『忠臣の壁』
■ 第三幕:忠臣の壁(鮎・美羽・ルージュ vs 武蔵坊弁慶)
黒髪の修羅が命懸けで繋いだ希望の光を背に受け、逆襲の幕が上がる。
「……ハァ、ハァ……っ! わたくし、もう魔力は残り少ないですけれど……! 下等な怨霊ごときに、わたくしのご主人様(鮎)を傷つけさせるわけにはいきませんわ!」
疲労困憊のルージュが、震える足で鮎の後方へと陣取った。三百年の吸血鬼の女王としての意地。彼女の両手から、防御に特化した『血の茨』が赤黒いオーラとなって立ち昇る。
その前衛で、本多鮎は両手で握りしめた巨大な大剣をゆっくりと正眼に構え直した。持子から分け与えられた『極黒の魔力』が、大剣の刀身を禍々しくも美しい漆黒に染め上げている。
「ルージュ、無理しないでくださいよ! ……美羽ちゃん、泥棒猫と呼ぶのは、今日だけは一旦やめにしておきます」
「……奇遇ですね、鮎先輩。私も今日だけは、あんたの背中を信じてあげますぅ」
鮎の隣に並び立った花園美羽が、手にした呪力の短刀をくるりと指先で回し、風間楓直伝の『無足』の構えへと腰を深く沈めた。
二人の視線の先には、主君たる義経を守る絶対の防壁――身の丈二メートルを超える巨大な怨霊、武蔵坊弁慶が、岩塊のような威圧感を放って立ち塞がっている。
「オオォォォォォッ!!」
弁慶の地鳴りのような咆哮。彼が手にする巨大な長刀『岩融』が、重い風切り音を立てて旋回した。
先程、鮎を赤子のように弾き飛ばした圧倒的な暴力の象徴だ。
「持子様に仇なす者は……私が、叩き斬るッ!!」
ダンッ!!
鮎が石畳を砕くほどの踏み込みで、一直線に弁慶へと突進した。
小細工など一切ない。狂戦士の如き膂力に、極黒の魔力を上乗せした大剣の大上段からの振り下ろし。
ガギィィィィィィィンッ!!!
増上寺の境内に、爆弾が破裂したかのような凄まじい金属音が轟いた。
火花が散り、衝撃波が周囲の土煙を吹き飛ばす。
だが――。
「……ッ!? なんで、力負けするんですか……っ!」
鮎の腕の骨がミシミシと悲鳴を上げた。
これまで鮎は、その規格外の魔力で補った筋力と『大剣の重さ』というアドバンテージだけで、力任せに敵を粉砕してきた。
しかし、目の前の相手は同じく長大で重厚な武器を扱う、歴史に名を残す達人である。純粋な剛力もさることながら、剣の腕前においては、ただ大剣を振り回しているだけの素人同然の鮎とは雲泥の差があった。
「ヌゥゥゥッ!!」
「きゃああっ!?」
弁慶が岩融の柄を絶妙な角度で滑らせ、鮎の大剣の力を綺麗に受け流した。
体勢を崩した鮎の腹部めがけて、岩融の鋭い刃が横薙ぎに閃く。
「させませんわッ!! 『血の茨の盾』!!」
バギィィィッ!!
後方からルージュが展開した硬質な血の茨が、弁慶の刃と鮎の間に割り込み、間一髪でその斬撃を弾き返した。
「助かりました、ルージュ!」
「よそ見をしないでくださいませ! 次が来ますわよ!!」
怒涛の猛攻。
弁慶の振るう岩融は、その巨体からは信じられないほど滑らかで、速く、そして正確無比だった。
上段からの唐竹割り、下段からの払い、そして刺突。
ただ力任せに大剣を振り回すだけの鮎は、完全に防戦一方に追い込まれていく。
「くっ、重い……っ! 速い……っ!」
ガキンッ! ゴガァンッ!!
弾かれる。防がれる。
鮎の大剣が弁慶に届くことはなく、逆に弁慶の岩融が鮎の命を何度も刈り取ろうと迫る。
その度にルージュが「ひぃぃっ!」と悲鳴を上げながら血の茨の盾を展開し、ギリギリのところで致命傷を防ぎ続ける。
だが、吸血鬼の魔力もすでに限界に近かった。
「チィィィィッ!!」
弁慶が咆哮と共に、岩融を大きく頭上で旋回させた。
遠心力と怨念のすべてを乗せた、必殺の脳天割り。
「しまっ……! ルージュ!!」
「魔力が……! 間に合いませんわッ! 鮎様ぁぁっ!!」
ルージュの血の盾が展開しきれず、半透明のまま空中で霧散した。
防御を失った鮎の頭上へ、弁慶の岩融が無慈悲に振り下ろされる。
鮎は死を覚悟し、瞳孔を極限まで収縮させた。
――その、コンマ一秒。
弁慶が鮎を確実に両断するため、すべての意識と力を『攻撃』に全集中させた、ほんのわずかな隙。
(……見えましたぅ!)
ヒュッ、と。
風の音すら置き去りにして、花園美羽が動いた。
風間楓の地獄のシゴキによって脳と肉体に刻み込まれた、風間の武術・究極の歩法『無足』。
力みも予備動作も一切ない。まるで最初からそこにいた影のように、美羽は弁慶の巨大な背後、完全なる死角へと滑り込んでいた。
「我が君の邪魔は、させんッ!」
弁慶の刃が鮎の額を割る、まさにその刹那。
「もらったですぅ!!」
死角から飛翔した美羽が、弁慶の背中に張り付いた。
狙うはただ一点。全身を覆う重厚な鎧の隙間、首の付け根に存在する霊的な中枢――『霊核』。
楓から譲り受けた呪力の短刀が、冷たい月光を反射して鋭く閃く。
ズチャッ……!!
「ガ、ハッ……!?」
一切の淀みなく放たれた暗殺者の刃が、鎧の隙間をすり抜け、弁慶の霊核へと深々とねじ込まれた。
ピタリ、と。鮎の脳天のわずか数ミリ上で、弁慶の岩融が静止した。
ドクン、と怨霊の巨体が大きく跳ね、突き立てられた短刀の傷口から、怨念と呪力の粒子が黒い血のように激しく噴き出す。
「やりましたぅ!」
美羽が刃を引き抜き、素早く後方へと跳躍して距離を取る。
霊核を破壊された怨霊は、いかに強大であろうともその存在を維持することはできない。弁慶の身体を覆っていた漆黒の呪力がボロボロと剥がれ落ち、その巨体がグラリと揺らいだ。
「……見事な、連携だ。だが……!」
致命傷を負い、膝を折るかと思われた弁慶は、しかし。
ガンッ! と岩融の石突を大地に叩きつけ、凄まじい執念でその巨体を真っ直ぐに立たせ続けた。
面頬の奥の青白い眼光が、決して揺るがない忠義の炎となって燃え盛る。
「……我が君(義経)の、邪魔は、させんッ……!!」
地鳴りのような咆哮。
弁慶は、主君へ続く石段の前に立ちはだかるように両足を踏み開き、岩融を構えたまま、ピタリと動きを止めた。
「……嘘、ですぅ。まだ、動くの……?」
美羽が戦慄して短刀を構え直すが、息も絶え絶えの鮎が静かに首を振ってそれを制止した。
「……いえ。もう、動かないわ」
鮎の言う通りだった。
武蔵坊弁慶の霊は、致命傷を負いながらも決して倒れることなく、主君を守るという絶対の意志を貫いたまま――仁王立ちで完全に機能を停止(立ち往生)していたのだ。
風が吹き抜け、機能停止した巨人の鎧がカタカタと寂しげな音を立てる。
「……敵ながら、見事な忠義です」
鮎は魔力の大剣を下げ、美羽、そしてへたり込んだルージュと共に、その壮絶な武人の最期に対して静かに黙祷を捧げた。
絶対の防壁であった忠臣は、今、役目を終えた。
残るはただ一人。石段の上で待ち受ける大将首のみ。




