第参夜 失われた記憶
カタン、カタン。
窓の向こうから音が聞こえる。まるで誰かがノックをしているようで…小さな小石をしきりにぶつけているような、そんな音。
「…ん」
ゆっくりと目を開くと、見慣れない天井に少し驚いた。
「あ…そうか、ここ」
最近睡眠が浅いせいだろう。半覚醒のような状態で、起きた直後は頭が働かない。
一度大きなあくびをすると、音のした方を見て…一気に眼が覚める。
ふすまの内窓の向こうは、ぼんやりと薄明るい。
その窓のむこうに明らかに人影のようなものが見えるのだ。
「…!!」
「…こんばんは」
無機質で、それでいて抑揚のない言葉。
冷たく放たれた言葉は、自分に向けらえたものだと知り、揚羽は思わず起き上がる。
(これ、答えていいの?)
からからに喉が渇き、手も指も強張ったように動かない。恐れのような物に負けじとゆっくりと後ずさると、声は更に問うが、窓をたたく音はどんどん激しくなっていく。
「開けて」
「………」
「わたしのために…帰ってきたんでしょう?」
ドン、ドン、と力任せにたたかれた窓は軋んだ悲鳴を上げる。
「ねえ、開けて、早く」
「あなたは、誰?」
そう言葉に出した瞬間、激しい音はぴたっと止む。
しかし、今度は部屋の中から何かの音が聞こえた気がして、揚羽の身体の全神経はギュッと固まったみたいに動けなくなる。
「……」
身体が動かないのに、目は動く。
ということは…色々な想像が頭を駆け巡りつつも視線を動かしていくと…あるものが目に入る。
(鏡台…)
この部屋は、いわゆる畳の和室。
かつて自分が母と住んでいたワンルームアパートの広さ程で来客用だろうか?使用感があまりない。
きちんと清掃もされていて、とても綺麗ではあるもの…備え付けの鏡の台が少し古めかしい。
(ちょっと怖かったから…寝る前に確認したけど青色の布がかかっていたはず)
所が…かけられていた布がぱさり、という乾いた音と共に床に落ちた。
そう、床に。勝手に。
(おお、お、落ちたぁああーーー!!!)
同時に、真後ろから、ひやりと冷たい空気が流れるのを感じる。
(誰か、いる?)
振り向きたくとも、身体が思うように動かない。
体が強張って動けないのか、それとも…これは俗にいう金縛りというもの?
叫びたくても声も出ない。視線は鏡を凝視したまま、体も動かない。
「寂しいなあ…忘れちゃったの?私のこと」
親し気に話しかける声。でも…なぜだろう?
胸の奥がざわざわして、まるで鋭い金属をそっと撫でるような、そんな感覚。
ふと、鏡の向こうにいる自分に目が合うと、その瞬間鞄に付けていた蝶の鈴の音がちりん、となった。
「!!」
はっと我に返り、身体の自由がきくようになる。そのまま鏡から視線を外し、少しでも鏡から距離を取るべく、入り口のふすまにそっと手をかける。
(何かあったら、全力で叫ぼう…)
そう、決意したとたん、また耳元で声が聞こえた。
「ずっと、ずうーーっと…待ってた」
「…まってた?」
思わず出た言葉に自分で驚く。
鏡を見ないようにしているのに、どうしても視線が鏡に向かってしまうのだ。
(長い髪の女性)
白い着物…いわゆる白装束じゃない。赤い袴に、白い衣。赤い紐がゆらゆら揺れて…どちらかというと、巫女の衣裳に近いのかもしれない?
「ねえ、あなたの力がほしい」
ゾッとする声が再びすぐそばで聞こえた。
同時に背後から長い腕がするりと首に絡まり、ぎりと締め付ける。
「?!…っく」
「そのために還ってきたんでしょう」
あまりの力強さに、揚羽は床に仰向けの状態になる。
長く黒い髪が私の顔にかかり、真っ赤な肌色をした角のある般若の顔と目が合う。
「‥‥っ!!」
よく見ると、それは能や狂言などで使われる面だった。
(これ…仮面?!)
ひやりとした手の感触はこれが夢ではないことを思い知らされる。
ぎりぎりと首を絞めつける力は徐々に強くなる一方で、息をするのもままならない。
「早く…はやくはやく、落ちよ」
「っ…」
「落ちよ、落ちよ…」
畳みかけるようにくぐもったような声が降ってくる。それは、まるで何かを唱えているように聞こえ、何かをぶつぶつと言っているだけにも聞こえる。
(何、この歌、みたいな)
「落ちて、降れ、降れ我が元に」
「…は なし」
首を絞められながらも、身体の全神経を集中する。
(金縛りの…解き方は)
昔、母から聞いたことがある。
(親指に力を入れる!)
そのまま右腕を思いきり伸ばし、覆いかぶさる人物の長い髪の毛を掴んだ。
ぎゅっと引っ張ると、そのはずみで付けている仮面がはがれた。
「…ッもう少しだったのに…」
「げほっ…え?」
ふっと、占めていた腕の力が緩むと、鬼面の巫女は四つん這いになって飛びのけた。
そして…仮面の下の素顔があらわになる、憎々し気に、目をぎらつかせる女性…その顔は見覚えがある。
頭を覆っていた霧がクリアになり、突如古い記憶が脳裏によぎる。
「サラサラの長い髪…」
私より7個上の、セーラー服姿。
いつも優しく笑ってくれて、小さい私の面倒をよく見てくれた…近所に住むお姉さん。
「あなたは…立羽お姉ちゃん…?」
茫然とつぶやく言葉に、四つん這いの巫女はにやりと笑った。
「やっと、思い出した…?」
「何で…」
どうして?…言葉に出したくても、思うように口が動かない。
「あんたのせいだよ…揚羽」
「立羽姉ちゃん…」
「こうなったのも、全部、全部!!!」
まるでDVDの逆再生のように色々な映像が頭に流れ込む。
春の花、夏の暑さ、秋の落ち葉を踏む音、凍える冬の日に深々と降り積もる雪。そして…あの雨。
「私…ここにいた。でも、離れちゃった、…なんでだっけ 」
あれは、多分雨の日。
お母さんと、歩いてて、赤い長靴が汚れていて。それで…
「揚羽ちゃん!!!」
「?!」
バン!と閉じていたふすまが開かれると、じゃらん、という数珠の音と共に私の目のまえに淡く光る短刀が振り下ろされた。
「…けがは?」
「ひ、ひむろさん」
「邪魔しないで…!!!」
暁は揚羽の無事を確認すると、再び前を向く。
襲い掛かろうとした巫女を弾き飛そうとするが…どこからか躍り出た大きな影がそれをかばった。
がちん、と金属がぶつかり合うような音が聞こえて、揚羽は思わず耳を塞いでしまう。
「!」
「…誰だ?」
対峙した相手に尋ねても、粘土で作られたような仮面のせいで、表情はわからない。全身黒いコートと手袋で覆われ、人間なのかそうでないのかすら判別はできなかった。
「こちらは短刀…そちらは大刀。不利なのはどちらかな?!」
暁が懐向かって飛び出すが、そのまま後方に大きく跳ねる。そこに立羽がしなだれかかると、甘ったるい声でこちらに向かって囁いた。
「…やっぱり似てるね暁君」
「外道に落ちた巫女め」
「ひどいなあ、久しぶりに会ったのに。…相変わらず、まだ揚羽を守るんだ」
「私…を守る?」
思いがけない言葉に揚羽は思わず暁と立羽を見比べる。
「ふふ、羨ましいなあ。揚羽はいつも守ってもらえて」
「私…が」
「……あんな奴の言葉は効くな。外道に落ちた巫女の戯れだ」
(外道に…落ちた、巫女?)
「日室さん…でも」
「本当…綺麗で、穢れてなくて…見ててイライラする」
「揚羽!!あき兄!」
すると、遅れて緋炎と嶺二がやって来た。
「暁!…飛蔵の巫女か」
「緋炎、父さん、彼女を頼む」
「わかった」
すっと一歩前に出た立羽お姉ちゃんは顔をしかめる。
「…今、飛月の巫女はこの私。いいのかしら?主人である私に刃を向けて」
「何が主人だ…!」
暁が動く前に、仮面の男が刀を持ってこちらに直進してくるが、それを短刀と数珠を駆使して受け止める。
「日室さん!!」
「君は下がって!揚羽ちゃん!」
「でも…!」
ふと、立羽の後ろにある鏡が闇のように黒いことに気が付く。
「…あの鏡、なんか変」
「鏡…?そうか!」
私がそう言うと、緋炎は身体ごと振り返り、持っていた刀で鏡台を打ち砕いた。
バリン!とけたたましい音が響くと、仮面の男の動きは突如おかしくなり…止まった。
「あき兄!!いまだ!立羽を狙え!」
「!わかった」
真っすぐに突進した暁が立羽を貫く。
同時にぶわっと揚羽蝶にもよく似た例の蛾が、その身体からあふれ出し…思わず揚羽の絶叫がこだまする。
「っギャーーー!?!」
「モドキ…?!」
ひらひらと闇夜に蝶が舞う。
それらが一つになって、大きな柱を作ると、そのまま散らばってどこかに飛んでいった。
その様子を最後に、揚羽は気を失った。
遠くで、誰かが私の名前を呼ぶ声を聴きながら。
(何で…覚えてないんだろう)
相変わらず、頭の中の霧は晴れない。
小さな断片のように、いち場面ごとに浮かんでは消えて、また現れる。
(大切な人、大事な記憶)
小さい頃、自分はこの蝶塚村にいて、穏やかに過ごしていた。
いつも誰かと遊んだり、時にはおしゃべりしたり。
(みんな、ごめんね…)
みんなって誰だろう?
「揚羽、あなたはね、なすべきことを持ってる人なんだよ」
「なすべき…って何?お母さん」
「やらなければならないこと。嫌なことがあっても、それを乗り越える力を生まれながらに持ってるの」
「ふうん?…そうなの?」
「そう。だから、私がいなくなっても、きっと負けないよ。…揚羽は強い子だから」
「わかった!」
「…うん。…ごめんね」
あれはいつだっけ?
子どもの頃からずっと言われていた。
「揚羽!あそぼーぜ!」
「今日は何する?」
いつも遊んでいた、元気な子たち。
あれは…
「ひーちゃん」
呟いた自分の声で気が付いた。
そして、一番最初に飛び込んできたのは…
「なっ あげ え?!」
「…ふふ、顔、真っ赤…ふぇ?!」
がたん!と支えられていた頭が落ちた。
「結構な衝撃…痛い。何するの、もう…」
「うわ、ゴメン!!」
「何してるんだよ…」
「…ひいちゃん、あきら兄ちゃん。ひさしぶり」
顔が真っ赤な緋炎は、また目をそらした。
だけど暁は…どこか寂しそうに笑った。
「思い出した?」
静かな問いに、小さく首を振る。
「全然…でも、二人のことは思い出したよ。全部じゃないけど」
「そう。良かった」
「ごめん、でも…まだ霧が…かかったみたい で」
「寝たのか、そいつ」
「そうみたい、よかったな?」
「…ふん」
すやすやと寝息を立てる姿に安堵すると、二人は顔を見合わせた。
「…おかえり、揚羽」




