東京霊脈大戦、開幕
この極東の島国において、夜の闇に潜む「霊的災害」から人々をどう守ってきたのか。
現在の裏社会を理解するには、少しだけ歴史を遡る必要がある。
まず江戸時代。徳川家康と初期の陰陽師たちが江戸の町を建造する際、彼らは東京の地下を流れる巨大なエネルギーのパイプライン『霊脈』の要所要所に、分厚いゴムの蓋に相当する強固な封印を施した。増上寺などを拠点とするこの巨大な防衛網が『将軍守護結界』であり、現在も東京の霊的安定を保つ最強のセキュリティシステムである。
時代は下り、戦前。
富国強兵の裏側で、国家が主体となって日本の霊脈を軍事転用・管理していた極秘機関が存在した。その名を『大日本帝國 陸軍第九式・霊的國防機関【八雷神】』。
彼らは陰陽道、神道、密教の秘術を科学的に解析し、「呪術兵器」や「人造霊能兵士」を開発。さらには東京の地下に巨大な「霊的増幅魔方陣」を敷き詰め、怨霊すらも国防の防壁として使役しようとする非道な「霊脈同化実験」まで行っていた。
しかし敗戦後、GHQによって【八雷神】は徹底的に解体される。
同時に、東京大空襲と敗戦の凄まじい絶望と怨念により、帝都は史上最悪の『百鬼夜行(霊的パンデミック)』状態に陥ってしまった。国家規模の巨大組織の再建など待っていられる余裕はなく、生き残った霊能者たちは自然発生的に民間の「霊的自衛団」を結成した。
神社の神官集団、過激な破戒僧グループ、裏の教会、はぐれ陰陽師など、思想も宗教もバラバラな組織が乱立し、血みどろの悪霊退治を繰り広げたのだ。
そして現在。
国は自前で大規模な部隊を持たず、『内閣府直属・第七神祇課(通称:彼岸花)』が裏の窓口となっている。彼らが多種多様な民間組織に「クエスト(依頼)」として指示を出し、資金提供や事後処理と引き換えに荒事をこなさせる。
今の日本の霊的裏社会は、そうした「群雄割拠のギルド制」によって絶妙なバランスを保っているのである。
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霞が関、内閣府庁舎の地下深くに建造された極秘の特別防爆会議室。
窓一つないその重苦しい空間に、現在の日本霊的防衛のトップに君臨する面々が顔を揃えていた。
円卓の上座に座るのは、スーツ姿の神経質そうな男。内閣府直属・第七神祇課『彼岸花』の室長、赤城である。
その周囲を囲むのは、日本の裏社会を牛耳る「主要クラン」の代表7名。純白の狩衣を着た陰陽道宗家の当主、袈裟をまとった大寺院の阿闍梨、最新鋭の呪術兵装に身を包んだ新興自衛団のトップなど、曲者揃いだ。
そして、円卓の一角。
特務エージェントの黒い制服に身を包み、一切の表情を崩さずに直立している高校生の少女、風間楓。
その隣のパイプ椅子にだらしなく寄りかかり、堂々と競馬新聞(の間に挟んだグラビア誌)を読んでいるスケベそうな白髭の老人――民間霊的組織【TIA】の代表にして、日本五大化け物霊能者の最後の生き残り、風間助平であった。
「――以上が、芝公園・増上寺における『将軍守護結界』襲撃事件の詳細な報告です」
楓が冷徹な声で報告を締めくくると、会議室の空気は氷点下まで冷え込んだ。
源義経と武蔵坊弁慶という歴史的怨霊の顕現。そして、結界の要所である増上寺の防衛網に修復不可能なヒビが入ったという事実。
ダンッ!
陰陽道宗家の当主が、扇子で机を激しく叩いた。
「馬鹿なッ! なぜ『彼岸花』の早期警戒網は機能しなかったのだ!? 我々主要クランへの通達は、戦闘がほぼ終結した後ではないか! もしこの風間楓の独断専行がなければ、今頃東京の霊脈は暴走し、港区はクレーターになっていたのだぞ!」
他の代表たちからも、次々と怒号と非難が飛ぶ。後手に回った政府への不信感。
赤城室長はハンカチで額の汗を拭いながら、苦渋の表情で答えた。
「……申し訳ありません。ですが、ただの怨霊の自然発生ではないのです。我々の観測網は、何者かが放った極めて高度な『呪詛ジャミング』によって完全に欺瞞されていました。……これほどの術式を組める恐るべき黒幕が、東京の地下に潜んでいるということです」
その言葉に、代表たちの顔に緊張が走った。
「増上寺の結界が損なわれたことで、東京の霊脈のバランスはすでに崩壊を始めています。次なる異変――たとえば、大手町の『平将門の首塚』などのさらに強力な封印が連鎖的に解ける危険性が極めて高い。各クランは直ちに防衛網の再構築を……」
赤城がそう告げた時、一人の破戒僧グループの代表が、鋭い眼光を楓に向けた。
「次の防衛策も重要だが……報告書にある、この『イレギュラー』どもは何だ? 『極黒の魔王』を自称する女子高生だと?」
「事実です。彼女たちがいなければ、私一人では結界の維持が限界で、義経たちを祓うことは不可能でした」
「だとしてもだ! 国家の防衛網を脅かしかねない、正体不明の化け物どもではないか!」
西洋魔術を扱う裏の教会の代表が、青ざめた顔で立ち上がった。
「特に、その魔王の配下たちだ! 規格外の膂力で大剣を振り回すピンク髪の女に、神速の歩法を使う暗殺者の少女……そして何より、その金髪の吸血鬼! ヨーロッパの諜報部から裏が取れたぞ。その女は、パリの裏社会を三百年にわたって支配していた『吸血鬼の女王』だ!!」
その名が出た瞬間、代表たちの間に戦慄が走った。
「あの最悪の女王だと!? なぜそんな厄災が東京にいる!」
「分からない! だが、彼女が突然パリから姿を消したことで、今ヨーロッパの裏社会では、空いた玉座を巡って多種多様な化け物どもが血みどろの大戦争を始めているんだぞ! そんな歩く大災害が、女子高生の下僕だと!? ふざけるな、直ちに我々主要クランが連携して拘束、あるいは排除すべき脅威だ!!」
「賛成だ」「うむ、放置はできん」と、他の代表たちも次々と殺気立つ。
世界を巻き込む大戦争の火種であり、国家の管理下にない強大な力は、彼らにとって恐怖以外の何物でもなかった。
彼岸花の赤城も「……国としても、彼女たちを野放しにはできません」と同調しかけた、その時である。
「――お前ら、つまらん会議で肩を凝らせすぎじゃねえか?」
ズズッ、と。
安物のティーカップで茶をすすりながら、風間助平が口を開いた。
たったそれだけの動作、たった一言。
それだけで、会議室の空気が『物理的な重圧』を持ってギシィッ! と軋んだ。歴戦のクラン代表たちの顔色が一瞬にして蒼白になり、誰も言葉を発せなくなる。
これが、戦後の百鬼夜行を力ずくでねじ伏せた『化け物』のプレッシャー。
「ジジイ……グラビア誌を机にしまえ」
楓が小声で突っ込むが、助平は気にした様子もなく鼻をほじった。
「その『恋問持子』とやらのガキ共は、ウチ(TIA)で預かる。お前ら他所のクランは、一切手を出すな。監視も俺の孫娘(楓)にやらせる。それでいいな?」
「なっ……! ま、待たれよ風間殿!」
陰陽道の当主が、脂汗を流しながら反論する。
「いくらTIAの武闘派エージェントでも、たった数名で魔王やヴァンパイアクイーンといった特級の危険存在を管理しきれるはずがない! もし彼女らが東京で暴走したらどうするのだ!」
「できるできないの話じゃねえんだよ」
助平の目が、スッと細められた。
好々爺の面影は完全に消え失せ、底知れぬ深淵のような威圧感が部屋全体を飲み込む。
「あのガキが暴れて東京が火の海になりそうになったら、最終的には……この風間助平と、風間家のすべてを懸けて、俺が責任を取って首を獲ってやる。……それで、文句はねえな?」
静まり返る会議室。
『日本五大化け物霊能者』が全責任を負うという言葉の重みは、絶大だった。もし彼が本気で動けば、東京の空間そのものが碁盤の目のように切り取られ、街一つが綺麗に消失するほどの被害が出ることを、ここにいる全員が知っているのだ。
「……承知、いたしました」
長い沈黙の後、彼岸花の赤城が深く頭を下げた。
「恋問持子の一派に関する監視および対応の全権は、TIA……風間家に一任します。我々国家と主要クランは、次なる霊脈の暴走に備え、防衛線の再構築に全力を注ぎます」
こうして、極秘会議は幕を閉じた。
代表たちがそそくさと退室していく中、楓は大きなため息をつき、パイプ椅子で再びグラビア誌を開き始めた祖父を睨みつけた。
「……勝手な大見得を切って。あの先輩と、吸血鬼の女王が、そんな簡単に管理できるタマだと思ってるんですか?」
「カッカッカ! いいじゃねえか、若い衆が元気なのは。それに、お前さんもあの『魔王』のお嬢ちゃんのこと、結構気に入ってんだろ?」
「……別に。ただの、世話の焼けるバカな先輩です」
ツンとそっぽを向く楓を見て、助平はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた。
(……それに、あの『恐ろしい??』が後ろ盾についてるガキを、国の連中なんかに手出しさせられるわけがねえだろうがよ)
助平は胸の内でそっと呟き、グラビア誌のページをめくった。
東京の地下で蠢く最悪の胎動と、次なる『首なき皇』の目覚めが迫る中。
極黒の魔王とその配下たちの運命は、正式に黒髪の修羅と、スケベなエロジジイの手に委ねられたのであった。




