『魔王モデルは三年生!~忠犬卒業、泥棒猫暴走、そして部活消滅の危機~』
柔らかな春風が桜の花びらを舞い上げ、真新しい、少しだけサイズの大きい制服に身を包んだ初々しい新入生たちが、期待と緊張を胸に校門へと吸い込まれていく。
希望に満ちた新学期の朝。そんな桜並木の通学路において、周囲の視線を文字通り『独占』して歩く一人の絶世の美少女がいた。
身長175cm、神が計算し尽くした「黄金比」のプロポーションを持ち、その魂に三国志の暴君「魔王・董卓」を宿す、芸能プロダクション『スノー』所属のトップモデル・恋問持子である。
彼女が優雅に歩を進めるだけで、すれ違う新入生たちは「えっ、なにあの人……」「めっちゃ綺麗……オーラやばっ」と、まるで神話の女神でも見たかのように息を呑んで道を譲っていく。
「ふはははっ! なまら気分が良いぞ! この絶望的に頭が悪いわしが、奇跡的に三年生に進級できたのだからな!」
上機嫌にふんぞり返る持子だったが、春風に揺れる黒髪の隙間から、ほんの少しだけ寂しげな息が漏れた。
これまで常に特等席として隣を歩き、狂信的な愛を捧げてくれていた『忠犬』の本多鮎が、早稲田大学合格を機に卒業してしまったからだ。
「むぅ……。あの騒がしいピンク頭がいないと、どうにも静かすぎて調子が狂うわ」
持子が独りごちた、その時だった。
「持子さぁん♡ おはようございますぅ!」
あざとく甘ったるい声と共に、背中からドスンと柔らかな衝撃が走った。
同じく三年生に進級した芸能科の花園美羽だ。北海道の修学旅行で330万円の損害を出し、持子に借金ごと魂を買い取られた『泥棒猫』である。
「おい泥棒猫! 朝から暑苦しいぞ、離れろ!」
「えへへぇ、駄犬の鮎先輩が卒業したいま、持子さんの隣は完全に私のモノですぅ! これからは私がたっぷりと持子さんをコレクションしてあげますからね♡」
相変わらずドロドロとした重い執着を隠そうともしない美羽 をベリベリと引き剥がしていた、その時。和やかな空気を、音もなく忍び寄ってきた影が断ち切った。
「おはようございます。……先輩、朝から相変わらずですね」
「無足の歩法」で気配を完全に消し、スッと現れたのは、一般科の風間楓だった。赤坂・氷川神社の巫女であり、修羅のような気迫を隠し持つ後輩である。
「おお、楓ではないか!」
持子が気さくに声をかけた瞬間――持子の背後にいた美羽の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「ヒッ……!! か、楓さん……!!」
美羽はガタガタと激しく震え出した。無理もない。春休みの間、美羽は持子への借金返済のための『妖・悪魔退治のアルバイト』として、この楓から死の淵を彷徨うほどのスパルタ・トレーニングを叩き込まれていたのだ。夜な夜な容赦なくしごかれたその恐怖は、完全にトラウマとして美羽の魂に刻み込まれている。
「あ、あ、あああ……私、ちょっと急用ができましたぁぁっ! 失礼しますぅぅッ!!」
美羽は脱兎のごとく、悲鳴を上げながら全速力で校門の彼方へと逃げ去っていった。
「む? なんだあやつ、せわしない奴め」
「……自業自得(弱いから)です。それより先輩」
楓は逃げゆく美羽を一瞥もせず、静かで、しかし凄みのある声で持子を諭すように言った。吸血鬼の存在こそ知らないものの、持子が引き寄せるオカルト的なトラブルの匂いを鋭く察知しているのだ。
「これ以上、学校で『穢れ』を増やすなよ。先輩のその膨大な魔力……あまり変な妖を引き寄せすぎると、祓うこちらの身にもなってください」
「う、うむ……善処しよう」
楓の静かなるプレッシャーに持子がタジタジになっていると、そこへ見慣れた顔が二つ現れた。一般科の『合気武道同好会』の仲間である、森(男子)と千手(女子)だった。
「おーい、持子! おはよう!」
「持子さん、おはようございます!」
「おお、お前たち! 久しぶりだな!」
「今年から、私が同好会の主将になるの!」
千手が少し照れくさそうに、しかし誇らしげに胸を張る。
「俺たち3人と、卒業した岩田先輩の夢だった『部活動への昇格』……。そのためには、今年新入生を入れて、部員を5人以上にしなきゃならないんだ。もし誰か入らないと、同好会自体が無くなっちまう!」
森が真剣な顔で言葉を継いだ。
「うむ! それは一大事だ! わしらの鍛錬の場を失うわけにはいかんからな!」
持子は力強く頷いた。だが、ふと冷静になって問いかける。
「して、千手、森よ。新入生を勧誘する準備は、もちろん完璧に進めてあるのだろうな?」
「「えっ」」
森と千手の動きが、ピタリと止まった。
「いや、その……実は、春休みは……」
森が気まずそうに頭を掻き、隣で千手の顔がポッと赤くなる。
「……私たち、ずっと一緒にいて……その、遊びに行ったり、稽古したり、お勉強したり……ずっと、2人の世界だった、というか……///」
「「……あはははは///」」
なんと、この2人は春休みの間、新入生勧誘の準備など完全に放り出し、ただただイチャイチャとラブラブな日々を満喫していたのである!
「き、貴様らぁぁぁッ!! この同好会存続の危機に、色ボケしておったのか!!」
持子が激怒しようと拳を振り上げたが、すぐにその拳をスッと下ろした。
(……ダメだ、こやつらのラブラブを責められん。わしも春休みはパリに行ったり、南仏でバカンスしたり、ローカル番組の真似事をしてフランスを下道で縦断したりで、絶望的に準備を怠っておったからな……)
持子はコホンと咳払いをした。
「……まあよい! 過ぎたことをウジウジ言っても始まらん! 授業式が終わったら、同好会の部室に集合だ! そこで完璧な軍略を練るぞ!」
「おおっ! さすが持子、頼りになる!」
「持子さん、よろしくお願いします!」
キーンコーンカーンコーン……。
予鈴が鳴り響き、持子たちは慌ててそれぞれの教室へと向かった。
***
三年生の教室。
芸能科であるこのクラスは、まさに美男美女の博覧会だった。修学旅行の死線を共に乗り越えて以来、クラスの男女の仲は非常に良く、団結力も強い。
持子が教室のドアをガラリと開けた瞬間――教室内の空気が、文字通り『爆発』した。
「きゃあああああっ!! 持子ちゃん、おはよう!!」
「持子ぉぉぉっ! 見たよ! 見たからね!!」
「あの世界的ブランド『リュクス・アンペリアル』のメインビジュアル!! マジでヤバすぎ!!」
若き女帝エレーヌ・リジュが統べるブランド『リュクス・アンペリアル』。阿寒湖や南仏で撮影されたその広告は、春休みの間に世界中で同時公開され、凄まじい反響を巻き起こしていたのだ。
極黒のドレスを纏い、地中海の風を従える魔王の姿は、まさに美の化身。同じ芸能の道を志すクラスメイトたち、特に女子たちにとって、今の持子は手の届かないトップスターのような存在として熱狂の的になっていた。
「おいおい、サインくれよ持子!」
「私も! 待ち受け画面にするから一緒に写真撮ってぇっ!!」
怒涛のように押し寄せるクラスメイトたちの波。
「ふははははっ! よいぞよいぞ! 苦しゅうない! わしの美しさに存分に平伏すがよい!」
持子が傲岸不遜に笑い声を上げ、教室がパニック映画のような騒ぎになっていた、その時。
「……席につけ、お前たち」
スゥッ……。
まるで教室の『影』がそのまま実体を持ったかのように、音もなく教壇に立っていたのは、昨年に引き続き担任を務めることになった影安だった。
これほどの騒ぎの中でも一切ブレない、圧倒的に薄い存在感。しかし、その落ち着き払った静かな声には、有無を言わさぬ説得力があった。
騒いでいた生徒たちが「あ、やべ」「先生いつの間に……」と蜘蛛の子を散らすように席へ戻っていく。
「……恋問」
「むっ、なんだ影安」
影安は、騒ぎの中心にいた持子を咎めるでもなく、ただ静かに、諭すような声で語りかけた。
「世界的なブランドのモデル……結構なことだ。お前の輝きは、このクラスの皆が認めている。……だがな」
影安はチョークを手に取り、黒板に日付を書きながら言った。
「どれほど手の届かない世界へ羽ばたこうとも、お前が今立っているのは、この学校の教室だ。……学生としての本分と、ここにある騒がしくも普通の日常を、忘れないようにな」
「……ふん! 言われるまでもないわ! わしはいつだって優等生(嘘)だからな!」
影安の静かで地に足の着いた言葉に、持子はフイッと顔を背けながらも、どこか嬉しそうに口角を上げた。
華やかな芸能界の頂点に立とうとも、変わらず自分を「一人の生徒」として扱ってくれる影安の存在が、少し心地よかったのだ。
(ふははっ! いよいよ三年生だ! 鮎がいないのは少し寂しいが……今年はどんな美味いものが食え、どんな騒動が待っているのか、なまら楽しみだぞ!)
桜の花びらが窓から舞い込む教室で、極黒の魔王の、騒がしくも温かい新しい学園生活が、今ここに幕を開けたのである。




