『裏切りを喰らう者』
第四幕:天才の剣と魔王の武(持子 vs 源義経)
「よし! 貴様ら、よくやった! 後は大将首だけだ!」
立ち往生した巨漢の忠臣を横目に、恋問持子は不敵な笑みを浮かべて石段を登り始めた。
黄金の瞳が見据える先には、薄緑の太刀をだらりと下げた美しい青年武者――源義経が立っている。
頼れる盾を失ってもなお、彼の瞳に宿る悲哀と殺気は微塵も揺らいでいなかった。 むしろ、孤独になったことでその『怨念』はさらに濃密に研ぎ澄まされている。
「……弁慶。お前もまた、私を置いていくのだな」
義経の薄い唇から、呪詛のような呟きが漏れた。
その瞬間。
ヒュンッ!!
空気が爆ぜた。 義経の姿がブレたかと思うと、重力すら無視した『八艘飛び』の如き神速の跳躍で、持子の頭上・死角・背後から、同時多発的に薄緑の斬撃が殺到した。
「チィィッ!!」
持子は武器を持たない。 だが、丸腰ではない。
「出ろッ!」
持子が短く吼えると、彼女の背中から立ち昇る極黒のオーラが、実体を持った複数の巨大な『闇の魔力の手』へと変貌した。
ガギィィィッ! キィィィンッ!! ギガガガガッ!!!
四方八方から襲い来る義経の神速の太刀を、持子は自身の合気武道による神業の体捌きと、背後から展開した『闇の手』による全方位防御で完璧に弾き返す。
金属と魔力が衝突するけたたましい轟音が、夜の増上寺に響き渡った。
「なぜ抗う! 信じても裏切られるのが、この世の理であろうが!」
宙を舞いながら、義経が血を吐くような悲痛な叫びを上げる。
幾重にも重なる太刀筋には、彼を縛り付ける黒幕の呪詛――『絶望』と『憎悪』の念がどす黒く絡みついていた。 斬撃そのものが呪いの重圧を持ち、受け止める闇の手の魔力をゴリゴリと削り取っていく。
「信じた者に背を向けられた痛みが、貴様に分かるか! 兄にすら疎まれ、歴史の闇に葬られた我が怨嗟が……ッ!」
義経が大地を蹴り、一際重く、鋭い上段からの唐竹割りを放つ。
闇の手が二本同時に展開してそれを受け止めるが、バキンッ! とガラスが割れるような音を立てて魔力が粉砕された。
(――分かるか、だと?)
その瞬間、持子の脳裏に『前世の記憶』がフラッシュバックした。
赤く燃え盛る長安の都。 絶望と欲望が入り混じる未央宮の最奥。
天下をその手に握り、暴虐の限りを尽くした魔王の最期。 己が最も信頼し、我が子とまで呼んだ最強の猛将(呂布)の刃が、自身を無慈悲に貫いた、あの灼熱の痛み。
持子の中の『董卓』の魂が、腹の底からドス黒い炎となって燃え上がった。
(そうだ。わしとて、一歩間違えれば眼前の男と同じ『亡霊』になっていたやもしれん)
裏切られた無念、すべてを失った底なしの絶望。もしあのまま怨念に囚われていれば、持子もまた義経のように、過去の呪いに縛られたバケモノに成り下がっていた可能性は十二分にあったのだ。
だが、今の彼女は違う。
董卓としての記憶を取り戻し、極黒の魔王として覚醒してから今日に至るまでの日々が、彼女の魂を現世へと力強く繋ぎ止めていた。
自分を何があっても肯定し、丸ごと包み込んでくれる・雪の無償の愛。
呆れるほど騒がしくも、絶対の忠誠と愛情を向けてくる鮎や美羽、ルージュたち。
厳しくも的確な導きで、背中を預けられる修羅の巫女・楓。
そして、合気武道部の顧問や、共に汗を流す仲間たちとの、騒がしくも愛おしい日常。
魔王として覚醒してからの数え切れないほどの奇跡のような出会いが、冷え切っていた覇王の魂に温かな血を通わせてくれたのだ。
(……ふん。わしは、恵まれているな)
持子は、押し寄せる怨嗟の刃の中で、己を支えてくれる全ての者たちへ、誰にも聞こえない心の奥底でそっと感謝を捧げた。
だからこそ、この哀れな天才剣士を、王として正しく導き、全力で叩き潰さねばならない。
「……ふっ。ふははははっ!! 下らんな!!」
「……なに!?」
「分かるぞ。痛いほどにな! わしもかつて、最も信頼した『息子』の刃で貫かれ、天下から引きずり下ろされたからな!!」
持子の黄金の瞳が、義経の怨念すら焼き尽くすほどの凄まじい覇気を放って爛々と輝いた。
「だがな、義経! 裏切りなど、頂点に立つ者が払う『税金』にすぎん!」
「なんだと……ッ!」
「信じた者に裏切られた? ならば、己の器がその程度だったと笑い飛ばせ! すべての業を背負い、裏切りすらも己の血肉として喰らい尽くすのが『王』という生き物だ! 絶望に負け、呪いに成り下がって八つ当たりをするなど……王の器ではないわ!!」
前世で裏切りによって死し、それでもなお己のエゴと暴虐を肯定し続ける『極黒の魔王』の絶対的な矜持。
その魂の格の違いを見せつける一喝は、義経を縛っていた怨嗟の呪詛をビリビリと震わせた。
「黙れッ!! 貴様に、我が何が分かるァァッ!!」
図星を突かれたのか、あるいは呪詛が暴走したのか。
義経の端正な顔が夜叉の如く歪み、彼はこれまでで最速、最重量の必殺の一撃を振り下ろした。
薄緑の太刀が、怨念の黒いオーラを纏って巨大な刃と化し、持子の脳天を真っ二つに両断せんと迫る。
避けることは不可能。 闇の手も、今の斬撃の前には紙切れ同然だろう。
だが、持子は避ける気など毛頭なかった。
「甘いわァッ!!」
持子は一歩大きく進み大きく股を開き、地を這うように極限まで身体を深く沈み込ませた。
同時に右腕を真っ直ぐに斜め上へと突き出し、伸ばした右腕の肩口に自身の顎を埋めるようにして、顔面と首の急所をガッチリと固定・ガードする。
合気武道の理合を超えた、かつて兄弟弟子の少年が好んで使っていた変則にして必殺のカウンター。
(――『トキムネパンチ』!!)
「はぁぁぁぁッ!!」
地を這うような低い姿勢から放たれた、極黒の魔力を限界まで圧縮した右の突き上げ。
それは、振り下ろされる必殺の太刀の軌道を寸分の狂いもなくすり抜け――義経の握る太刀の『柄』のド真ん中に、下からカチ上げられるように激突した。
ドガァァァァァァァンッ!!!
「な……ッ!?」
驚愕に見開かれる義経の瞳。
凄まじい衝撃波と共に、何百年もの怨念を宿していた薄緑の太刀の柄が、持子の魔力を帯びた拳によって木っ端微塵に粉砕された。
刃が宙を舞い、義経の両手から「武器」という絶対の牙が失われる。
体勢が大きく浮き上がり、完全に無防備となった義経の懐。
そこへ、持子は飢えた獣のように一切の容赦なく踏み込んだ。
「これで……」
左腕が蛇のようにしなり、義経の脇下から首の裏へと回り込み、その身体をガッチリとロックする。 逃げ場を完全に奪った状態から、持子はバネのように極限まで圧縮していた己の肉体を弾けさせた。
「終わりだァァァッ!!」
右肘を、義経の腹部へ。
同時に右膝を、義経の背骨(腰椎)へ。
前後から万力のように挟み込み、同時に叩き込む、合気武道と極黒の魔力を融合させた完璧なる『挟みの一撃』。
左腕で首と上体を固定されているため、衝撃が外へ逃げることは絶対にない。 純然たる、殺しの一撃である。
ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
落雷のような破壊音が、増上寺の本堂を激しく揺らした。
持子の放った極黒の魔力と物理の衝撃波が、義経の肉体を内部から貫き、背中側へと放射状に突き抜ける。
「ガ、アァァァァァァッ……!!」
義経の身体が大きく反り返った。
だが、この一撃は「源義経」という魂そのものを破壊するためのものではない。
持子の繊細かつ圧倒的な魔力コントロールは、義経の魂の奥深くに楔として打ち込まれていた『黒幕の怨念の呪詛』だけを、精密機械のように正確に撃ち抜いていた。
パァァァァンッ……!!
義経の身体から、彼を狂わせていた真っ黒な呪いのモヤが、ガラスが砕け散るように弾け飛び、夜風の中に霧散していく。
「……あ……」
呪縛から解き放たれ、力が抜けた天才剣士の身体を、持子は静かに石畳の上へと下ろした。
怨念が消え去った境内に、再び静寂が戻る。
己の信じた覇道を貫く極黒の魔王の武が、歴史の闇に囚われた亡霊の魂を見事に打ち砕いた瞬間であった。




