「婚約破棄だ」そうですか、では横領の証拠を全て提出して帰ります
王宮の大広間、シャンデリアの煌めきが冷たく感じる夜だった。
主催者である王太子の入場を待つざわめきの中、突然、耳障りな甲高い声が響き渡った。
「リリアナ・ベルジュ! 貴様との婚約は、今この時をもって破棄する!」
音楽が止まる。
数百人の視線が一斉に突き刺さる中心で、私はゆっくりと瞬きをした。
目の前に立っているのは、私の婚約者――いいえ、元婚約者となったギルバート男爵令息だ。
整った顔立ちだが、今は興奮で赤く歪んでいる。その腕には、ピンク色のドレスを着た小柄な少女がしがみついていた。
ミリア男爵令嬢。確か、最近彼が熱心に入れ込んでいた相手だ。
「……ギルバート様。この場が、王宮の夜会であることはご理解されていますか?」
私が静かに問うと、ギルバートは勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「ふん、場所など関係ない! 貴様のような可愛げのない、氷のような女とこれ以上一緒にいられるか! 俺はここにいるミリアのような、守ってやりたくなる女性と結婚するんだ!」
「そうですか」
「俺の金まで管理しようとする強欲さにもうんざりだ! これからは自由にする!」
周囲からクスクスと嘲笑が漏れる。
地味な眼鏡の事務官令嬢が、華やかな男爵令息に捨てられた。よくある話だと思われているのだろう。
けれど、私の胸中にあったのは悲しみでも屈辱でもない。
――ああ、やっと終わった。
その安堵だけだった。
「婚約破棄、確かに承りました」
私はドレスの隠しポケットから、あらかじめ用意していた封筒を取り出した。
周囲が「なんだ?」とざわめく。
「では、こちらの書類に署名をお願いします。慰謝料は請求しません。その代わり――」
「はんっ! 今さら泣きついても遅いぞ!」
「いいえ。我が家に対する『借金の返済』と、あなたが国庫省の備品購入費から『横領』した金額の即時返還を求めるものです」
言い放った瞬間、ギルバートの顔から色が消えた。
「な……何を、言っている?」
「とぼけても無駄です。あなたがミリア嬢に贈ったドレス、宝石、馬車。それら全ての購入履歴と、国庫金の出金記録が一致しています。総額、金貨三千枚」
私は封筒から一枚の羊皮紙――『魔導複写』された証拠の写しを抜き出し、彼の目の前に掲げた。
そこには、彼自身の筆跡で横領の事実が生々しく記されている。
「う、嘘だ! それは捏造だ!」
「王宮の監査印が入った書類が捏造ですか? これは原本の写しです。原本は既に――」
私が言葉を続けようとした、その時だった。
「原本は、既に私の手元にある」
大広間の空気が、一瞬で凍りついた。
人垣が割れ、黒い礼服を纏った長身の男が現れる。
銀色の髪に、冷徹な蒼い瞳。
この国の宰相補佐であり、「氷の公爵」と恐れられるサイラス・ヴァン・クライシス公爵その人だった。
「か、閣下……!?」
ギルバートが震え上がり、ミリア嬢が悲鳴を上げて彼から離れる。
サイラス公爵は彼らを一瞥もせず、私の隣に立った。
その距離は、他人行儀な主従のそれよりもずっと近い。
「リリアナ、見事な手際だ。監査局への根回しも完璧だった」
「恐れ入ります、閣下。ですが、これは私の私的な事情ですので」
「私的ではない。国庫金の横領は重罪だ」
公爵は冷ややかな声で告げると、青ざめるギルバートを見下ろした。
「ギルバート男爵令息。貴殿には『国家反逆罪』および『横領罪』の容疑がかかっている。衛兵、連れて行け」
「ま、待ってください! リリアナ、助けてくれ! 婚約破棄は嘘だ、愛しているのはお前だけだ!」
見苦しく叫ぶ元婚約者が、衛兵たちに引きずられていく。
その姿が扉の向こうに消えるまで、大広間は静まり返っていた。
これで、全て終わった。
私は肩の力を抜こうとして――不意に、大きな手に手首を掴まれた。
「……閣下?」
「リリアナ。君は、これで独身に戻ったわけだな」
見上げると、いつもは無表情な「氷の公爵」が、見たこともないほど熱っぽい瞳で私を見つめていた。
「は、はい。実家に戻り、これからは仕事に専念しようかと」
「それは困る」
「え?」
「私の屋敷に来い。優秀な補佐官としてではない」
サイラス公爵は、私の左手を恭しく持ち上げ、その薬指に口づけを落とした。
会場中から、悲鳴にも似た歓声が上がる。
「私の妻として、生涯側にいてほしい。……ずっと、君が自由になるのを待っていたんだ」
眼鏡の奥、私の視界が熱く滲む。
どうやら私が提出すべき次の書類は、横領の証拠ではなく、婚姻届になりそうだ。
私は赤くなった顔を隠すように俯き、小さく、けれどはっきりと頷いた。
「……謹んで、お受けいたします」
最後までお読みいただきありがとうございました!
事務的なリリアナと、実は溺愛していた公爵様のその後は、もっと甘々になる予定です。
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