『魔王の独白』
暴君と少女
夜の帳が下りた赤坂・氷川神社の社務所。
静寂の中、恋問持子はふと湯呑みを置き、自身の白磁のような掌をじっと見つめた。その黄金の瞳には、いつもの傲岸不遜な魔王の光ではなく、どこか遠くを懐かしむような、静かで哀切な色が漂っていた。
「……聞いてくれ、鮎、美羽、楓、そしてルージュよ」
持子はゆっくりと顔を上げ、四人の顔を順番に見渡した。
「わしが己の前世……魔王・董卓の魂に目覚めたのは、ちょうど一年前のことだ。あの時、鏡に映る自分の顔が、かつて長安でわしを破滅へと導いた絶世の美女、貂蟬に生き写しだと気づいてな。脳裏を、血の記憶が駆け抜けたのだ」
持子は、ふっ、と自嘲するように口の端を歪めた。
「西暦一九二年、長安。わしは暴虐の限りを尽くし、恐怖で天下をねじ伏せた。だが、その内側には底知れぬ虚無があり、わしはただ一人、わしを恐れぬ貂蟬の深淵に溺れていった。……そして、息子と信じた呂布の裏切りに遭ったのだ。あやつの放つ方天画戟の冷たい穂先が、わしを深く貫いた」
持子は自分の細い首筋にそっと触れ、目を閉じる。
「噴き出した鮮血が貂蟬の白い胸元を染め、わしの巨躯は崩れ落ちた。……だが、薄れゆく意識の中で、わしは感じたのだ。自分を抱きかかえようとする貂蟬の指先の冷たさを。そして、彼女の瞳から溢れる涙を。わしは最期に、あやつの涙を見られて……よかったと思ったのだ。……それなのに、千年の時を超えて、わしはその貂蟬にそっくりな体で生を受けている。なんという数奇な運命か」
ゆっくりと目を開き、持子の瞳に暗い影が落ちる。
「だが、今日お前たちに語りたいのは、魔王としての血塗られた覇道ではない。『恋問持子』という、一人の哀れな小娘の記憶だ」
「わしは、札幌の孤児院で育った捨て子だった。親の顔も、温もりも知らぬ。ただ、この生まれ持った異常なまでの『美貌』だけが、わしにとっては重い呪いだったのだ。女児からは理由もなく嫉妬されてつねられ、男児からは歪んだ劣情を向けられ泥を投げつけられた。誰も、わしを守ってなどくれない。美しさは痛みを呼ぶだけで……五歳のわしは、ただ、この世界から消えてしまいたかった。冬の創成川のほとり、雪が舞う中で、わしは凍てつく黒い水面を見つめていた。身を投げようとしたのだ」
息を呑む鮎たちを真っ直ぐに見据え、持子は言葉を続ける。
「その黒い淵からわしを呼び止めたのが……高倉という枯れ木のような老人と、孫の竜だった。老人は震えるわしを崩れそうな家に連れ帰り、五歳の子供には到底食いきれぬほどの山盛りの飯を出した。そして、こう言ったのだ。……『強くなりたいのなら、食べなさい。強くないと、生きてはいけない』とな」
持子は胸に手を当て、力強く服の胸元を握りしめた。
「その無慈悲で真理を突いた言葉が、凍りついていたわしの腹の底に火をつけた。老人はわしに、生きる術として『合気武道』を与えてくれた。だからわしは、今でもこの武に縋り、高みを目指しているのだ」
だが、と持子は伏し目がちに目を閉じる。
「十一年後、老人は死んだ。そして竜も『強さを試す』とアメリカへ去ってしまった。わしは再び、世界に繋ぎ止める楔をすべて失い、一人ぼっちの荒野に放り出された。……あの創成川の底知れぬ闇が、再び足元から這い上がってくるのを感じて、ひどく恐ろしかったよ」
そこまで語ると、持子の顔に、花がほころぶような柔らかく温かな笑みが浮かんだ。
「その絶望の闇を切り裂いてくれたのが、雪だ。老人の五十日祭と納骨の日、喪服姿で現れたあの女は、すすきのの鰻屋でわしに腹いっぱい食わせると、唐突にこう言ったのだ。……『モデルにならない? あなたは、世界に出るべきよ』とな」
「母親というものを知らぬわしだったが……厳しくも冷たく、だが海のように深い、あの女の匂いに縋ったのだ。この人を信じようと、わしの魂が叫んだ。あの時の雪の言葉が、わしを本当の意味で救ってくれたのだ」
持子は視線を動かし、今度は本多鮎をじっと見つめた。
「鮎。お前とのことも、忘れはせぬ。お前はわしへの嫉妬に狂い、反社を使い、深夜の路地裏でわしと雪を攫わせたな。港の廃棄倉庫で、わしの顔か手足に消えない傷をつけようとした。あの時、わしは怒りに任せて男どもを合気武道で叩き潰し、お前のもとへ向かった」
鮎が僅かに肩を震わせるのを見て、持子は言葉を紡ぐ。
「ホテルのスイートルームで、わしはお前の心の奥底を覗いた。泥のような闇の奥で渦巻いていたのは、ただの憎悪ではなく、あまりにも歪でドス黒く変色した、わしへの狂気的な愛だったな。お前は涙を流し、『私を殺して』と乞うた」
「だから、わしは『死の接吻』を与え……お前の中に巣食っていた、卑屈で醜悪な『怪物』を食い殺してやったのだ。お前のその不器用で歪な愛への渇望が、かつて愛を求めながら裏切られ、孤独だったわし自身と重なったからだ」
持子は再び四人の顔を一人ずつ、愛おしそうに見つめた。
「そして美羽、楓、ルージュ。お前たちという仲間に出会えたこともそうだ。今のわしは、高倉と竜に、合気武道に、そして雪に救われた『恋問持子』の人生の上に立っている。魔王の前世と、この小娘の記憶……不思議な感覚だが、この人生に生かされていることを、わしは決して悪くないと思っている」
少々お付き合いください。




