『エピローグ:魔王、家に入れず』
エピローグ:明け方のロビーと魔王の溜息
六本木での極上焼肉を腹いっぱい平らげ、うるさい配下たち(と、不機嫌な修羅の巫女)と別れた恋問持子は、すっかり上機嫌で自宅の高級マンションへと帰還した。
「ふははっ。やはり運動した後の肉は格別だな。さて、熱いシャワーでも浴びて、わしの極上シルクのベッドで泥のように眠るとしよう」
ガチャリ。
鼻歌交じりに自室の玄関ドアを開けた、その瞬間である。
「――っ、♡ ぁ、盛夫っ……!」
「……っ、お前、ほんと……っ」
薄暗い玄関の奥、寝室の方から漏れ聞こえてくる、やけに生々しく、かつ尋常ではない熱気を帯びた激しい物音と甘い声。
「…………」
持子は、無言でそっと玄関のドアを閉めた。
(……まだやっておるのか、あ奴ら)
時刻はすでに明け方である。深夜のファミレスから始まり、歴史の亡霊との死闘を経て、焼肉まで食べて帰ってきたというのに。持子の留守をいいことに、合気武道部の仲間である森と千手は、未だに魔王のベッドで絶賛大ハッスル中であった。
「ええい、他人の家でいつまで発情しておるのだ! さすがに叩き出してくれるわ!」
ギリッ、と奥歯を噛み鳴らし、怒髪天を衝く勢いで再びドアノブに手をかけた持子だったが――。
「…………はぁ」
大きく、本当に大きなため息を一つこぼし、スッとドアノブから手を離した。
そして、そのまま踵を返し、マンションの1階にあるエントランスロビーへと降りていった。
⸻
誰もいない、明け方のロビー。
持子は、冷え切った革張りの高級ソファに深く腰を沈め、ぼんやりと天井を見上げた。
全面ガラス張りのエントランスからは、白み始めた東京の空に、うっすらと眩しい朝日が差し込んできている。
夜明けの冷たい空気が、静まり返った広々としたロビーを満たしていた。
(……よくよく考えてみれば、こうなることは予測できたな)
持子は足を組み、ふと苦笑した。
森と千手。不器用な二人は、これまで長い期間、互いに想いを抱えながらもすれ違い続け、上手くいかない日々を過ごしてきたのだ。
それが今夜、持子の(半ば強引な)お節介によってようやく結ばれた。
初めての夜。これまでずっと押さえ込んできた不安や愛情、そして若さゆえの欲求が、堰を切ったように大爆発してしまったのだろう。限界まで我慢していた二人が、そう簡単に止まれるはずもない。
「……ふん。仲間の愛の営みを邪魔するほど、わしは野暮な王ではないわ」
前世でも今世でも、数多の愛憎を見てきた魔王には、二人のその熱く燃え上がるような気持ちが、痛いほどによく分かった。
だからこそ、怒って踏み込む気にもなれず、こうして静かに場所を空けて時間を潰してやっているのだ。王としての、ささやかな優しさと度量である。
だが。
「……くしゅっ」
小さなくしゃみが一つ、静かなロビーに響いた。
いくら空調が効いている高級マンションとはいえ、明け方の広いエントランスで、死闘の汗が冷え始めた身体のままポツンと待機するのは、どうにも居心地が悪い。
「……気持ちは分かる。なまらよく分かるのだが……」
持子は自身の両腕をさすりながら、差し込んでくる朝日を細めた眼差しで見つめ、誰にともなくポツリとこぼした。
「……寒いぞ、お前ら」
極黒の魔王が、自身の極上ベッドを奪還し、温かい布団で眠りにつけるのは、もう少しだけ先のことになりそうだった。
(第一章・完)




