第83話 『推しにキスされかけた日』
──それは、夕焼けの色が教室から消え始めたころだった。
放課後の収録が終わった帰り道、俺は姫崎るりあと一緒に歩いていた。
行き先は、誰もいない校舎裏。
落ち葉の匂いと、鉄のフェンスの冷たさ。
「えっと……本当に送ってくれてよかったのに……」
「ううん。今日はね、“私からお礼がしたかった”んです」
振り返ったるりあは、どこか覚悟を決めた顔をしていた。
***
「……収録、ありがとうございました。
でも……それだけじゃ、言い足りなくて」
彼女は少しずつ、俺に近づいてくる。
制服の裾が風で揺れ、髪が頬をかすめる。
そしてその瞳は、まっすぐ、俺を映していた。
「……原作を読んだとき、私……泣いちゃったんです」
「笑ったと思ったら、急に静かになって。
静かなまま、胸をぎゅーっと締めつけられて。
気づいたら、“演じたい”じゃなくて、“触れたい”って思ってました」
「……だから、私は……」
俺の目をまっすぐに見つめて、
るりあは、震える声で言った。
「……本気で、好きになってもいいですか?」
その言葉は、鼓膜ではなく、心臓に直接届いた。
***
そして――
彼女が、俺の頬にそっと手を添える。
(やばい……距離が……!)
視線が、近い。
声が、近い。
呼吸が、同じ。
「こうき、くん……」
唇が、近づいてくる。
(これ以上近づいたら……)
──そして、その瞬間。
「……え?」
聞こえてしまった。
静かだけど、確実な声。
「……ねえ、今の……見間違いじゃないよね?」
***
振り向いた先に、立っていた。
袋田歩美。
彼女は、夕陽に染まった廊下の影に立ち尽くしていた。
制服の裾を握りしめたまま、動かない。
彼女の眼は、俺ではなく――
**姫崎るりあの“唇の角度”**を、凝視していた。
「……さっき、近づいてたよね?
手、添えてたよね? 今、言ってたよね? “好きになってもいい”って」
「……なんで?」
声が震えていた。
「なんで、こうきは……わたしの知らない顔、見せてんの……?」
俺は、言葉を失っていた。
るりあも、なにも言えなかった。
ただ、沈黙が、三人を包み込む。
***
【その夜】
SNSに、一枚の画像が投稿された。
《放課後の校舎裏。姫崎るりあと男子生徒の“キス未遂シーン”激写!!》
《#声優と一般男子 #放課後の真実 #姫崎るりあガチ恋疑惑》
──瞬く間に、拡散された。
「おい見た!? ガチでキス未遂してたぞ!」
「男子の顔、久慈川ってやつらしい!」
「いや、俺もうファンクラブやめるわ……リアル恋愛とかマジ無理」
「うちのクラス、リアル恋愛アニメじゃねぇか!!」
その火は、もう消せなかった。
***
そして、俺のスマホに届く一通の通知。




