うたかた
モノクロームな世界。
空を見上げればある、浮上都市。そして俺がいるのはここ、地上。
重たい雲が空をおおって、日の光なんか見えやしない。たまに晴れても、浮上都市に邪魔されて街はすっぽり闇の中。浮上都市の真下にある『ゴミ箱』は天井から落とされてくるゴミ処理に毎日大騒ぎ。有害物質から守る、と言う大義名分の分厚い檻に阻まれて逃げ出すことすらかなわねえ。
そんなチンケな場所にすむ俺の手は、左手が無機質。メカで身体の足りない部分を補ってるってわけだ。俺なんかはマシな方。ほら、あいつみたく下半身メカとかいるもんね。
環境革命が起こったせいで俺たち地上の人間は必ずどこかが欠陥品。
そんな欠陥品を憂えて天井の人々が開発してくださったのが、このIC。あらゆる情報はココで処理される、まさに『優れもの』。俺のような欠陥品を補ってくれるってワケ。リアルに手軽に思考を伝達できるって聞きゃー便利かもしれないけど、お陰でいらないものまで外に『響いちゃった』りもしてね? ハハハッ、最悪。
だから心を閉ざした奴らでいっぱい。ウカツなことは考えない。光どころか『声』まで奪われちゃった哀れな民が俺たちってコト。
んで俺たちは浮上都市を『補助する』お役目を、このゴミ箱の中で毎日毎日働きアリのごとくこなすワケ。管理されちゃってるもんね? ココで。
インプラントチップ。
まぁ便利だと思うけど、俺にとっちゃあいい加減うざいよ。
俺は今日も今日とて定時に起きて、飯を無理やり体内にぶち込まれ、働きに行くよ。街に出れば顔だけ知ってる奴らのお出迎えだ。どいつもこいつも死んだ方がマシじゃねーかって顔してやがる。ハハッ、俺もその一人ってかぁ?
人の波に流されて辿り着くのはゴミだめ。俺たちは今日も天井から落ちてくるゴミ処理をさせられる。七時間ほとんど休みなしに働かされて、定時に返されるって寸法だ。延長されることもザラだけど、だーれも反論なんてしやしない。命令されるままに動くことに慣れてんだ。むしろこんなこと考えてるほうがヘンじゃねえ?
後はブタゴヤ帰って、嫌悪するチューブに固定されて、終わり。まさに天にも昇れる夢見ごこちってヤツ。底辺を這いずり回る奴にはピッタリだろ?
これが俺の一日。管理されるって素晴らしいね。無駄も何もあったもんじゃない。
これが俺の世界の全て。
どうだい? なかなかクソったれな世界だろ?
って思ってたらばなんだろね?
ねぐらと作業場を行き来するためだけにある足が止まったんだよ。他は誰も立ち止まらない。ざわざわざわざわ人ごみの只中で、一人呆然とつっ立ってるのは俺だけ。雑踏の先、グレーに溢れる人の群れにまぎれて見たそれは、イかれたチップが見せた幻だったかもしれない。
でもな。足が冷たいコンクリートに縫いつけられたみたいに、俺は立ち尽くすしかできなかったんだ。笑うか?
――女の子だった。
真剣な表情してさ、壁に絵ぇ描いてんの。落書き。
やったら捕まるってのに、何やってんだろうね? しかもぶっ潰れかけた廃屋の壁にでかでかとさ。
だからどうしたって? チップがイかれたかって? ……そう言う問題で片付けられねーよこんなの。
足が動かなくなってしまったんだ。視線だって釘付けされたみたいに動かない。
その先にあんのはなに描いてんのかさっぱりわからない、へったくそな絵。
でも思った。
虹だ。
きっとその七色に光る虹をハサミで切り取って適当に貼りつけたら、こんなんだ。
直感的にそう感じた。
虹なんか見たことないけどな。青空だってこんなとこから見えねーし。
知ってるのは灰色の霧と、この無機質な世界。あとはチップが教えてくれる膨大なネットワークデータだけ。これがあるからすべてを知れる。便利だよなこのチップ。まさに万能さ。欠陥品にはこれしかねぇよ。
でもな、思ったんだ。――虹だって。
足が、動き出す。
一歩。一歩と進むたびに、心が揺さぶられていくような気がした。無心に人ごみを掻き分ける。モノクロな俺の世界いっぱいに色が溢れてく。呆然と、ただ、俺は立ち尽くすしかできなかったんだ。
……おかしいよなぁ。
不意に袖を引っ張られた。油が切れたからくり人形みたいに、ゆっくり首動かして見たよ。絵を、描いていた女の子を。茶色のぼさぼさな髪を二つに編みこんで肩から下げてる女の子。ゴミ同然な汚いカッコしててさー。何なんだろうね本当。
その女の子が、鼻の頭こすって歯ぁ剥き出しにして笑うんだ。どうだ、って誇らしげにな。
俺は意味がわからなくてチップに問いかけた。そして、女の子にアクセスしてやろうとしたんだ。だけど、返ってきたのはどっちも「error」の五文字だけ。
……なんで? わけわからねーよ。
だから何度も何度もチップに聞いてやった。だって悔しいだろ。
――これはキミが描いたのか。
聞きたいことがあったんだ。こんな風に思ったことなんか一度もなかったんだ。一度もな。今まで生きてきて一度も! それって……悔しいだろ!?
――どうしてこんな絵を描いたんだ。
なのに、回路はつながらない。戻ってくるのは「error」の文字。どうしたんだよ。……イかれてやがんのか? どうしてつながらない。俺の『声』、聞こえてんのか? なあ!
そのとき女の子が、俺の手に何かをねじ込んできた。チップに意識を集中していた俺はびっくりして投げ捨てた。かつんっと落書きされた壁に当たって落ちるそれ。
なんだ……?
女の子はそれを拾ってきて、また俺の手に持たせた。
恐る恐る開くとさ、折れたクレヨンだった。黄色の。
ぼろっぼろでさ。なにこれ? って女の子見たら女の子はまた歯ぁ見せて笑うんだよ。自分の持つ他のクレヨン広げてさ、この黄色いクレヨンと交互に指さして。大切そうに胸元で抱きしめるんだ。
とたん、何かが胸のうちに広がった気がした。正体不明の波みたいな。
チップに問いかけても答えなんか出てこない。こんな感情知らねーよ。何だってんだ腹が立つ。一体! ……いったいこれは何なんだよ……?
思わずしゃがみ込んだ俺の顔に、女の子の柔らかな手が触れた。そして頭を撫でられた。
犬猫じゃねーっつの。撫でてくんなガキの癖して。
チップがイかれた。
絶対に、そうだ。
回路が壊れた。
じゃなかったらウイルスだ。
そうじゃなきゃおかしい。おかしいだろ? こんなことは、ありえない。
女の子を見る視界がありえないほど揺れる。歪んでよく見えない。笑ってる女の子の顔がよくわからない。何だこれ。
瞬きした。
頬に落ちたこれ……何だ? 手にとって見てみれば、何てことはない。ただの水だった。それがとめどなく溢れてくるだけだった。
そう思って顔を上げたら、女の子の姿は、跡形もなく消えていた。
呆然と、俺は座り込んでた。
とっさに思ったのはチップがイかれたんだってこと。だってそうだろ。消えたんだぜ? 目の前にいた三つ編みの女の子がさ。んで壁に描いてあったあのでかでかとした落書きも!
イかれたんだ。
そうに違いない。
直してもらわないと。
そう思ってたのに手にはしっかりあったよ。黄色のクレヨン。
ぼろっぼろの、真っ二つに折れたクレヨンがさ。
ああ……も、なんだろ? こんな気持ち。無性におかしくて、おかしくてたまらないって。
何だったんだろうね?
確かにいたんだよ。女の子。
壁に落書きしててさ。
それが虹を切り取ったみたいでさ。
クレヨンくれたんだよ。大事な十二色の一つをさ。
俺だって言いたいこと訊きたいことあったんだ。なのに勝手に消えやがった。消えちまいやがったんだよ。
幻かなにかみたいに、跡形もなく消えやがったんだ。
チップに問いかける。戻ってくるのはやっぱり「error」の文字。……何なんだよ、役立たず。優れものなんかじゃねーし、信じられねーよ本当。そんなだから、もう。
俺は女の子がしてたようにぎゅっとクレヨン抱きしめた。
喉を震わせて出てきたのは唸り声だった。言葉なんてしらねえし。
でもな。
言葉に直したら、きっとこんな感じだ。
『……ありが……と……』
くそったれなゴミ箱の世界。
全部が全部、捨てたもんじゃないってこと……か?
最後まで読んでくださってありがとうございます。
小説を書き始めたころの作品です。見苦しい点も多々あったかと思いますが、気に入っているので投稿させていただきました。
ご感想お待ちしております。
橘高有紀