……!? 貴様、何という冒涜を!」
「異端め! 完全に悪魔に魂を喰われているぞ!」
異端審問官たちが激昂し、殺気を爆発させる。しかし流星は、かつての同志たちの怒声など意に介さず、ただ真っ直ぐに恩師の目を見つめ返した。
「ただ、見つけたんです」
流星は、両の拳を胸の前に構え、半身の構えをとった。
「教義という分厚い壁の中でしか救いを見出せない、姿の見えない神よりも。……あの日、新宿御苑で、天から理不尽な死の光が降り注いだ時。自分の命を削り、風穴だらけになってまで、敵である俺たちを庇ってくれた……あの、不器用で、圧倒的な『極黒の翼』のほうが」
流星の全身から、凄まじい密度の闘気が立ち上り、それが純白の神聖なオーラへと変換されていく。
「よほど温かく、そして気高く、尊かった!! 俺の信じる光は、教皇座になんてない! 今、この真っ暗な地下の底で、俺の助けを待っている彼女の魂こそが、俺の護るべき唯一の神だッ!!」
「狂ったか、流星ェェェッ!」
「異端審問にかけられようと、騎士の称号を剥奪されようと構わない! 俺の『聖拳』は今この瞬間から、彼女を地獄の底から奪還するためだけに存在するッ! いざ尋常に、勝負ッ!!」
流星がコンクリートの床を粉砕して踏み込んだ瞬間、十五人の異端審問官が怒号と共に一斉に突撃を開始した。
「『神罰』!!」
前方から三本の聖槍が、炎を纏いながら流星の急所(心臓、喉、眉間)を正確に突きすくめる。
通常の魔物や呪術師であれば、この絶対的な浄化の炎に触れただけで灰と化す。
だが、流星は躱さない。
「シィィッ!」
流星は鋭い呼気と共に、神聖なオーラを極限まで圧縮した両腕を交差させ、迫り来る聖槍の刃を素手で、直接弾き飛ばした。
ガァァァンッ!! という金属がへし折れるような轟音。
祝福装甲をも貫くはずの聖槍が、流星の『聖拳術・絶対防御』の前に軌道を逸らされ、火花を散らしてコンクリートの壁に突き刺さる。
「馬鹿な!? 裁きの炎を、素手で……!」
「驚くのは早いぜ、先輩方ッ!」
流星は槍を弾いた反動を利用して、独楽のように身体を回転させながら、驚愕に目を見開く三人の騎士の懐へ神速で潜り込んだ。
「『聖拳・閃光』!!」
ドゴォォォォンッ!!
流星の放った三連撃の拳が、銀の甲冑の胸部を正確に打ち抜いた。
装甲の表面に一切の傷はつかない。流星の拳は、物理的な破壊力ではなく、圧縮された神聖魔術の衝撃波を装甲の『内側』へと直接浸透させる神業であった。
「ガハァッ……!?」
三人の騎士は血を吐き、巨木が倒れるように崩れ落ちた。
「怯むな! 陣形を組め、悪魔を包囲しろ!」
残る十二人の騎士が、即座に陣形を再構築し、流星を取り囲んで十字砲火のように炎の聖槍を突き出す。
「甘いッ!」
流星は、雨霰と降り注ぐ槍の軌道を、神がかった体術で紙一重で回避し続ける。
聖拳術とは、神への祈りを物理的な打撃へと変換する、聖三条騎士団の秘伝の武術である。歴代の騎士の中でも、流星のその格闘センスと魔力変換効率は、間違いなく「百年に一人の天才」であった。
彼の拳が空気を叩くたびに、衝撃波が光の散弾となって放たれ、重装甲の騎士たちを次々と吹き飛ばしていく。
(……強い。なんという強さだ)
後方でその戦いを見つめていたアレクサンデル司祭は、怒りと共に、深い絶望感に苛まれていた。
あれほどまでに純粋で、美しく、一点の曇りもない『聖なる光』。
神への信仰を捨てたはずの流星の拳から放たれる光は、皮肉なことに、騎士団の誰よりも、そして司祭である自分自身よりも、遥かに純度が高く、圧倒的だったのである。
「……あの子の魂は、決して悪魔になど魅入られてはいない。だが、それゆえにこそ、我々を否定するその光は、ここで摘み取らねばならないのだ……ッ!」
「オォォォォォォッ!!」
流星の回し蹴りが、十二人目――最後の一人の異端審問官の顎を打ち抜き、ついに十五人の精鋭部隊が完全に沈黙した。
だが、流星の身体も無傷ではない。回避しきれなかった聖槍が掠った左肩と右脇腹からは鮮血が流れ、裁きの炎による火傷が、彼の白い肌を痛々しく黒く焦がしていた。
「ハァッ……、ハァッ……」
流星は荒い呼吸を整え、血まみれの拳を握り直す。
その視線の先。アレクサンデル司祭が、巨大な戦槌を肩に担ぎ、静かに歩み出てきた。
「見事だ、流星。たった一人で我が異端審問官の小隊を壊滅させるとは。お前の『聖拳』は、ついに私を超えたのかもしれん」
「……司祭様」
「だが、お前は大きな過ちを犯した。個人の感情で、国家と教義の秩序を乱すことは、いかなる理由があろうとも許されない罪だ」
アレクサンデルの全身から、これまでの騎士たちとは次元が違う、圧倒的で重厚な神聖魔術のオーラが立ち上る。それはまるで、地下空間に物理的なプレッシャーとしてのしかかる『黄金の光』だった。
「これが最後だ、流星。かつての愛弟子に、我が全霊の『裁き』を以て引導を渡そう!」
「……望むところです。俺のすべてを懸けて、あなたを越えるッ!」
ドンッ!!
両者が同時にコンクリートの床を踏み砕き、一直線に激突した。
アレクサンデルの巨大な戦槌が、空気を引き裂きながら流星の頭部へと振り下ろされる。
「『神威・大断罪』!!」
戦槌に込められた致死量の神聖魔術が、周囲の空間ごと圧殺しようとする。
避ければ、背後の通路が崩落し、先へ進んだ鮎たちへの道が塞がれる。
流星は、一歩も退かなかった。
彼は己の生命力、魂、そして「持子を助けたい」という無垢な祈りのすべてを、右腕の拳一つに極限まで圧縮した。
「俺の神は……こんな所では、絶対に消えねえッ!!」
「『極大聖拳・超新星』ェェェェェッ!!」
流星の右ストレートが、振り下ろされた巨大な戦槌の打面へと、真っ向から叩き込まれた。
激突。
その瞬間、地下道に太陽が生まれたかのような、絶対的な光の爆発が起きた。音すらも消失するほどの破壊エネルギーの奔流。
神聖魔術と神聖魔術の極限の衝突は、周囲の壁をドロドロに融解させ、赤黒い瘴気を一瞬にして浄化し尽くした。
「ガァァァァァァァァァッ!!?」
光の中で、アレクサンデル司祭の絶叫が響いた。
神の代行者としての教義の重さよりも。たった一人の少女を護りたいと願う、若き騎士の純粋な「エゴ」が、ついに恩師の戦槌を、物理的に粉々に打ち砕いたのである。
「……ぐ、はぁッ……!」
爆発が収束した直後。
流星は、自身の右腕の骨が完全に砕け散る不気味な音を聞きながら、大量の血を吐き出して後方へと吹き飛ばされた。
壁に激突し、ズルズルと崩れ落ちる。
もう、指一本動かす力も残っていなかった。両足は感覚を失い、視界は真っ赤に染まっている。
だが、薄れゆく意識の中で、流星は見た。
前方で、全身から煙を上げ、戦槌の柄だけを握りしめたまま、アレクサンデル司祭が膝をついて倒れ伏す姿を。
「……勝った、ぜ……司祭様……」
流星は、血だらけの唇に、満足げな笑みを浮かべた。
これで、背中の道は守った。鮎たちは、きっとあいつの元へ辿り着いてくれるだろう。
「……たく、神様ってやつは、本当に不公平だ……。俺の、一番カッコいいところを……あいつに見せたかった、のにな……」
意識が完全に暗闇に沈む直前。
黒装束に身を包んだTIAの風魔裏隠衆たちが、音もなく現れ、倒れた流星の身体をそっと抱き上げるのが見えた。
(……持子……必ず、帰ってこいよ。そして……また、一緒に……)
天草・クリストファー・流星は、極黒の魔王への純粋な祈りを胸に抱いたまま、深き眠りへと落ちていった。
騎士の誇りを捨てて得た、一人の人間としての、気高く美しい敗北と勝利であった。




