出会い
ゴルトン王国の現在の国王は、はっきり言ってかなりのクズだ。ゴルトンという国の王子に生まれた彼は、その肩に乗る責任や義務の一切を幼少時から放棄し、権利だけを貪り振り翳すような人間だった。年を経てできたただひとりの子ということもあり、無条件に甘やかした両親の罪が重いとも言えるが、一応、彼の両親は王として王妃として特段国を傾けるようなこともなく、平々凡々な国王夫妻として君臨していた。優秀な兄を若くして亡くし、その重圧に耐えながら政務に携わってきたことを考慮すれば、及第点をとれるだけマシだったともいえるだろう。
ただ、夫にほかの女を娶らせることを頑なに良しとしない王妃を認め、一子しかもうけられないというのにそれでよしとした彼らは、その時点ですでに国主としての是非を問われるべきだったとは思う。過ぎてしまったことを言っても詮無いが。
とにかく、そんな王子だったから婚約者にまともな令嬢をと望まれるのも必然だろう。ついでに、そうなればプライドだけはひと一倍の王子と折り合いが悪くなるのも想像に易い。
こどもかわいさにぜんぶがぜんぶ悪手となっていた当時、当然諫言もそれなりにあった。あったけれど、結局はこの様なのだ、どうにもならなかったということだ。ここまでひどい人間性の王子が存在するとはだれも想像だにしていなかったのだから、仕方ないと言えなくもないのかもしれないけれど。オーフィリナがあまりに優秀だったのも悪因となってしまっていたかもしれない。
とにかく。そんな悪名高き王子が国王となってしまい、そしてそんな人間が父親だと言われるのだ。レノンが親愛を抱く要素も、敬意を抱く要素もあるわけがない。
それは国王からも同様で、自身よりも比べるのも烏滸がましいほどに優れているオーフィリナを目の敵としているというのもそうだし、だから一層側妃を溺愛しているということもあって、レノンを邪険に扱った。
それだけならまだいい。どうせなんの権限も持たないお飾りだ。
問題だったのは、手にかけようとしたこと。
どうあったって側妃の子を王位につけるのは無理であることや、彼らの立場については前国王夫妻や議会からも幾度となく説明されている。国王となった王子はともかく、側妃など処刑されてもおかしくはなかったというのに、生き永らえるだけでなく、名ばかりとはいえ側妃の名まで与えてもらえたのだ。感謝しつつましく生きるのが当然であったというのに、どうしたってはなしの通じない人種だった。
オーフィリナとの子は作らねばならないが、できたあとは殺してしまえば約束を反故にすることにはならない。新たにもう一子は拒み、王家の血筋が側妃の子にしかないとなればその子を王にするしかなくなるだろう。
自分たちに都合のいい思考回路しかなくて、本当に笑える。
いや、それで狙われたのがレノンなのだから、リリアは絶対に許さないと宣言していたが。
あの手この手で狙われ続け、さすがにレノンも疲れていた。だれを信じていいかもわからない中、外を歩けば物理的に狙われ、食事をすれば毒を盛られ続ければ、疲れないほうがおかしい。当然、父親と言われる国王のことなど父と思ったことは一瞬とてない。
なんで自分が、と思わなかったといえばうそになる。けれど母の愛は確かに信じられたし、母の境遇を知り、自身の立場を思えば投げ捨ててしまいたいとまでは思えなかった。単純に、国王や側妃に自業自得ということばを学ばせたくあったというのもある。
そんなレノンは、幼少期からときおり隣国のビスタリア王国に訪れる機会を与えられていた。名目上は、母の妹である叔母に会うため。叔母であるユーフィリアは、すこしでもオーフィリナのちからになれればと、自らビスタリア王国に嫁入りを志願したらしい。ゴルトン国王に感づかれて余計なことをされないよう、当時彼女が憧れてやまなかったレアリナ王女の親類になりたいのだと熱弁までして。
……一応、レアリナ王女の件は表向きではあったはずなのだが、ビスタリア王国で会う叔母とレアリナの様子を見る限り、むしろ本音だったのでは……と、レノンはひっそり疑っている。いや、ユーフィリアがオーフィリナを大切に想っていることに違いはないが。
とにかく、そんな繋がりでビスタリアを訪れていたのは、レノンの安全に配慮したというのももちろんあるが、両国の友好関係を深める目的や、レノンの視野を広げる目的もあったことは事実。それでも母国にいるよりもよほど安全なその国への滞在はレノンにとってこころ休まるものに違いなかった。
そんなある日。その日も叔母のもとに滞在していたレノンは、久方ぶりにレアリナもと王女に会った。彼女は兄である王太子の護衛騎士と結婚したとのことで、その結婚式には列席したので、たぶんそれ以来の邂逅だったはず。
結婚して早々に夫が行方不明となる不慮の事態に見舞われ、その間にこどもも産まれたために、忙しかったのだとは推して知れる。
どうやらその夫が帰ってきたとのことで、なにやら報告かなにかがあって王城を訪れたらしい。詳しくはレノンにまで届けられなかったが、そこでレノンははじめてリリアに出会った。
レアリナのうしろに隠れる、まだ幼い少女。鮮やかな緋色の髪と、母親譲りのきれいな海色の双眸。母に促されておずおずと挨拶をするその子に、ただかわいらしい子だな、と思った。
それからレアリナとはなしがあるらしいオーフィリナとユーフィリアの心情を察し、レノンは幼いリリアの手をとって彼女の面倒をみることを率先して引き受けた。
勝手知ったる、と言えるほどにはさすがに自由にさせてもらえてはいなかったが、中庭くらいにはいける。リリアのちいさな手が必死に自分の手を握ってくるその体温に、なんともいえない気持ちになりながら、彼女の歩みにあわせてゆっくり歩いた。
「ほら、リリア嬢。お花がいっぱい咲いているよ」
「おはな……!」
わあ、と顔を輝かせる様子に、幼いとはいえ女の子だなあ、なんてなんとなく思う。駆け出していかないあたり、ずいぶんしっかりとしたこどもなのかもしれない。
中庭に踏み入り、舗装された小道を歩きながらリリアに笑みを向ける。
「いろいろなお花があるね。リリア嬢はどのお花がすきかな?」
「えっと、うーんと。きいろいおはなも、あかいおはなも、ぜんぶきれい!」
「ふふ、そうだね」
「うん! おにいさまのおいろと、おなじね」
「え?」
にっこり。満面の笑みを浮かべてこちらを見上げるリリアに、思わず瞬く。そうしてからリリアの指さすほうに咲く花を改めて見やった。
鮮やかな金の髪に、緋色の双眸。それはベルン公爵家の色で、母や叔母とおなじ色。
そして、国王とは一切重ならない色。
だから純粋に、どこまでもまっすぐに誇れる色味を、リリアは屈託なくきれいだと言ってくれた。なんだかそれがとてもうれしくて、レノンは繋いだちいさな手に、きゅっとすこしだけちからを入れる。
「そっか。うん、そうだね。……ああ、赤い色はリリア嬢ともおんなじだ」
「あ! ほんとうだ! リリアとおにいさま、おそろい?」
「うん、お揃い」
「ふふふ、うれしい!」
すこし頬を染めて笑ってから、リリアの視線は赤い花に釘付けになった。なんという花だろうか。まだ婚約者もいない身なので、そうしたものに疎かった自分をすこし悔いた。
「それじゃあ、もうひとつのリリア嬢の色の、青いお花を探そうか」
「いいの?」
「もちろん」
やったあ、と顔を輝かせるリリアがかわいらしくて、ついその頭を撫でてしまう。こども特有のやわらかな毛質が手に心地よく、リボンで結わえた髪が乱れないように注意した。
リリアは笑顔でやさしく撫でてくれるレノンの手を気に入ったのか、うれしそうに笑う。ただただ純粋にかわいいと思える存在に、レノンの笑みも深まった。
そうしてゆっくりと中庭を回ったが、残念ながら青い花は咲いていない。仕方なく控えていた侍女に尋ねてみると、どうやら青い花というのは希少らしい。なくはないが、いまこの中庭には咲いていないと言われた。
「ごめんね、リリア嬢。青いお花はここにはないようだ」
「そうなんだ……。でもリリア、あかいおはながいっぱいみれたからうれしい! おにいさまとリリアのいろだもの」
「そっか。じゃあ、青いお花はまた今度にして、赤いお花を見ながら休憩をしようか」
「うん!」
みなまで言わずともお茶の準備を整えてくれる侍女に感謝をして、リリアとふたり四阿で休息をとる。まだ幼い少女だ。当然ながら、レノンの体力を目安に彼女の疲弊具合を推し量ってはならない。
軽く食べられるクッキーや、こども向けのジュースはリリアの好みを反映させてのものだろう。自分用に用意された紅茶にくちをつけながら、にこにことうれしそうにクッキーを頬張るリリアを知らず穏やかなまなざしで見つめるレノンに、リリアはすっとクッキーの載った皿を寄せてくれる。
「おにいさまもどうぞ。このリンゴのジャムののったクッキーがおすすめよ」
「ありがとう。じゃあせっかくだし、いただこうかな」
そうこたえて、リリアのおススメのクッキーをひとつ摘まむ。もちろん毒見は済んでいるだろうが、それでもその毒見役を懐柔したりなどして安心できない母国とは違い、こちらで出される食べものは安心して食べられる。ほんのりと口内に広がったやさしい甘味に、うん、おいしいと頷けば、リリアが満足そうに笑った。
「リリア嬢はリンゴやクッキーがすきなのかい?」
「すきよ! でもクリームたっぷりのケーキのほうがすき」
「そうなの?」
「うん。でもね、すっごくあまいから、あんまりたくさんたべちゃだめなんだって。だから、とくべつなの!」
「そっか、特別なときの、特別なお菓子なんだね」
「うん! おにいさまは? なんのおかしがすき?」
「ぼくは……」
すきな菓子。そう言われてぱっと思いつくものがないことに、我ながら驚いた。それどころか、すきな食べものに範囲を広げても思い浮かびそうにないことに、レノンはいまさら気づいたのだ。
毒に怯え、いやがらせに怯え。目の前の料理がほんとうに食べても安全なものであるか疑いながらする食事に、味など求める余裕などなかった。おいしい、と思うよりも、食べられた、と安堵する気持ちが勝る。レノンにとって食事とはそれ以上でも以下でもなかった。
思わずことばに詰まったレノンに、リリアが首を傾げておにいさま? と声をかけてくる。
「あ。いや……ごめんね、ちょっとこれといって思いつかない、かな」
「すきなおかし、ないの?」
「うーん……あ、でも、このクッキーはおいしい……と、思うよ」
もう一枚適当なクッキーをくちに放り込み、咀嚼した。
うん、おいしい。おいしい、はず。甘味はわかるし、クッキーのものとジャムのものの区別もつく。不快感もないし、おいしいには違いない。
けれど、これをすきかどうかは、わからなかった。
いまはあまり表に出ることもままならないから気にしなかったが、社交などの都合上にもこれはあまりよくないかもしれないな。テンプレートとしてでもこたえられるこたえを用意しておかないと、と、他人事のように事務的に考えていると、リリアがそのちいさな両手をぱちんとあわせた。
「そうだわ! おにいさま、もっとたくさん、リリアとおちゃをしましょう! リリアね、おかし、いっぱいしっているの。だからおにいさまにいっぱいおかしをおしえてあげられるわ。そうすればおにいさまにもすきなおかしがみつかるかもしれないもの!」
ね、と、まるで妙案でも見つけたかのように笑顔を向けてくるリリアに、レノンは目を瞬かせる。そうまでして好みの菓子を見つけなくとも、食べられるものから適当に選べば済むのだけれど、とはくちにしない。
自分が役に立てる、と、胸を張っているのか、それともレノンにかこつけてお菓子をたくさん食べる算段をしているのかはわからない。けれど、どうだとばかりの笑みを向けられれば邪険になどできようはずもなかった。
ふふ、と、思わず笑ってしまう。どうにも、リリアの前だと自然と笑ってしまうようだ。こども特有の邪気のなさがそうさせるのか、それともリリアだからなのかはわからないけれど、これはきっと、確かに心地よいものなのだとレノンは認識する。
「ありがとう、リリア嬢。それならきっと、すきなお菓子が見つかるね」
「まかせて、おにいさま!」
有言実行も兼ねてだろう。それからのリリアはレノンがビスタリア王国に滞在中、ちょくちょくレノンのもとを訪れては一緒に過ごした。
レノンの来訪の大目的は身の安全の確保と、疲弊した心身を癒すことにある。もちろん王族として視野を広めることもうそではないが、だからといってリリアとの時間をとれないようなことは決してなかった。
リリアの家の事情もあり、しばらく王城に滞在することとなっていたリリアと母親のレアリナ。リリアに懐かれたレノンは悪い気がしないどころか、年の離れたかわいい妹のようなリリアと過ごす時間には癒され、おにいさま、おにいさまとちょこちょこ寄ってくる彼女がほんとうにかわいくて仕方なかった。