龍脈逆接続
✴︎裏の怪物たち
持子たちが理不尽な武神の前に徐々に追い詰められていたその頃。
大手町から遠く離れた、古びた雑居ビルの地下深く。民間霊的組織【TIA】のサイバーパンクな地下指令室では、かつてない緊迫感が支配していた。
無数に並ぶモニターの光が激しく点滅し、エラーを知らせる無機質なアラートが鳴り響く。
その中心に座るTIAのトップにして『日本五大化け物霊能者』の生き残り、風間助平は、普段のスケベな好々爺の面影を完全に消し去り、血走った目でキーボードと呪符のコンソールを叩き続けていた。
そして、その後ろに控えるサブコンソール。大人用の大きなヘッドセットを耳に当て、小さな両手で目にも留まらぬ速さでキーボードを叩いている一人の少女の姿があった。
彼女の名前は、風間高子。弱冠12歳にしてTIAのメインシステムを掌握する、助平の孫娘である。
まるでお人形のように整った愛らしい顔立ちと、ふんわりとした柔らかい雰囲気は、TIAの誰もが「あの冷徹で毒舌な楓にも、こんなに素直で可愛い時期があったのだろうか」と錯覚してしまうほどだ。性格も楓とは正反対で、感情豊かで心優しく、常に一生懸命。
しかし、彼女の真の価値はその愛らしさではない。高子の魂は、日本神話における知恵の神・『オモイカネ』の転生体なのだ。前世の記憶こそないものの、その神格から受け継いだ超人的な頭脳により、戦闘力は皆無でありながら、後方支援から複雑な魔術式の遠隔行使まで、あらゆる情報処理を一人で完璧にこなしてしまう規格外の天才少女であった。
「おじいちゃん! 大手町の霊的質量が臨界を突破します! オモイカネ・システムの予測演算、最悪のフェーズに移行……このままじゃ、現場の楓お姉ちゃんたちごと、東京が消し飛んじゃうよぉ!」
高子が涙目になりながらも、決してキーを叩く手を止めずに悲鳴のような報告を上げる。その指先からは青白い魔力がキーボードへ直接流し込まれ、何重もの防壁プログラムを並列処理で展開し続けていた。
助平は咥えていた煙草を乱暴に吐き捨てた。
「……分かってる! だが、あの黒幕が将門公に仕込んだ『空間断絶』と『霊脈リンク』のシステムは、外からの物理や魔力じゃ絶対に破れねえ。……システムそのものを、根底から書き換えるしかねえんだよッ!」
助平は、コンソールの奥深くに封印されていた、赤黒く変色した『物理キー』を引き抜いた。
それは、戦前の極秘機関【八雷神】が東京の地下に敷き詰めた、狂気の遺産。
「……六十年前の亡霊を、まさか俺の代で叩き起こすことになるとはな。……強制起動! 『霊的増幅魔方陣(東京地下グリッド)』、フル・ドライブ!!」
助平がキーを回した瞬間、指令室全体の電力がフッと落ち、直後に禍々しい紫色の光がコンソールから迸った。
東京中の電力網から強制的にエネルギーを吸い上げ、それを純粋な『呪力』へと変換していく。助平はその莫大な呪力の奔流を自身の肉体をサーバーとして経由させ、将門を縛る理不尽なシステムへのハッキング――つまり、強引な『呪的干渉』を開始した。
「ガ、ァァァァァァッ……!!」
だが、その代償はあまりにも大きかった。
千年の怨念に現代の絶望が塗り重ねられた将門の呪詛と、東京の霊脈そのものの出力。その規格外の反発力が、助平の老いた肉体を内側から焼き焦がしていく。
バチバチッ! とコンソールから火花が散り、助平の口からおびただしい量の鮮血が吐き出された。
「おじいちゃんっ!!」
高子が悲痛な叫び声を上げる。彼女はすぐさまオモイカネの頭脳をフル回転させ、助平にかかる呪的負荷を分散させるための術式を凄まじい速度で構築し始めた。
「ダメ、私の演算補助を入れてもシステムが焼き切れちゃう! このまま逆流したら、おじいちゃんが死んじゃうよ!」
「……うる、せぇ……! 俺の……可愛い孫娘たちと……若え奴らが、命懸けで戦ってんだ……! 俺が、死なせて……たまるかァァッ!!」
助平の眼球の毛細血管が切れ、血の涙となって頬を伝う。
高子もまた、大粒の涙をボロボロとこぼしながら、「お願い、保って……!」と祈るように魔力を送り続ける。
それでも彼は、死の激痛に耐えながら、将門の絶対防壁をこじ開けようと執念のハッキングを続けた。
だが、システムのゲージは「過負荷」のレッドゾーンから抜け出せない。高子の天才的な補助をもってしても、このままではあと十秒もせずに助平の肉体ごと魔方陣が爆散する。
万事休すかと思われた、その時だった。
「――相変わらず、無茶ばかりするのね。」
絶望の渦巻く指令室に、どこまでも静かで、それでいて深海のように底知れぬ圧力を伴った『女の声』が、助平の耳元だけに響いた。
「……なっ!?」
血塗れの助平が、信じられないものを見るように背後を振り返る。
そこに立っていたのは、薄手のコートを羽織った、どこか冷たくも美しい女の姿。
だが、異常なのはそれだけではない。
周囲でパニックに陥っているTIAのスタッフたちはもちろんのこと、オモイカネの頭脳を持つ高子でさえも、コンソールの異常値に目を奪われたまま、背後に立つその女の存在に全く気づいていないのだ。女の周囲だけ、光と音、さらには『認識』そのものが世界から切り取られている。知恵の神の転生体すら欺く、極めて高度な、神話クラスの認識阻害の術式。
助平の驚愕の視線に対し、その女は静かに人差し指を自身の唇に当て、「しーっ」と声を出さないようジェスチャーで制した。
助平は瞬時に状況を悟った。彼女の存在は、今のTIA、いや、日本の裏社会において絶対に公にしてはならない『規格外のイレギュラー』なのだと。
助平は必死に痛みを堪えながら、無言で、すがるような目で女に頷いた。
(……頼む。手を、貸してくれ……!)
女はふふっ、と微かに微笑むと、助平のコンソール越しにスッと印を結んだ。
その瞬間、彼女の足元から、助平の魔方陣とは次元の違う、神々しくも恐ろしい白銀の陰陽太極図が、認識阻害のベールの中で密かに展開された。
【大陰陽五行・龍脈逆接続】
声なき術式の展開。彼女の体内から、数百年分の途方もない呪力が惜しげもなく放出される。
その力は、助平が起動した霊的増幅魔方陣の過負荷を一瞬にして安定させると、そのまま将門を縛る黒幕の呪詛の根源へと、鋭い針のように突き刺さっていった。
「えっ……!? システム、急に安定しました!」
高子が、モニターの信じられない数値の変化に目を丸くして絶叫する。
「ウソでしょ、オモイカネの演算速度を遥かに超えてる……逆ハッキングの進行率が跳ね上がっていく! ありえない、こんなデタラメな数式……!」
神の頭脳を持つ高子にすら理解不能な現象に、指令室中がどよめく。
助平は血を吐きながらも、周囲のスタッフ、そして孫娘の高子に向けて鋭く吠えた。
「今のイレギュラーな魔力波形は全て消去しろ! ログにも残すな! 高子、お前もだ! これは特級の国家機密だ、外部に漏らした奴は俺が直々に呪い殺すぞ!!」
「は、はいっ! ログ全消去、実行します!」
助平のただならぬ剣幕に震え上がりながらも、高子は素直に即座にキーを叩き、痕跡の隠滅を図った。
その直後、女の怪物的な術式が、大手町の玉座に座す将門の「帝都霊脈との強制リンク」と「空間断絶」のシステムを、根底から強制的にシャットダウンさせた。
助平が再び背後を振り返った時、そこにはもう、誰の姿もなかった。




