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『氷川の巫女と、初夏を切り取るファインダー』(イラスト有り)

氷川の巫女と、初夏を切り取るファインダー


第一章:文月の朝拝と、三つの食卓


7月2日、水曜日。長かった梅雨がようやく明けようとしている帝都・東京は、朝からむせ返るような初夏の空気に包まれていた。

境内の木々からは、今年初めての蝉の鳴き声がぽつり、ぽつりと聞こえ始めている。

漆黒の長髪を揺らしながら、風間楓は冷徹で凛とした美貌を引き締めて、氷川神社の拝殿の前に立っていた。彼女は氷川神社の巫女であり、同時に民間霊的組織【TIA】の特級エージェントとして暗躍する実戦部隊の切り札である。16歳でありながら173センチの長身と抜群のプロポーションを持ち、周囲からは20歳くらいの大人の女性に見られることが多い。


「祓え給い、清め給え……」


祝詞を口にする彼女の額には、ほんのりと薄い汗が滲んでいた。神前に頭を垂れ、静かに朝拝の儀を執り行う。それは、日本神話の荒ぶる神・スサノオの娘である「須勢理毘売命すせりびめのみこと」の転生体としての己の精神を統一し、前世の記憶に人格を奪われる恐怖を静めるための、何よりも重要な日課であった。夏の暑さに当てられて浮き足立つ霊脈の乱れを、彼女は自らの祈りでそっと鎮めていく。

朝拝を終えた楓は、巫女装束から風通しの良い部屋着へと着替え、風間家の台所へと向かった。


「今日の朝食は、洋食にしましょう……。お昼のお弁当と、お爺様のお昼ご飯も作っておかないと」


そう独り言ちて、楓は大型の冷蔵庫から手際よく食材を取り出した。

TIAの代表であり、生ける伝説の化け物霊能者である祖父の風間助平。そして、知恵の神「オモイカネ」の転生体にして神話級の演算能力を持つ天才電脳少女である妹の高子。自分を含めた三人分の朝食の準備に取り掛かる。長男でありTIA次期トップ候補の兄・洋助は、古神道結社「八咫烏」の次期代表である葉室桐子と同棲しているため、現在この家にはいない。


(……きっと兄さんは、桐子さんに美味しい朝ご飯を作ってもらっているんだろうな)


楓の冷徹な口元が微かに緩み、くすりと柔らかな笑みがこぼれた。嫉妬深いお義姉さんだが、兄への愛は本物だ。家族がそれぞれの場所で平穏に生きていることを噛み締めながら、彼女はフライパンに火を入れた。

バターが溶ける甘い香りが広がる。厚切りのベーコンをカリッと焼き上げ、隣で目玉焼きを半熟に仕上げる。トマトとベビーリーフの冷製サラダをガラスの器に盛り付け、自家製のビシソワーズをスープカップに注いだ。

並行して、自分用のお弁当箱に彩りよくおかずを詰めていく。甘めの卵焼き、アスパラガスの肉巻き、ミニトマト、そして鮭の塩焼き。

最後に、日中はTIAの地下司令室や書斎に引きこもりがちな祖父・助平のために、お昼ご飯を用意する。暑い夏のお昼でも喉を通りやすいようにと、氷水で締めた素麺と、作り置きの夏野菜の揚げ浸しをタッパーに美しく盛り付け、冷蔵庫の一角に「お爺様のお昼」とメモを貼って丁寧にしまった。



第二章:風間家の団欒と、それぞれの推し


朝の光が差し込むダイニングテーブルには、すでに助平と高子が席についていた。


「おお、楓。今朝も美味そうな匂いがするのう」


白髭を蓄えた助平が、熱い緑茶をすすりながら目を細める。戦前の遺産を管理し、都市規模のハッキングをもやってのける伝説の男だが、食卓ではただの好々爺である。


「いただきます。お姉ちゃんのビシソワーズ、最高」


タブレット端末を片手に、妹の高子がスプーンを口に運ぶ。彼女は食事中もTIAのメインシステムをバックグラウンドで監視しながら、同時にテレビの朝のニュース番組を流していた。


『――さて、次のニュースですが、本日はコメンテーターとして、トップモデルで現役早大生タレントの本多鮎さんにお越しいただいています』


テレビの画面に、鮮やかなピンク色に髪を染めた美しい女性が映し出された。株式会社スノーに所属するインテリタレントの鮎だ。

高子がタブレットから顔を上げ、テレビ画面を食い入るように見つめた。


「やっぱり鮎さんはすごいわ。昨日の社会問題の討論番組でも、論理の組み立てが完璧だった。あの多角的な視点と、視聴者に分かりやすく翻訳する言語化能力……私から見ても、彼女の知性はとても美しいと思うわ」


高子は鮎の熱烈なファンであった。インテリとしての鮎の才能を純粋に称賛しているのだ。

楓は苦笑しながら紅茶を口にする。


(高子は知らないのよね……あの知的な鮎さんが、持子先輩の前では『第一下僕』を自称して、理判尽に踏んづけられることに歓びを感じるドMな忠犬だなんて……)


楓は真実を胸の奥にしまい込み、「そうね、鮎先輩は頭の回転が速いから」とだけ相槌を打った。

すると、向かいの席に座っていた助平が、もじもじと身を乗り出してきた。


「なあ、楓や。お前、学校では写真部じゃったろ? その……もしチャンスがあったらでええんじゃが、持子ちゃんの写真を、こっそり一枚撮ってきてくれんかのう?」


「……は?」


楓の冷たい視線が、祖父を射抜いた。

助平は咳払いをして誤魔化すように言う。


「プライベート写真を見たいんじゃ〜あのような芸術的な存在は目の保養になるんじゃよ。ごしょうじゃ〜、一枚、高画質のやつを頼むわい」


楓は深々とため息をつき、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。


「お爺様。これ以上ふざけたことを言うなら、TIAの通信回線を物理的に切断しますよ」


「ひぃっ、すまん! 冗談じゃ、冗談!」


楓は呆れたように視線を逸らした。



第三章:境界を歩む通学路


朝食を終え、私立聖ミカエル学園一般科の夏服に袖を通した楓は、家を出た。

7月の強い日差しが、アスファルトをじりじりと照らしている。歩いているだけで汗ばむ陽気だが、楓のまとう空気は氷のように冷徹で隙がない。

本日は昼間のTIAとしての任務――妖や怨霊の退治――は予定されていない。しかし、彼女の歩む道は常に「日常」と「怪異」の境界線上にある。


「……夏の暑さに当てられて、霊脈から滲み出ているわね」


通学路の途中、楓は鋭い視線を路地の奥へ向けた。探知の神術を静かに展開する。陽炎が揺らめくその奥に、一般人には見えない低級の妖の気配が浮かび上がった。人々の気怠さやイライラを喰らって膨張しようとする、夏の澱みだ。

楓は歩みを止めることなく、目立たないように白魚のような指先で印を結んだ。


「消えなさい」


一切の音を立てず、あらゆる邪気を祓う神話級の白銀の直刀『生太刀いくたち』の霊力を指先に込め、不可視の浄化の光を放つ。光は弾丸となって路地裏の妖を正確に貫き、不快な熱気ごと邪気を一瞬で祓い去った。

周囲を歩くサラリーマンや学生は誰一人として、たった今そこで霊的な戦闘が行われたことなど気づいていない。それが楓の日常だった。登校ついでに道を清め、何事もなかったかのように学園の門をくぐる。



第四章:昼食と、泥棒猫の偶像破壊


昼休み。教室に冷房が効いているとはいえ、外の刺すような日差しは夏の本格的な到来を告げていた。

楓は、一般科の友人である女子生徒二人と机を寄せ合い、朝に作った自作のお弁当箱を開いた。


「わあ、楓のお弁当、今日もすっごく美味しそう! この卵焼き、形が綺麗すぎるよ」


「ほんと。楓ってクールに見えて、家庭的で完璧だよね。お嫁さんにしたいナンバーワンだよ」


友人たちの他愛のない称賛に、楓は「ただの趣味よ」と小さく微笑んで応えた。特級エージェントとしての血生臭い日々の中で、彼女たちとの他愛のない時間は、自分が16歳の普通の少女であることを繋ぎ止めてくれる大切な錨だった。

食事を進めていると、友人の一人がスマートフォンを取り出し、イヤホンを片耳に外しながら言った。


「あ、そういえば二人とも、この曲もう聴いた? 最近SNSのアンダーグラウンド界隈ですっごいバズってるんだけど」


画面に表示されていたのは、薄暗い地下ライブハウスでマイクを握りしめる少女の姿だった。大きな瞳を持つ可愛らしいアイドル顔――花園美羽だ。彼女は持子と同じ芸能科の3年生であり、元「国民の妹」的清純派アイドルである。


「あ、それ知ってる! 修学旅行先で高額なアンティークを壊して借金作って、炎上した元アイドルの子だよね?」


「そうそう。窃盗癖クレプトマニアをカミングアウトして大炎上したんだけど、この再デビュー曲がヤバいんだよ」


友人がスマートフォンの音量を少し上げると、美羽の痛々しくも力強い歌声が漏れ聞こえてきた。それは、キラキラしたアイドルの嘘を捨て去り、自身のどろどろとした醜い業と、ある特定の人物(持子)への異常なまでの隷属と執着を赤裸々に歌い上げる、狂気と純粋さが入り混じったカルト的な楽曲だった。


「一般の人からは『気持ち悪い』とか『泥棒猫』って叩かれまくってるんだけどさ」


友人は真剣な表情で語る。


「でも、なんだろう……すごく生々しくて、魂削って歌ってるのが伝わってくるの。社会からあぶれたり、息苦しさを感じてる人たちの間で、熱狂的に支持されてるんだって。私も、怖いけど、目が離せなくて……」


楓は無表情を装いながら、静かに卵焼きを口に運んだ。


(……ええ、知っているわ。彼女が誰に向けてあの狂気的な愛を歌っているのか)


美羽が借金ごと持子に「買い取られ」、持子の所有物として生きる道を選んだこと。そして、楓自身が美羽に対して「死ぬことすら許されない」過酷な暗殺者としてのスパルタ教育を施したこと。一般の女子高生が知る由もない真実の世界が、そこにはある。

楓の胸の奥で、同じ持子を崇拝する者としての僅かな対抗心が疼いたが、彼女はそれを涼しい顔で抑え込み、「……そうね、魂がこもっている歌だと思うわ」とだけ短く同意した。



第五章:写真甲子園と、ファインダー越しの魔王


放課後のチャイムが鳴り響く。

楓が所属している写真部は、活動頻度が極めて少なく、定期的に撮った風景や日常の写真を顧問に提出するだけで事足りる非常に緩い部活だ。

彼女は、自身の愛機であるフルサイズデジタル一眼レフカメラ『PENTAX K-1 Mark II』を首から下げ、校舎の廊下を歩いていた。過酷なフィールド撮影にも耐えうる堅牢な防塵・防滴構造を持つ無骨なボディは、戦場を駆ける特級エージェントである彼女の気質にどこか似合っていた。そのマウントに装着されているのは、極上のボケ味と圧倒的な解像感を誇る大口径単焦点レンズ、『HD PENTAX-D FA★ 85mm F1.4 ED SDM AW』である。


「……今年の『写真甲子園』、結局エントリーできなかったわね」


窓の外に広がる入道雲を見つめながら、楓は小さく息を吐いた。出たかったという思いは確かにある。しかし、彼女にはTIAの任務があり、いつ特級の怨霊が帝都を襲うか分からない状況下で、長期間の合宿や大会に時間を割くことは物理的に不可能だった。

仕方がない。自分の命は、東京の平和と、愛する先輩たちを守るためのものだ。それでも、ふとした瞬間に、普通の高校生として青春を謳歌できない自分に対して、少しの寂しさを感じずにはいられなかった。

そんな感傷を抱えながら中庭を見下ろした時、楓の足がぴたりと止まった。

眩しい夏の日差しの下、中庭のベンチに座っている一人の少女がいた。

身長175cmの長身と、神が計算し尽くした「黄金比」のプロポーションを誇る世界的トップモデル、恋問持子だ。白磁のような肌と黄金の瞳が、初夏の光を受けて神秘的なオーラを放っている。

持子はベンチに深く腰掛け、ぼーっと空の入道雲を見上げていた。

その完璧な横顔は、まるでルネサンス期の彫刻のように美しい。しかし、楓は知っている。彼女の魂には三国志の暴君「董卓」が宿っており、傍若無人でガサツな一面を持つ俗物であることを。


(……どうせあの顔で、『あの雲の形、ラーメン二郎のニンニクアブラカラメ増し増しに見えるな……いや、巨大な宇治金時のカキ氷か?』なんて、食べ物のことしか考えていないのよね)


底なしの胃袋を持つ魔王の思考を読み取り、楓は呆れたように、けれど愛おしげに微笑んだ。

普段は「わし」という尊大な一人称で暴れ回る先輩だが、こうして黙って静止している時だけは、本当に息を呑むほど美しい。楓は無意識のうちに、K-1 Mark IIのグリップをしっかりと握り込み、カメラを構えていた。


大きく見やすい光学ファインダー越しに、持子を捉える。85mmという中望遠の画角が、持子の圧倒的な存在感を周囲の景色から鮮やかに切り取る。

絞り値は、開放のF1.4。

背景の青空と白い入道雲が、新世代のスターレンズが描き出す滑らかでとろけるようなボケ味の中へと溶けていく。その極上のボケの海から、彼女の白磁の肌と黄金の瞳だけが、息を呑むほどのシャープな解像感でピント面に浮かび上がる。夏風に揺れる髪の毛一本一本までが、クリアに描写されていた。


カシャッ、と。


PENTAX特有の、重厚で心地よいシャッター音が静かな廊下に小さく響いた。

プレビュー画面を確認すると、そこには奇跡のように美しい一枚が収められていた。夏の鮮やかな色彩と持子の神秘的な佇まいが、K-1 Mark IIの豊かな階調とレンズの描写力によって見事に調和している。写真甲子園には出られなかったが、この一枚が撮れただけで、楓の心にあった小さな寂しさはすっかり消え去っていた。


挿絵(By みてみん)


「……完璧ね。お爺様には絶対に渡さない。現像して、私だけのアルバムの最初のページにしまっておこう」


誰にも見せない、自分だけの宝物。満足げにカメラの電源を切り、楓は持子に声をかけることなく、静かにその場を後にした。



第六章:宵闇への帰還


陽が西に傾き、空が茜色から深い藍色へと沈んでいく。夏の長い一日が終わりを告げようとしていた。

帰宅した楓は、自室で夏服を脱ぎ捨てた。鏡の前に立つ彼女の目には、日中の女子高生としての穏やかな光や、持子に向けられた柔らかな愛憎の光はもう無い。そこにあるのは、死線に立つ冷徹な特級エージェントとしての、鋭く暗い光だった。

これから陽が完全に落ちれば、魑魅魍魎が蠢く帝都の裏側が目を覚ます。妖の討伐、怨霊の祓い。TIAの実戦部隊として、彼女は再び血と呪いの渦中へと身を投じなければならない。

各陣営の工作員たちを圧倒的な殺気で震え上がらせる修羅の巫女へと、精神を切り替えていく。


「……さあ、仕事おつとめの時間ね」


風間楓は夜の東京へと静かに歩み出していった。その背中は、どこまでも孤独で、そして揺るぎなく強かった。


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