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『インテリを壊す妖と、理屈を壊す魔王』(イラスト有り)

忠犬の驕りと、知を喰らう迷宮


春の風が吹き抜ける早稲田大学のキャンパス。満開の桜の下を、赤いヒールを鳴らして歩くピンク色の髪の美少女に、すれ違う学生たちの視線が釘付けになっていた。

本多鮎、大学一年生。かつて大手事務所でトップモデルとして君臨した彼女は、今や全教科トップクラスの知能を武器に「現役早大生のインテリタレント」としてテレビのクイズ番組を席巻している。


「ふふっ、今日も私のスケジュールは完璧ですわね」


挿絵(By みてみん)


鮎は、最近手に入れたばかりの赤いマツダのCX-5のハンドルを握りながら、艶やかな唇をほころばせた。

表向きは華やかなタレントと優秀な女子大生。しかし、彼女の真の顔は、芸能事務所『スノー』の看板モデルであり、前世に三国志の魔王・董卓の魂を持つ絶世の美女、恋問持子に狂信的な忠誠を誓う「第一下僕(忠犬)」である。

夜になれば、彼女は裏の顔を持つ。国が裏で管理する民間霊的組織【TIA】からのクエストを請け負う「番犬」として、東京の闇に潜むあやかしを狩るのだ。


影の中に潜む、三百年を生きる吸血鬼の女王ルージュが念話を送ってくる。


『アンタ、最近少し働きすぎじゃない? たまには休んだら?』


「黙りなさい、ルージュ。」


鮎は冷たく言い放つ。彼女の胸の奥には、黒く燃えるような焦燥感と、かつてのトップモデルとしての「驕り」が渦巻いていた。

最近、持子の周囲が騒がしい。修学旅行で借金を肩代わりしてもらった泥棒猫こと花園美羽が、地下ライブで狂信的なファンを獲得し始めている。さらには、持子の魔力に光の芯を通したという、生意気で恐るべき戦闘力を持つ氷川神社の巫女、風間楓の存在。

(持子様の隣の「特等席」に座るのは、この私だけ……! 私が一番優秀で、完璧で、持子様にとってただ一つの役に立つ下僕でなければならないのですわ!)

そんな彼女のスマホに、一件の非通知着信が入った。


『おお、鮎君か。カカカッ、相変わらず優秀な働きぶりじゃのう』


電話の主は、TIAのトップであり、極限の変態オタクでもある氷川神社の宮司、風間助平だった。


「助平翁。御託は結構です。特級のクエストがあるとか?」


『いかにも。都内の歴史ある大学図書館に、「知を喰らうインテリジェンス・イーター」が巣食っておってな。高いIQやプライドを持つ者の脳をすする、タチの悪い怨霊じゃ。……お主なら、持子君や楓を呼んで——』


「必要ありません」


鮎は即答した。


「私一人で十分です。その妖の巨大な魔石、私が単独で持ち帰り、持子様に献上してみせますわ」


持子様に、私がどれほど優秀かを見せつける最高の機会。

雪社長には「大学のゼミ合宿です」と嘘のメッセージを送り、鮎は赤いCX-5を深夜の大学図書館へと走らせた。



✴︎知の迷宮と、引き裂かれるパス


深夜の図書館は、異様な静寂に包まれていた。

鮎が一歩足を踏み入れた瞬間、背後の扉が空間ごと歪み、消失した。


『——鮎! 冗談じゃないわよ、ここ、なにか変っ……結界が閉じる! このままじゃ巻き込まれ……ッ!』


鮎の足元から伸びていた影が、ブチッと不吉な音を立てて千切れた。ルージュは間一髪で影の中から結界の外へと弾き出されたが、同時に鮎との主従のパスが完全に切断されてしまった。


「チッ……小賢しい結界術ですわね。ルージュとの接続が絶たれたとはいえ、私の明晰な頭脳と身体能力だけでも……!」


『——フフフ。早大生にして、インテリタレント。素晴らしい。極上の【知能エサ】だ』


本棚の奥から、無数の活字が群体のように蠢き、人型を形成した。それが『知を喰らう妖』だった。

妖は、物理攻撃ではなく、鮎の精神そのものを切り裂く言葉(呪言)を放った。


『お前は賢い。トップモデルとしてのプライドを持ち、全てを論理で解決できる秀才だ。……だが、哀れだな。お前が狂信的に崇める主、恋問持子はどうだ?』


「……ッ! 持子様を愚弄することは、この私が許しませんわ!」


『事実を言っているだけだ。あの女は、中学レベルの分数すら怪しい。英語をミミズ文字と呼び、数学を呪術だと本気で忌み嫌う絶望的なバカだろう?』


妖の言葉が、鮎の脳髄を直接殴りつける。


『お前が賢くなればなるほど、心の底では矛盾を抱えるはずだ。「なぜ、こんな完璧な私が、あんな無知な女の足元に這いつくばっているのか」と。……本当は、主を愚かだと嘲笑っているのだろう!?』


「違っ……違う!! 私は、持子様の忠犬で下僕……!」


『ならば、この論理の矛盾パラドックスを解き明かしてみせろ!』


空間に無数の数式や哲学的な命題が浮かび上がり、鮎の脳内へ強制的にインストールされていく。

インテリタレントとしての「完璧で賢い私」と、理性を捨てて這いつくばりたい「狂信的な下僕」としてのアイデンティティが激しく衝突する。


「あ、あああっ……!」


賢すぎる彼女の脳は、妖が突きつける「主の愚かさ」と「自身の忠誠」の矛盾を、無意識のうちに論理的に解決しようとフル回転してしまう。脳の処理能力が限界を超え、鮎の鼻から一筋の血が流れ落ちた。


(ダメ……私、ここで……持子様、ごめんなさ……)


鮎の意識が妖に完全に喰われかけた、その時だった。



✴︎吸血鬼の探知と、魔王の焦燥


結界の外に弾き出されたルージュは、即座に世界でも上位に位置する『吸血鬼の特級探知魔法』を全開にした。


(見つけた! 結界の座標はここ! でも、鮎の生命力パスが急速に削られてる……ッ!)


相手の特性も知らずに一人で突っ込んだ鮎。あの手の精神攻撃は、プライドが高く持子にコンプレックスを抱えている鮎には最悪の相性だ。

ルージュは探知魔法で持子の居場所を割り出すと、深夜の街を文字通り血相を変えて飛んだ。

大学からほど近いコンビニエンスストアの前。片手に特大タラバガニとすき焼き弁当の入った袋をぶら下げて歩く持子の姿を見つけるなり、ルージュは急降下した。


「持子ぉっ!! 助けて、鮎が!!」


「ん? なんだ、ルージュか。大声を出すな。わしは今、夜食を買って気分が……」


「大学図書館で特級の妖の結界に閉じ込められたの! このままじゃ鮎の脳が焼かれて死んじゃうわ!!」


「……なんだと!?」


持子の手から、ガサリと音を立ててコンビニ袋が滑り落ちた。

すき焼き弁当がアスファルトに転がるが、持子はそれに一瞥もくれなかった。夜食への並々ならぬ執着すら完全に吹き飛ぶほどの衝撃。

彼女の黄金色の瞳が、夜の闇の中で凶悪に、そしてひどく焦燥感を帯びて見開かれた。

本多鮎は、単なる手駒ではない。

持子にとって、誰よりも忠誠を誓う『下僕』であり、大切な『愛人』なのだ。


「わしの……わしの駄犬を、名も知らぬ妖が壊そうとしているだと……ッ!?」


ドンッ!! と、持子の足元のコンクリートが蜘蛛の巣状にひび割れた。圧倒的な魔力が爆発し、大気が震える。


「案内しろ、ルージュ!! 鮎に触れた輩は、肉片一つ残さず消し炭にしてくれるわ!!」


持子は一切の躊躇なく、ルージュと共に夜の空へと弾丸のように跳躍した。



✴︎魔王の鉄拳(理不尽)


——ドッゴォォォォォォンッ!!!


図書館の分厚い鉄筋コンクリートの壁が、ミサイルでも撃ち込まれたかのような轟音と共に、文字通り「吹き飛んだ」。

もうもうと舞い上がる粉塵の中、必死の形相で駆けつけた持子が飛び込んでくる。その後ろから、探知魔法で正確なルートを導いたルージュが続いた。


「鮎!! 鮎、無事か!!」


鼻や目から血を流して倒れ伏す鮎の姿を見た瞬間、持子の瞳孔が怒りで縦に割れた。


「も、持子……様……? どうして……」


『——何者だ! 貴様も私の迷宮に迷い込んだか!』


妖は持子に対して、鮎を追い詰めたのと同じように精神攻撃を仕掛けようと、彼女の脳内(知能レベル)をスキャンした。

そして、妖は驚愕した。


(な、なんだこの女は……!? 脳内に『学問』という概念が一切存在しない!? 英語はすべてミミズの這った跡として認識され、数学に至っては『呪い』として強固にロックされているだと!?)


「貴様か。わしの駄犬を傷つけたゴミ屑は」


地獄の底から響くような持子の声に、妖は焦りながらも、持子のレベルに合わせた「最低限の知の迷宮(算数攻撃)」を展開した。

空間が歪み、空中に発光する巨大な文字が浮かび上がる。


『崇高なる知の試練!……【 リンゴが3つあります。わしが1つ食べました。残りはいくつでしょう!? 】』


「……ッ!?」


持子の顔からスッと表情が消えた。


「な、なまら愚問! 3つあるなら3つとも全てわしが食うに決まっておろうが! なぜ1つで我慢せねばならんのだ!! 腹が減るではないか!!」


『ち、違う! そういう問題ではない! ではこれはどうだ!……【 1/2 + 1/3 = ?? 】』


空中に、光り輝く分数の数式が浮かび上がった。

その瞬間。鮎を傷つけられた「激怒」に、絶対的な「恐怖」が混ざり合った。


「き、貴様ぁぁぁっ!! なぜ数字と数字の間に横線を引いて、上下に串刺しにする!! 人間を串刺しにする古代の邪悪な呪術すうがくではないか!!」


『ただの通分だ! 呪術ではない、共通の分母を……』


「黙れ! 分母などという得体の知れない言葉を使うな! なまらおぞましい呪詛の詠唱ではないか!! 絶対に許さんぞ!!」


持子の丹田から、常人には見えない漆黒の魔力が爆発的に噴き出した。

それは妖の展開する算数パズルも結界も、一切の「理屈」を無視して物理的に圧殺していく。

持子は、幼少期に高倉師匠から叩き込まれた『合気武道』の構えをとった。


「消え失せろ! 呪術師め! 『トキムネパンチ』!!」


極黒の魔力を極限まで圧縮した、ただ純粋な暴力の結晶。

その一撃が、空中に浮かぶ小学5年生レベルの分数の幻影を物理的にカチ割り、そのまま背後の『知を喰らう妖』の本体へと直撃した。


『バカな……ッ! 私の分数の迷宮が、ただの腕力で……理解、不能……ギャアアアアアッ!!』


妖の悲鳴と共に、結界がガラスのように粉々に砕け散った。

知と論理を司る妖は、分数を「邪悪な呪術」と本気で信じている魔王の「愛人を傷つけられた理不尽な怒り」の前に、文字通り物理的に消し飛ばされたのだった。



✴︎駄犬の帰還


「ハァ……ハァ……! 分母などという小賢しい呪術に頼るから、そのように脆いのだ」

持子は肩で息をしながら、忌々しそうに鼻を鳴らした。

床に転がる巨大な魔石を一瞥もせず、彼女は慌てて瓦礫の中に倒れ伏す鮎の前に歩み寄り、その身を抱き起した。


「おい、鮎! 目を開けろ、生きているか!」


「持子……様……」


鮎は、呆然と自分を抱きしめる持子を見上げていた。

(あぁ……)

自分が完璧でなくてもいい。賢くなくてもいい。持子は、なりふり構わず必死な顔で壁をぶち抜いて助けに来てくれたのだ。

妖が突きつけてきた「主を愚かだと嘲笑っているのだろう」という論理は、自分を「下僕」として扱ってくれる持子の圧倒的な愛情(と暴力)の前に、跡形もなく消え去っていた。


「……無事なら良い。まったく、勝手に首輪を外してウロチョロするな。貴様の小賢しい知恵やプライドなど、わしの絶対的な力の前では全くの無用である」


安堵からか、持子は照れ隠しのように冷酷な声を作ってそう言い放つと、床に這いつくばる鮎の腰のあたり——その豊満で弾力のあるお尻を、黒いブーツの底で容赦なく、むにゅっと踏みつけた。

普通なら、トップモデルとしてのプライドを粉々にされる屈辱的な場面である。


しかし——。


「あ、あぁっ……!」


鮎の中で、ギリギリと張り詰めていた驕りの糸が弾け飛んだ。

傷だらけの顔が、とろけるような熱情に染まる。


「最高です、持子様……っ! 私のちっぽけなプライドなんて、貴女様のブーツの底以下ですわ……! あえてお尻という柔らかい部分を踏んでくださるその絶妙な加減……あぁっ、私、持子様だけのただのバカな犬でいいですぅ……もっと、もっと踏んでくださいませぇっ!」


「……なまらキモいぞ、貴様」


ドン引きした持子が急いで足をどけようとするが、鮎は持子のブーツにすがりつき、恍惚とした表情でハァハァと荒い息を吐き始めた。


「……やれやれ。鮎の魂の波長も元に戻ったみたいね。主従揃って知性のかけらもない空間だけど、まあ、一件落着かしら」


探知魔法を解除したルージュが、呆れ果てたように深い溜息をつく。


「誰が変態だ! ルージュ、貴様も突っ立っていないで、さっさとこの馬鹿犬を回収するのを手伝え!」


深夜の図書館跡地に、魔王の怒声と、忠犬の恍惚とした喘ぎ声が響き渡った。



✴︎エピローグ


数日後。

東京・青山にある芸能プロダクション『株式会社スノー』のオフィス。


「……大学のゼミ合宿、だったわよね?」


冷え切った絶対零度の声が、応接室に響いた。

タブレット端末を片手に、眼鏡の奥から射殺すような視線を向けているのは、社長の立花雪である。


「ひっ……!」


応接室の絨毯の上で、本多鮎は美しい足を折り曲げ、完璧な姿勢で正座をさせられていた。

その隣では、持子が「わしは巻き込まれただけである!」という顔をしながら、金箔の乗った豪華なパンケーキを優雅に口に運んでいる。ルージュは鮎の影の中からこっそりとその様子を窺っていた。


「TIAの助平さんから全部聞いたわよ。単独で特級クエストに突っ込んで、あわや脳を焼かれかけた挙句、持子に壁を破壊させたそうね。……うちの稼ぎモデルの顔に傷がついたら、どう落とし前をつける気だったのかしら?」


「ゆ、雪社長……申し訳ありません、私、少々驕りが……」


「驕り? 早大生ブランドに酔って、自分一人で何でもできると勘違いしたのね。いいわ、罰として、向こう三ヶ月、鮎さんのテレビ出演のギャラは全額、持子さんの食費と図書館の修繕費に回すから」


「ええええっ!?」


「何か文句ある?」


雪がスリッパを手に取ると、かつてのトップモデルは「ひぃっ、ございません!」と頭を床に擦り付けた。

持子はパンケーキにたっぷりとシロップをかけながら、クックックと腹の底から笑った。


「カカカッ! 良い気味であるな、駄犬め! 貴様は一生、わしの足元で這いつくばって貢ぎ物を運んでくれば良いのだ!」


「持子様ぁ……ひどいですわぁ……」


半泣きになる鮎だったが、その口元は、どうしようもないほど嬉しそうに緩んでいた。

完璧なタレントでも、優秀な魔物ハンターでもない。

時に失敗し、怒られ、それでもこの理不尽で美しい魔王の「愛人」として隣にいられることこそが、彼女にとっての何よりの幸福なのだから。

極黒の魔王と、その下僕たちの騒がしい覇道は、まだまだ終わる気配がない。

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