『源義経、現代に斬り立つ』
第一幕:圧倒的絶望と、主従の顕現
深夜の増上寺。
赤い新型CX-5のドアを閉め、境内に足を踏み入れた瞬間――四人の周りを包んでいた深夜のドライブの陽気な空気は、一瞬にして凍りついた。
近代の象徴たる東京タワーが赤くライトアップされる中、手前の荘厳な本堂は、異様なほどの深い漆黒の呪力と殺気に包み込まれていた。
肌を刺すような冷気と、濃密な血の匂い。
「……なんだ、こいつらは」
持子の黄金の瞳が、暗闇の中で蠢く無数の影を捉えた。
土の中から次々と這い出してくるのは、鎌倉時代の鎧を纏った武者の怨霊たちだ。
そして、その怨霊軍団の中心、本堂へと続く石段の上に、二つの影が立っていた。
一人は、白拍子を思わせる軽装に、薄緑の太刀を提げた美しい青年武者。その眼差しはどこまでも澄み切っているのに、深淵のような悲哀と殺意を宿している。
もう一人は、身の丈二メートルを優に超える巨大な僧兵。手には巨大な長刀『岩融』を握りしめ、主君を守る絶対の壁として立ち塞がっていた。
源義経と、武蔵坊弁慶。
黒幕の呪詛に操られ、悲運の天才剣士と絶対の忠臣が、この現代の東京に喚び出されていた。
「貴様ら……」
持子は、周囲を包む尋常ではないプレッシャーに僅かに目を細めながら、石段の上の青年に向かって声を張り上げた。
「なぜ、この寺の結界を壊している! ただの歴史の亡霊が、何の目的でわしの庭を荒らすのだ!」
持子の問いに、義経は薄緑の太刀をだらりと下げたまま、酷く悲しげな瞳を持子に向けた。
「……裏切りだ」
「なに?」
「この世は、裏切りに満ちている。信じた者に背を向けられ、忠義は踏みにじられ、血を分けた兄にすら刃を向けられる。……武家の世など、権力という名の呪いにすぎぬ」
義経の声は静かだったが、その奥には途方もない怨念が渦巻いていた。何者かの呪詛によって、彼の魂に刻まれた『絶望』だけが極限まで増幅されているのだ。
「故に、斬る。武家の世の象徴たる徳川の威光も、この穢れた都を守る結界も。すべてを切り捨て、無に還す……それが、我が身を縛る怨嗟の叫びなのだ」
「……なるほどな。誰かに操られているのかは知らんが、要するにただの八つ当たりではないか」
持子は持ち前の傲岸不遜な笑みを浮かべ、バキボキと拳を鳴らした。
「ふん、歴史の亡霊が束になってかかってきたか。わしの鬱憤晴らしにはちょうどいい!」
持子は配下たちに鋭く号令をかけた。
「ルージュ! 雑魚を散らせ! 鮎と美羽はあのデカブツを止めろ! わしはあの美しい大将首を獲る!」
「はいぃっ!」
だが――。
遊び半分で突っ込んだ持子たちを待っていたのは、常軌を逸した「圧倒的絶望」だった。
「ひ、ひぃぃぃッ! 無理ですわ! 数が多すぎますのよ!」
ルージュが悲鳴を上げる。彼女が展開した広範囲魔法『血の茨』が、怨霊の足を串刺しにしていくが、倒しても倒しても、地底から無限に武者たちが湧き出してくる。三百年の吸血鬼の女王の力をもってしても、際限なく押し寄せる数の暴力の前に、その魔法は完全に押し潰されようとしていた。
「邪魔ですッ! どいてください!」
鮎はルージュの影から引きずり出した巨大な魔力の大剣を振り被り、真っ向から弁慶へと斬りかかった。狂戦士のごとき膂力と極黒の魔力を乗せた、渾身の一撃。
ガァァァァンッ!!
けたたましい金属音が境内に響き渡る。
「……なっ!?」
鮎の腕が激しく痺れ、魔力の大剣が軽々と弾き飛ばされた。弁慶はただ、手にした岩融を一振りしただけ。圧倒的すぎる剛力の前に、鮎の身体は木の葉のように宙を舞った。
「そこですぅ!」
その一瞬の隙を突き、美羽が風間楓直伝の『無足の歩法』を模倣し、完全に死角から弁慶の懐へと潜り込む。霊核を狙って呪力の短刀を突き立てようとした。
しかし、弁慶は振り返りもせず、岩融の石突(柄の末端)を背後に突き出した。
「きゃあっ!?」
防御すら許されない完璧なタイミングでの迎撃。美羽のスピードをもってしても、弁慶の絶対的な防御空間には近づくことすらできず、無惨に弾き飛ばされて地面を転がった。
そして、持子もまた、かつてない死地へ追い込まれていた。
「ちぃッ……! ちょこまかと!」
持子の拳が虚空を斬る。
義経の動きは、人間はおろか魔性のモノすら超越していた。石段から灯籠、そして本堂の屋根へと『八艘飛び』の如く目まぐるしく跳躍し、重力すら無視した三次元的な機動で襲い掛かってくる。
「なぜ抗う。裏切りに満ちたこの世など、すべて切り捨てればよい!」
義経の悲痛な声と共に放たれる、変幻自在の神速の太刀筋。
合気武道の神髄たる持子の完璧な体捌きをもってしても、その流麗にして必殺の刃をすべて捌ききれない。
「ええい、舐めるな!」
持子は徒手空拳での防御を諦め、自身の周囲に『極黒の魔力』で巨大な腕を複数形作り、迫り来る義経の刃を物理的に受け止めた。
ギガガガガッ!!
呪力を帯びた薄緑の太刀が、防御に展開した極黒の魔力をゴリゴリと削り取っていく。圧倒的な剣気と、数百年分の怨念の重圧。太刀を受けるたびに、持子の体内の魔力が滝のように激しく消費されていく。
「はぁっ……、はぁっ……!」
ついに、持子の息が切れ、魔力の供給が追いつかなくなった。
バキンッ! と音を立てて極黒の腕が霧散し、持子は石段の上にガクリと膝をついた。
見渡せば、鮎も美羽もルージュも、もはや立ち上がる力すら残っておらず、冷たい石畳に倒れ伏している。
「……ここまでか。哀れな王よ」
静寂の中、義経がふわりと持子の眼前に着地する。
その隣には、巨塔のような弁慶が並び立った。
疲労と魔力切れで、指一本動かせない。持子の黄金の瞳に映るのは、無慈悲に振り上げられた義経の薄緑の太刀と、弁慶の巨大な岩融。
完全に動けなくなった持子たちを両断すべく、二つの死の刃が、同時に振り下ろされた。
全滅の危機――。




