竜と赤子
冥界への大瀑布
底が全く見えずここに落ちて生還してきた者が今まで存在しないことからこの滝はそう呼ばれている
そんな場所に鎧を着た一人の男がやって来た
その者が手に持っている籠の中にはまだ生まれて間もない小さな赤子が眠っていた
『こんな生まれたばかりの赤子を処分しろだなんて……お前が誰の子かは分からないがこんな危険な森にある滝に捨ててこいなんて酷い奴もいたもんだ。魔物払いのお香があるからなんとかなったが……恨むなら俺に命令した上の奴等を恨んでくれよ』
男は躊躇いながらも赤子を籠に入れたまま滝へと落とし、姿が見えなくなるまで確認すると速やかにその場を立ち去った
赤子は長い時間をかけて落下し続けた後滝底に叩きつけられた
だが赤子はそこでは命を落とさなかった
普通であれば激しい衝撃を受けた時点で即死だっただろう
しかし籠に入れられていた状態且つ中の毛布がクッションとなってくれたお陰で奇跡的に無傷で滝底に着水した
『スゥ…スゥ…』
驚くことに赤子はこんな状況にも関わらず寝息を立てて気持ちよさそうに眠っていた
赤子はそのまま川に身を委ね流され続けた
途中岩や流木に衝突しながらも濁流に飲み込まれることなく進み続け、やがて赤子はとある洞窟に流れ着く
洞窟内は青く輝く謎の石のお陰で比較的明るく、中央に大きな岩が一つだけあるだけの巨大な空洞になっていた
『あぅ……?あーあー』
洞窟に到着したところでようやく赤子が目を覚ました
まだ目がよく見えない赤子だが、ここが知らない場所だと肌で感じたのか不安を覚え泣き出してしまった
『おぎゃー!おぎゃー!』
泣き叫んだところでここは人間が踏み入れた事のない滝底からずっと先にある洞窟
当然誰も助けになんて来るはずがないが赤子にそれが分かるはずもない
このままただ飢えて死ぬのを待つだけ……かと思われたが、赤子の声に反応する者が現れた
『……五月蠅い』
赤子の叫び声に苛立ちを募らせる声ようなが聞こえると、突然中央に聳え立っていた大岩が動き出した
なんと大岩だと思っていた物体はこの洞窟を寝床としていた生物で、蛇のような鱗に覆われており背中にはその巨体で自由に飛び回る為の大きな翼が生えている
洞窟を棲み処にしていたのはこの世界の頂点に立つ存在、竜だった
『吾輩の眠りを妨げるとはいい度胸をしているな。わざわざここまで来るとは余程吾輩を越殺したいようだ……な?』
竜と赤子の目が合うと竜は動きを止めた
このような場所にあまりにも似つかわしくない存在がいることに侵入者を屠る気でいた竜は意表を突かれる形となった
『人間の赤子?どうしてこんな場所にいるんだ』
『おぎゃー!おぎゃー!』
『こんな所まで無傷で来るとは貴様相当運が良いな。しかしどうしたものか、赤子なんて食っても腹の足しにもならんしそもそも人間は美味くない。このような矮小な存在を殺したところでなぁ……』
『おぎゃー!おぎゃー!』
『えぇい黙れ!気が散る!吾輩がその気になれば貴様を細切れにしてゴブリン共の餌にしてやることなど容易なのだぞ!』
一向に泣き止まない赤子に向かって竜は洞窟が揺れる程の怒声を浴びせた
その声を聞いた赤子はピタリと泣き止んだ
竜の声に怯えて声も出なくなってしまった……かに思えたが、赤子は予想とは裏腹に楽し気な声を上げた
それどころか怒声を浴びせてきた相手に向かって微笑みかけてきた
『キャッキャッ♪』
『ほぉ、この吾輩の威嚇に臆するどころか笑いかけてくるとはな。貴様は中々見どころがありそうだ』
『あぅ~♪』
『あ、コラ。気安く触るでない……全く仕方のない奴だ』
赤子は籠から自力で這い出てくると竜の元までやって来て足元に擦り寄って来る
こちらを全く気にしないその無邪気さを見て竜は赤子を掌に乗せ、自身の鼻の上へと持っていった
そうすると赤子は更に上機嫌になった
『キャッキャッ♪』
『光栄に思え。吾輩に乗った人間は貴様が初めてなんだからな……って吾輩は何をやっているのだ?相手は赤子とはいえ人の子、そうと分かっているはずなのになんだこの感情は……もしやこれが子を持つ親の気持ちというものなのか?』
『あー♪』
『……これも運命の巡り合わせというやつか。いいだろう、ちょうど暇を持て余していたところだ。貴様はこの吾輩が育ててやろうじゃないか。天の計らいに感謝するのだな』
『うー?』
『そうと決まれば名前が必要だな。見たところ貴様はメスの様だしメスらしい名前の方がいいんだろうが……うーむ』
初めてする名づけに竜は唸りながら頭を悩ませた
その時再び赤子と目が合った
赤子の燃えるような赤い髪、そしてサファイヤのよう青い瞳を見て竜は一つの名前が頭に思い浮かんだ
『ヴァイオレット……ヴァイオレットなんてどうだ?』
『あぅ……?』
赤と青、その二つの色を併せ持つ赤子の名前にピッタリだと思い竜は繰り返し名前を告げた
『ヴァイオレットだ、ヴァ・イ・オ・レッ・ト』
『うぁいおーお♪』
赤子は竜の口の動きを真似て手を叩き喜ぶ仕草を見せた
『決まりだな。貴様の名前は今日からヴァイオレットだ』
斯くして赤子の名前が決まり、竜の育児生活が始まった
この時、適当に餌だけ与えていれば勝手に大きくなるだろうという浅い考えだったことを竜は近いうちに後悔することとなる
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