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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

船室にて

作者: 瑜伽
掲載日:2025/12/05

 ザアザアザアと艦首(トップ)甲板(デッキ)をタタキ付けるような大濤(おおなみ)に、少し眉を顰める。晴天だった昼も今は過去(むかし)、雨で時化る海に、この船はあるらしかった。波濤(なみ)の船体に当たって砕ける音。おおよそ今は止まっているからマダいいものの、動いていたらおそらくドイイインン……と船体の楕円の横っ面を殴られ、一刹那、グウウと沈んでまた山の上に浮かんでを繰り返すような、酷い有様だったに違いなかった。普段は(おか)の上でヤレ軍議だ、ヤレ予算だと喧々諤々の会議にばかり出ているから、少しばかり外界に出て煙管越しの不健康な空気ではなく新鮮な空気でも吸おうかと思って入れば、こうして船に積まれて荒波と格闘しているのだ。ヤニ臭く見えるものすべてが煙に巻かれたあの蒸し暑い部屋がスッカリ恋しくなってくるなど、今の今まで考えたことすらなかったのである。


 この船に少し後から積まれた兵器開発局の男の横顔をジッと見る。男の横顔はあまり見目の良いものではなく、短く刈られた髪は、陸上(おか)の連中にしては少々長く、軍議違反スレスレのひょんひょんとした寝癖の如き散らかりようを見せている。肉付きの薄い体を猫背に曲げて鍵の掛けられた扉を見ていた。その酷い姿勢は、局内では問題にならないのだろうか。比較的広いとも言える凸額(おでこ)には、海溝が如き皺の跡が見て取れ、その下の白目がちで隈がビッチリ塗られているような、濁った硝子(ガラス)のような眼玉(めだま)はギョロギョロと船室(ケビン)を見渡していた。眉を剃っているからか、刻まれた皺が常人(ひとびと)と比べて際立って深い渓谷のような様を示している。ハァ……と一つ大きなため息をついて、男は私の斜め前あたりの木箱に腰掛けた。すぐにこの船室(ケビン)から抜け出すことは諦めたらしい。


 こうして暇を弄んでいるが――今は男の顔を観察することしかできることがないとも言うが――ここに当初は筋骨隆々たる船員どもに、甲板(デッキ)で預かるにしても、機関室で預かるにしても今にも細すぎてポックリ死にそうだからと船室(ケビン)に押し込まれたというのもある。兵器局の男もまた、おそらくは似たような理由でここにエイヤッと押し込まれていたに違いなかった。或いは、陸上でも指折(ゆびおり)の変人どもをまとめて一部屋に押し込んでおこう、と言う魂胆かもしれない。ここまで運んできた連中は、失礼千万とでも評価をつけよう。当たらずしも遠からず、という程度の評定は下されることは間違いない。


 男のギョロギョロと動く眼玉(めだま)が、不意に一点を見つめて動かなくなった。真直(まっす)ぐに視線を固定して、やっと吃驚したように私を見ている。頬杖をついて立膝で埃を被った寝台(ベッド)に座る私は、ズイブンと異質な物に見えていたはずだ。男が押し込まれたのは私が来て暫く日が登って降りてを繰り返してからだったし、男は入ってすぐに部屋の様子をジックリ観察していたものだから、戸の影になるような少しばかりの暗がりでジッとしていた私に気が付かなかったのだろう。或いは、敢えて今気がつきましたとばかりにそういう顔面を作り出したのかもしれなかった。その様子を見て、私は斜に構えたような笑みを浮かべる。男を見下してなどいない。だが、あの頭脳派集団(インテリ)の階級を上から数えた方がいいような男が、私ごときにそんな顔をしたことに対して、状況すら忘れて……少しばかりの羞恥も含めて……笑みが浮かんでしまったことも事実だった。おそらく逆の立場だったら、私が驚いた顔をして、ここに閉じ込められている事実を男は嗤っているように思う。


「……アンタは」


 男はそういうと少し言葉を選ぶように口を閉じた。何を話せばいいのかわからないのかもしれなかったが、それはこちらとて同じことと言える。何せ、男のことはそれなりに知っていたし幾度か激しい軍議を共に戦い抜いたことすらあるような間柄であったはずである。薄曇りの会議室で、夜の喫煙所で、或いは真昼間の酒保でよく見掛けていた男が、一体全体何の因果でこんな船室(ケビン)に詰め込まれているのかはわからないが、どうにも海に連れ出そうとしているこの人間たちは自分と同程度の価値を男に見出しているらしかった。自分に対する高待遇を寿ぐべきか、或いは男の待遇の悪さを嘆くべきか、逡巡している間に男が口を開いた。


「聞くところではかなり上の方の……遣い走り……監査役……と、聞いていたが」


 男もまた、只々私がこの薄暗く埃っぽい船室(ケビン)に詰め込まれていることが理解の埒外にあっただけのようで、私が誰であるかを正確に理解していた。ドタバタと忙しない足音が上から横からなり響いている。板切れ一枚を隔てて聞こえるがなり声たちは、マスマスもって何故こんなところに我々二人を引っ立てられてきたのかをわからなくさせているかのようだった。


「この間の見合いの時も……こんな潜入捜査の真似事をするたァ聞いちゃいねぇ」


 男とは、そういう(・・・・)間柄でもあった。程良い年頃の螺子の外れた二人……理解しあうことはできないかもしれないが、お互いの抑止力と見込まれての顔合わせ。民間人であればゾッとしてしまいそうなほどの温度の男の声は、しかし私には一向に堪える事がない。そういったことを感じるための回路を、ハンダでジックリと別の回路に繋ぎ直したかのようなほどに私は口元の笑みを隠していないらしかった。……男は露骨なまでに訝しむような視線を隠すことなくこちらによこしていたのである。


「チッ……笑ってやがる」


 吐き捨てるような声に、益々口角が上がることを止められない。流石に押し込められている船室(ケビン)が見たところ木製であるから吸ってはいなかったが、吸える環境であれば先ず間違いなく、男に火を勧めつつ煙管(パイプ)に火をつけていたに違いない。無論、私は嗤って。


「アア……聞くがねぇ……この状況……笑わずに、どう過ごすんだい?」


 ようやく口から出た声は酷く嗄れていて、煙に当てられたか、潮風に当てられたかとんと検討がつかない。寝台(ベッド)に上がり込んでいた足をソロソロと下ろして、また靴を履き直す。揺れる船の中で立っているのは、思うより体力を使うし、十全に休まらないとは言えど体の緊張を解いておくことは、こうした虜囚となった場合にはある程度必要なことだと軍学校で教わっていた。とはいえ、そういった緊張を解くことよりも軍紀通りのゲートルは、どうにも血の流れが悪くなるから、こうして誰にも何も言われなさそうなところで靴を脱いだり履いたり、また脱いだり履いたり……。上官に見つかれば何を言われるかわからないスリルをコウして味わう程度には、私は変人であることだけは間違いなかった。


「見たかい? この船の乗組員を。……どこからドウ見たって兇状(きょうじょう)持ちばかりじゃねぇか。兵器開発局と監査部がドウしたって敵いっこねぇ」


 ヒヒヒと笑って己の細腕を叩いた。諦めは肝心だ。自分の腕力の無さについては残念なほどに理解している。どうしたってできないことというものは現の世(このよ)には存在しているし、地獄の釜の淵で踊り狂うことが最善という最悪の見通しすらないとは言い切れない。局外者(しろうと)にはわからないが、船はどうにも何らかの信号を伝えるかのように、ボウボウボウと汽笛を鳴らしていた。ガクンとまた大きく船体が揺れている。また一つ、波濤(なみ)の間で船が揉まれているようだった。ようやくゲートルを巻き終えて、カツカツと木板の床を靴底の鉄板で叩いた。男が逸らしていた眼玉(めだま)が、またギョロリとこちらの姿を捉えている。


「そもそも、俺はね。貴方も何故こんな埃と石炭(すみ)まみれの船室(ケビン)擬きに詰め込まれているのか、そちらが気になって仕方がない」


 忙しなく組み替えられている指を見て、それからまた態とらしく男と目を合わせた。寝台(ベッド)のある船室(ケビン)……のは言っていたが、実際のところ、ここは船倉に設けられた部屋でしかなくまさしく船室(ケビン)擬きという表現が正しい代物に過ぎなかった。男は兵器開発局なんぞに勤めているからか、酷く鹿爪らしいことを普段は口にする男であったが、しかしこうも調子を崩されているとそのお得意の弁舌もどうにも覇気なく聞こえていた。


「大方アンタと同じだろう……軍議で縮こまった肩をうざったいほどの青天の下で伸ばそうとしたら、知らねぇ連中にとっ捕まった」


 男ほどの地位のあるものが捕まれば……それは確かに騒ぎの一つや二つ起こるだろう。反対に私は普段からあちこちの基地をヤレ視察だ、ヤレ徴収だと飛び回っていたから騒ぎにならなかったのかもしれない。しかし抜け穴だらけの警備局には、一つ苦情を申し奉らねばなるまい。そこから先に起こる騒動など、監査部の知ったところではない。


「貴方のような立場が、そう捕まるとはねぇ……。戻ったら警備の連中に今度は監査を入れるべきと進言するか」


 ヒヒヒとまた笑っていれば、また急に上も下も右も左も騒がしくなる。男が立ち上がって戸へ耳を近づけた。ヤアヤアと野太い声と、悲鳴が、少しくぐもりながらも聞こえてくる。男は好機とばかりに小さな螺子回しのようなもので戸の開錠を試していた。


「さてもさても、助けのお着きかい」

「イヤに笑って落ち着いて、遂にイカレたか」


 歌うように戸に近寄れば、男は眉間の海峡をより深く掘り進めた。さすがに監査部の部隊長たる私と、兵器開発局の技監殿がこうして同じ船に詰め込まれてランデヴーだかデェトだかをしている状態に気付かないほど軍も馬鹿ではない。そもそも女をこうして客船(メイルボート)の送迎でもないのに積み込んでいることがオカシイのだ……。またドンと横っ腹に殴られるような衝撃で、思わず目の前の屈む男に縋り付く。一寸(チョット)ばかり驚いたような顔をして――そのままにされた。手元が狂うとでも文句を言われるかと思えば、そんなことはない。


「開いた」


 ギィィ……と軋みつつ開いた扉を抜けて雨と風の吹き付ける甲板(デッキ)に抜ければ、私の常日頃からの監査対象(みはっている)局の奴らがワァワァと賊どもを引っ捕らえている。男は少しばかり頬を引き攣らせていたが、こちらへ振り返るとテメェ……と苛立った声を隠そうとしない。男はどうやら私の仕事についても、多少は知識があったようだ。私に嵌められたとでも思っているのだろうか。そうであればちゃんちゃらおかしいというものだ。私とてこの一連の誘拐なんぞは知ったことではなかった。


「なんだい、そもそも俺と貴方がこうして捕まっていたのは知らずにきているようだけれど。まぁ何事も諦めることだ、人生。結婚を迫られるというのもそうだろう?」


 私が笑みを浮かべると、男はまた何か言おうとしてそうして口を閉じた。


 波が、またザアザアザアと哭いている。

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