もう一度、釘をさして差し上げましょう
ミアというこの女性。単刀直入に言って思考能力をどこかに置き捨て、代わりに花畑を詰め込んだような女性という調査報告を得ている。学生時代はふわふわした綿菓子のような言動を繰り返し、なまじ見た目は悪くなかったぶん、実家の男爵家も甘やかしに甘やかしたらしい。おかげでマナーや教養といった一切と縁遠く、それでも愛嬌で乗り切れる範囲で生きればいいとされたのだろう。
たぶん、さすがに当時の王太子を引っかけてきたのは男爵家としても想定外だったはずだ。
だが、それできちんと弁えられていればまだ救いようもあったというのに、この子にしてこの親とはよくいったもので、娘が王太子の寵愛を受けていると知った途端に図に乗る愚かものたちだった。
彼女の実家はさておき、夢見がちな少女であった彼女は、彼女の虜となった男性陣曰く癒しと安らぎを与えるこころ優しい少女として多くの男性に囲まれ、愛でられる日々を送っていた。それを当然とばかりに享受する彼女は、当然のように女性たちには嫌われていく。嫌がらせや嫌味など日常茶飯事で受け、それを男性陣に言いつけては男性陣が女性たちを責め立てるという悪循環。
オーフィリナはその中で最も立場の高い男性の婚約者であったからこそ、首謀者扱いされてしまったのだ。きっと彼女が妬んで、取り巻きたちを使っていやがらせを……とミアが訴えれば、裏付けもなにもせずに断罪に乗り込んだ当時の王太子の頭の軽さはミアと同程度で釣り合いがとれていると言えなくはない。
良くも悪くも頭を働かせるだけの能力のない人間だ。下手に上昇志向というか、身に余る権力や財力を欲しがるのが面倒なだけの、取るに足らない人間。腐っても国王陛下である夫がいなければ、彼女の価値など微塵もないとリリアは知っている。
けれど。
けれど、その夫の寵愛を受けていることが、それに胡坐をかいてすき放題してきたことが、彼女の最大の罪であり、彼女本人の価値がどうあれ完膚なきまでに叩きのめされる要因である。
「では確認をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「……なんだ」
「わたくし、この国について長く勉強をさせていただいておりますが、この国ではいつから側妃様が正妃殿下を蔑ろにしてよくなられたのですか?」
「な……っ」
たとえどの国であろうと、基本的に側妃のほうが正妃よりも権力を持つということなどない。その例にこの国とて漏れていないと習ったのだけれど? と、不思議そうを装い、侮蔑を隠したまなざしで問う。相も変わらず顔を真っ赤にして怒りを露わにする国王はともかく、側妃はさも被害者然とわっとわざとらしく両手で顔を覆った。
「そんな……! ひどいわ! わたし、そんなつもりなんてなかったのに!」
「母上っ。リリア嬢、いくらなんでも無礼ではないか!」
「え? ですがさきほど、母親と思えと仰られましたわよね? わたくしの婚約者はレノン殿下であり、義母となられるのは正妃殿下であられるオーフィリナ殿下のはずですのに」
「わたしが側妃だからってバカにしているのね! あの子とゲイルは父親がおなじなのよ! それならわたしだって母親みたいなものじゃない! それに、あなただってゲイルのことをもっとよく知れば、あんな子よりもゲイルのほうがいいってなるに決まっているわ!」
言った。言ってしまった。
考えが足りないどころではない。浅はかにもほどがある。
今回この場に赴いた目的をこうも容易く引き出せて、リリアは本当に笑い出したくてたまらなくなった。なんて愚かなのだろう。くちにした当人である側妃はもちろん、すぐにそれを制さなかった国王も、第一王子も。
ああ、本当に。こんなのをいつまでものさばらせておいては、とってもよくない。国にとってもだが、なにより。
レノンにとって。
リリアはそれまでの淑女然とした態度を一変。あからさまにそうとわかるだけの冷気を放つほどの冷たいまなざしで側妃を見下す。もはや侮蔑を隠すこともなく、ありありと浮かべて。
「……その件については、ビスタリア国王陛下にも咎められていたはずですが? あのときのことを余興と捨て置いてくださった陛下の温情に泥を塗るとは、ビスタリア王国との不和をお望みなのでしょうか?」
「い、いや、そういうわけでは……」
「此度のこと、ビスタリア国王陛下へと報告させていただきます。正式に抗議を入れていただき、二度と側妃様と第一王子様をわたくしへと接触しないよう要望させてもらいますわ」
「な! なにもそこまでしなくてもよいだろう! この場はごく内々のもの。すこしばかり先走ったことを言ってしまったかもしれないが、ミアはただリリア嬢のことを思っただけなのだ。そのように目くじらを立てるでない!」
「そちらの意図など存じ上げません。重要なのは、レノン殿下の婚約者であるわたくしを、レノン殿下とオーフィリナ王妃殿下ご不在の場……それも私的だという場に呼び出したことと、側妃様のくちになされたことです。いくら内々の場とはいえ、ご自身の発言には責任を持っていただきませんと。……一国の国王陛下の側妃様なのですから」
では、報告があるので失礼します、と。きれいに一礼してその場を去るリリアの背に声がかけられるが、知ったことではない。この上ない侮辱をされて、敬える要素などありはしないと見せつける。これが公式の場であるならいざ知らず、私的な場であるとは国王自らくちにしたのだし問題ないだろう。
ビスタリアから連れてきている専属侍女と専属護衛を従えて部屋をあとにし、私室へ向かいながらリリアはひそりとほくそ笑んだ。
これで一応、うるさい羽虫への牽制にはなっただろう。どれほどの効果があるかはわからないが、表立って堂々とリリアに接触はできなくなるはず。そうなるだけの圧力は伯父であるビスタリア国王陛下にかけてもらうつもりだ。
「まったく、自分が性に奔放だからって、他人までおなじなんて思わないでほしいですわね」
「リリア様。声に出ていますよ」
「あら、うふふ。失敗失敗」
専属侍女、ササメに指摘され、悪びれることもなく笑う。
だれに聞かれようとも咎められることはない。そう、わかっているのだ。
頭の軽いトップは、それゆえに御しやすく、オーフィリナの実家であるベルン公爵家の当主は、緩やかに緩やかに掃除を進めてきた。いまやこの王宮に、国王や側妃、第一王子に与するものはおろか、前国王に忠誠を誓っていたものさえ残っていない。
諫言を厭う国王に甘く囁きかけ、彼や前国王に忠を誓うものたちは、うまく誘導して悉く排除した。前国王時代よりも前の王家にこそ忠を誓おうと、いまの国王の腐敗具合には閉口していたものたちは、オーフィリナを憐れんでもいたためおとなしく静観に移行し機を窺っている。
もちろん、現国王らに甘言で取り入り蜜を吸おうというものなどもってのほか。そうしたものたちは家ごと叩き潰されたことさえある。筆頭は側妃の実家だろう。さっさと潰したが、うまくことばを尽くすベルン公爵に丸め込まれ、国王も側妃も気づいてもいない。長年顔も見られていないというのに、薄情なことだ。
それだけベルン公爵の怒りは凄まじいものだということだが、その掃除によってきれいになりはじめたのもまだ割と最近のこと。それまでは国王や側妃の意に沿おうとするものもすくなからずいて、幼少期などレノンが命の危機に脅かされたことなど両手の指の数では足りない。それもあって、オーフィリナが妹に会いに行く名目でビスタリア王国を訪ねるのに同行し、一時避難をしていたのだ。
その折にレノンに会えたと思えば感謝できなくもない……などという気はリリアにはさらさらなく、愛しいレノンを殺そうとしたなどと、百度殺そうと許せそうにないことだった。
さすがに命の危機はなんとか回避できるよう密かに動きはしたが、掃除が済むまではベルン公爵たちもあまり大々的にレノンたちの味方はできず。王子だというのに、毒を盛られるほかにも粗食にされたり食事を抜かれたり、気分で暴力を振るわれたりもよくあることだった。それもこれも、国王自らもそうだし、その国王の威を借りた側妃や第一王子が率先して行ったこと。十四でビスタリアに留学するまで、レノンに気の抜ける日などなかったという。……ビスタリアに訪れていたときは別だが。
そんなレノンが荒むことなく、立派なやさしく誠実な紳士として育ったのはもはや奇跡ともいえよう。オーフィリナや、信頼できる家臣などから余すことなく愛を注いでもらえたのも功を奏しただろうし、なによりリリアの存在が救いになったとのちに彼自身が語った。
妹のような子がいついつだって自分に屈託なく愛を向けてくれる。だいすきだと、声高らかにまっすぐに伝えてくれる。だから自分は、そんな彼女の笑顔を曇らせない人間にならないと。
そんな想いが、レノンを強くしてくれた。そう、彼は言ってくれたのだ。
それはそのままリリアのちからにもなり……。ふたりが結ばれるのは、やはり必然だったのだろう。
愛しいひとをこころに思い描き、リリアはきゅっと胸もとで拳を握る。やわらかな笑みは一瞬だけで、すぐに強気で傲慢なそれへと変えた。
「因果応報。報いを受けるときはすぐそこですわよ。……うふふ。うふふふふふふ」
たのしそうな、弾むようなわらい声を、今度はササメも咎めない。傍らを歩く護衛騎士とともに、ただただ主と認めた幼い背中に粛々と付き従うのだった。