第29話 『アフレコ見学──リアルvs二次元』
──スタジオの空気は、独特だった。
壁に吸音パネルが張られた空間。
空調の音さえ抑え込まれた静寂の中、マイクが整然と並び、ブースの奥には音響ディレクターが座る。
その空間に、俺・久慈川幸喜は立っていた。
モニターの向こうでは、まだ“音のない”アニメが流れている。
第1話──
そう、すべての始まり。
主人公が階段で転び、ヒロインが助け起こすあの場面。
部屋に招き入れ、妹がひょこっと顔を出す。
図書室の窓際で本を手渡すロングヘア。
金髪転校生が窓から飛び降りて登校する──
すべて、俺が書いた物語だ。
でも──
モニターの中にいる彼女たちは、動いていた。
目が、唇が、風にそよぐ髪が──まるで**“生きている”**ようだった。
そして──その横には。
俺の隣には──“本物”たちがいた。
***
歩美(幼なじみ)は、モニターの“自分”を睨んでいた。
「……ちょっと、“怒るときの眉の角度”が違う。私、もっとキレてるから」
舞香(転校生)は、腕を組んでふむふむと頷く。
「うーん……この着地のポーズ、甘いわね。私はもっと膝を曲げるのよ。美しく着地してこそ、ヒロインですもの」
玲奈(図書委員)は、眼鏡を押し上げながら観察中。
「静かに本を差し出す……なるほど。
でも、もう少し“ため”が欲しい。無言の感情の余韻が大事です」
幸香(妹)は、モニターの中で兄に抱きついている自分を見て、ぽそり。
「……実際より、清純じゃない?」
全員「それはいいことだろ!!」
***
そして、収録が始まった。
九条ことねが、ブースの中に立つ。
ヘッドフォンをつけ、スクリプトをめくりながら、柔らかく深呼吸。
モニターに映る、歩美“的な”ヒロインが口を開いた。
ことね「──“なにボーッとしてんのよ、バカ。転ぶなら私の前じゃなくて後ろでやって”」
……その瞬間、空気が震えた。
モニターの中のヒロインが、“しゃべった”。
“声”が宿った。
キャラが、ページから抜け出して、世界に響いた。
リアル歩美の顔が、ぴくりと動く。
「……あ、ちょっと、今の私より可愛くなかった?」
玲奈「演技って、素晴らしいですね……現実を超えてきます」
舞香「声だけで……負ける気がするのが悔しい」
幸香「……お兄ちゃんの心拍数、また上がってる♥」
全員「黙れ地雷!!!!」
***
だが、俺は──どこか、震えていた。
目の前にいる“ことね様”の声が、
モニターの“ヒロイン”に重なり、
隣にいる“リアル”の彼女たちと交差する。
画面の中で、歩美が笑い──
俺の横で、歩美が「ふん」と鼻を鳴らす。
画面の中で、玲奈が髪をかき上げ──
隣の玲奈も、同じタイミングで眼鏡を押し上げる。
境界が、揺らいでいく。
創作と現実が、混ざっていく──
(これが……“二次元が生きる”ってことなのか……)
俺が描いた彼女たちが、
今、生きて、動いて、声を持ち始めている。
そして俺の隣には、
その“原点”となった、本物の彼女たちがいる。
──いま、この瞬間。
俺は、物語の中にいる。
俺自身が、ラブコメの主人公で、
アニメの原作者で、
そして、恋をしている男だ。
***
収録が終わり、スタジオを出る。
帰り道、ヒロインたちはそれぞれ何も言わなかった。
でも。
歩美がふと、隣で囁いた。
「……でもさ、“声”って、すごいね。
なんか、“自分”が“別の女”になったみたいで……ちょっと、悔しい」
舞香「私も。あの声、魅力的だったわ。“演じてる”のに、“本気”だった」
玲奈「創作って、怖いですね。“心”まで乗るんですから」
幸香「お兄ちゃんは……どっちが好き?
声を持った私たち? それとも、
“今ここにいる”私たち……?」
……答えられなかった。
けれど──
俺は、手の中の資料を強く握りしめた。
「……書こう。また、書きたくなった。
今の俺にしか書けない、“この物語”を」




