ここからふたりで
リリアは齢みっつにして初恋を知っていた。と、いうとずいぶん早熟すぎやしないかと疑念を向けられるのだが、当人にすれば事実にほかならないのだから胸を張るほかない。
まばゆいばかりの金の髪と、リリアの髪色によく似た緋色の双眸。穏やかそうな雰囲気そのもののつくりをした顔は、どう見ても絵本の王子様そのもの。当時は幼さもあってだろう、恰好いいと思うよりもきれいだと思うほうが強く、そんな見目麗しい彼がどこまでもやさしかったとなれば惚れないほうが難しい。と、リリアは強く思う。
穏やかでやわらかな笑顔。やさしく目を合わせてくれて、おなじ目線でものごとを見てくれる。常にリリアを気遣ってくれて、些細なことも褒めてくれた。
それはもう、全力で惚れるしかない。幼さがなんだ。リリアは絶対におにいさまのお嫁さんになるのだ、と、ちいさな胸が燃え滾ったものだ。
まあ、いまになれば、当時のリリアの幼さゆえに半ば本気に捉えてもらえていなかったことも理解はできる。好みの食べものも、すきな本の傾向も、ドレスのデザインの好みだって変わったのだ。幼さゆえの閉じた世界が、年を経るごとに広がっていけば、それは確かにこころだって移り変わる。
おとなの危惧は理解できた。理解できたけれど、それでもリリアは声を大にして言いたい。
レノンへの想いは、そんな軽いものなどではないのだと。幼かろうと本気は本気で、全力なのだと。
なめるな、と。
愛情の深さはどう考えても両親譲りなのだが、なぜかそこが遺伝していると思わなかった両親である。それでもあれこれと好みや嗜好が変わろうと、決してレノンへの想いを揺らがせない娘を日々見ていれば、理解はできたのだろう。
その覚悟は、半端なものではない、と。
おなじ年ごろの令嬢が受ける教育よりも幾分も厳しい指導に、涙目になることはあっても音を上げることはなく。空いた時間があれば、自らなにかしらの勉強や視察を申し出、もちろんレノンへのアピールも怠らない。
幼かろうがリリアはわかっていたのだ。レノンが自分を妹としか見られていないことを。それだけ年齢が離れていることも理解していた。
だから自分を磨くことも余念がなく、それは外見の問題だけでなく、内面から磨き上げて所作や知識にもどんどん力を入れていった。年齢差が覆せないなんて当然で、それはどうしようもなく仕方のないこと。でもだからといって、仕方がないからと諦めてしまっては、レノンのこころが手に入ることはない。
必死に、全力で。天才の名を欲しいがままにしていた母とは違い、努力をしなければ身につかないリリアは、けれど努力をしたぶんだけ成果を上げていた。母が羨ましいとは思う。けれどそれもないものはないで仕方ない。娘の気持ちを慮って全力で支えてくれる母には感謝しかなかったので、羨みはしても妬みはせず母娘仲は良好だ。
努力を惜しまないのは美点だが、だからといって無理をしてはいけない。一度寝込んでしまったときに、母に諭されて以降は無理なく努力をすることも学んだ。
とにかく詰め込んだところで、無理をしたぶんは実になりにくいし、自覚のない部分で表に出てしまうことも考えられる。そんな状態でレノンに会ったり、手紙を書いたりしたら、思わぬところで変なミスが出てしまうかもしれない。レノンに好いてもらうためにも当然だが、その先も見据えるならば、常にこころには余裕がなければならないだろう。だれに隙をつかれることもないように。
母に言われたことばがいまも胸に残る。もと王族ということもあり、母は確かに隙などない。洗練された立ち居振る舞いに、つま先までしっかりと行き届いた所作。対外的な笑みにはいつだって揺るぎはなく、胸を張って堂々と。そんな母の姿が、リリアの目指す場所なのだと身が引き締まる。
リリアにとって母は確かに母だけれど、同時にリリアが進みたい先へ向かうための師でもあった。
レノンとともに先を見据えられる教養を。レノンのそばに在れるマナーを。そうして身につけたものを武器に、けれどその原動力がなにかだって忘れない。
レノンが真剣なはなしをする際にはついていけるように、力になれるように知識と情報を駆使したけれど、そうでなければ息抜きを兼ねた雑談にだって花を咲かせられるように公私をきっちりわけられる分別もつけた。なにより、ことあるごとに気持ちを伝えることを忘れない。
大好きなのだ。ほかのだれより。そばにいたくて、そばにいてほしい唯一のひと。
押しつけることなく、けれどちゃんと知ってもらいたくて。好きだという愛のことばだけでなく、ありがとうや、うれしいなど。気持ちなんて当人でしかわからないものなのだから、わかってもらえるように素直に伝え続けた。そのあたりだけは、はっきりことばにしないことが貴族らしさだとか、淑女としてはしたないとかは放り捨てて。
その甲斐あってか、いつしかレノンもリリアに好意を抱いてくれるようになった。もちろん、妹としてではなく、ひとりの少女として。
絆されたのかもしれない。きっかけなどどうでもいい。レノンがリリアを見つめるまなざしに変化が起きたことがすべてで、ちょっとしたことに好意を抱いてくれていると思わせる片鱗を見出せたことがすべて。
気づけば、親から与えられていた期間のすこし前に、リリアはレノンの想いを得るに至れていた。
「リリア、ずっとぼくのことをすきだと言い続けてくれてありがとう。遅くなってしまって不甲斐ない限りだけれど、ぼくも、リリアにおなじ想いを返したい。すきだよ、リリア。妹としてなんかじゃなく、そばにいてほしい、唯一の女性として」
「……っ、レノン、さま……っ」
息が止まるかと思った。報われなくていい、なんて奉仕精神なんだか自己満足なんだかの気持ちでいたことなんてない。ずっとおなじ想いを返してほしくて、ずっとおなじ熱量を返してほしくて、努力をしていた。足掻いていた。
だけど当然その日が訪れるかなんてわからなくて、いつか自分以外のだれかのもとへ行ってしまう日がきてしまうんじゃないかと不安で、怖くて。押し殺すようにひとりで泣く日もすくなくはなかった。
いつからか、レノンの態度から、ことばから、表情から、察するものがあったのは事実。でも、直接的なものはもらっていない。
勘違いかも。いや、そんなことはない。そんな葛藤も繰り返し、ようやく得た彼からのことばに、リリアは震える両手でくちもとを覆う。
「リリアも知っているように、ぼくの国はまだまだ落ち着いてはいない。ぼくといることで本来しなくていいはずの苦労も多くなるだろう。それをリリアに背負わせていいものか、むしろ愛するならば安穏としたしあわせを掴ませてあげるべきなんじゃないかと何度も何度も悩んだ」
「そんなっ、わたくしはレノン様とともに背負えるなら、なにも苦になどいたしません!」
「うん。リリアがきっとそう言ってくれるのはわかっていた。わかっていたからこそ、ぼくのほうが手放さないといけないと思ったんだ」
「それは……そんなの、そんなの、いやです……。わたくし、耐えられます。それに、戦うことだって、そのための手札だってきっと揃えてみせますわ」
「ありがとう、リリア。……そうなんだ、足りなかったのは、ぼくの覚悟。きみを巻き込んででも未来を掴み取ろうという覚悟なんだ。そうしなければ、きみの隣に立つことができないのなら……きみとともに戦う覚悟を持たなければならなかった」
大切なひとを、大切だからこそ傷つけるとわかっている道に、苦労をするとわかっている道にあえて引き摺りこむのはどうなのか。そう悩んだからこそ、レノンは葛藤し、感情と現実に挟まれもがいた。
そうして考えて、考えて。出た結論に、そっとリリアの手を取る。
「ごめんね、リリア。ぼくはもう、どうしたってきみと歩む道しか考えられない。きみを手放してはあげられないんだ。だから……どうか、ぼくとともに戦ってほしい。ともに歩める、未来のために」
「れのん、さま……」
もう、だめだった。まだ幼かろうと必死に身につけてきた教育の賜物で、リリアはすでにおとな顔負けの淑女っぷりを披露してきた。感情を制御することだって、だいぶ板についてきたというのに。
やさしく、けれど覚悟を決めた力強さでほほえんで、まっすぐに見つめてくるレノンの姿が、じわりと滲む。ぽろりとひと筋雫が頬を伝ったあとは、もはやとめどなく溢れ出すばかり。
レノンの手から両手を離し、そのまま思いきり飛びつく。淑女がなんだ。いまばかりはそんなもの捨て置いてしまえ。
「れのんさまああああっ! もちろん、もちろんですわ! ずっとずっと、どこまでもご一緒します! だから、だから……っ! ずっとずっと、ずっとずっとずぅぅぅっと、離さないでくださいませぇっ!」
「リリア……」
おにいさま、と呼ばれなくなって。自分のこともなまえで呼ばずにわたくしと言うようになって。日に日に淑女らしく育っていくリリアの成長は驚くほどに早く。
すこし、さみしかった、なんて。わがままだとわかるから、リリアの努力がだれのためのものかわかっていたから、レノンもくちにはしなかった。
無理をさせて申しわけない、こどもらしいこども時代を送ることを拒んだリリアに、罪悪感もなかったとは言わない。なりふり構わず泣きじゃくる、いまのリリアの姿を見れば、いままでのことが本当に正しかったのかだってわからない。
けれど。
ぎゅっとしがみついて離さないと言わんばかりのリリアの両手に、その強さとことばとに、レノンも彼女の細いからだを抱きしめ返す。
「もちろんだ、リリア。これからはずっと一緒にいよう。きみがぼくを守ろうとしてくれているように、ぼくもきみを守るから。愛しているよ、リリア」
「はい、はいっ! わたくしもです! わたくしも、レノン様をお慕いしております!」
これまでのことが、本当にリリアにとってよかったのか、レノンにはわからない。リリアにとってこれ以外の道があり得ないと言おうとも、大切なひとの幼少期を奪ってしまった罪悪感は拭えないだろう。
でも、それをこれからに活かすことはできる。
おなじ道をともに歩み、得た未来でしあわせだと笑えたならば。きっとそれまでのすべては無駄になんてならないから。
だからレノンはそうなるように、リリアが、レノンの隣でしあわせだと笑える日々が訪れるように。ただひたすら、全力を尽くすまで。
ふたりの覚悟に、オーフィリナも、リリアの両親……父親は終始渋い顔をしていたが、父親とはそういうものだからと母であるレアリナが一蹴していた。ともかく、それにビスタリア王国の当時の国王陛下夫妻や王太子殿下夫妻、王弟殿下と彼に嫁いだレノンの叔母であるユーフィリアも。多くのひとたちが認め、手を貸してくれることになった。
リリアはゴルトン王国の王妃となる未来を見据え、そのための勉強をさらに追加し、レノンは正式にビスタリア王国への留学が決まった。
留学はもちろん、アライドフィード侯爵家に滞在して。正式に婚約を結ぶことを決めはしたけれど、まだ掃除も半ばであるゴルトン王国側の状況もあり、表立っては伏せることにした。だから婚約者というよりは恋人として。互いの仲をより深めるにもいいだろうとレアリナが提案してくれたのだ。……父親であるクレイブの言いぶんなど捻り潰して。
リリアの勉強は、ビスタリア来訪時には優先してオーフィリナが直々に行い、それ以外ではユーフィリアやレアリナ、ほかにも各分野に精通した素晴らしい教師が用意された。もちろん、必要とあらば祖母である当時の王妃殿下や、おばである王太子妃殿下も手を貸してくれ、それはもう豪華な師のラインナップである。
それにあわせ、別の重大な手札のためにも奮闘した。
影の存在である。
王家に暗部が存在するのは当然ながら、リリアの母であるレアリナにもそういった存在がいたらしい。ふだん何気なく、けれどどこに行くにも必ず母のそばに控えている専属侍女がその筆頭だったらしく、教えられたときにはとても驚いた。
そしてその存在の重要性から、これからゴルトン王国で戦う日々が待っているリリアにも、そうした存在がいると大変力になるだろうと結論づく。ただし、それはただ母から譲り受けるのでは駄目だとのこと。命をかけて、命を張って任務に就く彼らだからこそ、その命を賭すに値する主にリリア自身が至らねばならないと言われたのだ。
リリアは自身の教育のほか、影を得るために、その影に相応しい主と認められるよう奮闘することも求められた。
だが、当然ながらそんな漠然としたことを言われてもなにをしていいかなどさっぱりわからない。レアリナはどうしたのか聞いても、本人も侍女も特別にこれということをしたわけではないという。レアリナの人間性から、彼女のためになら生涯をかけられると思ったらしいのだが、ひとたらしで有名なレアリナだ。なんの参考にもならない。




