『七牙戴冠 ――魔王の影、ここに成る』
『七牙戴冠 ――魔王の影、ここに成る』
あの血反吐を吐き、狂ったように叫び、文字通り命をすり減らした地獄の日々から、どれほどの夜が過ぎたのか。
数え切れないほどの妖の返り血を浴び、その度に神術で無理やり肉体を繋ぎ止められてきた花園美羽の双眸には、かつてのアイドルとしての甘ったるい光はなかった。ただそこにあるのは、死線を潜り抜けた者だけが持つ、氷のように冷たく、刃のように鋭い暗殺者の眼光である。
二刀流――思考を分割し、極限の身体操作で二つの刃を同時に操るその絶技を、美羽は自らの血肉と魂を削りながら、ついに完全に己の型として落とし込んだのだ。
「……着きましたよ。ここが『TIA』の武器庫です」
内閣府の地下深く、厳重なセキュリティをいくつも抜けた先に現れたその空間は、冷たい静寂に包まれていた。
重厚な扉が開くと同時に、むせ返るような濃密な呪力と霊力が美羽の肌を撫でる。広大な空間には、古今東西の呪具、妖を屠るための特殊な武器、そして禍々しい力を持つ防具が、整然と、しかし圧倒的な威圧感を放って並べられていた。
「すごい……ですぅ。ここにあるもの、全部本物の呪具なんですね」
身体中に真新しい包帯を巻き、微かに消毒液と血の匂いを漂わせた美羽が、息を呑んで周囲を見渡す。
「先輩の魔力出力の低さを補い、かつ、完成しつつあるその『二刀の型』を最大限に活かすための武器。……私がいくつか見繕っておきました」
楓が迷いのない足取りで進んだ先は、厳重なガラスケースに収められた「短刀」の区画だった。
楓はケースを開け、美羽の前にずらりと並んだ刃を提示する。
「これは……?」
「属性を宿した特級の呪具です。万物は五行……『木・火・土・金・水』の理で成り立っています。妖や悪魔にも当然、相性の有利不利が存在する。先輩の戦闘スタイルは手数と速度で圧倒する暗殺術。ならば、敵の弱点を突く刃をその都度選び、切り裂くのが最も理にかなっている」
楓は流れるような動作で、次々と短刀を美羽の腕の中に押し付けていった。
燃えるような赤、深海を思わせる蒼、生命の息吹を感じる緑、重厚な琥珀色、そして鋭い輝きを放つ白銀。
さらに楓は、特別に厳重な封印が施された箱から、相反する二つの刃を取り出した。
「そしてこれが、神聖なる気を帯びた『聖』の刃と、極めて純度の高い呪力を凝縮した『闇』の刃。……合わせて七本です」
「えっ……? ちょ、ちょっと待つですぅ! 七本も!?」
腕の中に抱えきれないほどの特級呪具を押し付けられ、美羽は目を白黒させた。
「流石にこんなに持って行ったら、いくら楓ちゃんでも、上の人たちや助平お爺さんに怒られるんじゃ……! これ、一つ一つが国宝級みたいなヤバい気配がするんですけどぉっ!?」
慌てふためく美羽に対し、楓は表情一つ変えずに淡々と言い放った。
「構いません。事後承諾で私がどうにかします。それに――」
楓はスッと目を細め、美羽の全身から放たれる、研ぎ澄まされた刃のような気配を見つめた。
「今の美羽先輩なら、これらすべてを『多分使いこなせる』と判断したからです」
「……ッ」
楓のその言葉に、美羽は息を呑んだ。
あの、一切の慈悲も妥協もなかった地獄の特訓。少しでも気を抜けば見捨てられそうになる恐怖の中で、楓はしっかりと自分を「評価」してくれていたのだ。
「これを。その七本を携帯するための特注品です」
楓が差し出したのは、上質な漆黒の革で編み込まれた戦術用の太いベルトだった。そこには、七本の短刀を完璧なバランスでマウントできるよう、絶妙な角度で計算された七つの鞘が仕込まれている。
腰から太ももにかけて装着し、どんな体勢、どんな速度での移動中であっても、瞬時に必要な属性の刃を抜き放つことができる暗殺者のための至高の装具。
美羽は震える手でその革ベルトを受け取り、七本の短刀をそれぞれの鞘へとカチリ、カチリと納めていった。ズシリとした重みが腰に伝わるが、不思議と邪魔には感じない。むしろ、自分の欠けていた半身をようやく見つけたような、完璧な一体感があった。
「使いこなせるようになりなさい。あなたのその足と、この七つの牙があれば、もう無様に死にかけることはありません」
楓はそこでふと視線を逸らし、ほんの少しだけ、その冷徹な口元を柔らかく綻ばせた。
「……あの理不尽で地獄のような日々を、心が折れることなく、よく生き残りましたね」
「ぇ……」
「――良くやりました」
トクン、と。
美羽の胸の奥で、張り詰めていた鋼の糸が、ふわりと解けるような音がした。
妖に肉を抉られた激痛。泥水と血の味。理不尽に対する怒りと、楓へ吐き出し続けた呪詛の言葉。あんなにも憎らしく、殺してやりたいとすら思ったスパルタ巫女からの、たった一言の、心からの称賛。
「うぅ……っ、あ、あぁぁぁんっ……!」
気づけば、美羽の大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出していた。
それは、痛みからくる涙ではない。己の限界を超え、命懸けで掴み取った強さを、誰よりも認めてほしかった相手から肯定された、歓喜の涙だった。
「楓ちゃぁぁぁんっ!!」
「ちょっと、痛っ、傷が開きますよ! 泣き顔で擦り寄らないでください、汚いです!」
美羽は装備したばかりの七本の短刀の重みも忘れ、ボロボロの身体で楓に力強く飛びついた。
「嫌ですぅ! 離れないですにゃぁぁっ! 楓ちゃん大好きぃぃっ! あの時はドSのクソ巫女とか言ってごめんなさいですぅぅっ!」
「……本当にやかましい人ですね。まあ、今日くらいは許してあげます」
冷たい武器庫の中に、美羽の泣きじゃくる声と、楓の呆れたような、けれど決して美羽を突き放そうとはしない微かな吐息が溶けていく。
極黒の魔王の最も忠実な「影」は、七つの牙を与えられ、ここに真の完成を見たのであった。




