反社投入とか聞いてないんですが、モデルの仕事ですよね?
思っていたよりも、全然話が進まない。
✴︎雨音と無音の合気
午前四時。東京の臨海地区の外れに放置された巨大な廃倉庫。
外ではバケツをひっくり返したような暴風雨が荒れ狂い、薄いトタン屋根を鼓膜が破れるほどの爆音で打ち据え続けていた。
意識が覚醒した持子を包んでいたのは、カビと鉄錆の混じった湿った空気と、完全な暗闇だった。
(……目隠し。それに、口には布か)
身じろぎをすると、後ろ手に縛られた太いロープが手首に深く食い込む。隣からは「……ん、んんっ」という、恐怖に震えるくぐもった声が聞こえた。雪だ。彼女も同じように目隠しと猿ぐつわを噛まされ、冷たいコンクリートの床に転がされているのだろう。
「なんで『二人とも』攫ってきやがった! 依頼はこっちのデカい女……恋問持子だけでよかったんだよ!」
雨音を切り裂くように、男の苛立った怒声が響いた。
「す、すみません兄貴! でも、あの女、妙に勘が鋭くてまったく隙がねぇんです。二人まとめて車に押し込むしか……!」
「チッ、言い訳すんじゃねぇ!」
鈍い打撃音。殴られた男が床を転がる気配がする。
「ま、いいか。手違いだが、マネージャーの方は脅しの材料にでも使えばいい」
チャキッ、と刃物が飛び出す冷たい金属音が鳴る。
「依頼主からの要望は『消えない傷をいくつか付けてくれ』だとよ。顔面か、手足か……モデルとしての生命が完全に終わるような、極上の芸術をな」
「……んーっ!! んんーっ!!!」
隣で、雪が激しく身を捩る気配がした。視界を奪われ、声も出せない絶望的な状況の中で、それでも雪は這ってでも持子を庇おうとしているのだ。
――その健気な気配が、持子の脳内で「何か」を決定的に切断した。
理性のタガが外れ、深淵から這い出るような怒りが沸騰する。
喋る必要などない。魔王たる己の意志は、現象となって顕現する。
ボワッ、と空気が爆ぜた。
常人には不可視の『黒い霧』が鋭利な刃へと変貌し、持子の手首のロープ、口を塞ぐ無骨な布、そして視界を奪う目隠しを一瞬にして塵へと還した。
「あ……?」
ナイフを弄んでいたリーダー格の巨漢が、突如として拘束を解かれた持子を見て呆気にとられる。反射的に振り下ろされた丸太のような腕。
持子は滑るように男の懐へ侵入すると、その腕を下から捕らえ、自身の腰を支点にして相手の巨体を一気に担ぎ上げた。
「『岩石落』」
ドゴォォォォォォォォッ!!!
雨音すら掻き消す轟音。巨漢の男の身体が宙を舞い、コンクリートの床に深々と叩きつけられた。
「な、なんだこいつ!? やっちまえ!!」
残る十人近い黒ずくめの男たちが、一斉に殺意を剥き出しにして殺到する。ナイフの切っ先、特殊警棒が四方八方から持子を襲う。
だが、持子は瞬き一つせず、凶器の群れへと真正面から踏み込んだ。
怒りに任せた力押しではない。幼少期から血肉に染み込ませた『合気武道』の理合に、魔王の超常の身体能力が融合した、絶対的な武の顕現。
死角から鋭く突き出されたナイフ。持子はそれを紙一重で躱し、相手の手首を柔らかく捕らえる。そのまま内側へ鋭く捻り込む必殺の関節技。
「『小手返し(こてがえし)』」
「ぎゃあっ!」
バキリと手首が砕け、男は錐揉み回転しながら宙を舞い、別の男たちへ砲弾のように激突した。
怯むことなく左右から迫る特殊警棒。持子は一歩も退かず、右の男の死角へと入り込み、その体勢を背後へ大きく崩し落とす。
「『裏落』」
さらに、倒れ行く男に躓き体勢を崩した左の男の拳を真下から捕らえ、拳を内側へ容赦なく折り曲げる。
投げながら手首を折る。
「『拳返し(こぶしがえし)』」
「「ぎゃあああぁぁぁっ!?」」
続けざまに突進してくる別の男の力を一切殺さず、そのベクトルを真下へと誘導してコンクリートの床へ顔面から叩きつける「『引落』」。
悲鳴が重なり、屈強な男たちが次々と白目を剥いて崩れ落ちていく。
篠突く雨のリズムに合わせるかのように、打撃音と関節が外れる鈍い音だけが、美しく、そして残酷に響き渡った。
「ば、化け物……ッ! 来るな!」
最後の一人が後ずさり、震える手で黒光りする拳銃を引き抜いた。
雷鳴が轟き、廃倉庫の高い窓が白く閃いた。
――パァンッ!!
発砲音が響く。しかし、放たれた銃弾は遥か天井の鉄骨を空しく弾いただけだった。
引き金が引かれるコンマ一秒前、持子は既に射線から身体を外していたのだ。雷光に紛れた神速の縮地。
気付けば、男の眼前に持子が立っている。男の銃を持つ手を万力のような握力で捕らえ、強引に手首の関節を外して銃を奪い取る。そして、空いた腕を男の首に深く巻き付け、遠心力を乗せて床へと激しく投げ飛ばした。
「『首投』……脆すぎる」
バタリと最後の男が倒れ伏し、倉庫を支配するのは再び激しい雨の音だけとなった。
持子は息一つ乱さず、ピクピクと痙攣するリーダーの男の胸ぐらを掴み上げた。
「答えよ。誰の指示だ」
絶対零度の声。男は血まみれの顔でニタニタと笑う。
「へっ……言えるわけ、ねぇだろ……俺たちはプロなんだよ……」
「そうか。ならば——」
持子は黄金の瞳で、上役の瞳を覗き込んだ。
どう聞き出すか考えている。
持子が黄金の瞳で男を睨みつけた瞬間。
――ジジッ。
持子の脳内に、ノイズ混じりの鮮明なビジョンが強制的に流れ込んできた。
——暗い地下駐車場。札束。命令を下す女の顔。
さらに、この『仕事』の完了を報告し、残りの報酬を受け取る段取り。その待ち合わせ場所である、都内高級ホテルのスイートルームの情景までもが、まるで自分の記憶のように生々しく流れ込んでくる。
「……っ!?」
持子は目を見開いた。
まず自分の、この力に驚き。
冷酷な目で命令を下す女の顔にも驚いた。
『精神感応』。そこに映っていたのは、カメラの前で清純な笑顔を振りまく、あの女だった。
「……本多、鮎」
その名を聞いた途端、男の顔からサッと血の気が引く。
「な、なぜ、それを……!?」
「もう喋らなくていい。全て視えた」
持子は男をゴミのように投げ捨てると、一目散に雪の元へと駆け寄り、黒い霧でその拘束を優しく解き放った。
「雪! 怪我はないか!?」
目隠しと猿ぐつわから解放された雪は、ガクガクと震える足で立ち上がると、そのまま堪えきれずに持子の胸に飛び込んだ。
「も、持子さん……っ! 怖かった……っ!」
「うむ、うむ! よく耐えたな。もう大丈夫だ、わしが全員ぶっ飛ばしてやったからな!」
数秒前までの殺気はどこへやら、持子は完全に「推しを愛でる限界オタク」の顔に戻り、雪の頭をわしゃわしゃと撫でた。
だが、持子の視線は、雪の細い腕や足に刻まれた生々しい擦り傷や打撲の痕を見逃さなかった。乱暴に扱われたのだろう。
「……痛かっただろう。すぐに病院へ行こう」
持子は雪の身体を優しく抱き上げると、錆びついた重い鉄の扉を蹴り開けた。
冷たい夜明けの雨が容赦なく吹き込んでくる。灰色の空から降り注ぐ雨は、暗い東京の街の輪郭をぼやけさせていた。
――一時間後。
都内の救急病院。処置室のベッドで手当てを受け、ようやく落ち着きを取り戻した雪は、不安そうに持子の袖を掴んでいた。
「持子さん……あの人たち、一体なんだったんですか……?」
「ただのタチの悪い強盗だ。もう警察に引き渡したから安心しろ」
雪を安心させるための、優しい嘘だった。
実際には通報など一切していない。あの廃倉庫で骨を砕かれ気絶した男たちは、今も冷たいコンクリートの床に放置されているはずだ。警察の事情聴取などに無駄な時間を割かれるのが、持子には我慢ならなかったのだ。
「わしは少し、警察と今後の手続きについて話をしてくる。雪はここでゆっくり休んでいろ」
「……はい。早く、戻ってきてくださいね」
「ああ、約束しよう」
持子は限界オタクの顔でデレデレと笑いながら雪の頭を撫で、病室を後にした。
パタン、と扉が閉まる。
その瞬間、持子の顔から一切の感情が抜け落ちた。
警察などどうでもいい。一秒でも早く、元凶であるあの女の元へ向かいたい。
だが、持子の胸中に渦巻いているのは、燃え盛るような怒りだけではなかった。
自身でも制御不能なほどにどす黒く膨れ上がった『怒り』と――これから自分が本多鮎に直面した時、一体何をしでかしてしまうのか全く予想がつかないという、得体の知れない『恐怖』だ。
このままホテルへ向かえば、自分はただでは済まさないだろう。
相手を壊してしまうかもしれない。人間としての境界線を越えてしまうかもしれない。
――それでも、行くしかない。
黄金の瞳が、氷のように冷たく、そして危うい光を放つ。
病院の出口を抜け、再び降りしきる雨の中へと足を踏み出した。
わしの愛する雪を傷つけ、その平穏を脅かした罪。
持子は冷たい雨に打たれながら、抑えきれない怒りと底知れぬ恐怖を抱えたまま、あの女が待つ高級ホテルへと一人歩き出した。
ただ一人、魔王としての『清算』を果たすために。
改行と、書き直し〜




