魔王の気まぐれと、仏蘭西『水曜どうでしょう』首脳会議
第十八章:魔王の気まぐれと、仏蘭西『水曜どうでしょう』首脳会議
昨夜の前代未聞のBLトラウマ・フラッシュバックと全力逃走劇から一夜明けた、四月三日の朝。
「……というわけで、残りの二日間のバカンスだが」
最高級リゾートホテルのスイートルーム、その広大なリビングにて。
昨夜のパニックによるショックから自己防衛本能が働き、すべてのトラウマを脳の奥底に『強制封印(現実逃避)』した恋問持子は、何事もなかったかのようにふんぞり返り、堂々たる態度で宣言した。
「わしは、『水曜どうでしょう』がやりたい!」
「「「…………は?」」」
リビングに集められた三人の顔に、見事なまでの疑問符が浮かんだ。
いつもの理知的な眼鏡をかけた立花雪。
至高の推しの言葉を一字一句逃すまいとメモ帳を構える本多鮎。
そして――昨夜の騒動を経て『持子に愛されるためなら、私は喜んで一生この女の姿のままで生きていく!』と完全に覚悟を決め、息を呑むほど美しい「絶世の金髪美女」の姿のまま、部屋の隅で大人しく正座している真祖の吸血鬼、エティエンヌ(♀)である。
ちなみに、この異色すぎるメンバー間の意思疎通は、傍から見れば極めて奇妙なバランスの上で成り立っている。
まず、一般人である雪は日本語、フランス語、英語を完璧に操るトリリンガルである。そして驚くべきことに、真祖の吸血鬼であるエティエンヌは流暢に日本語を話すことができた。
一方で、影に潜む吸血鬼の女王ルージュはフランス語しか話せず、日本語は目下勉強中の身である。しかし、ルージュがフランス語で喚き散らしても、持子と鮎は主従関係である『魔力のパス』が繋がっているため、言語の壁をすっ飛ばしてその意図を正確に理解できた。もちろん、雪にはフランス語がそのまま通じる。
つまり、持子や鮎、エティエンヌが日本語で話し、ルージュがフランス語で返すという、言語が入り乱れながらもなぜか完璧に会話が成立しているカオスな空間なのだが、当人たちはすっかりこの状況に慣れきっていた。
「どうでしょうって……持子。あんた、急に何を言い出すのよ」
雪がこめかみを押さえる。
「北海道発の伝説的ローカルバラエティ番組のことだ! わしは孤児院の深夜の再放送で幾度となく見ておったのだ。今では全てのDVDをコレクションしておる。サイコロを振って過酷な旅をしたり、原付で走り回ったりする、あの泥臭くも素晴らしい覇道をな!」
持子は目をキラキラと輝かせ、熱弁を振るう。
「ここはお洒落な南仏コート・ダジュールですよ!? なんでわざわざ極東のローカル番組の真似事をしなきゃいけないんですか!」
「うるさい鮎! わしはあの『四人組』の過酷な旅を、このフランスという異国の地でやってみたいのだ!」
持子はビシッと指を突き立てた。
「大泉洋、ミスター、藤村D、嬉野D! あの番組は常に『四人』で構成されておる! 今、この部屋にはちょうど四人の人員が揃っているではないか!」
『——Attendez une minute!(ちょっとお待ちになって)持子様!』
鮎の足元の影から、吸血鬼の女王ルージュがひょこっと顔を出した。必死の形相で捲し立てる彼女の言葉はフランス語だが、パスを通じて持子たちにはその抗議の声が痛いほど伝わってくる。
『Moi aussi!(わたくしを忘れておりませんこと!?)わたくしを入れて五人ですわよ!』
持子は冷酷な黄金の瞳で、影の中のルージュを見下ろした。
「お前は日光の下では歩けんし、すぐ『お肌に悪い』『ドレスが汚れる』と文句を言うではないか。ただの荷物持ちの寄生獣など、テレビの企画には使い物にならん! ゆえに、お前は不参加だ!」
『C'est cruel!(そ、そんなぁぁぁッ!)あんまりな扱いにございますぅぅ!』
「うるさいですね、寄生獣は影の中で大人しく寝てなさい」
持子と鮎の容赦ない日本語のツッコミに、ルージュが泣きべそをかく。鮎が容赦なくルージュの頭を踏んづけて影に沈めた。
「というわけで、参加者はわし、雪、鮎、そして……そこの金髪吸血鬼女! この四人で、二日間のフランス縦断『どうでしょう』を敢行する!」
持子は現実から目を背けるように、エティエンヌ(♀)を指差した。
指名されたエティエンヌは、豊満な胸を揺らし、正座のまま「おおっ……!」と感嘆を漏らし、美しい頬を真っ赤に染めている。
「企画の内容、移動手段、すべてはこのわしを抜かした『幹部三人』で決めること! わしは腹が減ったゆえ、ホテルのビュッフェでオムレツを食ってくる! 昼までに完璧な企画書を提出しろ!」
「えっ、ちょっと持子! 丸投げ!?」
「ではな! 良い旅のプランを期待しておるぞ!」
持子はジャージ姿のまま、嵐のようにスイートルームを飛び出していった。
バタンッ、と扉が閉まる音が響く。
残されたリビングには、重苦しい沈黙が落ちた。
「……信じられない。撮影が終わってやっとゆっくりできると思ったのに、なんでオフの日にあの子を喜ばせるための過酷なバラエティ企画を考えなきゃいけないのよ」
雪がソファに倒れ込み、天井を仰いだ。
「あの……雪さん」
金髪美女の姿をしたエティエンヌが、おずおずと手を挙げる。外見はどこからどう見ても極上の美女だが、その口調と中身は完全にあのドMの真祖である。彼女は流暢な日本語で雪に問いかけた。
「その『スィヨウ・ドウデショウ』とは、一体何なのだ? 吸血鬼の王族にも伝わっていない、極東の新しい血の儀式か何かか?」
「ただのオジサンたちがレンタカーやバスで何時間も移動して、文句を言い合いながら車中泊したりする地獄の旅番組よ。……待って」
雪はため息交じりに答えながら、その眼鏡の奥で、敏腕プロデューサーとしての鋭い光をキラリと反射させた。
「……鮎さん。私、藤村Dをやるわ」
「えっ? 雪さん、まさか乗るんですか?」
「ええ。持子は『どうでしょう』をやりたいと言った。そして、企画の全権は私たちに委ねられた……。これはチャンスよ」
雪はタブレットを開き、フランスの広域マップを表示した。
「持子をレンタカーの後部座席に押し込んで、私たちがひたすらフランスの田舎道を長距離ドライブするのよ。車の中なら持子がどこかへ逃げ出したり、暴れて建物を破壊したりする心配もない。疲れたら勝手に寝るわ。それに……」
雪は不敵な笑みを浮かべた。
「あの番組の醍醐味は、『出演者を騙して過酷な目にあわせる』ことでしょう? あの生意気な魔王に、バラエティの洗礼を浴びせてやるわ」
「おおおおっ! さすが雪さん! 完璧なリスク管理とエンタメの融合!」
鮎も感嘆の声を上げ、自身のカメラを大事そうに抱きしめた。
「ならば私はカメラ担当の嬉野Dをやります! 助手席から、後部座席で文句を言う持子様の可愛いお顔を、二日間ぶっ通しで回し続けますよ!」
「よし、決まりね。運転手は……」
雪と鮎の視線が、部屋の隅で正座している金髪美女へと向けられた。
「……私、かしら?」
「ええ。あんた、真祖の吸血鬼なんでしょう? 何日徹夜で運転しても疲れないわよね?」
雪が冷酷な目を向けて尋ねる。
「ふふっ……。もちろんだとも」
エティエンヌは絶世の美女の顔に、隠しきれない恍惚とした笑みを浮かべて立ち上がった。
「密室の車内で……愛しの女王(持子)と共に二日間を過ごし、そして彼女から過酷な旅への罵詈雑言を延々と浴びせられる……。ああ、想像しただけで背筋が震えるほどの悦びだ……ッ! 運転手でも馬車馬でも、喜んでやらせてもらおう!」
究極のドMに覚醒した真祖は、絶世の美女の姿になってもなお、罰ゲームすらも最高のご褒美へと変換していた。
「……外見は最高に良い女なのに、中身が最高に気持ち悪いですね。でもまあ、運転手としては使えるからいいです」
鮎がジト目で吐き捨てるように言い、雪も完全に同意して頷いた。
「とりあえず、レンタカーを手配するわ。車はフランス製のマニュアル車。行き先は……そうね、ここ南仏のコート・ダジュールから、パリの凱旋門までの約九百キロを、高速道路禁止の『下道と田舎町縛り』で縦断するわよ。名付けて『仏蘭西・下道縦断の旅』」
「素晴らしいです! 持子様の愚痴が止まらなくなること間違いなしです!」
『……Euh, tout le monde?(あの、皆様)本当にわたくしは、この二日間ずっと影の中で引きこもっているだけですの……?』
ルージュがフランス語で涙声で訴えるが、幹部会議はすでに最高潮の盛り上がりを見せており、誰の耳にも届くことはなかった。
かくして。
南仏の太陽の下、極黒の魔王の気まぐれから始まった、敏腕社長・忠犬・変態吸血鬼美女による『仏蘭西水曜どうでしょう』の地獄のロードトリップが、今まさに幕を開けようとしていた。
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