真祖降臨、至高の推し囚わる
第六章:真祖の来襲と、囚われた至高の推し
コート・ダジュールでの『リュクス・アンペリアル』の夏向け新作コレクション撮影、その記念すべき第一日目が無事に終了した。
全六日間にわたるスケジュールの初日を完璧に乗り切った夜、持子たちは最高級リゾートホテルの広大なスイートルームにて、華やかな夜のバカンスを満喫しようとしていた。
「ふははは! 見よ鮎、この『ぶいやべーす』という海鮮の煮込み料理を! 魚介の旨味が極限まで濃縮されておって、絶品ではないか!」
「はいっ、持子様! 獲れたての地中海の海鮮を頬張る持子様のお姿、まるで海の女神のように神々しいですぅ! さあ、こちらのオマール海老も私が綺麗に剥きましたので、あーんしてください!」
「うむ、苦しゅうない。あーん、だ」
バルコニーから夜の地中海を見下ろす豪華なダイニングテーブルで、恋問持子は黄金の瞳を輝かせながら、大好物の海鮮料理を猛然たる勢いで胃袋へと収めていた。
その隣では、ピンク髪の忠犬である本多鮎が、甲斐甲斐しく「至高の推し」の口へと運んでいる。
「……二人とも、あんまり食べ過ぎて明日の撮影で顔がむくまないようにしなさいよ」
その向かいの席では、社長の立花雪が呆れたようにため息をつきながら、優雅にグラスのミネラルウォーターを傾けていた。
一方、鮎の足元に広がる黒い影の中からは、吸血鬼の元・女王ルージュが、優雅な貴族口調で文句を垂れていた。
『ああっ、ずるいですわ! わたくしもそのオマール海老というものを食してみたいですの! マスター・鮎、影の中に一切れ落としてくださいませ!』
「うるさいですね、寄生獣! アンタは私の魔力を吸ってるだけで十分でしょうが!」
極東からやってきた規格外の美少女たちと、影に引きこもる吸血鬼による、騒がしくも平和なディナータイム。
しかし、その平穏は、夜風と共にバルコニーに舞い降りた「圧倒的な死の気配」によって唐突に破られた。
スゥッ……。
音もなく、バルコニーの大理石の手すりに一人の男が降り立った。
「――迎えに来たよ、私の愛しいヴィクトリア(ルージュ)」
甘く、そして背筋が凍るほどに冷酷な声が響く。
そこに立っていたのは、ため息が出るほど美しき男だった。中世の貴族を思わせる漆黒のコート。透き通るような青白い肌に、血のように赤い瞳。夜の王子のごとき青白い微笑みを浮かべ、その場にいるだけで空間を支配してしまうような絶対的なオーラを放っている。
彼こそが上級貴族にして、純血の『真祖の吸血鬼』、エティエンヌ・ド・ロシュフォール=ノクティスである。
彼はかつての妻であり、三百年間パリの地下を支配させていたルージュを奪還するために、はるばる南仏まで追ってきたのだ。
『ひっ……!! エ、エティエンヌ様……ッ!?』
影の中からその姿を見た瞬間、ルージュは悲鳴を上げ、ガタガタと激しく震え出した。真祖による数百年の束縛の恐怖が、彼女の魂を竦み上がらせる。
「可哀想に、ヴィクトリア。下等な人間の影などに押し込められて。今すぐ助け出して、再び私の愛しい下僕に戻してあげよう」
エティエンヌは優雅に室内のリビングへと足を踏み入れると、ぐるりと部屋の中を見渡した。
そして、そこにいた持子、鮎、雪の三人の規格外の美しさを目の当たりにし、その赤い瞳を妖しく細めた。
「……ほう。なるほど、私のヴィクトリアを打ち倒したというだけあって、素晴らしい美貌の娘たちだ。ちょうど良い。お前たち三人とも、私が新たな下僕にして永遠の愛を与えてやろう」
エティエンヌは夜の王子のごとき青白い微笑みを深め、自身の最大の武器を解放した。
「さあ、美しい娘たち。私の瞳を見つめ、ひざまずきなさい」
カッ!!
エティエンヌの赤い瞳が、妖しく、そして強烈な魔力の光を放つ。それは、純血のヴァンパイアのみが持つ絶対的な支配の力――真祖特有の強力な「魅了の魔眼」であった。
この瞳に見つめられた人間は、いかなる強者であろうと自我を失い、彼への絶対的な愛と服従を誓う奴隷と化す。
「ちょっとそこの変態コスプレ男! 持子様の神聖なるお食事の邪魔をしないでください!」
だが、ピンク髪の鮎は完全にエティエンヌを無視して持子に野菜を勧めていた。彼女の脳内はすでに「持子様への狂信」で一ミリの隙間もなく埋め尽くされているため、他の男の「魅了」など全く効果がないのである。
「ふん。飯の邪魔をするとは、万死に値するぞ」
持子に至っては、黄金の瞳から放たれる圧倒的な魔王の覇気で、逆にエティエンヌを睨み伏せようとした。
だが――。
ガタンッ。
椅子が倒れる音が、静まり返ったスイートルームに響いた。
「……え?」
持子の動きが止まる。
立ち上がったのは、立花雪だった。
「ゆ、雪……?」
持子が呼びかけるが、雪は答えない。
知的な眼鏡の奥の瞳から、いつも持子を優しく、時に厳しく見守ってくれていたあの理知的な光が、完全に失われていた。虚ろで、焦点の合わない瞳。まるで精巧な操り人形のように、雪はふらふらとエティエンヌの方へと歩み寄っていく。
「あぁ……素晴らしい。人間にしては極上の知性と精神力を持っているようだが、真祖たる私の力の前には無力だったね」
エティエンヌは満足げに微笑むと、歩み寄ってきた雪の肩を抱き寄せ、その細い首筋に冷たい指先を這わせた。
「雪ッ!!」
持子の喉から、悲鳴にも似た絶叫が迸った。
前世の暴君の記憶を持つ持子にとって、己の命よりも重く、絶対に失いたくない「至高の推し」であり、母のような存在。その雪が、得体の知れない吸血鬼の手中に落ちたのだ。
「貴様ぁぁッ!! その薄汚い手で、雪に触れるなぁぁぁッ!!」
ドゴォォォォォンッ!!
持子の全身から、部屋の窓ガラスがひび割れるほどの凄まじい「極黒の魔力」が爆発した。殺意という言葉では生ぬるい、絶対的な破壊の衝動。
だが、エティエンヌは余裕の笑みを崩さない。
彼は抱き寄せた雪を自身の盾にするように立たせ、その首筋にスッと鋭い牙を突き立てる素振りを見せた。
「動くなよ、極東の魔王。お前がその強大な魔力を一ミリでも解放すれば、この美しい人間の首筋から、一滴残らず血を吸い尽くしてあげるよ」
「――ッ!!」
持子の動きが、ピタリと止まる。
怒りで全身が震え、黄金の瞳から血の涙が出そうなほどの殺意を放ちながらも、雪を人質に取られた持子は、手も足も出せなかった。
「持子様……! 雪さんが……っ」
鮎も血の気を引き、爪が手のひらに食い込むほど拳を握りしめている。
エティエンヌは、身動きが取れなくなった持子を見下ろし、優雅に、そして傲慢に告げた。
「私は、誇り高き夜の貴族だ。ただの略奪ではつまらない。極東の魔王よ、お前には私から『王らしい決闘』を申し込もう」
「……決闘、だと?」
「そうだ。この女の身柄を懸けて、私と一騎打ちをしようじゃないか。もしお前が勝てば、この女は無傷で返してやる。だが私が勝てば、お前たち三人とも、永遠に私の愛しい下僕となるのだ」
「ふざけるな……! わしは今すぐここで、貴様を八つ裂きにしたいのだ!」
「持子様、いけません!」
影の中から、ルージュが悲痛な声を上げた。
『エティエンヌ様は、空間を跳躍する『転移魔法』の使い手ですわ! 決闘の場所はおそらくあの方の城……圧倒的に相手のテリトリーに引きずり込まれることになります! わたくしの元・夫の力は強大です、罠が張り巡らされた城に乗り込むのは、あまりにも危険にございます! どうか、おやめくださいませ!』
ルージュの必死の助言。相手の土俵に乗り込むことがどれほどの愚行か、軍略に通じる魔王の魂を持つ持子なら百も承知のはずだった。
鮎もまた、ルージュの言葉に青ざめ、どうにかして持子を止めようと唇を噛み締める。
だが。
「……場所は、どこだ」
持子の口から出たのは、静かな、しかし決して揺らぐことのない決意の言葉だった。
「も、持子様!? 危険にございます!」
ルージュが驚愕の声を上げるが、持子の黄金の瞳は、エティエンヌの腕の中で虚ろな目をしたままの雪だけを真っ直ぐに見つめていた。
「わしは、雪のためなら何でもする。雪の命が懸かっているのなら、地獄の底だろうと、貴様の城だろうと、どこへでも行ってやる。……だから、雪に指一本でも触れてみろ。貴様をこの世の全ての苦痛を味わわせてから殺すぞ」
「ふふっ、素晴らしい覚悟だ。ならば、私に近づきなさい。決闘の舞台となる私の城へ、君を招待してやろう」
エティエンヌが左手を差し伸べる。
雪の安全を最優先するため、持子は一切の魔力を込めず、無防備な姿で真祖の吸血鬼の前に歩み出た。
「良い子だ。さあ、夜の狂宴を始めよう」
エティエンヌが残酷に微笑んだ瞬間。持子とエティエンヌの足元に、禍々しい血のような赤い魔法陣が展開された。
カッ!!
強烈な閃光がスイートルームを包み込み――次の瞬間、持子とエティエンヌの二人の姿は、バルコニーから完全に消え失せていた。
「持子様ぁぁぁッ!!」
鮎の悲痛な叫び声が、夜のコート・ダジュールの空に空しく響き渡る。
その直後だった。
「……っ、あ……!」
エティエンヌの腕の中から解放され、残された立花雪が、ガクンと大理石の床に膝をついた。
「はぁっ、はぁ……っ」
荒い息を吐きながら、雪は自身の首元をきつく押さえた。彼女の眼鏡の奥の瞳には、先ほどの虚ろな光は消え去り、理知的な光が戻っている。
術者である真祖の吸血鬼が転移魔法でこの場から消え去ったことで、彼女を縛っていた「魅了の魔眼」の効力が強制的に解除されたのだ。
「ゆ、雪さん……! 正気に、戻ったんですね!?」
鮎が慌てて駆け寄り、雪の体を支える。
「鮎、さん……? 私は……持子は……持子はどこ!?」
雪は周囲を激しく見渡した。自分が吸血鬼に操られ、愛する持子を脅すための盾にされていた恐怖と絶望の記憶が、パニックと共に蘇ってくる。
「持子様は……雪さんを助けるために、あの吸血鬼と一緒に、敵の城へ転移してしまいました……っ!」
鮎が涙声で告げると、雪の顔から完全に血の気が引いた。
「……私の、せいで……。あの子が……あんな危険な場所へ……っ」
自責の念に駆られ、雪はギリッと唇を噛み締め、悔しさに体を震わせた。
南仏の甘い夜風が吹き抜けるスイートルーム。残された鮎と雪は、ただ持子の無事を祈り、闇の彼方へと消えた極黒の魔王の覇道を信じることしかできなかった。
第七章:死の舞踏と、血に飢えた悪魔城
禍々しい血の色の閃光が収束すると、そこは光の届かない完全なる異界だった。
カツン、と。
恋問持子の履くハイヒールが、冷たく硬い石畳を踏み鳴らす。
周囲は、中世ヨーロッパのゴシック建築を思わせる、途方もなく巨大で荘厳な古城の広間だった。だが、そこに人間の温もりは一切ない。壁にはおびただしい数の頭蓋骨が埋め込まれ、柱には苦悶の表情を浮かべた亡者たちの彫刻が施されている。
空気は泥のように重く、濃密な血と死の匂いが充満していた。
「――ようこそ、私の城へ。極東の魔王」
遥か頭上、広間を見下ろす玉座の間のバルコニーから、エティエンヌの冷酷で甘い声が響いた。
雪の姿はない。彼女はあのホテルに残してきたのだから。
「エティエンヌ……! 貴様、どこに隠れた!」
持子が叫び、その場から床を蹴ってバルコニーへ跳躍しようとした瞬間――。
ギィィィィンッ!!
空間そのものが歪み、目に見えない強固な防壁が持子の体を弾き返した。
「……ちっ! 結界か!」
「無駄だ。ここは三百年間、私が独自の魔術で編み上げた絶対の領域。いかなる魔王であろうと、正規の順路――この城に巣食う全ての罠と眷属たちを越えなければ、最上階にある私の玉座には辿り着けない」
エティエンヌは傲慢に微笑んだ。
「お前のその規格外の魔力と美しさ、余すことなく見せてもらうよ。途中で死に絶えるか、私の元へ辿り着くか……夜の狂宴の始まりだ」
フッ、とエティエンヌの姿が闇に溶けるように消え去る。
同時に、巨大な広間の四方に設けられた鉄格子が、凄まじい轟音と共に一斉に開け放たれた。
グルルルルッ……!
ギヤァァァァァッ!!
暗闇の奥から湧き出してきたのは、理性を完全に失い、血の飢えに狂った数百の下級吸血鬼たちと、異形の姿をした悪魔の大群だった。
彼らは一斉に、広間の中央に立つ極上の「餌」――絶世の美貌と規格外の魔力を持つ持子へと向かって、雪崩のように殺到してきた。
「……ふん。余興には多すぎる数だ」
持子は夜のバカンスのために着ていたシックなドレスの裾を無造作に引き裂き、動きやすい長さに調整すると、黄金の瞳に絶対零度の殺意を宿した。
「わしの『推し』を傷つけ、恐怖を与えた罪。貴様らの血肉で購え!!」
ドゴォォォォンッ!!
持子の背中から、漆黒の闇が爆発的に噴き出した。
それは実体を持った数十本の『極黒の魔力の手』となり、巨大な触手のように宙を舞い、四方八方から飛びかかってくる悪魔たちの群れへと襲いかかった。
「ギィェェェッ!?」
先頭を走っていた吸血鬼の首を、闇の手が容赦なく鷲掴みにし、そのままスイカを割るように握り潰す。
ブチャァッ! という生々しい音と共に血肉が弾け飛び、雨のように降り注ぐ。
さらに闇の手は、横から迫る中級悪魔の四肢を捕らえ、両側へ思い切り引き裂いた。骨が砕け、肉が千切れる悍ましい音が響き渡る。
「次だ!!」
持子自身も立ち止まることはない。
迫り来る凶刃や鋭い爪を、高倉師匠直伝の『合気武道』による神速の体捌きで紙一重で躱し、カウンターの掌底を敵の鳩尾に叩き込む。
ドンッ!!
内部に魔力を浸透させる強烈な打撃により、悪魔の内臓が爆発し、背中からドス黒い血が吹き出す。
圧倒的な蹂躙。
美しき魔王による、無慈悲で残酷な死の舞踏。
持子は敵の胸ぐらを掴むと、その胸板にズブッと素手を突き入れ、心臓の奥底にある『魔力結晶(魔石)』をえぐり出した。
「ギ……ガァッ……」
絶命する悪魔を蹴り飛ばし、持子は血に染まった赤い結晶をそのまま口に放り込む。
ガリッ、ボリボリッ。
硬い結晶を牙で噛み砕き、強引に己の魔力へと変換する。
「……ッ、不味い。泥水をすするような味だ。だが、背に腹は代えられん」
本来であれば、こうして敵から奪った魔石を喰らうことで、魔力を無限に補給できるはずだった。
しかし――。
「シャァァァァァッ!!」
「殺セ、喰ラエ!!」
倒しても倒しても、悪魔と吸血鬼の群れは途切れることなく暗闇から湧き出し続ける。
しかも、広間を抜けて城の螺旋階段を上るにつれ、敵の強さは跳ね上がっていった。鋼の鱗を持つガーゴイルや、巨大な戦斧を振り回すミノタウロスのような大悪魔が、容赦なく波状攻撃を仕掛けてくる。
「ええい、鬱陶しい!!」
持子は極黒の魔力の手を鞭のようにしならせ、ガーゴイルの首を刎ね飛ばすが、その硬い鱗を物理的に破壊するためには莫大な魔力を消費する。
さらに、城の至る所に悪辣な罠が仕掛けられていた。
床から突如として突き出す無数の槍、壁から放たれる腐食性の毒ガス、そして空間そのものを歪めて方向感覚を狂わせる魔法陣。
それらを魔力による強引な結界で防ぎ、時には自身の肉体を傷つけながらも強行突破していく。
「はぁっ……はぁっ……!」
階段を蹴り上がり、大悪魔の首をへし折った持子の口から、荒い息が漏れた。
右肩には毒の矢が掠り、美しいドレスはボロボロに裂け、白磁の肌にはいくつもの傷が刻まれている。
倒した敵の魔石を喰らおうと手を伸ばすが、次の瞬間には背後から新たな吸血鬼が襲いかかってくるため、立ち止まって食べる暇すら与えられない。
(くそっ……! 喰らう量より、消費する魔力の方がはるかに大きい……ッ!)
魔力の手を広範囲に展開し続けることは、持子の規格外の魔力タンクをもってしても異常な負担を強いていた。
視界が微かに歪み、指先が痺れ始める。
絶対の自信を持っていた魔力が、確実に、そして残酷に底をつきかけていた。
「ハハハハッ! 魔王といえど、力尽きるか!」
傷つき、動きが鈍った持子を見て、上級の吸血鬼たちが嘲笑いながら一斉に飛びかかってくる。
「……黙れ」
持子は血に濡れた唇を噛み締め、黄金の瞳に狂気じみた執念の光を宿した。
「わしを、誰だと思っている」
ズガァァァァンッ!!
残された魔力を振り絞り、持子は極太の闇の手を前方に放った。それは巨大な漆黒の竜巻となって、群がる敵をまとめて壁ごと吹き飛ばし、血の海へと変える。
「……雪……」
痛む肩を押さえ、よろけながらも、持子は決して歩みを止めなかった。
脳裏に浮かぶのは、あの理知的な眼鏡の奥の、優しい瞳。
誰も自分を愛してくれなかった、凍えるような北海道の孤児院時代。
「あんた、私がプロデュースしてあげるわ」
そう言って、冷たい地獄から自分を救い出してくれた、たった一つの光。
阿寒湖の吹雪の夜、「あんたのままでいい」と、化け物である自分を力強く抱きしめてくれた、絶対的な母の温もり。
(雪を……わしの至高の推しを、恐怖に陥れた罪、絶対に許さぬ……ッ!!)
魔力が枯渇しかけ、肺が悲鳴を上げ、視界が赤黒く染まっても。
持子は迫り来る悪魔の腕を素手でもぎ取り、その喉笛を食いちぎるようにして血をすすり、強引に前へと進み続けた。
美しくも悍ましい、血まみれの修羅。
彼女を突き動かしているのは、魔王としての傲慢さなどではない。
雪というたった一人の大切な人を守りたいという、十七歳の少女の、あまりにも痛切で不器用な『愛』だった。
***
どれほどの時間を戦い抜いたのか。
百か、千か。それ以上の肉塊を築き上げた果てに。
満身創痍の持子は、ついに最上階にある、ひときわ重厚な両開きの扉の前に辿り着いた。
「はぁっ……はぁ……っ……!」
美しい黒髪は血と汗で肌に張り付き、その息絶え絶えの姿は、とても魔王と呼べるものではなかった。
だが、その黄金の瞳の奥で燃える光だけは、決して消えてはいなかった。
持子は、血まみれの右手を強く握りしめ、残る全ての力を込めて、その重厚な扉を蹴り破った。
ドッゴォォォォンッ!!
砕け散る扉の破片と共に、持子は玉座の間へと足を踏み入れる。
「――よく辿り着いたね。褒めてあげよう」
静寂に包まれた広大な玉座の間。
月明かりが差し込む最奥の玉座に、エティエンヌ・ド・ロシュフォール=ノクティスは優雅に足を組んで座っていた。
「……エティエンヌ……ッ!」
持子は喉から血を吐くような声で叫び、一歩前へ出た。
だが、限界を超えて酷使された足がもつれ、ガクンと大理石の床に膝をついてしまう。
「ああ、痛ましい。あの圧倒的だった魔王が、見る影もないね」
エティエンヌは玉座から立ち上がり、床に倒れ伏す持子を冷酷に見下ろした。
「君の魔力が完全に底をついていることは、私の目には明らかだ。もう、立ち上がる力すら残っていないだろう?」
「……黙れ……ッ! 貴様だけは、わしが……っ!」
持子は血に濡れた床を這い、黄金の瞳でエティエンヌを睨みつける。
だが、闇の魔力の手を出すこともできず、指先すら満足に動かせない。これが、魔力枯渇の代償だった。
「私の勝ちだ、極東の魔王。約束通り、お前たち三人は私の永遠の下僕となるのだ」
エティエンヌは勝利を宣言し、動けない持子へと、ゆっくりと死神のような手を伸ばした。




